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傷跡令嬢のリバーシ  作者: ビヨンドほうじ
第一章 傷だらけのリズ
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カイルの悔恨

町の広場に立ち並ぶ多くの天幕、その中央にひときわ大きな白亜の天幕が、紺の紋章旗をはためかせていた。天秤と剣の紋章。子供でも知っているヴィア・ストライド王家のもの。


その天幕の入り口で、テオは喉を引き裂かんばかりに叫ぶ。

「お願いします!!騎士のにーちゃんに……カイル!騎士のカイル・ケストラに伝言があるんだ!」


その声に集まった兵たちが少年の行く手を阻む。

「坊主。どうした?ここは子供が来るところじゃないぞ」

「リズねーちゃんが大変なんだ!カイルのにーちゃんにどうしても伝えなきゃいけないんだ!俺、カイルのにーちゃんに頼まれたんだよ!」

テオは懸命に声をからす。必死ではあるが兵たちには何のことだかわからない。

兵たちが顔を見合わせていると、天幕の内側から柔らかな声がする。

「通してあげなさい。これほど必死な伝令を無視するわけにはいくまい」

「は!承知しました!」

兵たちに連れられて天幕の中に入ったテオが見たものは、テーブルと多くの椅子。広げられた地図と書類の数々。簡素に仕立てられた執務室のような空間だった。訓練の行き届いた兵士と文官がせわしく行きかう空間は、テオにはなじみのないものだった。

テオは自分が場違いに感じて、身を縮こまらせた。


テーブルの主は、豪華な衣装を着た大人だった。テオへ穏やかな微笑を向ける。

鋭くも、優しい笑み。金髪から除くエメラルドの瞳が気品を漂わせている。

「少年よ、報告を聞こう」

その堂々とした態度にテオは少し安心し、一気にまくしたてる。

「あの!リズねーちゃんが悪い奴らに捕まったんだ!にーちゃんに、すぐに伝えないと……!」

「落ち着きなさい。悪い奴らとは?」

「侯爵様だよ!リズねーちゃんが馬車で連れてかれたんだ!まだこの街にいるはず!」

その名が出た瞬間、エメラルド色の眼光が険しくなった。

「ゲセン卿……アントラー侯爵…か……視察に来て早々にこれとはな。カイルを呼べ」

傍らの兵に短く命じ、兵は即座に天幕を出た。

「頼むよ!カイルにーちゃんだけが頼りなんだ!」

「急くな、少年。カイルは確かに頼りがいのある男だが――こう見えて、私も少しは役に立つぞ?」

テーブルに両肘をつき、少年にいたずらっぽい視線を投げかける。

「……にーちゃん、誰なんだよ」

テオの純粋な問いに、男は落ち着き払って優雅に名乗る。

「ヨハン・ストライド。この国の第一王子であり、王太子である」

「えっ……」

思いかけない名前に、テオは息をのんだ。


1分もしないうちに、カイルが天幕に飛び込んできた。

「王子!お呼びでしょうか」

「カイル、勇敢な伝令兵の報告だ。……聞きなさい」

促されたカイルはテオに気付く。兜の隙間から見える表情に緊張が走る。

「テオ!?……リズはどうした!」

「ねーちゃんが……ねーちゃんが悪い奴らに連れていかれちゃった!助けなきゃ!」

テオが叫び終わる前に、カイルが鋭く問う。

「場所はどこだ」

「北西の門……でも、もうそこにはいないかも。おっきい馬車でつれていかれたんだ」


テオは申し訳なさそうに下を向く。

「アントラー侯爵の別邸だろう。上角区……北の街区にあるはずだ」

ヨハン王子の頭の中には、街の構造が入っているようだった。

「明日には面会し、ゲセン卿の疑惑を問いただす予定だったが……まさか、今この瞬間にも悪事を重ねているとはな……」

腕を組み思案する王子の前で、カイルは拳を握りしめる。

鎧の籠手の軋む音が響く。

「カイル、どうした?」

彼は王子の問いに答えず、膝をつき、王家の紋章が刻まれた鎧を脱ぎ、地面に置いた。

「王子……申し訳ありません。このカイル・ケストラ、たった今、近衛騎士の職を辞させていただきます!」

「何!?」

「これから私がやることは王家とは無縁。全て、私一人の責任です!」

言うが早いか、カイルは腰の剣を強く握り締め、翻した背中で風を切った。

王子の許しも待たず、夜の闇へと飛び出していく。

残されたヨハン王子は、しばし呆然とその背中を見送っていたが、やがてくすりと、楽しげに肩を揺らした。

「驚いたな……あの堅物が一人の女のために、全てを投げ捨てるとはな」

王子はゆっくりと腰を上げた。その瞳には、驚きと呆れ、それを上回る興味が宿っている。

「その女、会ってみたくなった――軍を動かすぞ。ゲセン卿は危険な男だ。カイルの身が危うい。隊長を呼べ」

王子は表情を引き締め、傍らの兵に命じた。

「はっ!」

兵たちに緊張が走る。





夕闇の街路、カイルはアントラー侯爵邸を目指し、駆けていた。


あれから5年、リズを探し続けていた。

近衛騎士として護衛の任務で、様々な土地を訪れるたびに、探し回った。


このアントラーの地で「傷を治す魔女」の噂を聞いたときは耳を疑った。

千載一遇の機会。そしてそれは間違いなくリズだった。


ようやく会えたというのに。

ここでリズを失うわけには行かない。


胸を締め付ける苦しみが、5年前の惨劇を思い起こす。


クロムウェル家が賊に襲われたあの日、カイルはリズを助けるために荒れる屋敷に飛び込んだ。

そこにいたのは賊というより兵のような男たちだった。

統率の取れた動き。紋章を隠した鎧。

まだ十五のカイルにとって手に負えない恐ろしい男たちだった。


暗がりの廊下をリズが駆けてくる。

廊下の向こうから鳴り響く金属音が襲撃の激しさを物語る。

リズも誰かに追われているようだった。


「カイル?!どうしてここに?」

「話は後だ」


カイルはリズの手を引いて、厨房の脇にある凹みに身を引きよせる。

地下貯蔵庫の扉が空いている事に気づき、リズをその中に逃がす。


「リズ……ここに隠れていてくれ。俺が賊を迎え撃つ」

「カイル!やめて!」


叫ぶリズを、地下貯蔵庫に逃がし、重い扉を閉める。


リズを守るべく、剣を構えるカイルの前に現れたのは、縮れた黒髪の男。

賊には似つかわしくない、流麗な身のこなし。とんでもない手練れ。

野盗にはありえない、流れるような剣技の持ち主だった。


カイルは数合も持たず、劣勢になる。

横薙ぎの強烈な一撃を受け、態勢を崩された。


そして、左目に熱い刃筋が走り、視界が朱に染まる。

体勢を立て直す間もなく、冷たい刃がカイルの喉を深く横に薙いだ。


「ゲフッ……」

致命の一撃を喰らって、カイルは仰向けに倒れる。


「筋は良いが……流石に幼いな……」


長髪の剣士は、周囲を見渡すと、再び館の奥へ駆けていった。

カイルは残った右目で、遠ざかる賊の背中を見つめる。


「……ぐ…ゴボっ……!」


喉を満たす血に、死を感じた。


だが、リズを賊の手にさらす恐怖が胸の内を占める。


扉を開けて、リズを逃さなくては……しかし、心の中の叫びも虚しく、指を動かすことすらできなかった。


薄れゆく意識の中で、カイルは懸命に叫ぶ。

(……リズ……を逃さなくては……リズを……)


だが、死の泥濘が、意識をさらに深い闇に引きずり込む。

その最中、不意に、温かな感触を頬に感じた。


「——っ!?」


痛みが吸い取られ、体の奥底から生命が沸き立つ。

傷口がふさがり、神経がつながっていく感覚。

斬り裂かれた左目すら、その光を取り戻していくのを感じた。


(これは……奇跡か……)


希望にすがりながら、薄目を開けるカイル。


ぼんやりと視界に入ってきた光景は奇跡ではなく、思いがけない絶望だった。


泣きはらすリズ。

その美しい左目は無惨に潰れ、喉にも大きな傷があった。


それは自分が負ったはずの傷。未熟さの代償。

何が起きたのかはわからない。ただ、リズが自分の傷と死の運命を負ったことを直感した。


(リズ……!)


叫びたいが、喉に詰まった血がそれを許さない。

失った血の多さに、意識が遠のく。


リズは地面に置いた白い本を手に取って、立ち上がり、屋敷の廊下を駆けていく。小さくなっていくリズの後ろ姿。


(リズ……すまない……せめて……無事でいてくれ……)


灼ける鉄のように激しい悔恨を胸に刻みながら、カイルは意識を失った。





あれから5年。

あの時の悔恨を糧に、肉体と剣技を鍛え上げた。そして揺るがぬ意思も。


交易都市アントラー上角区

アントラー侯爵ベラム・ゲセン別邸。

カイルは今、リズを救うべく、黒い館の前に立っていた。


見上げた先には、堅牢な石造りの建物がある。

無数の篝火に囲まれた邸宅は、禍々しいばかりの富と権益を誇っている。

(……あの時は、何もできなかった)

過去の痛みを思い起こして、喉に手をやる。

(だが、今は違う)

手で左目を覆い、リズに誓いを立てる。

(リズ……必ず助ける)

腰に差した大剣を抜き払う。

刃筋が篝火を照り返す。


「俺は……二度と……リズを失わない!」

カイルは黄金の瞳で、夜闇の中、煌々と照らされた不気味な扉を睨みつける。



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