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傷跡令嬢のリバーシ  作者: ビヨンドほうじ
最終章 傷跡令嬢のリバーシ
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傷跡令嬢のリバーシ(3)

決闘が意外な形で終わり、大市に集まった人々が固唾を飲んで成り行きを見守っている。驚天動地の光景だった。この街の冷徹な支配者、アントラー侯爵が、小柄な女性ただ一人を恐れているのだ。

その女性は、体中に傷跡を持ちながらも、気高く美しく見えた。腕に、頬に、首に走る傷は凄惨というより気高い聖痕のような輝きを放つ。斜めにかかる黒いサッシュに刻まれた王家の紋章が、ただならぬ背景を物語っていた。

周囲の目線が自らに集まる中、リズが自らの首の傷をそっと撫でてみせると、侯爵はハッとして、反射的に自身の首筋に手を当てる。

「申し出の返答にあがりました」

ごく普通の穏やかなひと言に、侯爵は脚をもつれさせ、再び椅子に腰を落としてしまう。

「くそっ!ザラの役立たずめ!」

口汚く罵りながらも、そのふるまいからはいつもの余裕が消えていた。

リズは一歩一歩、侯爵に近づく。

白黒メッシュの髪、朱に染まった白い騎乗服、黒い王家のサッシュ、白いスカートの裾が、秋の風に揺れる。

カイルは長剣の切っ先を斜め下に構え、リズの後ろを守る。

「兵よ!なにをしている!こいつらを取り押さえろ!」

だが、その命令に応えるものはいなかった。王家の特使に手を出すことは王族に弓引くことであるし、何よりもこの二人が見せた超常の光景は兵たちを畏怖させるには十分だった。

あくまで礼儀正しく、リズは問う。

「ベラム・ゲセン閣下……あなたは……6年前、クロムウェル家を襲ったのですか?」

「ぐっ……」

侯爵は脂汗を流しながら、リズを見る。

「ザラ!私を守れ!ザラ!」

さっき自身が罵ったばかりの男の名を呼ぶも、広場に倒れた黒い剣士はピクリともうごかなかった。傍らの老執事も、主の命運が尽きたことを悟ったように、ただ静かに一歩下がって頭を垂れるだけだった。

顔を歪めて命乞いをする侯爵の額には脂汗が浮いている。手を突きだして叫ぶ。

「ま、待て!命だけは助けてくれ!」

リズはその無様な様子から目を逸らした。

そこには雲一つない青空があった。カササギの飛ぶ姿が見える。白と黒の翼が秋空に映えていた。

(高い空……)

目を瞑ると、リズの脳裏に、打ち捨てられた屋敷と、無惨に殺害された両親の姿がよぎる。

(お父様、お母様、お姉様……私は……)

目を見開いて、海の色の瞳で、侯爵を射抜く。

「あなたが、クロムウェル家襲撃の黒幕なのですか?!」

一段、大きな声で問う。

「あっ……あれは……」

なおも回答を拒む侯爵。

リズが左足を半歩前に踏み出すと、白いブーツの踵が石畳に触れ、コツリと音を立てた。

半身になり、左手の人さし指を真っ直ぐに突き出す。

わずか一年前まで、この街の路地の片隅で黒いローブで身を縮こまらせていた少女が、今、街の支配者の前で、堂々たる立ち姿を見せているのだ。

リズは小さく息を吸い込み、人さし指で侯爵を指さしたまま、古の言葉を口にした。

「……コンウェルシオ・ミニマ」

リズの全身の傷が再び赤黒く光り、浮き出て、螺旋を描きはじめる。黒のサッシュが、白のスカートの裾が、つむじ風にあおられて音を立ててはためく。

怒りが具現化したような、荒々しい光景。リズの周囲を、赤黒い線が燃えつくように唸りを上げる。先ほどより一際、迫力のある光景に、群衆が驚嘆の声を上げる。

侯爵は両膝を地につけ、手を合わせ、命乞いをしながら、ついに口を割る。

「クロムウェル家の一件は、私の指示だ!すまなかった!いくらでも金を払う!『黒の書』も返す!だから、その力を私にむけないでくれ!」

その叫び声は広場じゅうに響き渡った。

なおも荒れ狂う旋風の中心で、リズはわずかに頷く。

「そうですか……」

その目に怒りの色はなかった。

ただ、自身の未来への覚悟があった。

「これが私の答えです……」

引き続き、唇から漏れるのは審判の言葉。


『リバーシ』


左の指先から小さな赤い火花が放たれ、侯爵の頭部をかすめる。

チッと、鳥がさえずるような小さな音だけがした。

そして無音。

僅かの間を開けて、どさりと侯爵が倒れる音。

侯爵は無傷だった。いや、一つだけ、左耳に、小鳥がついばんだような小さな傷があった。血の一滴も流れない、かすかな傷。先ほどザラの脅しで左耳につけられたほんの小さな傷。

「コンウェルシオ・ミニマ」――それは最小の傷を移す力。


『リバーシ』を恐怖する侯爵は、その小さな傷だけで気絶してしまったのだ。


「力を使うことも、使わないことも、どう使うかも……私の未来も……全ては私の意思で決めます……」

突きつけた左手をゆっくりおろして、自らの意思を告げる。

「ですから……昨夜のお申し出はお断りします」

泡を吹いて倒れた侯爵には、リズの返答が届いていないようだった。

広場は歓声で沸き返る。


カイルは侯爵の脇で縛られているテオに駆け寄り、縄を解く。

「大丈夫か?!」

「リズねーちゃん!今のすげぇ!どうやるの?俺もやりたい!」

口が自由になるなりまくし立てるテオを見て、カイルは呆れた様子で呟いた。

「それだけ元気なら心配ないな……」


リズもテオのそばに寄り、礼をいう。

「ありがとう。テオ」

リズは石畳に倒れた侯爵を振り返って

「……侯爵が倒れてしまいましたけど……どうしましょう?」

「いや、今ので倒すつもりだったんだろう?」

「私は攻撃の意思がないことを示して、お答えするだけのつもりだったのですが……」

リズは困惑したような表情をする。

カイルは天を仰いで、吹き出して笑った。

「ハハハ……マジかよ……でも、その甘さがリズのいいところだよな……」

「どういうことです?」

リズが不思議そうな顔をした時、広場の東から、大きなどよめきが沸き起こった。

群衆の向こうに何頭かの騎馬が見える。

「あれは……」

カイルが目を細めて見て、何かな気づいたようだった、

人垣が綺麗に左右へと割れた。天秤と剣の紋章をあしらった隊旗、ストラウド王国の旗がたなびく。先頭の白馬の手綱を握るのはヨハン第一王子。その後ろに数騎の近衛兵が続く。

「ヨハン、王子……!?」

リズから驚きの声が漏れた。馬上の王子と目が合うと、王子はかすかに柔らかい笑顔で答えた。そして、広場の中央まで馬を進めると、全ての人々に届くような、威厳に満ちた声を響かせた。

「王族特使、エリザベス・ルミナ・ド・クロムウェルならびに護衛騎士カイル・ケストラ!両名、任務をよく果たし大義である!」

その堂々たる宣言に、リズの胸の奥が熱くなる。

王子は続けて、未だ石畳の上で気絶しているベラム・ゲセン侯爵を見下ろした。

「アントラーの民よ、アントラー領主、ベラム・ゲセン侯爵には、六年前のクロムウェル家襲撃ならびに王家への反逆容疑がかかっている。王家としてこれを看過することはできぬ。卿は捕縛され、王都にて法の裁きを受けることとなる」

ヨハン王子の冷徹な号令が下った瞬間、付き従っていた近衛兵たちが一斉に動き、ゲセン侯爵とザラを容赦なく取り押さえた。王子はさらに、不安にどよめく街の商人や民衆たちを見渡し、威厳に満ちた声で語りかける。

「大市の直前に、皆に心労をかけた。アントラーは今より王都直轄の地とする!皆、今まで以上に商いに精を出してほしい!」

その一言で、広場は、歓喜と興奮のどよめきに包まれた。重税と恐怖に怯える日々が終わりを告げたのだ。ヨハン王子は、しなやかに白馬から降りると、真っ直ぐに二人のもとへと近づいてきた。相好を崩し、満面の笑みで二人を称える。

「よくやったな、二人とも」

「王子が、わざわざお越しになるとは……」

カイルが驚いた様子をみせるが、王子は小さく首を振った。

「もとより、二人が王都を出た後を追うように軍を動かしていたのだ。だが……今朝、カイルを名指しにした不当な高札の話を伝令から聞いて馬を急がせた。間に合ってよかったといいたいところだが……予想以上のことになったな……」

ヨハン王子はそう言って、リズの前に視線を落とした。その眼差しには、一人の女性を過酷な場に送り込んだことへのもうしわけなさがにじんでいた。

「リズ、危ない目に合わせて本当に済まなかったね。カイルは……君の騎士は、よく君を守ってくれたかい?」

「はい……ありがとうございます」

リズは隣に立つカイルを誇らしげに見上げた。傷だらけになりながらも、自分を真っ直ぐに見つめ返してくれる黄金色の瞳。愛しさが込み上げ、リズはカイルに微笑む。

だが、その甘い雰囲気をぶち破るように、足元から空気を読まない元気な声が飛び込んでくる。

「リズねーちゃんのほうが、カイルにーちゃんを守っていたと思うけど!?ヨハン王子、さっきの凄いのちゃんと見てた!?」

テオが「ふんす」と鼻を鳴らしてヨハン王子を見上げ、我が事のように自慢げに胸を張った。

リズは一瞬で顔を真っ赤にする。

「テオ!余計なことを言うな!」

カイルが顔を真っ赤にして狼狽し、お喋りな少年の口を塞ごうと大きな手を伸ばした。リズはくすくすと声を立てて笑いながら、カイルのその手を、自らの両手でそっと優しく包み込んだ。

カイルの動きが止まり、黄金色の瞳が、熱を帯びてリズへと向けられる。

「どちらが守ったかなんて、どうでもいいのです……こうして今、二人で一緒にいられるのですから」

リズはそう言って、お日様に当てた干し草のような、大好きな匂いがする広い胸元へと、甘えるようにそっと身体を寄せた。

「リズ……」

カイルは愛おしげに彼女の名前を呟くと、リズの細い肩を優しく抱き寄せた。足元でニヤニヤしながら見るテオの視線から目をそらすカイルの耳が赤くなっているのを、リズは見逃さなかった。

「ありがとう。カイル」


リズはカイルの大きな身体をギュッと抱いた。




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