エピローグ
王都オムニスの大聖堂、鐘の音が冬の静謐な空気の中に響き渡る。
ステンドグラスから差し込む七色の光が、真っ白な大理石の床に万華鏡のような煌めきを散らしていた。
大聖堂の控室で、リズは鏡の中にある純白のウェディングドレスに身を包む自分の姿を、現実感がないまま見つめていた。
(私がカイルの奥さん……妻……伴侶……)
心の中でその言葉を思い浮かべるだけで、くすぐったい、むずむずとした甘い気持ちが胸の奥から溢れてきてしまう。リズは照れを隠すように、頬に両手を当てて、もう一度鏡の中の自分をじっと見つめた。
リズが選んだのは、胸元が大きく開いた仕立てのドレスだった。首筋についた大きな刀傷も、左腕を覆う数多くの傷も、露わになっている。特使の騎乗服の時のように、肌を完全に覆い隠すドレスを選ぶこともできた。実際、王家の仕立て職人は、彼女の傷を隠してみせる見事なデザインを提案してくれた。
だけど、リズはそれを選ばなかった。傷を隠してしまうことは、自分のこれまでの歩みと、気持ちを隠してしまうような気がしたから。その選択を伝えたとき、カイルは驚くこともなく、「リズならそうすると思った」と言って、太陽のような笑顔で肯定してくれた。
胸元にそっと手を当て、薄い手袋越しに、自らの鼓動を確かめる。
職人の手によって、透き通るようなベールがリズの頭上へとそっと被せられた。
リズが静かに控室の扉を開けて歩み出ると、彼が待っていた。白銀の儀礼用礼装を身に着けたカイル・ケストラ。大きな肩を緊張で硬くしながら、その黄金色の瞳で、真っ直ぐにリズをみつめる。
リズが彼の隣に並び立つと、カイルは大きな手のひらをそっと差し伸べた。
「リズ……本当に、綺麗だ。世界中の誰よりも」
「カイルこそ……とても格好いい、です」
二人が顔を見合わせて小さく微笑み合うと、巨大な白い扉が開かれ、大聖堂が目の前に広がった。
その最奥、祭壇の中央にはヨハン王子が立つ。
リズとカイルの結婚式は、王家が直々に執り行う、国を挙げた大掛かりな儀式となった。「そんな大ごとにしなくても」と二人はヨハン王子に申し入れたのだが、王子は「クロムウェル家再興とその当主の結婚式なのだから、王家が取り仕切らせてもらう」と、押し切られてしまった。
祭壇の前へと辿り着いた二人を迎え、ヨハン王子は、大聖堂を埋め尽くす数多の貴族たちへと高らかに語りかけた。
「皆も知る通り、かつてクロムウェル家は、非業なる襲撃によってその命脈を絶たれた。しかし、今ここにヴィア・ストラウド王国の名において、クロムウェル家の再興をここに宣言する。新たなる当主の座には、エリザベス・ルミナ・ド・クロムウェル、汝が就くが良い」
王子の布告とともに、大聖堂に雨のような祝福の拍手が降り注いだ。
「引き続き、神聖なる神の前において、王国の忠臣たる騎士カイル・ケストラと、気高きクロムウェル家当主エリザベス・ルミナの婚姻の誓いを執り行う。カイル・ケストラはクロムウェル家に婿入りし、伯爵の位に列せられる」
ヨハン王子の温かい眼差しが、カイルへと向けられた。
「カイル・ケストラ。汝は、この者を妻とし、健やかなるときも、病めるときも、喜びのときも、悲しみのときも、これを愛し、敬い、助け、愛することを誓うか」
カイルは大きな胸を張り、誓った。
「はい。誓います」
ヨハン王子は静かに頷き、今度はリズへと向き直る。
「エリザベス・ルミナ・ド・クロムウェル。汝は、この者を夫とし、健やかなるときも――」
(病めるときも……)
ヨハン王子の言葉を聞いて、リズは自身の力について思いを馳せる。人を癒やし、ある時は人を傷つけるこの力は、ゲセン侯爵の言うように、自分の未来に暗い影を落とすかもしれない。その光と影は一人で背負うには重すぎるかもしれない。
でも、これからは二人で分かち合うことができる。
リズは凪いだ海のような青い瞳で最愛の騎士を見上げ、澄んだ銀鈴のような声を響かせた。
「はい。誓います。どんな未来もカイルと共に歩み、支え続けることを」
その二人の気高い誓いを聞き届けるように、ヨハン王子が厳かに両手を広げて宣言する。
「神が引き合わせた二人を、何人も引き離してはならぬ。神の名のもとに、またヴィア・ストラウド王国の名の下に、二人の婚姻を認める」
カイルはリズの白く薄い絹の手袋をそっと外した。ザラへの『リバーシ』によって傷がなくなった右手、そして、傷だらけの左手が露わになる。リズの長い歩みを感じさせる両の手をカイルは優しく包み込み、指を絡ませた。
リズの手に温かい体温が伝わる。
「もう離さないぞ、リズ」
「はい……二人で、一緒に」
そこには二人で掴み取った未来があった。
カイルがリズのベールを優しく持ち上げる。
顔と首に刻まれた多くの傷があらわになり、列席者たちの視線が注がれる。
顔に刻まれた鋭い傷、首の大きな傷。左腕の無数の傷。
列席の貴族たちから、深い、うなりのような感嘆のどよめきが上がる。
冬の陽光に照らされて輝く傷を、醜いと蔑むものは一人もいなかった。
リズの慈愛と覚悟を示した一つ一つの傷に、見るもの誰もが圧倒された。
神聖な大聖堂の中で、ひときわ気高い美しさを誇っていた。
カイルの黄金色の瞳が、リズの海のような瞳をみつめる。
「リズ……綺麗だ……」
リズは照れて、わずかに俯く。二人の姿が重なり合う。
カイルがそっと顔を寄せ、リズの唇に、優しい口づけを落とす。
リズはカイルの胸にそっと手を添えて寄り添い、深く目を閉じた。ふわりと懐かしい香りに包まれる。お日様にあたった干し草のような、昔からリズが好きなホッとする陽向の匂いだった。
大聖堂は祝福の拍手で満ちた。
傷跡令嬢の、その気高く美しい姿は、後々までストラウド王国の語りぐさとなった。
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