傷跡令嬢のリバーシ(2)
「カイルッ!!」
聴衆がどよめく中、リズは白手袋を外しながら、カイルの元へと駆け寄った。
石畳に膝をつき、カイルの身体を抱き起こす。首から血が溢れ出し、リズの白い騎乗服を赤く染める。
「リ、ズ……すまない……」
弱々しくカイルは血を吐きながらも、リズに手を伸ばそうとする。
黄金色の瞳の光は、急速に薄れかけていた。
「私が何度でも助けます……!」
リズは涙をこらえながら、右手を上にむけ、指を揃える。
そして、その手を血が溢れ出す首の刀傷に当てる。
リズの掌から、どろりとした黒い泥炭のような塊が湧き出し、カイルの首の傷を覆い尽くしていく。
ザラは何も言わず、冷たい瞳で二人を見つめ続ける。
広場の人々もまた奇跡を見守る。
黒い塊から弾けた赤い火花が宙を舞い、リズの白い首元へと吸い込まれていく。カイルの傷が塞がると同時に、リズの身体に痛みが走る。
「あ、うぐっ……!!」
リズは顎を上げ、痛みにあえぐ。
けれど、彼女は奥歯を噛み締め、カイルの胸にすがりついて耐えた。そして、リズの白い首すじに新たな傷が刻まれる。
「ハァ……ハァ……リズ……君はまた……!」
傷を癒やされ、意識を取り戻したカイルが、愕然としてリズを抱きとめる。
「よかった……無事、ですね……」
リズは唇を震わせて、かろうじて微笑んでみせた。カイルはその微笑みを守るように抱きしめる力を強くした。
その二人の安堵をすりつぶすように、黒い死神が近づく。
「なるほど……命を絶ったつもりだったがな……『癒やしの力』とはこのことか」
ザラは落ちていた左の刀を無造作に拾いながら言う。その振る舞いは、奇跡の力にもさほど関心が無いようだった。
「だが、俺の前では無意味な力だ。次は即座に命を絶つ」
そう言って、再び凶悪な双月を形作る。
「くっ」
カイルはよろめく体を長剣でささえ、死神に対峙しようとする。
「お前は俺より弱い。何度やっても同じことだ」
リズはカイルに肩を貸し、立ち上がるのを助ける。
「私も一緒に戦います」
カイルはそのまっすぐな視線でリズを見て「頼む」とだけ答えた。今までのカイルなら、断ったはずの共闘の申し出。リズはその言葉が嬉しく微笑む。
そっと目をつぶって、広場に来る前に、カイルと話し合ったことを思い起こしていた。
朝、宿屋の食堂。今すぐにでもテオを助けに広場に向かおうとするカイルを、リズは必死に止め、自分を連れて行くように迫った。
「いえ、私も連れて行ってください……考えがあります」
カイルは一瞬迷って、剣の柄から手を離し、息を吐きながらリズに向き直って聞いた。
「考えを……聞かせてくれ」
「力づくで行っても、相手の思うつぼです……相手の裏をかきましょう」
「裏をかく……?そんなことができるのか?」
カイルは眉をひそめながらも、話を聞こうとリズに向き直る。
リズは食堂の使い込まれたテーブルに両手を当てて切り出した。
「侯爵の行動にはおかしな点があります」
「おかしな点?」
「そう……侯爵は、私が狙いなのはずなのに、わざわざカイルばかりを狙っています」
「……確かに……そうだな……」
カイルが顎に手をやる。リズは小さく頷き、さらに言葉を重ねる。
「私たちを捕らえるのが目的なら、大勢の兵で取り囲めばいいだけ……それを、なぜかザラだけに任せています」
「そうだな……言われてみれば、違和感がある」
「ザラに任せているのも、私の感情を逆なでするような条件を突きつけたのも、ザラを交渉の場に同席させたのも、同じ目的から来ていると思うのです」
「どういうことだ?」
カイルが踏み込んで聞く。
「カイルが最初に言ったことが、答えだと思います」
「最初?俺は何か言ったか?」
頭をかいて思い出そうとするカイル。
「侯爵との交渉の席で、『互いの距離が遠すぎる』と」
「あぁ、確かにそうだった。『贈り物をこれ以上もらいたくない』とか白々しいことを言ってたな。それが?」
「あれは本心なのだと思います。侯爵はこの『リバーシ』の力を心の底から恐れています。ザラにカイルを襲わせ、劣勢になったところで、私の『リバーシ』をザラに対して使わせたい」
「なるほど……辻褄は合う……でもなぜ?」
カイルは理解はしつつも、腑に落ちない様子だった。リズは自身の身体に刻まれた無数の傷跡を服の上から強く握りしめる。自分が一番、引き受けてきた傷の数を知っている。
「『リバーシ』を使うには、多くの傷を引き受ける必要があります。一度使えば当分は使えない。つまりザラに使ってしまえば……」
「そうか!侯爵はリズが『リバーシ』を使わせない状況にしたいのか!」
「侯爵の狙いはおそらく『リバーシ』を使わせ、無力化してから、私を捉えること」
「それで俺ばかりを狙っているというわけか……」
「そうです。そこにチャンスがあります。力を合わせて『リバーシ』の力をうまく使えば侯爵の裏をかけるかもしれません……」
リズの青い目には覚悟の光が光っていた。
正午の中央広場。秋の晴天の下、見たこともないほど多くの人の視線のなかにリズはいた。
目の前にはカイルすら敵わない強大な剣士。その剣はリズの命などいつも簡単に奪うことができるのだろう。
足が恐怖で震える。逃げ出したくて仕方がない。
それでもリズは目を見開いて、ザラと侯爵を見据える。
(これは賭け……だけどやるしかない!)
双剣の死神。黒い目、黒い髪、黒い長髪、黒い剣、全てが死の匂いを放つ。
対するは、白銀の騎士と場違いなほど小柄な細い女性特使。
その対峙の様を、ゲセン侯爵は凝視する。
「旦那様の狙い通り、クロムウェル嬢が『リバーシ』を使うようですな……」
「うむ……これで完全にチェックメイトだ……さぁ!使え……使え……」
侯爵は舌舐めずりをするように笑みを浮かべる。
「私も一緒に戦います」
そう宣言したリズは、カイルの傍らに立つ。
白い騎乗服はカイルの血によって赤く染まり、傷だらけの白い両腕をさらしている。逃げ出したい気持ちを抑えこむように、息を低く整える。
その様を見て、
「このザラを愚弄するつもりか?か弱い女の加勢など、何の意味もない。二人まとめて葬り去ってくれる!」
とザラが吐き捨てる。
「そうかな?」
カイルが不敵な笑みを浮かべ、長剣をゆっくりと上段に構える。
「『三日月のザラ』よ……お前は俺より強い」
「今更、理解したか」
ザラは右の刀を肩に担いで呆れた口調で答える。
「だが……俺は、一人で勝つ必要はない……そして、俺はリズを守る必要もない!」
「世迷言を……」
しびれを切らしたように、再び双剣を構え腰を落とす。
「リズ!頼む!」
「はい!」
カイルの呼びかけに、頷いて、胸を張り、ザラの前に進み出た。
群衆がざわめく。黒い剣士の前に立つ、白い装束のリズはいかにも頼りなく、獅子の前に立つ白兎のように見えた。あっという間に狩られるだけの存在。
「何の真似だ?」
その意外な行動に眉を寄せて、ザラは右の刀をリズに突きつける。
リズは刀の切っ先から目をそらさない。
「貴様、女を盾にするつもりか?とんだ騎士道もあったものだな」
ザラはいら立ったように、カイルに剣先を移して問う。
カイルは無言でその切っ先を見つめる。
「この女がどうなってもいいようだな……」
ザラが一歩、踏み出して、リズの顔をめがけて鋭い突きを放った。
「つっ……」
その鋭い切っ先で、リズの左の耳が皮一枚切り裂かれる。鋭い刃に当たった白と黒の髪がはらはらと散る。
「ザラ!貴様!」
カイルがいきり立つ。
「何を言ってる?女を盾にしたのはお前だろう?」
ザラはカイルを嘲り、リズを冷たい目で威圧する。
「女……どけ……次はないぞ」
その脅しに屈せず、リズは目を光らせ、胸に当てた右こぶしを固める。
(やはりザラは私を攻撃するつもりはない!)
確信を持ってリズは告げる。
「三日月のザラ!!私があなたの相手です!」
「なんだと?」
黒い剣士の冷たい目線が、リズを貫く。直接向けられた殺意に心が縮こまりかける、それでも
リズは右拳を前に突き出し、力強く答える。
「私もカイルと共に戦います!」
「ふざけるなよ女!」
ザラは吐き捨てながら、右の刀を振りかざす。
その時、リズは古の言葉をつぶやいた。
「コンウェルシオ・リネア……」
リズの身体の傷が赤黒く光りだす。傷は光りながら、肌から浮き出、赤色から、漆黒の線となり、螺旋となって右腕の周囲に舞い、小さなつむじ風となる。
「何?」
ザラの困惑の間もなく、リズは叫ぶ。
『リバーシ!!』
漆黒の螺旋は、ザラの右手を襲う。
「グアッ!」
ザラの右手は黒い旋風によって傷を刻まれてゆく。鍛えられた腕から容赦なく鮮血が飛ぶ。
全身でなく、ただ、右腕の傷だけがリズからザラに移されていく。
「コンウェルシオ・リネア」――体に刻まれた一部の傷だけを移す力
予想外の攻撃に、ザラは右の刀を取り落としてしまう。ガランと鋼が石畳に跳ねる音がする。その隙を見逃さずに、カイルはザラに突進する。
「終わりだ!ザラ!」
両の手で長剣を力いっぱい振り、ザラの残った左の三日月刀を弾き飛ばす。湾曲刀はくるくると宙を舞い、大きな音を立てて石畳に落ちた。
両刀を失ったザラは、成すすべもなく、右腕を押さえる。
「くそっ!なんだ?これは!?」
「俺は……俺たちは、一人で戦う必要はない」
そう言いながら、カイルは長刀を思いっきり振って、剣の腹をザラの側頭部に見舞った。
「ガハッ」
ザラは横殴りに弾け飛び、そのまま冷たい石畳の上に崩れ落ちた。
「俺達は二人で戦えるのだから」
カイルは胸を張って宣言した。
傍らにはリズが息を切らせて寄り添う。
身にまみれながらも寄り添う白銀に輝く騎士と白い令嬢の二人は、誰からも一つの美しい姿に見えた。
広場を埋め尽くしていた観衆から、割れんばかりの歓声が沸き起こる。
「な……馬鹿な……っ!」
ベラム・ゲセン侯爵が真っ青な顔のまま、がたがたと椅子を鳴らして立ち上がった。侯爵の顔に縦横に走る傷跡が引きつる。
「一部の傷だけを移すだと……!?たったそれだけでザラを……?!」
リズの傷が消えたのは、右手だけ。左手も、顔も、恐らくは身体の大半も、何よりも今しがたカイルから引き受けた深い首の傷が温存されていた。カイルとの共闘がなければ結末は違ったろう。侯爵が目論んでいた『空打ち』の策は、二人の絆によって打ち砕かれた。装填されたままの銃が侯爵に突きつけられる。
リズが、傷一つない美しい白銀の右手で、白黒メッシュの髪をかき上げる。
そして、その美しい右手の人差し指で、リズは自らの首の左の傷……ついさっき、カイルから移した傷をツーっと撫でて、優雅に一礼をした。
「アントラー侯ベラム・ゲセン閣下。
私、エリザベス・ルミナ・ド・クロムウェル。
昨晩のお申し出の返答に参りました」
海のような穏やかな瞳が、恐怖に震える侯爵を捕らえた。




