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傷跡令嬢のリバーシ  作者: ビヨンドほうじ
最終章 傷跡令嬢のリバーシ
23/30

確かな想い

夜更けに降る小雨の中、リズはただ一人アントラーの街を駆けていた。

大市の前日とは言え、暗い街路はがらんとしている。


駆ける速度は落ち、やがて足が止まる。


とぼとぼと街路を歩き、やがて、自分が下角区の路地にいることに気づいた。数々の店と宿、レンガ造りの家々が立ち並び、修繕の足場が建物により掛かる。


見覚えのある光景。


かつてテオの怪我を治した路地だ。

それがきっかけで、カイルが自分を見つけてくれたのだ。


夕日に照らされたカイルの顔が思い出される。

「ようやく見つけたぞ」

そうカイルが言ってくれた時、どれだけ嬉しかったか。


(そのカイルが……力を手放せと言うなんて……)


リズは上体をかがめ、両手を膝に乗せて、息を整える。

はぁはぁと音を立てる自分の喘鳴がうるさい。



涙をこらえて空を仰ぐ。

頬に雨が伝う。


(ゲセン侯爵がクロムウェル家を襲ったのは間違いない……でも……)


自分はどうしたいのだろうか。と自問する。


(『リバーシ』を使って復讐をしたい……のだろうか……)


目をつぶり、心の中を探る。


(復讐は……私の望みではない……家を再興したいわけでもない……)


父の叱責する声がふと心をよぎる。


(お姉様は生きているのだろうか……?)


頭の中はぐちゃぐちゃで考えがまとまらない。


(カイル……カイルにいてほしかったのに……)


ローブが小雨のこまやかな雨滴を吸い、重みを増す。

その重さに、リズの心も沈み込む。


背後から、水溜まりを踏みしめる足音が近づき、そして止まった。

「リズ!」

悲痛なカイルの叫びに、リズはゆっくりと振り返った。

深く被ったフードの隙間から、カイルの姿がおぼろげに見える。

自分の視線が定まらず落ち着かないのを自覚する。

「リズ……聞いてくれ!」

答える気力すら湧かず、リズは再びうつむいてしまう。

カイルがリズに手を伸ばそうとするのを見て、一歩引いてしまう。

「すまなかった!だが……俺は、俺は君がこれ以上、他人の痛みを引き受けて傷だらけになるのが、耐えられない!それだけなんだ、リズっ!」

その叫びを浴びて、リズは身をすくませた。

その黄金色の力強い瞳が、今はひどく眩しく、心に痛い。

「私に……これ以上、傷つかず……ただ守られるだけの人形になれ、と……いうのですか?」

リズは身を抱えて絞り出すように問う。

「それは……」

カイルが息を呑む気配が、小雨の音に混じって伝わる。

「人形になれなんて言わない……ただ、これ以上、君に傷ついてほしくない……その力は君には必要ないものだ……」

カイルの気持ちは本物だろうと思う。

カイルのその優しさが、何故こうも自分の心を締め付けるのか。リズの感情は堰を切ったようにあふれ出した。

「私は……私は!!自分がどうなっても!傷ついても構わなかった!あなたを助けることができるなら!」

リズは涙を流しながら、自らの胸に手を当て叫びだした。

大粒の涙が、雨の雫と一緒に頬を伝い、石畳へと落ちていく。

「カイルを……あなたを助けたいと願う、私のこの想いも……必要のないものなのですか……っ!?」

カイルが雷に打たれたように目を見開いた。

虚をつかれた彼は何かを言いかけようとして、言葉を失ったまま、伸ばしかけた手を宙に彷徨わせている。

「この力が過ぎたものであることは分かっています!でも、カイル……あなたが私を救ってくれたように、私は!私にしか使えないこの力で、あなたを、あなたの命を守りたいのです!!」

リズの、決死の叫びが、秋の雨に吸い込まれていく。

肩を上下させ、自分の喘鳴を聞きながら、じっとカイルの目を見つめた。

カイルは、呆然と立ち尽くす。

痛いほどの沈黙が流れる。

秋の冷たい小雨が、二人を静かに包み込んでいく。

やがて、カイルは重荷を手放すように、肺の底から、長く、重い息を吐き出した。天を仰ぎ、雨を浴びながら、彼は自嘲気味に優しく笑った。

「……そうだよな……リズなら、そう言うよな……本当に、俺は大バカだな。すまなかった……リズ」

「カイル……?」

カイルがゆっくりと視線を下げ、リズを真っ直ぐに見つめ直した。

その黄金色の瞳には、迷いや弱さはなく、リズの意志を受け止める覚悟が宿っているように見えた。

「俺は、自分のことばっかり考えすぎていた。君の傷を見たくないっていうのも俺のわがままで……リズの想いが見えていなかった」

「カイル……」

「リズは……いつだって俺より強いよな……」

カイルの表情から霧が晴れ、さっと力強く明るくなった。

握った拳を突き出して、カイルはからりと言い放つ。

「館に戻って、あのクソ野郎に『大きなお世話だ!』って言ってやろうぜ」

そこにあるのは太陽のような笑顔。

あの暗い部屋で、リズに手を差し伸べてくれた時の、あの眩しい太陽のような笑顔が、今、目の前にある。

(あぁ……私の、大好きな、カイルの笑顔だ……)

リズの凍りついていた顔が、笑顔の温かさに触れ、溶け出す。

カイルの力強い大きな手が、真っ直ぐに差し出された。

リズは涙を拭い、迷いのない確かな足取りで、カイルの手をしっかりと取ろうとする。二人の手が触れようとしたその時、カイルの背後から、冷酷な殺気の塊が、黒い人影が襲いかかるのが見えた。


「危ない!」

リズの声に反応して、カイルが身を捩る。


すんでのところで黒い刀が空を切る。


「やはり……始末することになったな……」

黒髪の剣士は、刀を肩に担いで、周囲を見渡す。


「場所もちょうどいいようだ……」


天幕はなく、古い店だけが並ぶ人っ子ひとりいない街路、目に入るのは修繕の足場、路上の建材。


「リズ……今、逃げろとは言わない。だが、奴から距離を取れるところにいてくれ……」

リズは頷いて、建物の角まで身を引く。


「三日月のザラ……」

カイルがリズを背にし、ザラに歩み寄る。


それに答えるように、ザラは無言で、その名の由来であろう黒い三日月刀の刃筋を縦にして構える。


「あの時のようには……いかんぞ……」

カイルは自らの剣を抜き払う。


カイルの言葉を聞いて、ザラは眉を上げる。


「ほう?俺の剣を見て生き残っている人間はそうはいないはずだが……」


一瞬、興味深そうな表情を浮かべるが、すぐに表情を引き締める。


「まぁいい。この場で死ぬのだから大した違いはない」


ザラはその黒い刀で弧を描き、秋雨を切り裂いた。


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