確かな想い
夜更けに降る小雨の中、リズはただ一人アントラーの街を駆けていた。
大市の前日とは言え、暗い街路はがらんとしている。
駆ける速度は落ち、やがて足が止まる。
とぼとぼと街路を歩き、やがて、自分が下角区の路地にいることに気づいた。数々の店と宿、レンガ造りの家々が立ち並び、修繕の足場が建物により掛かる。
見覚えのある光景。
かつてテオの怪我を治した路地だ。
それがきっかけで、カイルが自分を見つけてくれたのだ。
夕日に照らされたカイルの顔が思い出される。
「ようやく見つけたぞ」
そうカイルが言ってくれた時、どれだけ嬉しかったか。
(そのカイルが……力を手放せと言うなんて……)
リズは上体をかがめ、両手を膝に乗せて、息を整える。
はぁはぁと音を立てる自分の喘鳴がうるさい。
涙をこらえて空を仰ぐ。
頬に雨が伝う。
(ゲセン侯爵がクロムウェル家を襲ったのは間違いない……でも……)
自分はどうしたいのだろうか。と自問する。
(『リバーシ』を使って復讐をしたい……のだろうか……)
目をつぶり、心の中を探る。
(復讐は……私の望みではない……家を再興したいわけでもない……)
父の叱責する声がふと心をよぎる。
(お姉様は生きているのだろうか……?)
頭の中はぐちゃぐちゃで考えがまとまらない。
(カイル……カイルにいてほしかったのに……)
ローブが小雨のこまやかな雨滴を吸い、重みを増す。
その重さに、リズの心も沈み込む。
背後から、水溜まりを踏みしめる足音が近づき、そして止まった。
「リズ!」
悲痛なカイルの叫びに、リズはゆっくりと振り返った。
深く被ったフードの隙間から、カイルの姿がおぼろげに見える。
自分の視線が定まらず落ち着かないのを自覚する。
「リズ……聞いてくれ!」
答える気力すら湧かず、リズは再びうつむいてしまう。
カイルがリズに手を伸ばそうとするのを見て、一歩引いてしまう。
「すまなかった!だが……俺は、俺は君がこれ以上、他人の痛みを引き受けて傷だらけになるのが、耐えられない!それだけなんだ、リズっ!」
その叫びを浴びて、リズは身をすくませた。
その黄金色の力強い瞳が、今はひどく眩しく、心に痛い。
「私に……これ以上、傷つかず……ただ守られるだけの人形になれ、と……いうのですか?」
リズは身を抱えて絞り出すように問う。
「それは……」
カイルが息を呑む気配が、小雨の音に混じって伝わる。
「人形になれなんて言わない……ただ、これ以上、君に傷ついてほしくない……その力は君には必要ないものだ……」
カイルの気持ちは本物だろうと思う。
カイルのその優しさが、何故こうも自分の心を締め付けるのか。リズの感情は堰を切ったようにあふれ出した。
「私は……私は!!自分がどうなっても!傷ついても構わなかった!あなたを助けることができるなら!」
リズは涙を流しながら、自らの胸に手を当て叫びだした。
大粒の涙が、雨の雫と一緒に頬を伝い、石畳へと落ちていく。
「カイルを……あなたを助けたいと願う、私のこの想いも……必要のないものなのですか……っ!?」
カイルが雷に打たれたように目を見開いた。
虚をつかれた彼は何かを言いかけようとして、言葉を失ったまま、伸ばしかけた手を宙に彷徨わせている。
「この力が過ぎたものであることは分かっています!でも、カイル……あなたが私を救ってくれたように、私は!私にしか使えないこの力で、あなたを、あなたの命を守りたいのです!!」
リズの、決死の叫びが、秋の雨に吸い込まれていく。
肩を上下させ、自分の喘鳴を聞きながら、じっとカイルの目を見つめた。
カイルは、呆然と立ち尽くす。
痛いほどの沈黙が流れる。
秋の冷たい小雨が、二人を静かに包み込んでいく。
やがて、カイルは重荷を手放すように、肺の底から、長く、重い息を吐き出した。天を仰ぎ、雨を浴びながら、彼は自嘲気味に優しく笑った。
「……そうだよな……リズなら、そう言うよな……本当に、俺は大バカだな。すまなかった……リズ」
「カイル……?」
カイルがゆっくりと視線を下げ、リズを真っ直ぐに見つめ直した。
その黄金色の瞳には、迷いや弱さはなく、リズの意志を受け止める覚悟が宿っているように見えた。
「俺は、自分のことばっかり考えすぎていた。君の傷を見たくないっていうのも俺のわがままで……リズの想いが見えていなかった」
「カイル……」
「リズは……いつだって俺より強いよな……」
カイルの表情から霧が晴れ、さっと力強く明るくなった。
握った拳を突き出して、カイルはからりと言い放つ。
「館に戻って、あのクソ野郎に『大きなお世話だ!』って言ってやろうぜ」
そこにあるのは太陽のような笑顔。
あの暗い部屋で、リズに手を差し伸べてくれた時の、あの眩しい太陽のような笑顔が、今、目の前にある。
(あぁ……私の、大好きな、カイルの笑顔だ……)
リズの凍りついていた顔が、笑顔の温かさに触れ、溶け出す。
カイルの力強い大きな手が、真っ直ぐに差し出された。
リズは涙を拭い、迷いのない確かな足取りで、カイルの手をしっかりと取ろうとする。二人の手が触れようとしたその時、カイルの背後から、冷酷な殺気の塊が、黒い人影が襲いかかるのが見えた。
「危ない!」
リズの声に反応して、カイルが身を捩る。
すんでのところで黒い刀が空を切る。
「やはり……始末することになったな……」
黒髪の剣士は、刀を肩に担いで、周囲を見渡す。
「場所もちょうどいいようだ……」
天幕はなく、古い店だけが並ぶ人っ子ひとりいない街路、目に入るのは修繕の足場、路上の建材。
「リズ……今、逃げろとは言わない。だが、奴から距離を取れるところにいてくれ……」
リズは頷いて、建物の角まで身を引く。
「三日月のザラ……」
カイルがリズを背にし、ザラに歩み寄る。
それに答えるように、ザラは無言で、その名の由来であろう黒い三日月刀の刃筋を縦にして構える。
「あの時のようには……いかんぞ……」
カイルは自らの剣を抜き払う。
カイルの言葉を聞いて、ザラは眉を上げる。
「ほう?俺の剣を見て生き残っている人間はそうはいないはずだが……」
一瞬、興味深そうな表情を浮かべるが、すぐに表情を引き締める。
「まぁいい。この場で死ぬのだから大した違いはない」
ザラはその黒い刀で弧を描き、秋雨を切り裂いた。




