蛇の思惑
「さて……まずまず、予想通りの反応だな」
二人が部屋を去った重々しい扉を見つめながら、侯爵は椅子に深く背を預け、満足げに口元を歪めた。
そして、振り返り、背後の黒い剣士へと命を下す。
「ザラ、あの二人を追え。頭が冷えて再び交渉の場に戻るというなら、それで良し。もし、あくまで拒絶するというならば……」
「二人とも、その場で切り刻めばいいのだな?」
ザラの冷酷な一言。しかし、侯爵は首を振った。
「そうではない。人目のつかない場所を選び、男を始末しろ……だが、女は生け捕りにし、連れ帰れ」
「男は殺し、女は生け捕りか……承知した。容易い仕事だ」
ザラは腰元から三日月のように湾曲した刀を抜くと、凄まじい風切り音を響かせて、三度、鋭く素振りをしてみせた。そのまま音もなく大股で部屋を横切ると、獲物を追うように部屋を後にした。
天井高い評議の間に、しばしの沈黙が流れる。
傍らに控えていた老執事の静かな声がそれを破る。
「旦那様。一つ、私めの質問をお許しいただけますか」
「なんだ、珍しいな。言ってみろ」
眉を上げ、侯爵は興味を示す。
「何故、クロムウェル嬢の能力――『リバーシ』のことを、ザラに伝えなかったのですか?」
侯爵はふっと鼻で笑い、目を細めた。
「ふむ。気づいていたか。目ざといな」
「は。ザラの前では、彼女の『癒やしの力』だけを強調して説明されておりましたので、何かお考えがあるものと」
「――『空打ち』をさせるのだよ」
「空打ち、でございますか?」
執事はオウム返しに聞く。
「あの女の『リバーシ』は厄介極まりない。至近距離で発動されれば、防ぐ術がないのだ。まともに喰らえば、あのザラにとっても脅威だろうな」
「つまりザラも返り討ちにあうと?」
「それこそが狙いだ。あの力には、致命的な欠点があるのだよ」
「欠点?」
「あの技を使うには、己の身体に傷を溜め込んでおく必要がある。一度放ってしまえば、しばらくはただの無力な小娘だ。『銃』で言えば、弾を撃った後の再装填のようなもの。しかも、次の装填にはかなりの時間を要する」
「……なるほど。合点がいきました」
「そうだ。あの騎士が危機に瀕すれば、あの女は、必ずザラに向けて『リバーシ』を発動する。そうでなければあのザラからは逃れられん。たが、それであの術はしばらくは使えまい。力を失った女一人をアントラーで捉えることなど、それこそ赤子の手をひねるより容易いことだ……その後で、心を折ることもな」
老執事は静かに頭を垂れたが、ふと一点の懸念を口にした。
「なるほど見事なお考え……ただ、そうなれば、ザラは命を落とすやもしれませんな」
「構わん」
侯爵は冷酷に言い放った。
「腕の立つ剣士など、金を積めばいくらでも代わりがいる。だが、クロムウェル家の血を引く器はわずかだ」
「得心いたしました」
老執事は更に深く頭を下げる。
「何、あの力を喰らったとて、必ずしも死ぬわけではない……この私のようにな。ククク……ハハハハ!」
ゲセン侯爵は、かつて彼女の『リバーシ』によって刻まれた顔の醜い傷跡を愛おしげに指でなぞり、暗い笑い声を部屋中に響かせた。




