蛇の申し出
侯爵の後ろに立つ、凶相の剣士。
その黒い長髪の男を見て驚く二人を見て、侯爵はさもおかしそうに声をかける。
「おや、お二人ともこのザラ・アスワドとご面識がお有りで?」
「ザラ・アスワド……三日月のザラか……!」
カイルが畏敬の念を込めて、その名を口にする。
「護衛騎士殿はご存知のようだ。その通り、『三日月のザラ』で知られる剣豪だ」
紹介された剣士は腕を後ろで組んだまま、身じろぎすらもしない。
その冷たい目で空を見つめている。
腰に下がるのは、その名を表すかのような大小二本の湾曲刀。
(知っているの?)
リズが小声で聞く。
「南方の剣術を使う無敗の剣豪だ……闇の仕事も請け負うらしい……そうか……やつなら……」
カイルはつばを飲み込みながら、喉をさすり、睨みつける。
「いつか、貴女には言ったと思うが……私は珍しいものを集めるのが生き甲斐でね。無論人材も私のコレクションに含まれる。ザラはまたとない人材でね」
侯爵は自慢げに語る。
「何故、この男がここに?」
リズが問う。
「何故?護衛に決まっているだろう?見給え、すでにそちらの騎士殿が私を食い殺さんばかりの顔で私を見ている。私は恐ろしくて仕方がないよ」
と大仰に震えてみせた。
その白々しさにカイルが不機嫌そうな表情を浮かべた。
「さて、本題だ。この黒い魔導書……『ノワール』と言うそうだが、私はあるつてでこれを入手しましてね……」
嘘だ。自分の差し金で奪ったのだろうと言いたい気持ちを抑えて、リズは唇を噛む。今のところ何の証拠もない。言ったところで、不当に嫌疑をかけていると反論するだろう。
「聞けば、この魔導書、その白い魔導書と対でクロムウェル家にあったそうでは?」
侯爵は白々しく聞く。
「……はい。この白と黒の魔導書はクロムウェル家の所有のものです」
リズはきっぱりと言いきった。
「ふむ……そのクロムウェル家も今はなく……おっと失礼、貴女がいらっしゃいましたな。公的な所有者がいないというべきでしたかな」
痛みを逆撫でするようないやらしい言い回し。リズはそれを耐える。
「ところで、この白と黒の魔導書の働きについてどこまでご存知ですか?」
リズはハッとする。自分はこの魔導書についてあまり知らないのだ。
父母や姉なら知っていたかもしれないが。
「ふむ。あまりご存知ないようですな。しかし、興味はおありでしょう。よろしい。私が知っていることをお教えしましょう」
侯爵は得意げに言う。
「まず、この『魔導書』は大変古いものであり、珍しいものです。『魔法』というのがおとぎ話のようなものですからな……しかし、多くの伝承がこの世界に『魔法』があることを示しています」
侯爵の言う通り、魔法を見たことがある人は少ないが、多くの人はその存在を信じている。かつてこの世には『魔法』があったとされている。
「『魔法』の使い方が書かれているのが『魔導書』です。しかし、残念なことに、この『魔導書』には何も書かれていません」
「書かれていない?」
ゲセン侯爵は椅子から立ち上がり、老執事の持つ黒い魔導書を手に取り、ページを繰って見せた。どのページも真っ黒でなにも書かれてないように見える。
「黒い……紙?」
「そう、黒いページだらけで何も書かれていません。光で透かしても、あぶり出しても何の文字も出てこない。ところが一ページだけ何かの文字が書かれています」
ゲセン侯爵が手を止めたページは黒い紙面に、文字や図形などが白く浮き出ていた。
(あれは……私のページと同じ文字?)
この距離からでは見えないが、自身の持っている白い魔導書『ブラン』の文字があるページと対を成しているように見えた。
「私が聞いたところでは……この黒い魔導書は『魔法を人から奪う書』、その白い魔導書が『魔法を人に与える書』。しかもいずれの魔導書もクロムウェル家の女性にしか扱えない……のだとか」
リズも知らない情報をとうとうと語る。
「さて、クロムウェル嬢、貴女のその『癒しの力』は、その白い魔導書により『与えられた能力』だと考えておりますがいかがでしょうか?」
リズは何も答えない。
ただ、その緊張感ある沈黙の時が、肯定の意味をありありと示していた。
「ふむ。おおよそ想定していたとおりでした」
ゲセン侯爵は勝手に納得して頷いた。
「ここまでの話でわかるように、この魔導書たちは本物であり、人に魔法を使う力をもたらす。しかし、制約も多い。1つ目、白の魔導書から魔法を与えられなければならない。2つ目、その魔法はクロムウェル家の女性しか使えない、さらに不明確な制約として、3つ目、魔法を得るためにはなにかの条件がある。4つ目、何の魔法が与えられるかは分からない……とまぁ、こんなところでしょうか……」
悔しいが、ゲセン侯爵の推測には説得力があった。
その推測を得意げに語ったのには何か理由があるはず。
リズは顔を強張らせて、次の言葉を待った。
「さて、ここまで説明させていただいたうえで、クロムウェル嬢、私は貴女に申し出をしたい」
「申し出?」
「白い魔導書を譲っていただきたい」
「なんですって!?」
リズは驚きの声をあげ、カイルは剣の柄に手をやる。
動きを見せなかった、ザラも腰を落として身構える。
「おいおい、君たち、人の話は最後まで聞き給え」
黒い本を持ったまま、侯爵はこれみよがしに呆れたような仕草をする。
「クロムウェル嬢、あなたのその癒やしの力は素晴らしいが、私のために使う気は無いだろう?」
「当たり前です!」
即座に言い返す。
「だが、その癒やしの力をいつまでも使うわけにもいくまい?心優しいあなたのことだ、その傷を、吐き出しもせず、ずっと溜め込んでいくのだろう。それはきっと貴女の健康を蝕む」
「それは……」
リズは反論しようとするが言葉が続かない。その不安は常に持っていた。
「私の見立てでは貴女はその力を持つ限り、必ず誰かを助け続け、傷を溜め込み……いつか破滅に至る……その力は貴女に必ずしも良い未来をもたらさない」
リズはその指摘に反論する言葉を持っていなかった。
「さて、意外に聞こえるかもしれないが、このベラム・ゲセン、取引には公正な男だと自負している。私はその『白い魔導書』を手に入れるために、二つの対価を払わせていただく」
侯爵は自信満々に二本の指を示した。




