蛇との対峙
リズとカイルは天井の高い、大きな部屋――『評議の間』に通された。
白い大理石の部屋に、大きく細長いテーブルが中心に据えられ、テーブルの周囲には多くの椅子が備え付けられている。
老執事は、細長いテーブルの手前側の席を引いてすすめる。リズはそれに従って席につく。
「こちらにおかけください。ただいま我が主がいらっしゃいます」
執事はきっちりと一礼をすると、テーブルに沿って奥へ進み、扉の向こうへ消えていった。
護衛として立ったまま周囲を警戒するカイル。
「評議の間……とはな……」
「何か……変わったことがあるの……ですか?」
「いや、特使を迎えるなら普通のことだ。もっと変わった趣向をしてくるかと警戒していたが……ただ……」
「ただ?」
「お互いの席までの距離がありすぎる。侯爵は反対側の席につくつもりだろうが、遠すぎる。5メートルはあるだろう。このテーブルなら短い方を挟んで向かい合うのが普通だ」
カイルが怪訝な顔をしていると、反対側の扉が開く。
扉の向こうの暗がりから現れたのは、アントラー侯爵ベラム・ゲセン。
「久しゅうございますな。お二方」
一年前と変わらぬ、まとわりつくような声、蛇を思わせる細く長い体躯。だが、その見た目は大きく異なっていた。
蛇の刺繍のある黒い眼帯。顔に縦横に走る傷、ひときわ大きな喉の傷――一年前、リズ自身の体にあったものと全く同じ位置の傷。
傷跡に塗れたすごみのある顔が、高価な仕立ての服と不気味なコントラストを見せていた。
「エリザベス・ルミナ・ド・クロムウェル嬢、カイル・ケストラ殿。このアントラー侯爵、ベラム・ゲセン。お二方の訪問を心より歓迎いたします」
芝居がかって頭を深々と下げた。
「ご招待感謝いたします。アントラー侯爵ベラム・ゲセン閣下。クロムウェル家令嬢として、また王族特使として、ご招待に預かりました」
リズは椅子に座ったまま、顎を引いて目礼をする。
侯爵の傍らに控えていた老執事が滑らかに椅子を引くと、贅沢な仕立ての椅子へと腰掛けた。
「招待したにも関わらず、お出迎えもできずとんだ無作法をした。申し訳ない」
とにこやかな笑みをよこす。
「いえ、急な来訪で、かえってお手間をかけさせてしまいました」
リズが軽く頭をさげる。
「何、このアントラーでの迎えなど、何の手間でもありません」
応答の間に、メイドが二人の前に薄いグラスを用意し、ピンク色のワインを注いだ。
「宴席の場で歓待させていただきたかったのですが、お食事はすまされたようですので、ワインだけでも。アントラーのロゼは格別ですぞ」
リズたちの行動はすべて把握していると言わんばかりだ。
グラスの中のピンクの液面が揺れる。
「お気遣いありがとうございます。ところでアントラー卿、歓談の場にしてはいささか椅子の距離が遠いのでは?」
リズの傍らに立つカイルが、疑念を率直にぶつける。
ゲセン侯爵は、左目の眼帯を押さえながら、口を開けて笑いだす。
「ははは!これは失礼。貴女から頂いたこの贈り物……『リバーシ』と言いましたかな?私にはいささか過分なものでしてね。これ以上いただくわけにはまいりませんので、距離を取らせていただいている次第でして。礼を失したように感じられたら申し訳ない」
リズも無意識に、自身の左目に触れる。かつて自身が持っていた傷の位置に。
「私は……そんなことはいたしません!それに……その傷のことは詫びさせていただきます」
そう言うとリズは額がテーブルに付くくらいに頭を下げ、謝罪をした。
ゲセン侯爵は、意外そうな顔をすると、より一層大きな声で笑い出した。
「ハ……ハハハ!贈り物をして謝罪をするとはクロムウェル嬢は変わった方だ!ハハハ……」
さもおかしそうに笑うゲセン侯爵の真意がわからずにリズは眉を寄せる。
ゲセン侯爵は唇を引き絞り、凄みのある笑みを浮かべた。
「私はね……この贈り物を本当にありがたいと思っているのですよ!」
なおも怪訝な顔をするリズを見て、ゲセン侯爵は眼帯を外す。そこには傷で潰れた目があった。
「傷を治すというだけでもその価値は計り知れない……しかし、その傷を誰かに移せるというのは更に破格の能力ですからな!これを身に受けたのはこの世界で私だけなのでは?またとない機会をいただきました」
「人を傷つけたかったら、自慢の銃を使えばいいではないですか?」
珍しく感情的に返すリズ。
「銃や剣は形ある武器です。私のような立場では持ち込めないことのほうがはるかに多い……それに……」
侯爵はテーブルに肘をついて両手を組んで、声のトーンを落とす。
「貴方のその能力……相手に触れるだけで使えるのでは?膂力がない人間でも、武器も持たず、触れるだけで確実に倒せる……予測も防御も不可能……となるとこれは私のような立場では、使い道が山程あります。いや実に素晴らしい」
「『素晴らしい』ですって?」
「えぇもちろん。あれから1年、あなたはまた『傷を貯めた』ようだ。こうなるとあの力もかなりの威力でしょうな」
侯爵の口ぶりに羨望を感じ、リズの心はちくりと痛む。
リバーシの力を使わないと誓っているリズからすれば想像の範囲外の話だ。
「私は……どんなときでも、人を傷つけるようなことはしたくありません!!」
リズは両拳を腿の上で握りしめながら、言葉を絞り出した。
「ふむ……想像通りでしたな……いや、想像以上というべきか……」
「何を言っているのです?」
侯爵がただ一つの目……右目でぎょろりと睨み返す。
その歪んだ視線に、リズは背筋が凍るような気配を覚えた。
「本題に入りましょう。『白い本』はお持ちで?」
ゲセン侯爵は口調を低く落とした。
(交渉が始まる……)
リズは背すじを伸ばし、無言で頷いた。
「よろしい」
侯爵は指を鳴らし、老執事に指示を出す。
老執事は何も言わず、奥の扉へと姿を消す。
「白い魔導書『ブラン』……お見せいただいても?」
リズは逡巡した。
理由はわからないが、侯爵は『白い魔導書』を狙っている。見せた途端、襲いかかられるかもしれない。いや、手に入れるつもりならすでに襲っていても不思議ではない。
リズはサッシュに手をかけ、カイルに目配せする。
カイルは目で、同意の合図を送る。
リズは鞄から白い魔導書『ブラン』を取り出し、テーブルの上に置く。
ゲセン侯爵が目を細め、睨めつける。
「ほう……白い魔導書『ブラン』、やはり貴女がお持ちでしたか……」
ニヤリと唇を歪ませる侯爵の後ろで、奥の扉が開き、老執事が再び姿を表した。
老執事が胸に持つのは『ブラン』と同じ形の黒い本。
クロムウェル家から奪われた黒い魔導書『ノワール』に相違なかった。
リズとカイルはそれを見て目を見開く……
が、二人をより驚かせるものが続いて現れた。
老執事の後ろに立つ大柄な男。
黒く縮れた長髪。
凶相と言って良い、険しい顔立ち。
二人ともその顔に覚えはない。
ただ、その佇まいと冷たい目――鋭い視線には覚えがある。
リズの両親を切りつけた男の視線。
白い魔導書を持って逃げるリズを追いかけた男の視線。
そして、カイルを死の淵に追いやったあの男の視線。
驚きのあまり二人は身を固くする。
苦い思い出を思い返すかのように、カイルが手を自らの喉に当てる。
リズもまた食い入るように黒い男を見つめた。




