アントラーでの再会
黒い軍馬が最後の一丘を越えると、リズとカイルの眼下には、交易都市アントラーの全景が広がっていた。長い城壁の向こうに多くの建物が並んでいるのが見える。
「……すごい人ですね」
カイルの逞しい腕の中から身をひょっこりと乗り出して、リズは感心の声をあげた。城門へと続く街道は、すでに人と荷馬車で隙間なく埋め尽くされている。
「まもなくアントラーの大市が始まる。一年で一番賑やかなときだ」
カイルの説明を聞きながら、前回のアントラー滞在をリズは思い出していた。
「そうでしたね……」
秋の大市は近隣諸国からも商人が集まり、十日に渡って開かれる。
二人は城門の端にたどり着くと、馬を降りた。
「まずはゲセン侯爵に気づかれないようにアントラーに入ろう。街の様子を見て分かることもあるかもしれない」
「はい」
リズはローブの裾を掴んで答える。
「大市の直前でもあるし、通行税さえ払えば、問題なく入れるはずだ」
カイルは手早くマントを羽織り、鎧に王家の紋章を隠した。リズはもともと白い厚手のフードを深く被っているので、傷も隠れ、素性がばれる心配はない。
「でも……門の役人が……」
リズが消え入るように眉を寄せる。
高圧的な徴税官とのやり取りは、リズが一番苦手とするところだった。
「そうだな……商会の令嬢ということにしよう。直接言葉を交わすのを嫌って、護衛を通じてしか話せないといった体でやり過ごそう」
カイルの提案に、リズは小さく頷いた。
列が進み、不機嫌そうな徴税官が横柄な足取りで近寄ってきた。
「馬は一頭だな。アントラーへは何をしに」
リズはカイルの影に隠れるようにして、彼に耳打ちをするふりをした。
「大市の買い付けだ。こちらは我が主のイザベラ・ステラ様だ」
カイルが行方不明となっている姉の名を偽名として口にしたので、リズはドキリとする。
「荷物は改めさせてもらう」
徴税官の手が、馬の背の荷物にかかる。
目立った荷物は、鞄の中の一冊の本――白い魔導書『ブラン』くらいだった。
「これは?」
徴税官は鼻を鳴らし、白い本のページをパラパラとめくった。
「なんだ。何も書いてないな」
おっかなびっくりその様子をリズはちらちらと見た。
「帳簿だ。この市の取引で埋まると良いのだが」
カイルの言葉に、太った徴税官は無知な田舎者を蔑むような冷笑を浮かべた。
「ふん。どんな無能な商人だろうと、このアントラーで取引できないなんてことはないだろうよ」
通行税の銅貨を受け取ると、徴税官は興味を失ったように顎で門を指し示す。
カイルはリズを再び馬に乗せ、そのくつわを引きながらアントラーの東門をくぐった。
城門を抜けた瞬間、二人は街を支配する圧倒的な熱気に呑み込まれた。
「すごいな……前回来たときとは比べ物にならんな……」
「一年前、この街で会ったのは、大市の後でしたから……」
リズは馬上から賑わいを見渡した。
建物が立ち並ぶ街路の左右に色とりどりの天幕が連なる。
高さの違う建物と天幕で様々な商いが行われる。天幕の下では、布や羊毛、北方の琥珀、東方のスパイスがひしめきあって売られる。
その脇で両替商が分厚い机を並べ硬貨の音を響かせている。
取引の熱気に目を輝かせているうちに、二人は街の中心の広場までたどり着いた。
広場に天幕はなく、広く開かれ、その外縁にそびえ立つ何本かのポールには、ゲセン家の蛇をあしらった紋章旗が重々しく翻っていた。
「ゲセン侯爵は健在のようだな」
カイルは憎々しげにつぶやき、リズは唇を引き締めて、その旗を見つめた。
あの夜、自分の家族を奪った黒幕が、この町の領主かもしれないのだ。
「さて……せめて少し休憩したいが、この賑わいだとな……」
カイルが周りの混雑を眺めながら思案する。
「それでしたら、宿屋の『かささぎ亭』はどうですか?」
リズが『かささぎ亭』がある下角区を指した。
「あそこか……一年ぶりだな」
そこは、ゲセン侯爵との対決のあと、二人が肩を並べて夕食を共にした思い出の宿屋だった。カイルは腕を組みながら少し考えた後、「そうだな……身を隠すにも良いかもしれん」と、馬を南の街路に向けた。
「さて、まずはこいつを休ませてやらないとな」
馴染みの宿の厩舎で、カイルは馬の首をなでながら、繋ぎ柱に手綱を括りつけようとしたその時
「あれ?やっぱり、リズねーちゃん?」
懐かしい声が背後から響いた。
声の主はテオだった。かつてリズが怪我を癒し、彼女の危機をカイルに知らせてくれた少年。
一年の間に少し背が伸びたようだが、元気な様子は、以前と全く変わらなかった。
「テオ……?!」
驚いた声をリズがあげる。
「きれいな女の人だなぁと思って見てたら、リズねーちゃんだった!」
テオは屈託のない笑みを浮かべて、駆け寄ってくる。
「テオ……久しぶりだな」
カイルが手を止め、懐かしそうに目を細めて声をかけると、テオは彼を仰ぎ見て元気に笑った。
「カイルのにーちゃん!相変わらずでかいね!」
「テオ……すまないが、今は公務の最中なんだ。
人前で彼女の名前を呼ばないでくれるか?」
カイルが小声で諭すと、テオは不満げに頬を膨らませた。
「え〜、なんかめんどくさいなぁ。じゃあ、『白くなったねーちゃん』でいい?」
「なんだ?その『白くなったねーちゃん』ってのは?」
カイルが呆れたように問い返すと、
「前は『黒いねーちゃん』だったけど、今は白いから『白くなったねーちゃん』!」
と胸を張って答えた。その単純さにカイルは思わず苦笑を漏らす。
「そのままだな」
「……ふふ、リズでいいですよ。お久しぶり。テオ」
優しい笑みに、テオも満足そうに笑みを返した。
木扉が勢いよく開き、懐かしい女性の声が大きく響きわたる。
「なんだい!騒がしいと思ったら、リズじゃないか!」
鳥のレリーフの看板の下に姿をあらわしたのは、一年前、リズがお世話になった『かささぎ亭』のおかみさんだった。
「おかみさん、お久しぶり……です」
頭を下げてお辞儀をするリズ。
「よく戻ってきたね!さぁ入りな、入りな!」
「失礼いたします」
カイルも頭を下げる。
「ああ、いつぞやの騎士さんだね。あんたも入った、入った!」
二人が宿に入ると、テオもちゃっかりと滑り込んできた。
「テオ?!お前まで入ってくるのか?」
「だって、リズねーちゃんと久しぶりに会えたんだよ!?」
テオは無邪気な声を上げ、甘えるようにリズの腰にぎゅっと抱きついた。
「きゃっ!」
「テオ、貴様、何をしている!」
カイルの鋭い静止にも、少年はどこ吹く風で笑っている。
「えー、だって嬉しいんだもん!」
「ありがとう、テオ。私も嬉しい……です」
リズが優しく、その頭を撫でると、テオは誇らしげに胸を張った。
「えへへ。リズねーちゃんは優しくて大好き!」
「テオ、いい加減に離れるんだ」
カイルはいつになく険しい表情でテオの細い腕を掴むと、問答無用でリズから引き剥がした。
「カイル……そこまでしなくても……」
「だめだ。こいつは調子に乗りすぎている」
引き離されたテオは、ニヤニヤとカイルの顔を覗き込んだ。
「なんだよ!カイルにーちゃん、やきもち妬いてるんだろ!」
「なっ……!」
幼い少年の鋭いツッコミに、カイルは顔を強張らせた。
「はいはい、騒がしいね。しょうがない、テオも一緒に食べていきな。ほら、そこに座った座った!」
使い込まれたテーブルの上では、白黒ブチの猫があくびをし「ニャア」と短く鳴いて挨拶をした。
「ふふ……猫さん、お久しぶり……です」
リズが目を細めてその背を撫でる。
カイルとテオもいさかいをやめて席に着き、運ばれてくる料理を待った。




