二人乗りは恥じらいの速度を超えて(3)
カイルはリズの震える肩を抱き寄せ、痛ましげに彼女を見つめた。
「リズ……ここはつらい思い出が多すぎる。今からでも外に出て野営できる場所を探そう」
しかし、リズは静かに首を振った。
「いいえ、もう一箇所だけ、どうしても行っておきたい場所があるのです」
「無理をするな」
「大丈夫です。あそこは……私にとって、一番大事な思い出の場所ですから」
リズは涙を拭いながら、フードを外し、ゆるくまとめた髪をほどく。
大広間は二階の回廊に続いていた。
月光に照らされた内回廊。
「こっちです」
リズは迷わず回廊を進む。黒と白の髪が月光に照らされきらめく。
カイルは戸惑った様子で、周囲を警戒しつつ、リズの後を追う。
二人は小さな一室にたどり着いた。
「ここは……?」
カイルがドアをくぐりながら、怪訝そうに呟く。
何の変哲もない客室用の寝室。
簡素な天蓋付きのベッドといくつかの調度品があるだけだった。
「カイル……この部屋、覚えていませんか?」
リズは足取り軽く、窓際まで歩いていく。
「いや……すまない。以前、来たことはあるかもしれないが……」
記憶を辿ろうと眉を寄せるカイルに、リズは
「ふふ……」
と、いたずらっぽい笑みを浮かべて振り返る。
「もちろんです、カイルは間違いなくここに来ましたよ」
そう言うと、窓から離れて、白いフードをかぶりながら部屋の中央まで歩く。
スッと息を吸うと、月の光がさす中で、くるりと一回転してみせた。
白いローブの裾が静謐な空気を切って、優雅な円を描く。
その光景に、カイルは目を見開いた。
「……ああ!そうか、俺がその白いローブを渡した……あの時の部屋か!」
彼は自分の記憶力のなさを恥じるように、手で顔を覆って仰ぎ見た。
リズは満たされた表情を浮かべる。
「あの時の私は、世界でたった一人きりなのだと思って……部屋の隅でうずくまって泣くことしかできませんでした」
リズは胸の前でそっと手を合わせる。
ローブからこぼれた白黒のメッシュの髪が、銀色の糸のように美しく月光にきらめいた。
「でも、あの時、カイルが私を見つけてくれた。それが本当に……本当に嬉しかった……」
「リズ……」
「あの時なんて言ったか覚えてます?」
窓際へ近づきながら問いかける。
「『君がどこにいても見つける』……そう言った」
カイルは即座に答えた。
リズは小さく頷いて振り返る。
「あなたは、その言葉通り、傷だらけの私を見つけてくれた……」
白いフードを外して振り返り、リズは銀盆のような月を背に、カイルに微笑みかける。その端正な顔に刻まれたいくつかの傷すら、美しい聖痕のように輝いていた。
「ありがとう、カイル……」
頬を上気させ、潤んだ瞳で真っ直ぐにみつめるリズに吸い寄せられるように、カイルは一歩踏み出した。
「リズ……」
リズはその呼びかけに答える前に、ふらりと身体を揺らした。
カイルは咄嗟にふらつく彼女を逞しい腕で支え、抱きとめる。
「ごめんなさい……変だな……安心しちゃったからかな……?」
震える銀の睫毛をカイルは愛おしそうにみつめる。
「緊張していたようだから無理もない。今夜はここで休もう」
「……そ……そうですね……」
リズの意識は既に朦朧としていた。
ふわりと身体が軽くなる。
カイルがそのたくましい腕で、リズを抱き上げたのだ。
(あれ……?今、私……抱きかかえられてる?)
船に乗ったようなゆらりとした動きに、意識が遠くなる。
リズは薄れゆく意識の中で月光に照らされたカイルの優しい笑顔を見る。
(あの時と同じ……太陽みたいな笑顔だ……)
とおぼろげに思う間に、リズは深い眠りへと落ちていった。
翌朝、リズは陽だまりのような心地よい温もりに包まれて目を覚ました。
(なんだろう……すごく心地よい……)
薄目を開けると、朝日に照らされた木々が見える。
(朝……家……?)
まどろむの中で、背後から伝わる確かな重みと熱に気づく。
(最近……こんなことあったような……なんだっけ……)
リズはぼんやりと思い出す。王都オムニス。特使。早馬。
カイル……
(あぁ……カイルが後ろから支えてくれてたんだっけ……)
そこでリズは、自分がベッドの上にいて、カイルに後ろからしっかりと抱かれていることに気づいた。早馬の時と同じ、優しくでも有無を言わさぬ力強い抱擁。
(!!!!!)
ビクッと体を震わせる。その動きでカイルも目を覚ましたようで、
「リズ……おはよう……」
と耳元でささやく。彼の低い声が、温かな吐息が首筋をくすぐる。
「おおおおおお……おはよう……ござい……ま…………す………」
リズは消え入りそうな声で朝の挨拶を返した。
クロムウェル邸の銀白の壁が朝日を白く強く照り返す。
その白く輝く壁の前で、二人は旅支度をしていた。
カイルは縁石に腰掛け、鎧を着込みながら、ぶっきらぼうに聞く。
「リズ。よく眠れたか?」
「は……はい……それはもう……」
髪をまとめながらも、昨晩のことを思い出して、頬を染めるリズ。
「そうか、それなら良かった」
背を向けて答えるカイルの様子に、リズは拍子抜けしてしまう。
(カイルは昨夜のことどうとも思ってないのかな……)
「あの……昨夜は……ありがとう……」
リズはおずおずと礼を言う。
「ん……あぁ……」
鎧を身に着けながら、あいまいに答えるカイルの耳がわずかに赤くなっているのにリズは気付いて、おもわず笑みをほころばせる。
そして、黙々と鎧を着込むカイルの正面に回って、前かがみになってカイルの目を見ながら、いつになく元気な声でお礼を言う。
「ありがとう!カイル!」
「あっ……いや……その昨夜はすまなかった……勝手に触れてしまって……」
言い訳に窮するように顔を赤くして目をそらす。
リズは満足そうな笑みを浮かべると、白いローブを誇らしげに身にまとう。
「そろそろ発ちましょう」
「お、おぅそうだな……」
リズが意気揚々と一人で馬にまたがる。
カイルは少し驚きながら、自身も馬にまたがり二人乗りの態勢になる。
リズは昨日の、王都オムニスでの出立を思い返す。
あまりに恥ずかしくて、鼓動がすごかった覚えがある。
昨日のことなのに遠い思い出に思える。
(あれ?なんで昨日、あんなにドキドキしてたんだっけ?)
リズは手を胸に当てて、自分の鼓動を確かめる。昨日より、ずっと穏やかで力強くなっていることを感じた。少しだけ身を起こして、カイルの身体に触れる。
伝わる温かさは昨日と同じ。でも、その温かさが自分の心の奥まで届いている気がした。
「今日中にはアントラーにつく。手綱を握って。振り落とされるなよ。リズ」
「はいっ!」
カイルの呼びかけに、リズは元気に返事をする。
二人を乗せた黒い軍馬は風のように森を抜け、一路アントラーを目指す。




