二人乗りは恥じらいの速度を超えて(2)
秋空のもと、黄金色に波立つ広大な小麦畑の中を、黒い軍馬が風のように駆けていく。
疾駆する馬上には、ローブをまとった小柄な女性と大柄な騎士。
リズとカイル。
ひんやりとした秋風がリズの頬に吹き付けるが、リズの頬の熱は一向に下がらなかった。
王都を出てから、十数分、城門もとうに見えなくなり、周囲の人影もない。
小麦畑の合間に、ぽつぽつと小さな人影が辛うじて見える程度だ。
この短い時間が、リズには何時間にも何日にも感じられていた。
流れるように飛び去っていく黄金の穂波が空に映えて美しい。
リズはその美しさより、背中から伝わる温もりに気を取られていた。
まるで箱に閉じ込められたような、がっしりとしたカイルの腕の檻。
馬の足並みで、身体が揺れるたびに、カイルの何処かに当たってしまうので意識せざるを得ない。
少しでも身体を動かせばカイルの顎が、頬が、ローブ越しに触れてしまう。
(だだだ……大丈夫……もう誰も見てない……見てないから)
リズが身を縮こまらせた時、ふと馬の一蹴りが、身体をゆるがせ、二人の身体は密着し、離れ、また重なる。
(みみみ……見られてないということは……二人きり……)
快晴の青空の下、二人きりで箱の中にいて、密着していることを想像して、リズはクラっとしてしまう。実際、今、そうなのだ。頭が痺れるような感覚でいっぱいになる。
手綱を握る白い手袋の下が汗ばんで、湿り気すら感じる。
心臓が高鳴り続け、呼吸まで荒くなり、熱を帯びた息を何度も吐き出す。
ふと、力が抜け、身体が僅かに傾く。
カイルがすかさず、その鍛えられた腕と脚で、リズの細い腰をささえる。
「ひゃっ……!」
リズが高い声を上げてしまう。
「すまない。大丈夫か?」
カイルがリズの肩に顎を乗せ、耳元で囁く。
「だだだだ……大丈夫……です」
「そうか。つらかったら言ってくれ」
そうしてカイルはより力強く、リズの身体に身を寄せる。
(全然……大丈夫じゃ……ない!!)
白い儀礼服に包まれた心臓は果てしない鼓動を続ける。
少しでも落ち着かせようと、リズは右手を手綱から外し、自分の左手を抱く。
その手をカイルの手が追いかけてそっと握り手綱へと誘導する。
手袋越しに伝わる、彼の優しい重み。
その確かなエスコートの感触に、甘酸っぱい想いが走る。
「手綱から手を離さないで……疲れたら、俺に身体を預けていいから」
カイルの低い囁き声が耳を打つ。
「身体を預ける……」
自分のつぶやきで、カイルに文字通り抱きとめられてる光景が頭に浮かび、身体の奥が熱くなる。
また、馬体が揺れ、リズの身体を下から突き上げる。
太ももにピッチリとしたレギンスと鞍の間に隙間ができる。
その拍子に、カイルの顎が肩に密着し、彼が吐き出す荒い息が首筋を撫でる。
「はぅ……」
リズは声にならない吐息を漏らし、それをごまかすように強く手綱……ではなく、手綱を握るカイルの腕をぎゅっと掴んでしまった。
リズが「あっ」と思う間に、カイルは優しく
「それでいい……」
と囁いて、がっしりとした腕で、リズの細い腰をローブごと抱いてしまった。
(はっ、えっ)
戸惑いをよそに、優しいが、逃さないという意思に満ちた固い抱擁が二人を密着させる。
リズは自分の首筋が汗ばんでいるのを感じた。
顔がこれほど火照るのは、生まれて初めてだ。
しかも、全然止められない。
(オムニスを出てからまだ三十分も経ってないのに……こここ……これを二日も!?)
いっそこのまま分厚い毛布にでも包まって、部屋の隅に丸まりたいような羞恥に襲われる。でも、黒く逞しい軍馬が刻む容赦のない振動は、彼女に逃げる場所を与えてくれない。
青い空と黄金色の大地の間でたった二人きり。
ガン、と馬が地面を蹴るたびに、二人がぶつかり、その境界線が溶けていく。
リズは、自分を包んでいる温かな空気に気づく。
昔から好きなカイルの陽向の香り。
その馴染んだ匂いで、頭の中が甘く痺れていく。
視界に広がる小麦畑の波打ちが、馬の大地を蹴る揺れが、優しい律動となって、リズを包み込む。
馬が揺れるたび、カイルの顎がリズの肩先にそっと触れ、離れる。
その平和で甘やかな旋律がリズの心を滑らかに撫でていく
まぶたがゆっくりと閉じ、意識が霧の中にぼぉっと吸い込まれていく。
リズは白くて甘やかな微睡みの中に落ちていった。
リズが目を開けると、赤く染まった空が見えた。
馬の歩みが緩やかなのか、ゆったりとした揺れを感じる。
(……あれ? 私、いつの間に……)
ぼんやりとした意識の中で、リズは自分を包む温かさを感じた。
ひどく心地よい柔らかさと重み。
「……起きたか」
カイルの声が頭に直接響く。リズの首筋に彼の顎が、そっと触れていたのだ。
「ひゃっ……!」
意識が一気に覚醒する。
リズは自分の身体が、カイルの身体に深く沈み込んでいる事に気づいた。
顎は首筋に、右手はお腹を抱きとめて、カイルのたくましい両足はリズの華奢な脚と腰を包みこんでいた。宝物を収めるビロードのように密着して。
「あ、あの、カイル……!わたっ!私、こんな……っ」
「動かないで……急に動くと、馬が驚く」
カイルはそう諭すと、右手に持った手綱をわずかに引いて、リズの身体をさらに深く自分の方へと抱き寄せ直した。
(あぁ……いいのかな……こんな……)
カイルの呼吸を近くに感じられる。背中に触れる熱い胸板から、彼の優しい鼓動が背中に伝わり、身体の芯にも響いてくる。リズは再び頬を染める。
「……リズ。顔が赤いぞ?大丈夫か?」
カイルが心配そうに、大きな手をリズの額にそっと当てた。
「ふぁっ!?」
カイルの労わるような動きに、リズの鼓動は再び速まる。
「熱は無いようだな……」
心配げな声が耳に響く。
「顔が赤いのは……ゆ……夕日のせいです……」
「そうか……なら俺の顔も赤いか?」
少し拗ねたような聞き方。
「見えないから……わかりません」
うつむきながら呟くと、カイルは無言でリズを抱く腕の力をキュッと強めた。
リズもまた白い手袋に包まれた手をカイルの腕に添える。
このひとときがいつまでも続けばいいのに――と思うが、今は任務の途上なのだ。
「カイル……今日の夜はどうするのです?」
リズは名残を振り切るように、頭をわずかに起こして、カイルに聞いた。
「中継拠点で休むつもりだったが、まだ距離があるな……」
カイルの声が、すぐ近くで低く響く。
「ごめんなさい……私が寝てしまったから……」
「いや、気にするな。そもそも急な出立だったからな……野営にするか……しかし……」
カイルが思考を巡らせる中、リズはふと、周りの景色に見覚えがあることに気づいた。
「もしかしたら……ここは我が家の領地の近くでは?」
カイルの手綱を握る手に力がこもる。
「そうだ……この北へ進めば、クロムウェル邸がある。すまない……避けるべきだったな」
カイルはすまなそうに言う。
「いえ……」
リズは夕闇に沈みゆく、故郷の方角を見つめた。
六年前、全ての時が止まってしまった場所。
「カイル、今夜は我が家に立ち寄るというのはどうでしょう?あそこなら、野営よりはゆっくり休めるはずです」
クロムウェル家の屋敷は、あの襲撃以来、主を失ったまま王家の管理にあるはずだった。
「いいのか?リズ。つらい思い出が多い場所だろう?」
カイルは黄金色の瞳で、リズを見つめる。彼にとってもまた、苦い思い出がある場所だ。
「ゲセン侯爵と会う前に、もう一度、我が家を見ておかないといけない……そんな気がします……」
リズの瞳には、静かな意思が宿っていた。
「……分かった。そうしよう。だが、決して無理はしないでくれ」
カイルはリズの腰を抱く腕を引き締めると、手綱を引き、馬の進路を北へと取り直した。
沈みつつある太陽の名残が、二人の道筋を赤く照らしていた。




