これ死んだ、死ぬよ、これ死ぬって
念のためガイコツ(C)を先行させ、僕らは暗闇に足を踏み入れた。
エイタローが肩をすくめるのがわかった。
心なしか気温も下がった気がする。
振り返ってみると、明かりの廊下が遠ざかってゆく。あの光が消えた時が一つのヤマだろう。
具体的には、おそらくあると思われる曲がり角。
やべ、ちょっと汗かいた。
モンスターが、危険が迫る可能性があるというだけでずいぶん怖くなるもんだ。引きこもってるときは部屋の電気消してカーテンも閉めて、ヘッドセットで視界を制限してても全然平気だったのに。
「ジェストくん。いる、よね」
「いるよ。つかんでる」
エイタローの甲冑からのぞく、首と肩の間。すでによく見えないけど、僕はそこに手をおいているはずだ。だから体温の暖かさが伝わってくる。
エイタローもそれは同じはずだ。だからそばにいることはわかっているはずだけど。
だけど、たとえばいつの間にか、僕がつかんでいるこの体がエイタローじゃなくなっていたとしたら。
エイタローからみて、たとえばいつの間にか、僕じゃないなにかが肩をつかんでいたとしたら。
そんなんホラーだろ。
でもあり得ない訳じゃない。僕らアバターもデータに違いないから、一瞬で違う場所に転移したり、デスったら消滅したり、そういうことは可能だ。
だから、ふれているとしてもやはり心許ない。特にエイタローはつかまれている側だから。
急にガイコツ(C)がガタガタ音を立てて、僕は思わず悲鳴を上げるところだった。スケルトンは観察してるとたまに痙攣していることがあるけど、よりによってこんな時に。
ちなみにエイタローは悲鳴を上げた。
「お、落ち着いて。今の僕が操ってるガイコツだから」
ガチャガチャとあわてて構えようとするエイタローに呼びかける。
繰屍のメリットは、行使者が対象を完全に把握できることだ。たとえばこの暗闇でも、左目を閉じれば輪郭線が浮かんで見える。遮蔽があってもわかるから便利だ。ガイコツ(C)はちょうど僕らの四歩くらい前を緊張感なく進んでいる。
手にはサーベル。
五分くらいだろうか。
ガイコツ(C)の繰屍時間が十分を切った頃、前方からガツンと音がした。
エイタローが立ち止まる。今度はさっきより落ち着いて、刀を構えたんだろう、そんな動きを感じた。
ガイコツ(C)がなにかにぶつかっている。僕が前進の命令を飛ばしてるから、何かに邪魔されて進めないようだ。
ダメージは受けていない。モンスターじゃない。
「壁っぽい」
小声でささやく。なんか暗くなってから声も響くようになった気がして、さっきから僕らの会話はほとんどかすれるくらいに小さくなっていた。
「念のためどっちに曲がるかとか安全かとか探らせるから、ちょっとそのまま」
エイタローが動かないように、左手でエイタローの左腕をとる。
エイタローの向こう側で、ガイコツ(C)の輪郭がいったりきたりしているのがわかった。
右にいってがつん、左にいってがつん。
両方に道がない?
「行き止まりだ」
「ねえ、右側」
エイタローの言葉につられて、またガイコツ(C)を右に動かしてしまった。がつん。
……
なんか音が違うな。
空洞があるというか、ほかの壁にくらべてちょっと頼りないというか。
「確かめようよ」
「お、おい」
「大丈夫。もう先はないんでしょう?」
うぐ。い、いや確かにそうだけどさ。
一番恐れていた暗闇の襲撃は、もうないわけだ。先がないから。後方のずっと遠くに点のような光が見えて、あれだけくっきり壁なんかが見えるのにここまで届かないんだから、自然な闇じゃないんだろう。自分の手も見えないし。
だから気をつけるべきは背後なのだ。ガイコツ(C)と入れ替わり、僕らは突き当たりの壁と思われるところに手探りで近づいた。
「手、離さないで」
言われて、思わず壁の方に伸びようとしていた右手に意識が戻る。しかしエイタローの肩を持ったまま右側の壁を調べるのは難しいぞ。
結局エイタローを軸に回り込んで、突き当たりを背にすることで落ち着いた。左側に疑惑の壁がくる形だ。
確かに違う。手触りなんて曖昧なものじゃない。模様だ。壁を彫って模様が描かれている。
大きくてなにが描かれているのかはわからない。わからないけど……確かに、取ってみたいなのがある。
「こっちも」
エイタローがもう一つを探り当てたようだ。つまり手を引っかけるところが二つあるから……この重そうな石の扉……
ずいぶん手をかけるとこ、深いな。
となると、
「エイタロー、こっちに引っ張れる?」
「たぶんできると思う……ぐっ」
肩の筋肉がこわばったのがわかる。サムライだから小さくても筋力は高いんだよな。
ずりずりと石同士がこすれる音がする。右手で繋がっているエイタローがじわりと交代する。重さはかなりのものだけど、サムライなら動かせる。
魔法職の二人ならどうなるんだよ。
「いいぞ、動いてる……まった、そこまで」
これ以上あけると、通路の狭さ的にガイコツ(C)が取り残される。エリアが変わるのにそれはまずい。結局中途半端に開いて、僕はのぞき込んだ。
闇。
特に変わらない。一寸先も見えないし、なにかがいる気配もない。明かりを期待してたから残念だ。
でも進まなきゃな。
「エイタロー、このまま僕から入るぞ……そう、入れ替わるスペースないから……」
僕はエイタローの肩を持ったまま、手探りで、窮屈な扉を背中からくぐり抜けた。
床がなかった。
それに気づいたのは、恐ろしい絶望感と、自由落下にさらされたときのどうしようもない浮遊感。
対処の方法など思いつかなかった。思いつくとかそういう暇なんてなかった。
暗闇だから、自分が傾いてるとかそんなのわかる訳がないはずだ。
だけど僕はなぜかわかっている。体重をかけるべき左足は今や軸の右足よりも低い場所にあって、なおも落下している。それにつられて僕の下半身、上半身が引っ張られていて……エイタローの指先と思われるものが、僕の掌を滑った。
やべ。
死を覚悟した。言い過ぎじゃない。本当に死ぬかと思った。
いや、ともすれば次の瞬間に死んでもおかしくない。深さがどれほどかわからないけど、たぶん浅かったら浅かったで、落ちたショックで驚いて死ぬ自身がある。
僕はかろうじてぶら下がっていた。頭が下になって。
右足首に力強い感触。
「……ふぐっ」
呻き声が聞こえる。
エイタローだ。
エイタローが間一髪、僕の足を両手で掴んで支えてくれている。一瞬がくりと下がって冷や汗をかいたけど、支えきれなくて腹ばいになったらしい。そんな、鎧がぶつかる音がした。
危機一髪。たぶん僕がエイタローを掴んでいたから、ただ落ちるより猶予があった。手を取るには間に合わなかったけど、とっさに残っていた右足を掴むのには間に合った。
そんなところだ。
「だ、だ……だ、じょうぶ?」
「う……うん。ま、マジで助かった」
いや実際、死ぬほど深いはずだ。なにせ僕は持っていた杖を離してしまった。それは見えなかったけどたぶん落ちていって、それっきりだ。
床にぶつかる音がしない。
「ひ、ひきあげる……からっ」
どういう風に力を込めているのか、エイタローの腕は少しずつ僕の体を持ち上げていく。逆だったら詰んでた。僕の筋力じゃエイタローの体を支えることはできなかっただろう。体格は僕の方があるけど、エイタローは甲冑もかなりの重量がある。
ぶらりとつり下がって、どうにか気絶しそうになるのを抑えている感じだった。だって今、例えばコウモリなんかに襲われたら、僕にはなすすべがない。
視界の端で何かが動いた。
また冷や汗が流れる。この真っ暗闇で目にうつるものといったら一つしかない。
ガイコツ(C)の輪郭。僕は視線を向ける。壁に遮られていてもどう動いてるのかはわかる。
サーベルを振り上げ何かに向かって突き進んでいく。
なにかって、モンスター以外なにがいるんだよ!
ガイコツ(C)の骨がガタガタ音を立てて、
「エイタロー、モンスターだ!」
「だ、黙って、動かないで……」
まずいまずい、マジでヤバい!
ガイコツ(C)のHPは半分。躁屍時間は七分くらい。相手がスケルトンだったとしても、躁屍時間より先にHPが切れる。そんなに長く持たない。
そして、僕らは無防備だ。
死ぬ。
気が遠くなる。今まで戦闘中にデスを覚悟したことはあった。体勢が崩れた時に相手の攻撃を見てしまった一瞬。でもこんな、なすすべない状態でじわじわ待つなんてのは、経験がない。
交戦が始まる。その一撃毎に時間がなくなっていく。
「うわっ」
エイタローの体が滑った。鎧が音を立てて、持ち上がっていた僕の体がまたがくりと下がる。
やば、血が上る……そんでまた一瞬、意識がブラックアウトする。やべえ、こええ。
「い、いたっ」
「……お、おいっ。エイタロー、大丈夫?」
なんだ今の「いたっ」って。
「う、うん……ちょっと腕打っただけ……ま、待ってて、すぐに」
金切り声が上がった。
スケルトンは鳴かない……こんな声出すのは……
デーモンだ。
僕はガイコツ(C)を見た。
HPがゼロになって、爆発音が響いた。エイタローの手の力が痙攣したように強くなって、
エイタローの背後を、燃えさかる火球が通り過ぎた。
「デ、デーモンだ! エイタロー、ガイコツがやられた!」
エイタローは動かない。いや、動けない。さっきの火球は幸か不幸か、この暗闇を一瞬照らした。
兜で影になって顔は見えなかったけど、やっぱりエイタローはうつぶせになって、石扉からほとんど肩を出して、腕をいっぱいに伸ばして僕の足を掴んでいた。
動けるはずないんだ。一度滑って、今みたいにほとんど身を乗り出す形になった。あんな状態で動けるわけない。
じゃあ、僕らはどうなる。
「ジェストくん!」
エイタローの呼びかけが、僕の頭にひらめきを与えた。
方法はないわけでもない。
エイタローが僕の足を離して、すぐに刀を拾えば、戦うことはできる。そして戦えば、タイマンなら、勝つことも不可能じゃない。
「エイタロー、離せ!」
ここで僕一人がデスすることで有利になるかはわからない。このダンジョンを一人で攻略できるかっていうと、さっぱり見当がつかない。
だけど僕のせいでエイタローが死ぬのは、あっちゃならない
「ジェストくん、聞いて!」
でもエイタローは、僕の声など聞かなかったように続けた。
「すぐ下に床がある! 手を離すから頭をガードして!」
なんだと。
「動かないで! 炎の明かりで見えたから、そこから少し離れると落ちるから!」
「わかった、離せ!」
エイタローの言葉が真実かどうかなんてどうでもよかった。そんなことを考える余裕もなかった。迫っているはずのデーモンに対して、エイタローをなぶり殺しにされたくない一心で――
ひっ。
右足首の圧迫感がなくなった瞬間の、とんでもない恐怖。
悲鳴も上げられないほどに、頭をかばうなんてできない程にこわばった体。
上下左右が見えないなか、放り出されて。
そしてほとんど一瞬の後、僕は頭を打つ。暗闇の中に星が待ったような気がして、床が妙に傾いた気がして、じわりと鈍い痛みがにじんで、ようやくどうなったかがわかった。
エイタローの言ったとおりだった。床がある。
僕のすぐ脇で、ガシャンと鉄のぶつかり合う音がした。理解した。エイタローだ。
僕の足を離して、そのまま飛び降りたんだ。
頭上を見る。石扉は開いたままだ。見えないけど、デーモンがそこにいるはずだった。
ガランスギュエックのような火球で攻撃してくるかもしれない。
エイタローをかばうように……それぐらいしかできなかった……待ち構えていたけど、結局火球も、他の攻撃も来なくて。
しばらくの後、立ち去るような足音が聞こえて、どういうわけか追撃は受けずにすんだようだ。
どうしてかはわからない。だけど僕は杖をなくして魔力がダダ下がりだし、エイタローの刀はこの高低差では届かないし、とにかく助かった。
まだ心臓が早鐘を打っていた。今回は死ぬかと思った。デスじゃなくて、死ぬかと思った。
「……エ、エイタロー」
隣の、エイタローの気配がする場所に呼びかける。
「……ど……どこ……」
くぐもった、震えた声。
「ここ、いるよ」
手を伸ばす。探るように動かすと、エイタローの肌に……甲冑じゃなくて、肌が出た部分に手があたる。
その次の瞬間に、エイタローの全身が僕の腕を這い上がってきた。
一本の綱にしがみつくように、僕の腕を抱え込んで、のしかかってきて、僕は押し倒されて、
その体がとんでもなく震えていることに、ようやく気がついた。
「……お、おい、エイタロー……」
「……う、うう」
なにが起きた。
「うぇ……えぇ」
声を押し殺して、それでも漏れてくるといった感じの。
泣き声。
「……ご、ごめ……」
謝りながら、でも僕のローブに顔を押しつけて、エイタローは泣いている。
理解するのにすごく時間がかかった。エイタローの立場に立ってみたら当然のことだった。
なにも見えない所に、飛び降りたんだ。
一瞬だけ見えた、底のない奈落にちょっとだけあった足場に、なにも見えなくなってから飛び降りたんだ。
できるかそんなこと。
僕はできたか。
わからない。
震えて泣いているエイタローを抱えて、僕は動けなかった。
二十分は経っただろうか。
「……ごめん、手、離して」
ローブの上から、エイタローが言った。
「離してくれたから、二人ともデスらなかったんだろ」
「でも、でも」
「エイタローのおかげで死ななかったんだ」
真っ暗な中で、相手の顔も見えないけど、そんで恐ろしく密着しているけど、ついでにすげぇ押さえつけてるものがあるけど、
「ありがとう」
エイタローが顔を上げる。
「……どうしよう。まわり、なにもなかった」
「なにもないってこたない。そんなアホな設計するかよ」
扉を開いたらなにもなかったってのも鬼畜だけど、ここに床があったんだ。
なんかあるだろ。
「動ける?」
「う、うん……動ける」
「よし」
つっても、まだ怖いのはどうしようもない。とんでもなくゆっくり這いずって、僕らは足の方を……つまり、壁があると思われる方を目指した。間違っても落ちないように……どうにか、こうにか。
「ここは壁と繋がってる。落とし穴に突き出た場所があるって感じか」
震える足で、手を壁につきながらやっと立ち上がった。マジで怖い。
がさごそ探ると、さっきと同じような文様が描かれていることがわかる。そして、これもどうやら扉みたいだ。今度は押して開けるタイプ。
この先が落とし穴とかいう考えたくもない可能性は、残念ながら検討に値する。だから万が一がないように、本当に身長に、少しずつ、おっかなびっくり石扉を押す。
わずかに押し込んだ時。
そこに光が見えて、僕らがどれだけ安心したことか。
「危険をくぐり抜けたら、そりゃご褒美があるさ」
エイタローに、そして自分に聞かせるように呟いた。
扉の向こうはロウソクの並ぶ廊下で、さっきまで歩いていたところの倍くらいの広さがある。もちろん床もある。
そして、すぐにまた扉があった。
物々しい魔方陣の描かれた扉が。




