ロダン
ロウソクの明かりは弱々しいけれど、エイタローの顔は見えた。腫れた目で扉の魔方陣を見つめている。
「WWであったね……封じられた扉の向こうにNMモンスター」
ダンジョンの奥で意味ありげな魔方陣と扉っていったらそうなる。
「ボスねえ……二人きりで飛ばされて、こんなこれるかどうかもわからないようなところに……」
考えにくい、とは思う。CHのボスは倒したら再出現しないから、ダンジョンに同時に入る小隊数が制限されているこんなところに配置されているのは変だ。
だけど妙にいやな予感がする。
この先には確かにボスみたいなのがいるんじゃないかって。
「待った、先に周りの様子を見よう」
僕たちが落ちたあの床。振り返ると、廊下の明かりが漏れてぼんやりと景色が浮かび上がっている。
ロウソクをどうにかはずして持ったまま戻ってみた。
改めて胆が冷える。落ちた床はせいぜい三メートル四方しかなくて、僕らはかなりギリギリだったようだ。エイタローが動くなって言ったのはこの狭さを見てしまったからだろう。
僕は落ちるだけだった。だけどエイタローは自分から飛び降りて……
床の端に立ってみる。つっても落ちるのはごめんだから安全っぽい距離で。ロウソクを持った腕を伸ばすと、どうやらかなり広い縦穴だった。上も下も、ロウソクの乏しい明かりじゃとても果てが見えない。
「ここ、なんなんだろう」
僕もわからん。
酷く立地条件が悪い場所だ。およそアクセス出来るのは僕たちが落ちてきた五メートルほど上の石扉しかない。そこにしたって、階段やはしごといったものもない。ただ落ちるだけだ。
つまり、退路がない。
「まいったな。なんかラスボスみたいな雰囲気だぞ」
エイタローと目が合った。
「ま、まさか、こんなタイミングで」
「いや、うん。冗談だよ……だってここ、ミウルの施設だし」
それは間違いない。通ってきた通路は神殿のものと材質が同じだったし。
「とにかく、進むしかないみたいだ」
杖をなくして心細いっちゃ心細い。杖は主に魔力を上げるための武器で、魔法の威力や、特に僕にとっては『躁屍』の有効時間に関わってくる。行使者と対象の総パラメータを比較してはじき出される操作可能時間。ステータスが致命的に低いネクロマンサーにとって唯一まともな魔力を補助するための杖が、ない。
扉の前に戻ってきた僕らは、とにかく調べてみた。直に掘られている魔方陣にはとくに見覚えはない。縦穴と繋がっている扉にも同じ魔方陣が掘られていた。おそらく暗闇の通路に続く扉にあった模様みたいな手触りも、これだろう。
魔方陣がついてる扉はたいてい開かないもんだけど、先の例を鑑みるに、僕らには影響はなさそうだ。知らない間に開ける条件を満たしていたのか、それともただのフレーバーなのか。
ちょっと押し込んでみる。重いから抵抗はあるけど、やっぱり動く。
つうか動いてもらわないと困る。
相変わらず落とし穴を警戒してたけど、どうやら扉の向こうにも明かりがあるようだった。これなら特に心配はしなくても――。
「覚悟して開け」
わずかに開いた扉の、その隙間から声が聞こえた。
僕らは思わず動きを止めた。喋るモンスター、NPC、考えられるものはいくつでもあるけど……絶対に味方だと確信できるのはプレイヤーだけだ。そして、プレイヤーがこの先にいて、こんなセリフを言うとは思えない。
「私は飢えている。なにをするかわからんぞ」
男の声だった。ミウルの施設だからミウルか? いや、ミウルは人間の言葉を喋らない。それに神殿にミウルがいたとして、いくらなんでもこんな地下深くじゃあないだろうし。
だけどモンスターとかなら、こんな警告するだろうか。僕は捻くれているから、こういうことを言ってくるヤツは逆に安心だと考える。
だから構わずに開けた。
こぢんまりとした部屋だった。いや、見えるよりも広いんだろうけど雑多な家具や散らかった本で狭く感じる。
そう、家具や本。
住居だ。
こんな異様な場所に、住んでるんだ。
「暗闇を抜け、地獄に飲まれることなく、私の警告も乗り越えてここにたどり着いた」
そいつは紫色だった。紫色の長い髪に、紫色の、まるで詰め襟みたいなかっちりとした副。細かい金の刺繍が入っている。
ぞっとするほどの美形だ。
「君たちに敬意を表す。もてなそう」
そいつは妖しく笑って――
五分後、僕らはどこからか発掘された椅子に座らされ、綺麗に磨き上げられたテーブルの上に料理が並べられていくのをぼけっと見ていた。
「よくぞ参られた。ここは退屈でね、たまに本とか差し入れはあるんだが他人との交わりがない」
妙にテンションが高い。ニッコニコ笑いながら隣の部屋から料理を次々に運んでくる様は不気味だ。
「モンスター共も寄りつかないし、会話に飢えていてね。時間はあるんだろう。しばらくゆっくりしていくといい」
なんだこいつ。
「食べるといい。酒もたんとあるし、食後にはデザートも出そう。そして、その代わりといっちゃ何だが少し話し相手になってくれないか。ずいぶん長いことこんなところで暇してたんだ」
「……こんなところで、どうして?」
「やんごとなき事情だよ。そういうものだと思ってくれたまえ」
僕らが料理に手をつけるのを躊躇っていると、
「どうした。まだ昼食には早かったか」
「いや、そういうわけじゃ」
得体の知れないヤツが出したものを食べるのに抵抗があるんだよ。
それを察したのか、男は僕の皿から肉を一切れ取って口に入れた。
「怪しいものなんか使っちゃいない。純然たる好意だと約束するし、君らがここから出て行くのなら地上への道も案内しよう。私は出られないがね」
よかった。ちゃんと道はあるのか。
とすると、この部屋はやっぱりクエストになにか関係があって、こいつはそのためのNPCかなんかだろう。もしかすると『試練』なのかもしれない。
となると、へたに断るのもなんだな。僕は意を決して、皿から肉を取った。
「そいつはバンソウジカの腹肉だ。南のあたりでしかとれない、この辺じゃ貴重な肉だ。よく味わうといい。とろけてうまいぞ」
南っていったらサンダマスヴェリアの方だけど、バンソウジカとかは見たことない。南西域にいるんだろうか。
「しかし私も長いことここにいるが、確か人間は魔物に滅ぼされたのではなかったかね。事実、以前はちらほら迷い込むものもあったがここ十年はとんと見なかったしな」
よく喋ってくれて助かる。いまの言葉からいくつか情報が拾えた。
一つ、こいつは見た目通りの年齢じゃない。一つ、ここは人間が迷い込むようなところ。
「そっちの――ああ、すまない。名乗るのを忘れていた」
そして名前。
「私はロダン。君たちの名を聞かせてくれ」
肉を飲み込んで、水を飲んで、
「ジェスト」
そして隣のエイタローに頷いた。
「エイタロー、です」
ロダンの左眉が上がった。
「それは偽名か。いや、詮索はよすまい。気にしないでくれ。妙に考えが飛躍するタチでね」
確かにエイタローは女の子だから、不自然ではある。もともとネナベやってた頃の名前を引き継いでるだけだし。
でもこの反応、不自然だろ。
確かにプレイヤーネームは本名じゃないけど、少なくともこのゲームの中じゃ正式な名前だ。それに疑問を呈するなんて、そんなキャラ作るか普通?
それとも別に、ただ言ってみただけなのか。
「人間が滅びたというのは誤った情報だったのだろうか。ジェストくん、エイタローくん、君たちのような、決して屈強とは言えないような人までもがここまでやってきている」
失礼な――じゃない。なんかおかしいぞ。
アバターと数値上のステータスが一致しないなんてゲームじゃ当たり前のことだ。エイタローの体は僕よりずいぶん小さいけど、筋力もHPもずっと高い。
なんで名前といい、そんなお約束みたいなところに突っ込んでくるんだこいつ。
「人類は……一時、滅びかけていました」
疑問はある。あるにしても、ずっと黙ってるわけにはいかない。
ここは正直に話してみよう。最悪でもデスだ。
「南東の端、サンダマスヴェリアをただ残すだけでした。僕たちがそこから巻き返して……まだ一部ですが、ここにこれる程度までは奪還しています」
「ほう」
ロダンは興味深そうな顔で、ゴブレットに口をつける。
「まさかこのあたりが最前線なのか。君たちは優秀な戦士で、人類の尖兵とも言える立場なのかい」
「そんなものです」
「なるほど。ではここを訪れたのもむべなるかな。ミウルの力を得るためということか」
疑ってたわけじゃないけど、やっぱりここはミウルの神殿で間違いないんだ。すこし安心できる。
「興味があるな。戦闘と言えば古今東西、筋肉ダルマの仕事だと思っていたんだが。女が戦いに出るのは人類の数がそれだけ足りないということで納得できるが、その小さな肉体がまさかそれほどの力を持つとは」
レベル上げりゃいいんですよ、と言ってみたかった。どんな反応が返ってくるのか。
「しばらくの間に、外では不可思議なことが起こっているようだ」
「どのくらいここに? 失礼ですが、まだ二十代くらいに見える」
下手をすると僕より若い。
ロダンは笑うと、
「ここでは時間が流れない。麗しい女性には垂涎の場所だろう――そうだな、かれこれ七百年ほどだ。私の感覚と、たまのおとないびとの言うことが正しいのであれば」
ななひゃ……マジでか。
「今が昼だとわかっているのなら、感覚を信じてもいいでしょう」
ロダンの目が、僕に突き刺さった気がした。
「なるほど、確かに言ったな」
幾分言葉も鋭くなった気がする。やっぱなんかあるぞこいつ。いや、こんなとこにいる怪しいヤツがなにもないわけない。
「そっちの、エイタローくん。緊張しているのか。もっと気楽にしてくれ。私は君の話も聞きたい」
黙々とサラダを食べていたエイタローは突然話を振られてうろたえる。
「え、あの、その」
「強制はしないがね。ジェストくんも言葉を選んでいるようだし」
なんか慇懃無礼な感じが誰かに似ている。
「ああ、そうだ……何か、本を持っていないか」
僕が頷くと、ロダンは破顔した。無駄にさわやかな笑顔だ。
「それはよかった。交渉といこう。ここにある本はもう飽きるほど読んでしまった――全て覚えるほどにね。だから君のものと交換してくれないか」
「『暗闇のベルタニーシュ』でよければ」
「聞いたことのない題だ。いいね。そっちの壁に積んでるやつならなんでも構わないから持っていくといい」
見ると、山のごとくに本が積まれている。僕はインベントリから暗闇のベルタニーシュを出すと、ロダンに渡す。
「……」
そんなに興味があるのか、さっきとはうってかわって真剣なまなざしで本を見つめるロダン。手触りなんかを試しているところを見るとビブリオマニアなのかもしれない。
「人の発明の中でもっとも素晴らしいものは本だ」
ロダンがふと呟く。
「いかなる宝飾品にも変えられない貴重な知識が、時には一冊に収まっている。特殊な技術も、気の遠くなるほど昔の戦術も、容易く、誰でも読める。おっと、文字が読めればね」
いきなりなにを言い出すんだ。
「知っているかい。それまで体系的な軍を持たない魔物達は、人間から学習したと言われている。魔物を蹂躙する人間達の振る舞いを見て、遠い場所でもある程度共通した認識を持ち、世代を経る毎に戦い方は洗練されていった。すべて、この文字というものが可能にしていた」
ロダンの話は、それまでの雑談とはがらりと雰囲気が変わっている。なにを離しているのか、とにかくなんか重要そうなことを言っている気がする。
「文字を得たことで、魔物は人間に追いついた。もともと持っていた屈強な肉体で、人間を超えた。その先が今の状況だ。魔物は人間から世界を取り戻した」
「ちょっと待った。魔物が人間から世界を取り戻した?」
「矛盾するようだが、本は歴史を消すことも容易い。書かれていないことはやがて忘れ去られてしまう。特に権威ある歴史書にないことはね。だが事実は、侵略者は人間だった。やはり君も知らなかったね」
いや、僕はこのジンジャーゼルの歴史を知ってるわけじゃない。そういった歴史書もあるだろうし、おそらく設定されているだろうけど……知っているのは、魔物に侵略され、人類がほとんど滅びている、ということくらい。
「そもそもこの大地に、人間はあるときふと現れた。最初は猿かなにかの突然変異かと思ったが、そうではなかった。高度な知性を持ち、社会を形作り、武装し、混沌としていたこの世界に秩序を打ち立てたんだ」
「ロダン、あなたは……」
「私はここを訪れたものにこのことを話している。そして尋ねるのだよ」
「いや、お前は――」
「君たちはいったいどこから来たのだ」
「お前はなんだ?」
張り詰めた空気が流れた。
「――本を選ぶといい。エイタローくんはどうしても落ち着けないようだ。外へ案内しよう」
「ま、待て、質問に……」
「選べ。それとも君は私の質問にも答えてくれるのか」
そんなこと言ったって、なんだ。
僕らはゲームのプレイヤーだろ。
どこから来たなんて、そんなの設定次第なんじゃないのか。
そうだ。いちど帝にそこを確認しよう。このクエストが終わった、その後にでも。世界の外からやってきたなんて、よく考えたらよくある設定だろ。たいていはモンスターとかの侵略がやってくるんだけど……
――侵略者は人間だった。
「少し、待ってて」
僕はロダンというよりエイタローに言って、立ち上がった。ロダンが怪しいのにかわりはないが、僕らをどうこうしようという気は、少なくとも今はないみたいだ。
「人間ではない」
無数の背表紙を眺めていると、背後からロダンの声がした。
「言えるのはそれだけだ。私は人間ではない。だが――それは、ミウルと同じように人間ではない、というくらいの意味だよ」
「僕らの敵か」
「私だけが答えるというのも不公平だとは思わないか――だが久しぶりの客人だ。といっても、そもそも私はここから動けないんだよ。それに君たちをもてなした。それでも敵対していると思うのかい」
「なにを考えているか、わかったもんじゃない」
ロダンの笑い声。
実際は声だけで笑っていない、とかあり得そうだ。
「では私のことは『歴史の探究者』だと思ってくれ。この大地は私が生まれるより遙か前からある。その全てを知りたいと思っていて、そしておそらく、ある程度の知識がある。逆に言えばそれ以外にはさして興味はない。人間と魔物の戦いにもね――なんだ、二冊か」
僕が手にしたのは『シュミット全史』という分厚い歴史書と『魔物』という、これはよくわからない。小説かも知れないし、魔物の生態とかそういうのに関するものかもしれない。
「どっちも持っていっていい。一冊は提供しよう」
「ずいぶんサービスがいいんだな」
ロダンは首を傾げて、
「サービス、というのはよくわからないが、これも友好的な態度の表明だと思ってくれ。なんなら、気が向いた時にいつでもここを訪れてくれていい。魔物が徘徊してはいるが、私はいつでも迎えよう」
考えとくよ。こっちもお前に興味がある。でも今はイイリコさん達と合流しないと、あんまり時間かけてると後続に影響する。
「ついてきたまえ」
本をインベントリにしまうのを見ながら、ロダンは立ち上がる。
「エイタロー、行こう」
僕はエイタローの手を取って、部屋を後にした。
部屋を三つ過ぎて、廊下に出る。
「私はここから出られない」
どうやら自由なのはいくつかの部屋のなかだけらしく、確かにロダンにだけ通り抜けられない透明な壁があるようだった。
ここの廊下は僕らが転移されたところによく似ている。もしかしたらあのまま道を進んでもここにたどり着いたんじゃないか?
「右手にゆくといい。途中、突き当たりが右に曲がっているが、左の壁に隠し階段がある」
隠し階段ってことは、やっぱりここは隠されているのか。
「楽しい時間が過ごせた。短かったがね。次に会える時を楽しみにしている」
「……必要があったら、すぐにでも来る」
もしかしたら討伐のためかもしれないけどな。




