これで許されたとは思わない
トシヒコと並んで海を見ている。
あれから三十分。僕らはいつしか口をつぐみ、ただ揺れる波に心を惑わせた。
ジンジャーゼルは異常なまでに美しい。日の光に照らされた水面はリアルのそれと大差なく、時たま打ち上げる水しぶきは当然のごとく冷たい。
高い陽の光が目を刺し、どこかで海鳥が鳴いている。
これが作られたプログラムの世界だと言われ……ログインという手順をもし踏んでいなかったら、どうやったって信じられないだろう。むしろログイン後に眠らされ、地球のどこかに放り出されたのだと、そう言われた方がまだしも現実的だ。
VRは超科学だと長年言われてきた。もちろん限定的には可能だ。ほんの狭い範囲内であれば、こんな世界を作り出せてもおかしくない。
だけど触覚も嗅覚も、これまでのVRは作り出せなかった。あくまで僕らはスクリーンに映った3D映像をリアルだと思い込み、見えない壁に探検を中断せざるを得なかった。
それがジンジャーゼルはどうだ。見る限り日本と同じか、もしかするとそれ以上に広大な世界が広がっている。しかもここまでのところ、エリアを読み込むようなロードもない。あまりにも現実感のあるこの世界に、僕らは当然と言えるほどの疑問を失念していた。
この世界は、どういった技術で作り出されているのだろうか。
WWから十年。
世界は進歩した。だけどゲーム開始前に僕が言及したように、こんなリアルな世界を作り出せるようなブレイクスルーは、少なくともネット上のニュースにはなかった。実際のところ需要がなかったんだ。
僕はともかくとして、多くの人間はリアルを手放したがらなかった。VRはあくまで娯楽産業の域を出なかったし、だからこそ一定以上の技術進歩が阻害されていたんだ。
WWによってもたらされたVRの夜明けは、幸か不幸かマトリックスの世界をもたらしはしなかった。これまでがそうだったように、30年前に作られた映画の想像力に科学は追いつかなかったのだ。
……ところが、これである。
「じゃあ、俺いくわ」
トシヒコが立ち上がった。
「どこに」
「城に戻る。俺、港攻めが終わったら正式にジュリア小隊の一員だから。城の護衛ね」
ああ、そうだった。そういう条件があったな。
「一人で大丈夫か。ついて行こうか」
「誰かに協力してもらうよ。お前は自分のこと考えとけ」
トシヒコは、こいつは、僕が思っていたよりずっとイイやつだ。モンスターに怯えてほとんど泣いてたあのときの面影は……ちょっとしか残っていない。あまりにもリアルである、というCHの洗礼は、きっかけさえあれば乗り越えられるのだ。
イイリコさんだって、きっと。だって彼女も廃人だものな。
問題は僕だ。
『ユージン、今どこ?』
トシヒコが立ち去った後、僕はユージンに通信を試みる。
『さっきのとこっす』
短い返事。二時間近くなにをしていたかの詮索はない。こういうとき、ユージンの心配りは泣きそうなほど嬉しい。
『今から戻るよ。ちょっときいて欲しいことがある』
『うす』
僕の告白をきいて……チラ見したら、ガートランドは顔をしかめて理解出来かねる様子だったが、ユージンには特に変化はない。
洗いざらいぶちまけた。なにもかも白状した。イイリコさん連れ戻し工作の間、僕がどういう心境でいたのか。トシヒコに話したことも、WWからのことも、全部、全部。
二人の顔をまともに見られないから組んだ両手に目を落としている。親指が震えているのがわかる。
僕はトシヒコの忠告に従うことにした。それ以外、どうすればいいのかわからなかったからだ。そのまま消えても、たった500人のプレイヤーだ。みんなが本気で探そうと思えば、七年も逃げ続けられない。探そうとしてくれれば。
かといって、なにも言わぬまま、なにごともなかったかのようにゲームを続けるわけにもいかない。そんなことをしたら、たぶん僕は途中で死んでしまう。
だから、トシヒコの案なのだ。正直なところ、僕は最初、これでどうなっても案を出したのはトシヒコだから、というここに至ってクズらしい心持ちでいた。
だけど話し終えた今となっては、そんな甘い考えではいられない。この案を出したのは確かにトシヒコだけど、それを選んだのは間違いなく僕だ。だからこれは僕の責任で、僕が全ての結果を受け止めなければならない。
父親にいたずらがばれたときの、教師にカンニングが見つかったときの、制裁をただ待つしかないこの時間。
僕はいくらも経験がなかった。それほどまでに僕の人生経験は、少ない。
何かへまをしたときは回線を切ればよかった。イイリコさん達と会ったときは、すでになにか失敗をするようなレベルじゃなかった。だからここまで、僕は……ユージンが言ったように、逃げていたんだ。逃げることができたから、逃げていた。
だけどイイリコさんのことだろう?
少なくとも出会ってからの占有時間で言えば、両親よりもずっと長いイイリコパーティの、最初に誘ってくれた人のことだろう?
だから、こうしなきゃいけないんだと思う。
トシヒコのよりもいい方法はあったかもしれないけど、どうにかして、僕は裁きを受けなければならないと思う。
だからこうするんだ。こんな告白、きいて気持ちのいいものじゃない。だからユージンとガートランドには悪いことをしたと思う。
……結局これも、僕のワガママなんだと気づいて。
もうどうしようもないほどに、僕は、
「それで、これからどうするんだ」
ガートランドが言った。
「……どうって」
「ジェストのこれまではきいた。正直俺はよくわからんかったが、なんか悪いことをしたと思ってるんだろ。で、これからどうするんだ」
「……僕は、もう、一緒にはプレイできない」
「イイリコさんを裏切ったからっすか」
「そう」
「正直なところ」
僕の返事を待っていないようなタイミングでユージンは続けた。
「ジェストさんがどういった気持ちであっても、イイリコさんを迎えに行くための準備を整えたことは事実っす。そっちの方が俺には重要なんですが」
トシヒコもそういった。でも僕の心は、僕自身を許していない。
ユージン達は結果を重視しているけど、僕はその過程に重みを置いている。結局はその違いだ。だから議論は平行線になる。
そんなことはわかっている。
「それじゃいけないんでしょうね。でも俺らはそれを利用します。ジェストさんがプレイヤーの大部分をこの港攻略にあてたように、ジェストさんがやったことを俺らは利用して、イイリコさんを迎えに行きます」
そうだ、それがいい。そうすれば僕がやったことも、最低限の意味を持つことになる。ユージン達はイイリコさんを迎えに行く。ユージンとガートランドの二人で。
「ジェストさんも、それを利用しようとは思いませんか」
「ユージン、僕は」
「ジェストさんがやったこと、今のジェストさんが利用してもいいんじゃないっすか」
僕がやったことを、今の僕が利用する。
それはさしのべられた手のように思える。ただの言葉のトリックでも、光り輝いているように見える。
「ジェストさんは……正直、俺もジェストさんがどうしてそんなに悩んでるかはわからないっすけど、自分がやったことを、やらなかったことを後悔している。でもやらなかったことについては、少なくともさっき俺が指摘したっす。それで最悪の事態は防げた。後はよくなっていくしかないと思うっすけど」
「ユージンは、僕を許してくれる……でも」
「許すも許さないもないっす。なにせジェストさんはまだなにもしていない。どうです。さっきまでのジェストさんと今のジェストさんは違う。その一点で、とにかく今からやりませんか」
ガートランドを見た。
「俺は今まで通りがいい」
それだけ言って、頭をボリボリと掻く。
「俺はジェストのどこに怒ればいいのかわからん」
僕は、自分を許せない。
でもイイリコさんを、今度こそ誠実に連れ戻しに行くことで。
その気持ちが少しでも和らげるだろうか。
折り合いをつけることができるだろうか。
「やってみるしかないんじゃないっすか」
まるで僕の心を読んだかのように、ユージンは言う。
「……それなら、僕に考えがある」
手を取ってもいいのだろうか。
イイリコさんに、僕は今までのような顔をして会えるか?
「みんなでメシを食おう」
猛烈な吐き気。めまい。
二度目だけど全然慣れない。WWではまったく起きなかったこの現象は、いくらかの不安を覚えさせるのに十分だ。
ゲームとリアルの流れが違う。しかも何千倍もゲームの方が速い。僕がさっきログアウトしてから、リアルではまだ十分程度しか経っていない。
体に負担がかかりはしないのだろうか。この体調不良はその兆候じゃないのか。
帝に確認しておいた方がいいだろうか。
でも今は、別件だ。
「コール、マスター」
狭いゲーム筐体の中で呼びかけると、ちょっとだけ経ってから帝の顔が映し出される。
「君、よく呼んでくれるね。マァ君たちのサポートも僕の仕事だ。といっても……今はちょっと問題が起きていて……いや、どうにかいけそうだ。ほんの少し待ってくれるかい」
「どうぞ。今回はあんまり急いでませんし」
「悪いね……よし、これ走らせて。オッケー……オールグリーンで問題なし。いや、君らようやく拠点を落としたから、いよいよ功績値が働き出すんだ。いよいよって言ってもリアルじゃ30分経ってないが、なにせ時間の流れが違うからね。実際、フラグが立ったら自動で走るようにしてたんだが、どうしてかうまく動かなくて。ゲームの中じゃ半日くらい遅れるけど、マァ、うまくいくよ。ああごめん。俺に用なんだっけ」
「連絡を取りたいプレイヤーがいます」
「……うん? それはこっちでってことかい」
「はい」
「そうか。じゃあキャラクターネームを教えてくれ。つないでもいいか本人に確認しよう。ログアウトしてるよね……あと、君からコンタクトってのを伝えるが、それはかまわないかね」
「はい。イイリコさんをお願いします」
「イイリコ……と。ははあ、だからイイリコか。ちょっと待ってね……イヤすまん。今部屋にいないな。端末も持ってない。意思確認ができん」
「端末、ですか」
「うん。筐体から出たところにタブレットがささってるから、外出時はなるべく持ち歩いてくれ。ああ、これ、最初に説明しなけりゃいけないんだった。ゲーム内の重要連絡事項が知らされたり、今回みたいな連絡をしたり、とにかくゲームに関係することが知らされるようになっている。こう、肩から提げるようになってるから」
「それじゃあ姫代子、かエイタローはどうでしょうか」
「ひよこ……字は姫のひよこ? エイタロー……姫代子さんは持ってるな。彼女に連絡を取ってみるかい」
「はい」
「よし、ちょい待ち。こっち一回切るから」
帝の顔が消えて、無音。いや、実際は筐体の駆動音がほのかに流れている。でもそれにしたって静かだ。内部にはあまり音が伝わらないようになっているのだろうか。
アロハが映った。
「断られた。伝言だ。ゲームの攻略を優先しなさい。まだイイリコさんには会っていない、だとさ」
まだ会っていない?
イイリコさん達がログアウトしてから……正味15分程度。ああそうか、イイリコさんがタブレットを持ってないまま部屋を出たなら、姫代子がサポート者にきいてもやっぱり連絡が取れなかったってことか。となると、この広い地下室。顔も知らない相手を探すにはそれなりに時間がかかる。ログアウト人数がそれほどいない今でも、間違いの可能性がある相手に声をかけるのはすこし骨が折れるはずだ。
しかし、まさか姫代子が断るとは……いや、ちょっと思ってたけど……となると、僕らは僕らで、イイリコさんか彼女を探す姫代子、エイタローを探す必要があるわけで。
いや、これは向こうから見つけてもらった方がやっぱりいいな。
「ありがとうございます。とりあえず、出ます」
「おう。ご用命の際はなんなりと」
通信終了。筐体のふたを開いて、這い出る。体がだるい。さっきの体調不良は回復してるけど、僕は今日、ここに来るまでにすでに疲弊している。三十分寝たくらいで疲れが取れるような健康体でもない。
……いや、これ、ゲームをやってるときは、僕は寝てるのか?
帝はWWの延長だと言ったけど、となるとCHの世界、ジンジャーゼルを冒険している間も催眠状態になっているはずだ。だけど実際、意識は完全にゲーム内に落ち込んでいて、だから僕は時たま『ゲーム内で現実感を得る』という意味のわからない状態になる。 ……大丈夫なんだろうな、ホントに。
とりあえずユージンとガートランドの待ち合わせ場所に行こう。二人も一応、サポート者に連絡をとるようにしている。だからイイリコさんの現状は把握しているはずだ。
食堂へ。




