8話 異常事態
「私も参加させてください!」
掃除道具を脇に抱えた鈴音は、九尾に言う。
「それはできません」
「どうしてですか!」
「危険だからです。少なくとも二級以上の魔物が五体以上いることが確認されているんですよ?」
「ですが、九尾様も戦われるのですよね?」
「それは……そうですが」
「私もちゃんと掃除道具は持ってきました。ですので、祓魔師として参加させてください。私も、役に立ちたいんです」
鈴音の真っ直ぐな瞳を受けて、九尾が言葉に詰まる。
「九尾様、参加させてはどうでしょう」
「有雲」
「鈴音様はすでに三級の魔物を容易く祓っていました。二級、いえ、一級以上の魔物にも十分お力は通用すると思います」
責めるような九尾の視線を受けながらも、有雲はあえて続ける。
主人である九尾の安全が最優先な有雲にとっては、少しでも戦力が多いほうがよい、というのが本音だろう。
それが九尾が鈴音を巻き込みたいとは考えていなくても、だ。
だが、有雲は腐っても二級祓魔師。
九尾が動けない間は、社に定期的に発生する穢れを間引いてきたベテランでもある。
その有雲が太鼓判を押すのだから、鈴音には戦うだけの力があることは確かだった。
様々な考えを天秤に乗せ、考えること数秒。九尾は決断を下す。
「わかりました、鈴音さん、参加してください」
「! ありがとうございます!」
「ただし、私と有雲の前には決して出ないでください。いいですね?」
「わかりました」
鈴音が真面目な顔で頷く。
「それでは行きましょう」
九尾、有雲、鈴音の順番で石段を上がっていく。
徐々に穢れが濃くなってきた。
「なんて穢れの濃さ……」
「九尾様、気をつけてください。恐らく、魔物の数が増えているかと」
有雲がふところから呪符を取り出す。
「そんなに穢れがたくさんあるんですね……」
霊視の能力がない鈴音がゴクリと喉を鳴らすと、掃除用具を入れたバケツの中から、スプレー式の洗剤を取り出した。
「……鈴音さん、それは?」
思わず九尾は訊ねる。
「私が汚れ取りによく使ってる洗剤です。とても便利なんですよ」
「まさか……いえ、なんでもありません」
まさかそれで戦うつもりなのか、と問いかけたかったが、実際にそれで戦うつもりなのだろう。
洗剤で魔物を祓えるなど信じられないが、戦えるのならこの際なんだっていい。
その時、祓魔師である九尾の感覚が、あるものを捉えた。
「皆さん、気を引き締めてください。この気配、一級の魔物がいます」
「やはりいますか……」
一級の魔物と言えば、ほとんど最高ランクと言ってもいい
祓魔院も、最低でも一級の祓魔師ひとりと二級祓魔師ひとりと、合計二人で対処に当たるようにと通知しており、推奨は複数人での討伐だ。
なおかつ、今回は一級の他にも魔物がいる。
これまでの経験から、苦戦するのは間違いなかった。
「一級の魔物が出てくれば、私が対処します。皆さんはその回りの敵に対処してください」
二人が頷く。
「それでは……いきます」
石段を上りきった先は、魔界が広がっていた。
そこらを行き交う低級の魔物たち。
境内の奥の方には、強い反応がいくつかある。
先ほど感じた一級の魔物の気配、それと取り巻きの二級の魔物の反応だろう。
「想像以上ですね」
「ええ、祓いきるのには少々骨が折れそうです」
「よ、汚れがあちこちに……」
有雲と九尾が戦慄した表情で会話を交わす傍ら、別の意味で戦慄している鈴音が震えた声でつぶやく。
穢れは現実には汚れとなって見える。
鈴音には大量の汚れが付着しているように見えるのだろう。
「汚れ……じゅる。あっ、いけない」
鈴音がよだれを拭う。
緊張しているかと思ったが、それは杞憂のようだ、と九尾はこころの中で呟いた。
すると、境内の中にいる魔物たちが、鈴音たちの気配に気がついた。
「来ます。戦闘の用意を」
有雲が真っ先に呪符を飛ばす。
駈け抜けた呪符が、低級の魔物に張り付く。
「発動」
有雲が短く告げる。
すると呪符から電撃が迸り、魔物の身体を焼き尽くした。
「すごい……何もないところに雷が……」
鈴音が声を上げる。
「しつけのなっていない魔物たちですね」
九尾が手の中の炎を生み出す。
それを軽く放り投げると、巨大な火柱が上がった。
「な、なにこれ……」
鈴音が呆然と空へと昇る火柱を見る。
「ふむ、もう少し力が落ちているかと思いましたが、そうでもなかったようですね」
九尾は自分の体の調子を確かめるように拳を開閉する。
恐る恐るという様子で、鈴音は有雲に訊ねた。
「祓魔師のひとって、みんなこんなことができるんですか……?」
「いえ九尾様は特別です。極級の祓魔師ですからね」
「極級って、祓魔師の中でも一番強いひとじゃないですか……!」
極級は祓魔師の中でもごく限られた存在にしかなれない等級。
その実力や霊力は他の祓魔師としても一線を画し、単独で極級の魔物すら祓えるという。
全ての祓魔師の頂点に立つ存在、それが極級祓魔師だった。
当然、五級祓魔師の鈴音から見れば、手の届かない雲の上の存在だ。
「腐っても四華の当主ですからね。極級でなければ務まりません」
九尾はそう告げて炎で敵を焼き尽くしていく。
破竹の勢いで消えていく魔物を見て、改めて鈴音は九尾が手の届かないような存在であることを自覚した。
鈴音も魔物の討伐に加わる。
とりあえず、近くの黒ずみに向けて洗剤を噴射した。
洗剤をかけられた黒ずみが、まるで魔法のように消滅する。
「おお……」
洗剤が掛かった場所だけ、円形に黒ずみが消えていくのが妙に面白い。
汚れを拭き取ったときとはまた別種の快感に、鈴音は頬を緩めて洗剤を連射する。
その光景を見ていた九尾と有雲が、魔物を祓いながら会話を交わす。
「やはり、規格外と言わざるを得ませんね」
「祓う速度も威力も、二級祓魔師の私より早いのですが……」
有雲が哀愁を感じさせる声で言う。
「むっ、頑固な汚れ!」
洗剤で穢れを祓っていた鈴音は、その中に潜在を賭けただけでは消えない汚れを発見した。
持ってきた掃除用具の中からワイパーを取り出すと、その汚れを拭き取る。
「よしっ! きれいになった!」
三級の魔物を消し飛ばした鈴音は、そのままスプレーの噴射に戻る。
最初は調子が良かったものの、直に鈴音たちが押され始めた。
「っ!」
九尾が胸を押さえ、苦しげな表情を浮かべる。
体内から穢れは消えたが、傷が完全に治ったわけではない。
久しぶりにもかかわらず、激しい戦闘で大量に消費された霊力の影響で、傷が悪化し始めているのだ。
「さすがに、本調子とまではいきませんね……!」
鳥を象った炎を魔物の元へと飛翔させる。
多少知恵のある魔物が九尾の炎に対して穢れの力をぶつけ、相殺させようとした。
だが九尾はそれを読んでいた。
黒く汚れた力が凝縮された球体を躱した炎の鳥は、蝶のようにそれを躱す。
そして変形して魔物の身体へと絡みつき、爆ぜる。
鈴音も洗剤をかけてもじわじわと広がってくる汚れに、鈴音が疲れた声を上げた。
「掃除してもキリがないですね……!」
「ですが、穢れの量は無限ではありません。相手もそろそろ……言っている間に来ましたね」
九尾が境内の奥に視線を向ける。
するとこれまでで一際大きな魔物と、その取り巻きの比較的小さな魔物が二体、群れてやって来た。
魔物が見えない鈴音が訊ねる。
「なにが来たんですか?」
「奥で身を潜めていた一級の魔物がやってきました」
「ああ、確かに! 急速に黒い汚れが……!」
「九尾様、取り巻きは私が」
「いや、有雲、あなたは周囲の魔物と穢れを頼みます。あの一級と二級は私が片付けます。鈴音さんもそちらの穢れをどうかよろしくお願いいたします」
「わかりました!」
有雲と鈴音は、取り巻きの穢れを祓っていく。
九尾が一級の魔物とその取り巻きへと向き直る。
一級の魔物は大蛇の形をしていた。
魔物として生まれて間もないからか、身体の肉が動く度に地面に落ちて、鼻が曲がるような腐臭を放っている。
取り巻きの魔物は身体の半分がまだ粘体のように定まっていない、猿と猪の形をしていた。
「極級の力……とくと見せましょう」
まずは猪が真っ直ぐ九尾へと向かって突進をしてくる。
九尾が手に象ったのは、炎の刀。
それを振るうと、荒れ狂う炎が一体の取り巻きを飲み込み、焼き尽くす。
時を同じくして猿の魔物も動いた。
一度距離を取って社の屋根に上がってから、近くの木に飛び移り、枝を伝って炎の刀を持っている方とは反対側へと大きく迂回する。
どうやら九尾の刀を危険視しているらしい。
枝に飛び乗った猿が、牙をむき出し、九尾へと襲いかかる。
「甘いですね」
九尾が左手を振るうと、そこに現れたのは弓。
右手の刀を持ち替え、矢を作り出すと、つがえて弦を引き絞り、放つ。
見惚れるような姿勢から放たれた矢は一直線に猿の頭を貫き、内側から炎を燃やし尽くした。
たちまち取り巻きが祓われた一級の魔物に対して、挑発するように九尾が言う。
「どうしましたか? 手下はもう祓われてしまったようですが」
すると一級の魔物は苛立ったように舌を伸ばした。
同時に、蛇の周囲に穢れの塊が集まり、いくつかの球体を象る。
「まずは撃ち合いですか。いいでしょう、付き合ってあげます」
九尾は受けて立つと言わんばかりに炎球を生み出し、撃ち出した。
両者の力が空中でぶつかり、衝突する。
蛇も九尾も、次々と塊を作っては相手に撃ち出していく。
──おかしい、どうして攻撃をしかけてこない?
九尾は相手の行動に違和感を感じていた。
普通の魔物であれば、そろそろ苛立ってむやみに飛び込んでくるところだ。
そこに反撃する形で炎を使えば良い。
だが、蛇はまるで何かを待っているかのように動かない。
「わっ、なんかすごい汚れが!」
その時、鈴音が声を上げた。
視線の先には、小さな鼠の魔物が、死角を回り込むようにして急速へ九尾へと向けて迫っていた。
しまった、あの蛇はこれを待っていたのだ、と九尾は理解した。
本調子の九尾なら問題なく気づいたであろう魔物の気配だが、生憎にも本調子ではない今の九尾は感覚が鈍っていた。
同時に、蛇がニタリ、と笑ったように見えた。
すぐに防御をしようとするが、間に合わない。
鼠の牙が九尾に迫る。
そのとき霧状の何かが飛んできて……鼠が消し飛んだ。
見れば、鈴音がこちらへ向けて、スプレー式の洗剤を構えていた。
「しつこい汚れ用の洗剤を使いました!」
「……感謝します」
こんな状況にもかかわらず場違いな鈴音の発言にクスリと笑うと、九尾は印を結んだ。
次の瞬間、蛇の真下に文様が浮かぶ。
「裏から手を回していたのはあなただけだと思いましたか?」
文様が強く光る。
一際火力の高い火柱が上がった。
地獄の釜を開けたようなその業火が、一級の魔物を跡形もなく焼き尽くす。
余波で周囲の魔物も祓われていく。
そして炎が収まる頃には、境内の八割ほどの魔物が消滅していた。
「これが極級の祓魔師……」
桁違いの九尾の力を見た鈴音が、ポツリと声を漏らす。
それから残った穢れを一層し、境内に平和が戻ってきた。
「二人とも、お疲れ様でした。穢れを祓っていただきありがとうございます」
「いえ、義務ですので。私などより、私よりも多くの穢れを祓った鈴音様の方が」
「いや、私なんかはただ洗剤をかけてただけですし」
鈴音は有雲の言葉に謙遜していると、九尾がまだ境内に対して注意を払っていることに気がついた。
「九尾様? どうしたんですか」
「……少し、おかしいと思いまして」
「おかしい、ですか?」
「そもそも、どうして魔物と穢れがこれだけ溢れてきたのか、ということですね?」
「あ、確かに。明らかにおかしいですよね」
「四華は龍穴を管理していますから、通常より社に穢れが集まることはごく当たり前のことです。あの量が一度に集まるのは異常といわざるをえません。それに、社と同期している私の感覚が告げています。この境内の中になにかがある、と」
「え、そんなことがわかるんですか? 私、社を管理してるときも全然感じたこと無かったんですけど」
「……一応、少しでも霊感があれば、社に穢れが現れたことはわかるのですが」
その場に沈黙が降りる。
どうやら鈴音は霊視の力だけでなく、霊感すら全く無かったようだ。
「そ、そんなことより、境内の中に何があるんですか?」
鈴音がわざとらしく話題を変える。
しかしこれは九尾と有雲にとってもありがたいことだった。
「そうですね、少し探ってみましょう。感覚を共有しているとはいえ、そこまで詳細にわかるわけでもないのです」
「それでは手分けをして探しませんか? 広境の中です。分かれて探したほうが早いかと」
有雲の案を採用する事になり、境内の中にあるその『何か』を探すことになった。
下から朱里も呼んできて、四人で提灯を使いながら足元を照らす。
「あっ」
鈴音が声を上げた。
怪しげな小さな木箱が、境内に敷かれた石に紛れて埋め込まれている。
鈴音が箱に手を伸ばす。
指先が箱に触れた瞬間、強い静電気が走ったような痛みがきた。
「いたぁっ!」
思わず鈴音は手を引っ込める。
「どうかしましたか!」
鈴音の悲鳴を聞いて、朱里や九尾が鈴音の元へと駆け寄ってきた。
「! これは……」
そして鈴音の足元にある小さな木箱を見て、見開く。
「九尾様、そのような怪しげな箱を手に取るのは……!」
「大丈夫です。すでに害はありません」
木箱を手に取った九尾が興味深げに観察する。
「これは……恐らくは穢れを発生させる装置ですね」
「穢れを発生させる、ですか……!?」
「呪術の一種です。穢れを溜め込んだ器を作り、特定のタイミングで起爆する。そうすれば先程のように穢れと魔物を大量に発生させることができます」
「つまり、誰かが穢れが発生するように仕組んだ、ということですね?」
「ええ、そうなります」
「そんなことして、なにが目的なんでしょうか……」
鈴音の言葉に対して九尾は首を横に振る。
「考えるだけ無駄でしょう。こういう手合いはたまにいますが、どれも常人では理解の及ばない考えの持ち主ばかりです。理解しようとするだけ、時間の無駄ですよ」
「九尾様、こちらの木箱から術者を特定することはできないでしょうか」
「無理ですね。残穢があれば特定できたかもしれませんが、完全に浄化されています。術者はどうやら相当念入りに計画を練っていたようですね」
「……あっ」
鈴音が思い出したかのように声を上げる。
そして恐る恐る、といった様子で手を挙げた。
「あのー……、それ私が浄化しちゃったかもしれません」
「あぁ……」
九尾、有雲、朱里の三人が納得したように頷く。
「貴重な手がかりを消してしまい、大変申し訳ありません……」
「いえいえ、顔を上げてください。鈴音さんは穢れを祓っていただいた時点で、十分に役立っていますから。それより、今日はもう寝ましょう。我々妖はともかく、鈴音さんはお疲れでしょう」
確かに、言われてみれば眠気が襲ってきた。
思わず大きなあくびをしてしまう。
それに鈴音を覗く三人が微笑ましいものを見るような視線を向けた。
「今日は頑張っていただいたので、明日はおやつの時間にお好きなものをお出しします。何が良いですか?」
「えっ、本当ですか! それなら私、あんみつパフェを食べたいです!」
「わかりました。用意しましょう」
鈴音の新しいスイーツの所望に、朱里と有雲の肩がビクリと跳ねる。
そうして、犯人を突き止めることはできていないものの、一連の騒動は一応の幕引きとなった。
***
鈴音が自室に戻った後、九尾の部屋には有雲がいた。
二人が見ている先には、件の木箱がある。
「有雲、誰の差し金だと思いますか?」
勿体ぶらず、単刀直入に九尾が訊ねる。
言葉は少ないが、意味は正確に伝わった。
「正直、絞り切ることはできません。現状の妖狐家を狙う相手は無数にいます。その中からひとつに絞り込むには、手がかりが少なすぎるかと」
「やはりそうですか。相手は呪術師でしょうか?」
「穢れを封じ込める呪術を仕入れた者の可能性もございます」
「ふむ……この木箱、状態から見るに、数週間ほど前から置かれていたようですね」
「箱が開くタイミングを遅らせることで、もし失敗したときも犯人の特定を逃れるためでしょうか」
「ええ。それにしてもすごい技術ですね。完全に穢れを閉じ込めている。あれだけ鈴音さんの掃除を耐えたのですから、すごい技術です」
「九尾様、あまり敵の技術をお褒めになるのは……」
「わかっています。あとの調査は任せますよ、有雲」
「はっ。かしこまりました」
有雲は頭を下げると部屋から出ていった。




