6話 祓魔の料理
「よし、今日も一日頑張ろう!」
翌日、鈴音は調理場に立っていた。
朝食について、朱里からは自分が作ると申し入れがあったが、鈴音は首を横に振った。
夕食までも作ってくれている朱里の手をこれ以上煩わせたくなかったのと、朝食だけは自分で作りたかったからだ。
今は亡き祖父も、「朝食は一日の要。しっかりと食べろ」と、何度も鈴音に言っていた。
その発言が功を奏してか、鈴音は朝食に関しては人一倍気を使っており、自分で作って食べることを習慣としている。
まあ、清宮の屋敷では待っていても食事が出こなかったので、自分で作るしか無かった、というのも大きな理由の一つではあるのだが。
「あの……お二人とも、どうしてこんなところに?」
鈴音が振り返って訊ねる。
彼女の背後には朱里と有雲の二人がいた。
「いえ、私たちのことはお気になさらず」
「ただ見学しているだけですので」
息ぴったりに二人が返す。
「いえ、すごく眠そうなんですけど……目にクマもできていますし」
「大丈夫です。妖にとっては朝はまだ寝ている時間。早起きをしているようなものなのです」
「そのうえ昨日はスイーツ探しを朝までしていましたから……」
「スイーツ探し?」
「こちらの話です」
朱里が口を滑らせる。
即座に有雲がフォローを入れた。
「でも、本当に朝食を作るだけですよ? 大したものを作るわけじゃありませんし」
「それでよいのです」
「私は鈴音様が何をするのか見てみたいのです」
「そ、そうですか……」
ニュアンスに若干、面白生物を観察するというニュアンスが混じっていない気がしないでもなかったが、鈴音はとにかく朝食に向き直る。
「食材はお好きに使ってください。九尾様に使う分はすでに取り置いていますので」
「ありがとうございます」
朱里に言われたので、遠慮なく食材を使うことにする。
といっても使う食材は主に野菜が中心だ。
鈴音は慣れた手つきで作っていく。
そしてしばらくして、朝食が完成した。
「できた! なんちゃって精進料理!」
出来上がったのはひじきの煮つけにこんにゃくの胡麻和え、漬物、卵焼き、白飯、味噌汁の精進料理だった。
なんちゃって、というのは基本、ある材料で作り上げる即興の朝食で、完璧な精進料理のルールを守っているわけではないからだ。
清宮家で余っている食材は大抵野菜だったため、精進料理風の朝食となっている。
鈴音は振り返ると、朱里と有雲にそれぞれ膳を渡した。
「お二人とも、いかがですか?」
「よろしいのですか?」
「多めに作ったので。できれば食べていただけるとありがたいです」
作っている最中、二人の視線が気になったから作った、とは言えなかった。
「それではありがたく」
有雲と朱里が膳を受け取る。
調理場横の、六畳ほどの空間に移動した。
「じゃあ、食べましょうか」
鈴音もそれに合わせて移動する。
二人が慌てて立ち上がった。
「そんな、私たちは一緒に食べれません」
「我々は使用人ですので。それに鈴音様がここで食べるのは……」
「え? でもいつもここで食べていますよ、私」
有雲が弾かれたように朱里の顔を見る。
「……朝は寝ているので、知りませんでした」
朱里が取り返しのつかない過ちを犯したかのような顔で言う。
自分のせいで朱里が責められていることに気がついた鈴音は、慌てて言い繕った。
「き、気にしないでください! ただこっちのほうが早く片付けられるから使ってるだけですので!」
「鈴音様がそう言うなら……」
納得したように言う有雲に安堵の息を吐く鈴音。
あらためて、鈴音は朝食を食べる。
「いただきます」
両手を合わせた後、料理を口に運ぶ。
どれも申し分ない出来栄えだった。
「これは……」
同じく鈴音の料理を食べた二人が顔を見合わせる。
そして互いに頷きあった。
口に合わなかったのかな、と鈴音が不安に思っていると、有雲が箸を置き、改まった顔で言った。
「鈴音様、お願いがございます」
「は、はい」
「どうか、九尾様に朝食を作っていただけないでしょうか」
「はい?」
鈴音は耳を疑った。
しかし二人はいたって真面目な顔で、冗談を言っているようには見えない。
「あの、九尾様にどうして私の朝食を? 見ての通り大したものではないですし」
「いえ、そんなことはありません。この朝食は九尾様にとって、最良のものでしょう」
「え、ええ……?」
鈴音は困惑した声を漏らす。
「でも、やっぱり無理ですよ。レシピならお渡ししますよ?」
「いえ、どうしても鈴音様のお作りになった朝食がいいのです」
有雲の言葉に、鈴音はますます困惑する。
「鈴音様、どうかよろしくお願いいたします」
「わ、わかりました」
二人の気迫に押され、鈴音はその頼みを引き受けることとなった。
調理場に立ち、先ほどと同じメニューを作る。
そして出来上がった、鈴音命名『なんちゃって精進料理』を見て、不安が込み上げてくる。
「あの、やっぱりこんな料理よりも、ちゃんとしたものを食べていただいたほうが良いんじゃないでしょうか? 九尾様は妖狐家の当主ですし」
「いえ、これでいいのです。むしろ、これじゃなきゃダメなんです」
再度の問いかけにもそう返されたので、鈴音は観念して食事を九尾の元まで運んでいく。
思えば、九尾に会うのは初対面のとき以来だ。
こんな料理を出して怒られたらどうしよう、と不安を抱きつつ、ふすまの向こう側へと声をかける。
「九尾様、朝食を持ってきました」
「はい、どうぞ」
許しが出たのでふすまを開ける。
「おや?」
すると九尾も鈴音が朝食を持ってくるとは思っていなかったのか、驚いたような表情になった。
「鈴音さんがどうしてここに?」
「えっと、有雲さんと朱里さんに朝食を作ってほしいとお願いされまして……」
鈴音は洗いざらい、事情を白状することにした。
彼女の背後にいる二人は、九尾に対して無言で頷いた。
全ての経緯を聞いた九尾が、「ふむ」と顎に手を当てる。
「あの二人のことならなにか考えがあるのでしょう。ともあれ、朝食を作っていただきありがとうございます。お手を煩わせてしまい、申し訳ございません」
「いえいえ! むしろ私の方こそこんな朝食しか作れなくて申し訳ないです」
「そんなことはありません」
九尾が膳をたぐりよせ、正座する。
一口、九尾が鈴音の料理を食べた。
「!」
途端、九尾の耳と尻尾がピン! と突き立つ。
「ぐっ……!」
そして胸を抑えて、その場に蹲った。
突然苦しみだした九尾に、鈴音がうろたえる。
「えっ? 大丈夫ですか!?」
「こ、これは……!!」
動悸か胸痛が収まったのか、息を切らしながら顔を上げた九尾は自分の胸に手を当てて、呟く。
「僅かですが、弱まっている……いえ、むしろ調子が良くなっているような」
「え?」
朱里と有雲が拳を握りしめる。
状況を飲み込めず首を傾げる鈴音の傍ら、九尾が次々と料理を口に運んでいく。
またたく間に完食した九尾が箸を置いた。
そして鈴音へと深く、お辞儀をした。
「鈴音さん、ありがとうございます。とても美味しかったです。もしよろしければ、これからも作っていただけないでしょうか」
「そんなに気に入っていただけたのなら……わかりました」
大げさに礼を言われたことに驚きつつ、鈴音はその願いを引き受けた。
それから、鈴音は九尾の朝食を毎日作ることになった。
ずっと床に伏せていた九尾だが、鈴音の食事を食べるにつれて、生気のない肌は徐々に明るくなり、身体を起こしていられる時間も増えてきた。
そして二週間も経つ頃には、九尾の調子は完全に元通りになっていた。
朝、鈴音が朝食を持っていくと、九尾は有雲と仕事を行っていた。
手に持っているのは巻物や竹簡などの書類。
「西の方に祓魔師を増やしてください。あそこはそろそろ穢れが溜まってくるはずです。水路に関しては呪符をストックしているので、四級と五級祓魔師でも十分対処が可能かと。一応監督して三級祓魔師を三人ほど、それぞれ付けてください。あとは社の管理にかんしてですが──おや、鈴音さん。今日もありがとうございます」
手元の巻物に目を落としていた九尾が顔を上げて、柔らかい微笑みを浮かべる。
この二週間で、鈴音に対する態度は随分と柔らかくなっていた。
初めはどこか壁を感じさせる笑みを浮かべていた九尾だが、鈴音の毎日の看病に徐々に笑顔から壁が消えていった。
「ちょっと、九尾様、お仕事なんかしても大丈夫なんですか!?」
「問題ありません。ほとんど体調も回復しましたし、一刻も早く妖狐家を復興しなければなりませんから」
九尾が朝食を食べる。
鈴音の作った朝食を食べるたび、九尾の体調はみるみると良くなっていく。
まるで身体から毒が抜けてるみたいだ、と鈴音は思った。
最後のひとくちを飲み込んだ九尾は、箸を置くと、改まった顔で鈴音に告げた。
「鈴音さん、お話があります」
「えっ」
その九尾の態度と、口をつぐむ有雲に、鈴音はドキリとした。
なんだろう、自分はなにかやっていただろうか、と記憶を探る。
いや、思い当たるフシはある。それも特大のものが。
となると、九尾が真面目な顔をしていることにも納得がいく。
しかし、どうしてもこの場所から追い出されたくはなかった。
九尾が口を開く瞬間が、鈴音にとっては最後の審判のように見えた。
「あなたの祓魔師としての仕事ですが……」
「祓魔師として役に立てなくて申し訳ございません! ですが、もう少しだけここに置いていただけないでしょうか……!」
九尾が言い切る前に鈴音は平伏して謝る。
「え?」
「……え?」
素っ頓狂な声を上げる九尾に、鈴音も顔を上げて同じような声を漏らしたのだった。
「いえ、鈴音さんがうちにいたいのなら、いつまでいてくださっても構わないどころか、望むところなのですが……」
「えっ、本当ですか!?」
掃除をしていているだけだというのに、豪華な食事に温泉も入れて、なおかつ甘味まで貰える。人間関係も良好で、以前のように毎日嫌味を言われることもない。
こんなにすばらしい職場など、手放したくなかった。
「……いえ、そうではなくて、私が言いたかったのは、鈴音さんの祓魔師としての報酬についてです」
「あ、祓魔師として役に立てていないので、報酬なら衣食住さえ貰えたらあとはなしでも……」
「いえ、そんなことはありません。あなたは祓魔師として、とても我々の役に立っています」
「え?」
始めは冗談を言われているのかと思った。
しかし、どうやらそうでもなさそうだ。
「鈴音さんは気がついていらっしゃらないようなので、事実をお話しましょう」
そう言って、九尾は全てを鈴音に語った。
これまでの経緯、そして鈴音が掃除で穢れを祓っていたことを。
事情をすべて聞いた鈴音は、ポカンとした顔で、
「…………はい?」
と首を傾げた。
こめかみを押さえて、鈴音は手を伸ばす。
「……ちょっっっと、待ってください。今話しが飲み込めていなくて。つまり、私がこれまでしていた掃除で、穢れが祓えられていたと?」
「はい、そうなります」
「どうして私は知らなかったんですか!?」
「霊視の能力がないからかと」
「そんな……ああっ! でも今思い返せばなんかそれっぽいことがあったような……!」
掃除をしていたら身体に痛みが走ったり、大浴場では突然気を失ってしまったりした。
あれこれ考えてみれば、浄化の力を使っていたことにも辻褄が合う。
「でも私、ただ掃除していただけですよ……?」
「あなたが行う場合、それはただの掃除ではないということです。あなたの作ってくれた料理を食べたおかげで、私の身のうちにある穢れも祓えましたしね」
「えっ、そうだったんですか?」
「鈴音さんの料理には穢れを祓う力があるんですよ」
「なる、ほど……? 色々と飲み込むことが大変ですけど、九尾様が元気になってよかったです!」
そう言って、屈託のない笑顔を浮かべる鈴音。
それに対して、九尾は申し訳なさそうな表情になり、改めて頭を下げた。
「我々は鈴音さんに謝罪しなければならないことがあります」
「えっ?」
「はじめてあなたがこの妖狐家に来た時に取った非礼、大変申し訳ございませんでした。妖狐家の代表として、深くお詫び申し上げます」
九尾が手をつき、深くお辞儀をした。
近くにいた有雲と朱里が同時に頭を下げる。
「あ、あの、お顔を上げてください。正直に言って、私、感謝しているんです」
「え?」
「だって、みなさんがいないとずっと私の力もわからなかったわけですし。それに、役立たずだと思っていた私に、寝床も食事もいただけたんですから、これに文句なんて言ってたら罰が当たりますよ」」
「しかし、私たちは鈴音さんの力を見誤っていたのですよ?」
「それは仕方ないです。私だって最初はただの役立たずだったんですし。妖狐家の皆さんの状態で五級祓魔師が来たら普通ああなりますよ。むしろその日の内に放り出されなかっただけありがたいくらいだと思ってるんですから」
「……正直に言って、一度ぶたれるくらいの覚悟はしていたのですが」
「ぶつなんてそんな! 恐れ多くてできないですよ!」
鈴音は必死に否定する。
「とにかく、寝床と食料をいただいたお礼で相殺、ということでいかがでしょうか」
「……ありがとうございます」
九尾がもう一度頭を下げる。
そして咳払いをすると、九尾は話題を変えた。
「それでは、本題である祓魔師としての報酬についてお話しましょう」
「え、報酬が出るんですか?」
「当たり前です。祓魔院を通して出している祓魔依頼を、鈴音さんがこなしたのですから。当然報酬は支払われます」
祓魔院、というのは全国の祓魔師を取りまとめている国家機関のことだ。
全国の穢れや魔物の祓魔依頼を管理し、祓魔師が依頼を発注している。
祓魔師はその祓魔院で依頼を受けてこなした後、報酬を受け取ることができる。
祓魔師の等級付け試験も行っており、妖の四華、人間の六門も所属している一大組織だった。
「それでですね、私たちが言いたいのは、報酬の算出方法についてなんです」
「はぁ」
「大浴場の方はともかくとして、社でどれだけの魔物と穢れを祓っていたかが分からないので、大体の概算になってしまうのです」
「それは……申し訳ありません?」
「いえ、鈴音さんが謝ることでは。ちゃんと計測していなかったのはこちらの不手際ですから。ともあれ、社の祓魔の報酬については、事前に観測されていた量からの大まかな祓魔量の算出になってしまうのですが……よろしいですか?」
「はい、大丈夫です」
鈴音が理解していたのは七割ほどだったが、頷いた。
どのみち、鈴音に正確な量を計算することはできない。
すると九尾や有雲が安堵したように息を吐いた。
「よかったです。ここが一番難しいところだと思っていたので」
「そうなんですか?」
「ええ。概算など、普通は了承していただけませんから」
「でも、私が祓った量は正確には分からないんですし、報酬額によっては得してることもありますよね?」
「それでもこちらの不手際には代わりありませんので、相手方のおっしゃる報酬を支払うしかないのです。そういうときは、大抵かなり多めに見積もった報酬を提示されます」
有雲が「かなり」という言葉を強調する。
「以前、そういったことがありまして。随分と高い勉強料を支払うことになりました」
九尾が補足する。
「世の中には、そんな祓魔師もいるんですね……」
「まあその話はおいておいて。それでですね、社と大浴場の祓魔、それと私の身体の浄化も含めて、鈴音さんに対する報酬が、約一千万円ほどありまして」
「いちっ……!?」
提示された金額に、鈴音は思わずのけぞる。
「いやいや! そんな大金貰えませんよ!」
「それは困ります。この報酬はあなたの働きに対する正当な報酬なのですから」
「でも、私は掃除をしてただけですし……」
「そうであろうが、穢れを祓う事ができたのは事実です。働きに関しては報酬が支払われなければなりません」
九尾は断固とした口調で引かない。
狐面から覗く瞳には、報酬を鈴音に対して絶対に支払う、という強い意思が垣間見える。
「無理やり口座に報酬を入れられるのと、自ら受け取るの、どちらがよろしいですか?」
九尾はニコリと笑って、選択肢を出してくる。
「……受け取ります」
鈴音が取れる選択肢は実質一つしか無かった。




