5話 驚愕の祓魔能力
「それは本当か?」
有雲は、真っ先にそう告げた。
眉間を手で摘んでいるのは、それだけ朱里から上がってきた報告が、信じられないものだったからだ。
「しかと、この目で見ました」
両手をついた朱里は、顔を上げて有雲の目を真っ直ぐに見据え、そう言った。
「なにかの見間違いだろう。掃除をしているだけで魔物を祓うなど、あり得ない」
「私もはじめは目を疑いました。しかし、魔物も穢れも、鈴音様の掃除によって消し飛んでいたのです」
「それは、雑巾がけや洗剤で魔物が倒されたということか?」
「はい」
「……」
有雲は思案する。
普通ならありえないと切って捨てるような報告だが、今の朱里はどうも嘘をついているようには見えない。
「有雲様、一度社をご覧になられてください。そうすれば私の言葉にも信憑性が出るかと」
「……確かにそうだな。よろしい、一度見に行ってみることにしよう」
朱里の報告が正しいかどうかは、社を見ればすぐに判断できる。百聞は一見にしかずだ。
そうして、夜、朱里と有雲は社へと向かった。
石段の上を見上げて、有雲は緊張につばを飲み込む。
あそこは魔物と穢れが凝縮された場所。
並大抵の祓魔師では足を踏み入れるだけで命を落とす禁足地だ。
近づくならば、せめて二級以上の祓魔師が三人以上は必須だった。
一応、有雲も二級祓魔師だ。
妖術をいつでも発動できるようにしているし、呪符も持ってきている。何かあっても最低限身を守ることはできるだろう。
「では、行きましょう」
提灯を持った朱里が先導し、有雲もそれに続いた。
石段を上がるにつれて違和感が生まれ、それは上がりきったところで確信に変わった。
「これは、本当に穢れが消えている……!?」
綺麗さっぱり消えた穢れを見て、有雲は後ずさる。
「あれだけ妖狐家の祓魔師を投入しても祓いきれなかった穢れなのに……」
「これで信じていただけましたか?」
「いや、しかし……」
朱里の問いに、有雲はなおも渋る。
「それなら、明日、鈴音様が実際にお掃除するところを見られてはどうでしょう」
有雲に対して朱里が提案する。
「掃除?」
「明日、鈴音様に大浴場を掃除していただくように依頼をしました」
「大浴場? 社の次に穢れと魔物が溜まっている場所ではないか」
妖狐家の大浴場には源泉から湯を引いている。
しかしその源泉は龍脈の影響を受けており、湯の流れに乗って、穢れも同時に湧き出してしまうのだ。
本来であれば露天風呂の近くにある小さな社が穢れをろ過する役目を果たしているが、以前までは本体の社から穢れが溢れ出ていたため、ろ過も効果がなく、大浴場と露天風呂には穢れと魔物が溢れ出ていた。
社と同様に、強い魔物が現れないように定期的に祓ってはいるが、無限に溢れ出す穢れを止めることはできず、長年使用が禁止になっている。
社ほどではないにしろ、十分危険な場所と言えた。
「だからこそ、です。鈴音様がどれほどのものか、わかりやすいと思いまして」
「ふむ……わかった。明日、見てみよう」
どちらにせよ、社の穢れのほとんどが祓われているのだ。
信じられなくとも、この目で確認するべきだろう、と有雲は結論づけた。
翌日、有雲は朱里に同伴して、鈴音の掃除風景を眺めていた。
そこで有雲は驚くべきものを見た。
まず、大浴場に張られていた結界をやすやすと突破していく鈴音。
魔物と穢れが万が一にも外に漏れないように、何重にも張った結界をまるで紙のように突き破り、中へと入っていった。
そこからしてすでにおかしいのだが、鈴音の異常な行動はそれだけではなかった。
大浴場は想像通り、大量の穢れが付着していた。
空気にも全体的に黒い靄がかかり、息をするだけで気分が悪くなるほどの濃さだ。
だが、鈴音が通った場所だけ、黒い靄が消える。
まるで歩く空気清浄機であるかのように穢れがなくなり、逆に逃げるようにして散っていく。
鈴音は次々と穢れを掃除しながら祓っていく。
有雲は何度も大浴場の穢れの状態を改善しようとした。
主人である九尾のため、少しでも養生してもらうと、大浴場を使えるようにしたかったからだ。
だが尽きない穢れを祓いきることはできず、主人である九尾の力の衰えもあり、取れる選択肢は現状維持しかなかった。
長年の悩みの種が、鈴音がひとたび洗剤をかけるだけで消えていく。ブラシでこすれば消えていく。
驚くべきは、鈴音の祓い方には、余計な穢れの残滓も残らない。
ここまで徹底的に、なおかつ綺麗に穢れを祓えるのは、祓魔師の中でも相当の実力者でなければ到達できない領域だ。
まさしく、一流の祓魔師顔負けの祓魔技術。
「朱里、お前が掃除を依頼した理由が分かった」
「私も予想以上の結果に驚いています」
そうこうしている内に鈴音は露天風呂を発見する。
露天風呂は穢れを運ぶ源泉がある場所なので、特段穢れの濃度が強い。
だがこれまでの鈴音から大丈夫だろう、と掃除の許可を出した。
始めは順調に穢れの掃除が進んでいたが、途中で穢れをろ過する社を見つけた。
「あ、こんなところに」
鈴音が二礼二拍手一礼を行う。
手を打った瞬間──穢れが一掃された。
その余波は露天風呂だけではなく大浴場にまで及び、穢れを根こそぎ消し去った。
有雲と朱里が唖然としていると、鈴音がふらついて……倒れる。
「鈴音様……!」
朱里が慌てて駆け出すのに続いて、有雲もその背中を置いかける。
どうやら気を失っているだけのようだった。
「なぜ突然気絶したのでしょう」
「恐らく、この大浴場と露天風呂の穢れを祓ったことで、大量の力を使ってしまったからだろう。祓魔師が霊力を使い果たした時によくある現象だ」
「では、大丈夫なのですか?」
「しばらくすればすぐに目が覚める」
有雲の言葉に朱里がほっと胸をなでおろした。
言っている間に鈴音が目を覚ます。
その後、力を使い果たしたであろう鈴音を羊羹で釣って休ませる。
鈴音を部屋まで送り届けた有雲は、廊下を歩きながら朱里に言った。
「朱里」
「はい」
「明日からも羊羹を……いや、羊羹ともう一品、あんみつをつけなさい」
「かしこまりました」
二人の意見は一致していた。
──鈴音を絶対に妖狐家に引き止め続けなければならない、と。
***
「以上が報告となります」
「にわかには信じられませんね……」
鈴音に関して報告を聞いた九尾は、冷や汗を流しながらそう呟いた。
「ですが、あなたたち二人が言っているということは、真実なのでしょうね……。ここ数日、体調が良かったのは、社の穢れが祓われていたからですか。道理で身体が軽いはずです」
九尾は自分の胸の傷を撫でる。
「それにしても、あの社に救う穢れたちを一層できるほどの力を持っているとは。無能だと思っていた彼女が、まさか宝だったわけですね。初対面のとき、少々刺々しい態度をとってしまったことを謝罪せねばなりません」
「九尾様、鈴音様を決して手放してはなりません。彼女は我らが妖狐家を救う鍵となる御方です」
「私からも、お願い申し上げます。人間は気に食わないですが、少なくとも鈴音様は他の祓魔師と比べて圧倒的な力を持っています」
「有雲だけでなく、朱里もですか。驚きですね」
朱里は人間嫌いな一面がある。
それは幼い頃から、妖が人間によって差別されていた場面を見ていたゆえの恨みで、軽々しく払拭できるものではない。
つまり、鈴音はそんな恨みなどを吹き飛ばしてしまうほどの力の持ち主だということだ。
「問題は、なぜ彼女が自分の力に無自覚か、ですね。力を隠しているのでしょうか」
九尾が顎に手を当てて呟く。
それに対して朱里が答えた。
「いえ、それはないかと。鈴音様ご本人が、自身の力に気がついていない様子でした」
「ふむ……有雲、彼女についての調査はいかがでしたか?」
「はい。現状の情報と大差無く。等級は五級、霊視の才能がなく、実家からは疎まれているという結果でした。特に記録を改ざんした形跡もございません」
「ふむ……」
「あの、私の考えなのですが」
朱里が遠慮がちに手を挙げる。
「どうぞ、好きにおっしゃってください、朱里」
「力が強すぎて、これまで魔物を認識するまえに祓ってしまっていたのではないでしょうか。鈴音様は霊視の力もありませんし」
「つまり、清宮家で社の管理をしていたときも、常識外れの力で祓っていたから、魔物が生まれる暇がなかった、と?」
「はい」
九尾と有雲は顎に手を当てる。
十分ありえる説明だった。
「あの力の源泉はなんなのでしょう。清宮家の力は妖の我々とは違い、神道系のようですが」
同じ祓魔師でも、使う祓魔の力は違う。
神道系、仏教系、密教系など、力の系統は様々なものがある。
妖が使っているのは妖の霊力と相性の良い、妖術や呪術だった。
「それは私に考えが」
有雲が手を挙げる。
「鈴音様の規格外の力には、掃除を行っている際の動作が関連しているものと思われます」
「動作? なにか特別なことでもしているのですか」
「いえ、特別なことはしていません。しかし、全ての動作が極めて丁寧で、美しいのです」
「所作が?」
「それは私も思いました。なんといいますか、普段はそうでもないのに、掃除を始めた瞬間、所作が変わるんです。まるで舞のように淀みのない動きで、それでいて厳かで……」
「そのとおり。儀式なのです。私が思うに、あれは全ての動作が神事を行っているようなもの。全ての所作に全力を込めているからこそ、何気ない動作ですら神聖さを帯び、祓魔の力を獲得しているのかもしれません」
「なるほど……」
「確かに言われてみれば、鈴音様の拝礼作法は、神道に対して知識のない私が見ても感心するほどでした」
「どちらにせよ、生半可な努力で至れる領域ではないでしょう。長年、掃除、神事に対して気を抜かずに磨き続けていたからこそ獲得できた力です」
「全ての所作に神事のように気を配っているからこそ、全ての所作に神聖さが宿る、ですか……」
九尾は少しの間考えた後、顔を上げた。
「つまり、彼女は類を見ないほど貴重な人材であるということですね?」
「おわかりいただけたようでなによりです」
有雲と朱里の二人が大きく頷く。
「なんにせよ、鈴音さんには妖狐家から報酬をお支払いしなくてはなりませんね。やれやれ、いったいどれだけの額になるのやら……。まあ、あれだけの穢れを祓っていただいたのですから、報酬を支払ったところでまだお釣りが来ますがね」
「ええ、まったくです」
「有雲、できるだけ鈴音さんが妖狐家にいたいと思うように手を回してください。手に入り難い人材、なんとしてでも獲得しなければ。高価な着物でもアクセサリーでも、なんでも与えてください」
「それが……」
「どうかしましたか? そんなに高価なものを要求されているのです?」
「いえ、要求なさったのがスイーツで」
「スイーツ」
「九尾様と同じく、なんでも望んでくださって結構ですとお伝えしたのですが、望まれたものがそれで」
「それは……なんとも欲がないですね」
九尾は顎に手を当てる。
「有雲、朱里。できるだけ質の高いスイーツを取り揃えてください。この際、妖都からでも、人界からでも構いません。金には糸目をつけず、お願いします」
「かしこまりました」
有雲と朱里が頷く。
そして二人は、鈴音が気に入りそうなスイーツを探し始めた。




