2話 社のお掃除
「ここが、異界への入口……」
鈴音は渡されたスマートフォンに表示された地図を頼りに、指定された異界へと繋がる山の前にやってきていた。
異界に繋がる門は大抵山の手前にあり、妖側が開けなければ異界へと入ることはできないようになっている。
荷物はボストンバッグ一つのみ。
中には鈴音の仕事道具……掃除用具、調薬道具が入っている。
また、鈴音の服装も変わっていた。
普段は大して鈴音の着物に金をかけない両親も、婚約するのだからと、少しでも第一印象が良くなるように、質の良い着物を着せている。
もちろん、『普段よりは』という枕詞がつくが。
「この鳥居の前にいれば、迎えがくるはずなんだけど……」
目の前にあるのは鳥居のみだ。
もう陽は傾き、夕焼けが山肌を照らしている。
しばらくこの場で待っているが、全く迎えが来る気配はない。
「このまま迎えが来なかったらどうしよう……」
鈴音が呟いたときだった。
風が吹く。
鈴音が髪を押さえた時──ちりん。
涼し気な鈴の音が耳に届いた。
「え」
鈴音が声を漏らす。
ふと気がつけば、目の前に人が立っていた。
狐耳と尻尾が生えた、着物に身を包んだ女性だ。
「刻限となりましたので、お迎えにあがりました」
女性が言う。
そして軽くあたりを見渡し、鈴音しかいないことに困惑するように首を傾げる。
「……婚約者様はいったいどこにいらっしゃるのでしょうか?」
「私です」
「……は?」
「婚約者の清宮鈴音と申します。よろしくお願い致します!」
鈴音は勢いよく挨拶する。
人は、第一印象が大事だ。
鈴音が幼い頃に亡くなった祖父も、鈴音には『挨拶だけはきっちりしろ』と何度も言い聞かせていた。
「ええと……あなただけなんですか?」
「はい、そうです!」
「…………やはり、人など信じるべきでは」
鈴音の返答を聞いた狐面の女性がボソリと呟く。
「?」
聞き取れなかった鈴音が首を傾げると、妖狐の女性は我に返ったように顔を上げた。
「これは失礼致しました。ご案内致します。どうぞこちらへ」
女性が指し示すままに着いていく。
すると鳥居を通り抜けた瞬間、景色が移り変わった。
先ほどまで夕刻であったのにも関わらず、今は暗い夜になっている。
鈴音が見上げた先には、何の変哲もない山道が、石階段が出現していた。
等間隔で並ぶ灯籠が幻想的な雰囲気を醸し出している。
石段を登りきると、目の前に見えてきたのは雅な寝殿造りの建物。
「わぁ……綺麗」
清宮家の屋敷が霞んでしまうような、荘厳で美しい建物が、鈴音の目を奪う。
玄関に差し掛かると、中からとある集団が出てきた。
一人の妖狐と、それに付いている妖だ。
その妖狐は鈴音にちらり、と視線を向けた後、興味なさげに視線を外し、歩いていく。
「こちらへ」
「あっ、すみません!」
なんとなくその姿を見ていると、案内をしている妖狐の女性がそう呼んだので、慌てて中に入る。
案内されるまま中に入ると、とある部屋へと通された。
中にいたのは九尾の妖。
顔上部を覆う狐面を身に着けた彼は、布団の上で身を起こし、外の桜を眺めていた。
九本の狐の尻尾が、ゆらゆらと揺れている。
恐らく、元気なままであれば、仮面の下には絶世の美貌があっただろう。
しかし病気でも患っているのか、今はやせ細り、頬もコケて、美貌は見る影もなかった。
狐面がなければ、鈴音は幽鬼だと見間違えていただろう。
実際、叫びだしそうになった。
「あなたが、私の婚約者ですか?」
狐の妖が言う。
少々棘のあるような声色だった。
「はい。清宮鈴音と申します。これからよろしくお願いいたします」
鈴音は頭を下げる。
それを見て、狐の妖は自嘲するような笑みを浮かべた。
「……祓魔師を要求したのに、やってきたのは一人ですか。やはり妖と人は相容れないのかもしれませんね」
「申し訳ございません。けれど、精一杯働きます」
鈴音には、彼の言葉の意味がよくわからなかった。
だが期待を裏切ってしまったのだろうと、鈴音は誠意いっぱい謝った。
鈴音のセリフを聞いて、狐の妖が目を見開く。
しかしすぐに目を伏せて、鈴音に告げた。
「……あらかじめ断っておきますが、あなたを婚約者として扱うことはできません」
「え」
鈴音は顔を上げる。
「あなたには申し訳ないと思っていますが、この婚約は祓魔師を呼ぶために結んだものなのです」
「えっと、どうしてそんなことを……?」
「人が祓魔師を送ってくれないからです。我々は何度も増援を要請したのですが」
「それは……ごめんなさい」
狐面の下からギロリと睨まれ、鈴音は素直に謝る。
人が妖側の要求をずっと無視し続けて来たのなら、その責任の一端は自分にもあるように感じたからだ。
「……どうしてあなたが謝るんですか。まあいいです。現在、妖狐家は当主の私がこんなザマですから、穢れの祓いが滞っています。そのため、あなたにはここで祓魔師としての仕事をこなしてもらいます。もちろん、仕事に対する対価はお支払いいたします」
「やります」
鈴音は即答した。
やり残した祓魔師としての仕事。
婚約者として暮らすより、祓魔師として過ごすほうがよっぽど良い。
「ですので、あなたを婚約者のように扱うのは…………今、なんと?」
「そのお仕事、お受けします!」
鈴音は胸を張って答えた。
「……婚約者として扱わなくてもいいのですか?」
「はい! 私は祓魔師として仕事がしたいんです!」
「そ、そうですか……」
興奮気味の鈴音に若干引きつつ、咳払いをする。
「わかりました。自己紹介が遅れましたが、私のことは九尾と呼んでください」
「はい。九尾様」
「では、あなたの祓魔師の等級と、これまでに祓った魔物の数を教えていただけますか? 仕事を割り振る参考にしますので」
何気なく九尾が訊ねる。
すると鈴音が冷や汗をかき始めた。
「? どうしたのですか」
首を傾げる九尾に、鈴音はとても言いづらそうに答える。
「五級祓魔師で、魔物を祓った数はゼロです……」
その後、部屋の中の空気が凍ったことは言うまでもない。
***
「ここが鈴音様のお部屋でございます」
始めに迎えに来た妖狐の女性が、鈴音の部屋を案内していた。
与えられた部屋はそこそこ豪華な和室。
清宮家で鈴音に与えられていた部屋よりも、少し広いかというくらいだ。
家具は基本的に一通り揃っている。
「気になる家具などございましたら、好きに変えてくださって結構です。また、申し訳ございませんが、人手が足りていませんので、お食事などのご用意もご自身でなさってください」
「あ、はい」
本殿の中を歩いていて鈴音も感じたが、建物の広さに比べて、使用人の数が少ない。
妖狐家の力が落ちているため、雇っている使用人の数を減らしており、鈴音に使用人をつける余裕もないのだろう。
「なにかございましたら、このわたくし、朱里にお申し付けてください」
「わかりました」
「それでは、ごゆるりと」
妖狐の女性が襖を閉める。
その少々大きな閉める音から、狐面の女性が苛立ちがにじみ出ている、と感じたのは決して間違いではない。
「そりゃそうだよね。私でも、妖狐家の地位を利用するために婚約者を送ってきたと思われても仕方ないか……」
一人になった部屋の中で、鈴音は肩を落としてため息をつく。
最後、祓魔師の等級と、魔物の討伐数を聞かれた後の沈黙が頭の中から離れない。
九尾や他の使用人たちも、鈴音の等級を聞いて深く失望した表情を浮かべていた。
頼みの綱だった祓魔師がこれだったら、怒りを覚えるのも全く無理のない話ではない。
というか、実際にそうなのだから、否定のしようがない。
そこまで考えた鈴音は……頬を叩いて気合を入れ直した。
「よしっ! こうなったからには仕方ない! 祓魔師として役に立てないなら、とにかく私にできる限りのことをしよう!」
悩んでいても仕方がない。
鈴音はとにかく行動することにした。
着物からいつもの仕事着である巫女服に着替え、掃除用具を手にすると、朱里と名乗っていた妖狐の女性を探す。
赤毛が特徴的な女性はすぐに見つかった。
「あの、すみません」
「……なにか用事ですか?」
妖狐の女性は明らかに面倒くさそうな表情で振り返る。
しかし鈴音はめげずに、その女性に対して訊ねた。
「社はどこにありますか?」
「社? なにをするつもりですか。魔物すら見えないのに」
問い返してくる朱里の声には、強い棘があった。
「せめてお掃除でもしようかと」
「はあ、そうですか」
朱里は興味なさげに返事をする。
「社は本殿の裏にありますが、あそこは…………いえ、まあいいでしょう。勝手に掃除でもなんでもなさってください」
「はい! 頑張ります!」
何かを言いかけてやめた朱里を特に気にする様子もなく、鈴音は元気よく返事をする。
そして踵を返すと、社へと足早に向かっていった。
そんな鈴音の背中を見送りながら、朱里は少し意地の悪い笑みを浮かべ、誰にも聞こえない小さな声で呟いた。
「……まあ、できるのなら、ですが」
本殿の裏に回ると、石の階段があった。
この先が社に繋がっているのだろう。
毎日裏山に通い続けていた鈴音は特に苦もなく石段を登りきり、鳥居をくぐって境内へと入る。
その時、バチンッ、という音と共に、鈴音の身体に小さく痛みが走った。
「あいたっ! なにこれ、また静電気……?」
突然感じた痛みに、涙目になった鈴音が首を傾げる。
モップと箒を持った手で反対側の腕をさすりながら、鈴音は前方に視線を送る。
「なにこれ……」
社を見渡した鈴音は呆然と呟いた。
「全然お掃除されてない!」
拝殿と本殿が繋がった権現造りの、立派な社があった。
しかし草木が生え散らかり、建物自体も長年放置されたような形跡がある。
境内にはどこか淀んだ空気が蔓延しており、四華である妖狐家が管理している社とは思えないほど荒廃していた。
鈴音はドサリ、と掃除用具が入ったバケツと、反対の手に持ったモップと箒を取り落とす。
「こ、これは……なんて掃除しがいのある社!!」
鈴音は目を輝かせて考える。
「これだけ荒れ果てた社……一体誰だけの汚れが溜まってるか……ハッ! こうしちゃいられない! すぐに掃除を始めないと!」
じゅるり、とよだれを拭った鈴音は、掃除用具を拾い直す。
「あ、その前に」
鈴音は思い出したかのように、拝殿の前に行くと……いつもしているように、丁寧な動作で二礼を行う。
「今日からお世話になります。清宮鈴音と申します。よろしくお願いいたします」
最後に一礼をして顔を上げた鈴音が、境内の空気が変わっていることに首を傾げる。
「ん? さっきよりも空気が澄んでる? ……まあ。気のせいか。よしっ! 頑張って掃除するぞー!」
特に気にすることもなく、拳を空高く突き上げた鈴音は、境内の掃除を始めた。
「はぁ、はぁ……お掃除楽しぃっ……!」
本殿の掃除を進めながら、鈴音は少々危ない笑みを浮かべていた。
少し雑巾がけするだけで、ごっそりと取れる汚れを見る度に、とてつもない快感が押し寄せる。
普段から社を掃除していた鈴音にとっては、ここまでの汚れには早々お目にかかることはできない。
低刺激の掃除ばかりだった状態から、突然強い刺激を浴びて、おかしくなりそうになっていた。
床に付着している汚れだけでは説明がつかないほど雑巾が真っ黒に染まっている気がするが、掃除に取り憑かれた鈴音は些細なことを気にしない。
「でもここまで汚れが溜まってるなら、こっちの方がいいかも」
鈴音はそう言って、あるものを取り出す。
「持ってきてよかった、ワイパー型掃除道具!」
鈴音が取り出したのは、専用シートを取り付けて床を掃除する道具だ。
「基本的に雑巾がけだけど、ここまで汚れが溜まってるなら……」
ごくり、と喉を鳴らしながら鈴音はワイパーで床を拭く。
「す、すごい……! 流石はキュッキュルワイパー!!」
しかし鈴音はそんなことには気がつかず、ただ床の汚れを掃除しているだけだと思いながら、ワイパーをかけていく。
床に染み付いていた穢れが祓われていく。
だが、そんな鈴音の行く手を阻むものが現れた。
「む、頑固な汚れ発見」
一度ワイパーで拭いても取れない頑固な黒ずみに、鈴音は頬を膨らませる。
「こういうときは、中性洗剤をかけて……」
持ってきた掃除用具の中から床材専用の中性洗剤を取り出し、黒ずみにかける。
そしてもう一度拭き取ると……綺麗に黒ずみは消えていた。
拭き取ったワイパーの裏を見て、真っ黒な汚れが付着していることに、鈴音はニンマリと笑みを浮かべる。
「さすがキヨマロクリーナー! こういう黒ずみも一発!」
鈴音はそのままワイパーをかけ続ける。
そうして本殿と拝殿の掃除を終えた鈴音は、満足げに頷いた。
「よし、綺麗になった!」
荒廃していた社の中は、比べ物にならないほど清潔になっていた。
「これで少しは穢れを祓えたかな……」
穢れどころか、魔物を大量に祓っていた事実を鈴音は知らない。
「もう陽も傾いてきちゃったし、今日はここらへんでやめておこう」
実を言うともっと掃除をしたかったが、今日は越してきて初日。
張り切りすぎて体調を崩すより、八分目程度に抑えて明日もまた頑張ろう、と鈴音は考えた。
最後に、鈴音は拝殿にて報告をする。
「本日のお勤め、終了いたしました」
柏手。
乾いた音の中に、鈴の音のような高い音が交じり、響き渡る。
「明日もまた来て、今日できなかったところを掃除しますね!」
そう言って鈴音は石段を降りていく。
少し前まで荒廃していた境内の中に、清らかな一陣の風が吹いていた。




