15話 継承の儀式
九尾が翠に訊ねる。
「なぜ、このようなことをしたのですか?」
「うるさい、黙れ!」
翠は怒りに満ちた表情で九尾を睨みつける。
「その様子だと、龍穴と龍脈を乗っ取ることには失敗した様子ですね」
「っ……!」
翠の瞳の中に燃える怒りが更に強く燃え盛る。
九尾はその視線を受けながらも、翠を冷静に観察していた。
「その神事のための催事服。そして手に持っている催事の道具……私から龍脈と龍穴の所有権を奪うつもりだったようですね」
九尾の言葉に対して、鈴音が質問をした。
「あの、九尾様。龍脈と龍穴の所有権を奪うなんて、そんなことできるんですか?」
「社を管理するときと一緒ですよ。正規の手続きを踏んで、儀式を行えば龍脈と龍穴の所有権を移譲することができます。所有権を移譲できなければ、龍脈と龍穴の管理が行えなくて大変なことになるでしょう?」
「あ、確かにそうですね」
九尾の説明に納得したように頷く鈴音。
「そして龍脈と龍穴を奪うということはつまり……私から妖狐家の当主の座を奪うことができます」
九尾は厳しい顔で、翠に向き直った。
「私が妖狐家から離れている間に、継承の儀式を行おうという算段でしたか。確かに、それは二時間もあれば継承の儀式は済ませることができますからね。清宮家で穢れを放ったのも、足止めしようとしてきたのも、それが目的だったのですか」
「だったら、なんだって言うんだ」
翠は悪びれる様子もなく答える。
「そんなことのために礼子があんなに追い詰められるだなんて……」
鈴音が怒りを込めて、翠を睨む。
翠は九尾を指さすと、糾弾するようように問い詰めた。
「なぜだ! どうして龍脈と龍穴を僕のものにできない! 儀式は伝承の通りに完璧にやった。それなのになぜ、僕が龍脈と龍穴を手に入れることができていない!」
「それは、あなたが儀式を完璧にできてないからです」
「そんなはずはない! 僕が見た儀式の手順は、お前の屋敷に保管されていた文書に記録されていたものだ! 何度も何度も念入りに真実かどうか調べ上げた。あれに書かれている内容が嘘であるはずがない!」
「驚ききました。あれは厳重に保管していたのですが……以前から盗み見ていたというわけですね」
「さっさと答えろ!」
「ええ、確かにあなたの言う通り、あの文書は本物です。記されている儀式の手順はすべて真実ですよ」
「っ、ならなぜ僕の手に入らない」
「それはもちろん、儀式の手順がそれだけではないからです。口伝でしか伝えることのできない、最後の儀式の手順があるのですよ」
「な、なんだと……」
翠が愕然とした表情で呟く。
「現当主が、次期当主をその地位に相応しいと認めた時にはじめて伝えられる口伝の儀式。それは歴代の当主にしか伝わっていません。ですからあなたがどれだけ継承の儀式を行ったところで龍脈と龍穴を手に入れることはできませんよ」
九尾の言葉を聞いて、翠が激しく拳を握りしめた。
「……なんだよ、それ。口伝なんて、ほのめかしたことすらないじゃないか」
「口伝の儀式はあなたのような者から龍脈と龍穴を守るためのものです。日本を守る大切な龍脈と龍穴に、これくらいのセキュリティがあるのは当然でしょう」
「ふざけるな……こんな話があってたまるか!!」
翠が怒声を上げる。
そんな翠を冷ややかに見下ろした九尾は、冷たい声で訊ねる。
「それで、もう一度訊ねます。私から当主の座を奪って何をするつもりだったのです」
「何をするつもり? なにをズレたことを言っている。当主の座は僕のほうが相応しい。だから龍脈と龍穴を手に入れたようとしたんだ。それ以上でも、それ以下でもない」
すでに自棄になっているのか、翠が動機を隠さずに告げる。
「お前なんかより、僕の方がずっと妖狐家の当主に相応しい。なのに、なぜかお前の方が当主に選ばれた。僕よりも早く生まれたからという理由でだ! お前が魔物から傷を受けて寝込むようになってから、僕はずっと妖狐家の当主代理として働いてきた。妖都の妖たちも僕のことを妖狐家の当主として認識するようになってきたのに……クソっ! お前のせいでまた全てが振り出しに戻った!」
翠は鈴音を睨みつける。
その尋常ではない感情が渦巻く視線を受けて、鈴音が後退りした。
「お前が兄上の穢れなど祓わなければ、僕はずっと妖狐家の当主としていられたんだ! 全部、ぜんぶお前のせいだ!」
「だから、清宮の社に木箱を置いたのですか」
「ああ、そうだ。そいつのせいで僕の計画が狂ったからね。ちょっとした意趣返しってやつさ。調べてみれば兄上は相当その女を大事にしていたようだし、その実家で穢れが大量に発生すれば助けに行かざるを得ないだろ?」
翠は悪辣な笑みを浮かべる。
「そんなことをしてまで、どうして当主としての地位を求めるんです」
「なぜ、かって……?」
翠の口から乾いた笑い声が漏れた。
「ああ、兄上には分からないだろうさ。分家に生まれた僕が、これまでどんなふうに育てられたかなんてね! どうして当主の地位に拘る、だって? 当主じゃなきゃ意味がないんだよ! 当主になれと言われて育てられた僕は、当主になれないなら何の価値もないんだ! 最初から才能があって、何もかもを手に入れたお前には、絶対に理解できない!」
翠の叫びを、九尾は黙って聞いていた。
そして反芻するように数秒間沈黙した後、重い声色で語りだす。
「……確かにそうかもしれませんね。ですが──」
「それは違います」
鈴音が翠の言葉を遮った。
「……何だって?」
「あなたはまるで、九尾様が頑張ってきていないかのように言いますが、それは違うって言ったんです」
鈴音は九尾の前に出ると、翠の目を睨み返して言う。
「あなたもずっと頑張ってきたのかもしれない。けど九尾様は龍脈と龍穴を守るために、ずっと自分を犠牲にしてきました。自分の傷を治療するのを後回しにして、祓魔師を雇うお金に当てたりしてたんです。それでどれだけ九尾様が苦しんできたか、あなたはわかるでしょ?」
「な、なにを……」
動揺した翠が後ずさる。
「それに、龍脈と龍穴を守るのだって楽なんかじゃありません。龍脈のズレを直すのはとても辛そうだったし、他の社よりも多く集まる穢れを引き受け続けなきゃいけない。本当に九尾様が最初から全てを手に入れてたって思ってるんですか?」
「……うるさい。うるさい黙れ!」
翠はそれ以上は聞きたくないとばかりに、鈴音の言葉に被せるように叫ぶ。
九尾が再度、鈴音を守るように前へ出た。
「あなたの言いたいことはわかりました。それでここから先はどうするつもりですか? 口伝を知らない以上、あなたは当主にはなれませんが」
「いいや、なれる」
翠は護符を取り出した。
「お前は口伝の儀式を知っているんだろ? なら、この場でお前に勝って強制的に本当の継承の儀式の方法を吐かせればいい。それで僕は妖狐家の当主になれる」
「そうですか。あなたがそれを望むなら、そうしましょう」
九尾が炎を展開する。
「鈴音さん。下がっていてください。少し激しい戦いになるかもしれません」
「わかりました。……気をつけてくださいね」
九尾は無言で頷く。
そうして、戦いが始まった。
***
「翠、本家のものに負けてはなりませんよ。あなたは妖狐家の当主となるものなのですから」
この言葉を何度聞いたか分からない。
物心ついたときから、翠は両親や家のものから繰り返し聞かされ続けた言葉だ。
両親は妖狐家の分家だったが、本家に対して強い劣等感を持っていた。
本家と違い、一度も当主を輩出したことがないからだ。
加えて、他の妖から本家と比較され嘲笑されていたため、本家は憎悪の対象だった。
その憎悪は両親のとある悲願へと繋がった。
それは自分を妖狐家の当主にすること。
そのために、両親は自分にたいして非常に厳しい教育を行った。
毎日勉学や妖術についての教育が施され、少しでも失敗したり目標に到達しなければ、激しい折檻が行われた。
そして繰り返し「本家には勝たなければならない」と刷り込み続けた。
しかし、本家にいる『兄上』は、類まれなる才能を持ち合わせていた。
優れた妖術の才覚。勉学も何もかも、翠が努力しても届かない一段上にいた。
そこに本家の血筋として膨大な霊力も加わり、翠にはひとつも勝てる要素がなかった。
『兄上』は凡人の努力では到達できない場所にいたのだ。
翠は決して能力が不足していたわけではない。
誰よりも努力し、鍛錬を重ねていた。
けれど、どこまでいっても翠は凡人だった。
だが、両親の教育の手は緩められなかった。
そうしてどれだけ折檻されても目標には手が届かず、努力が報われない毎日を送り続けた翠の性格はねじれてしまった。
翠、という名前も本家にいる、あの兄の対になるようにつけられたらしい。
妖にとって、名前というのは魂と深く結びついていると考えられている。
だから妖の家の当主は、呪いにかけられることを防ぐため、本来の名前ではなく『九尾』という二つ名を使う。
翠という名前は、川のせせらぎのような透明で清らかな精神で、妖狐家の当主に最も相応しい人物であるようにと考えられ、つけられた。
実際は真逆だった。
激しい折檻と圧力により、心は沼のように濁っていた。
はじめのうちは、翠も九尾を尊敬していいた。
だがどれだけ努力しても届かない事実に、翠の心には徐々に澱が溜まり、最後には九尾に対して憎悪を抱くようになっていた。
***
境内で九尾と翠が向かい合う。
九尾が護符を構えている翠に対して、世間話でもするように問いかけた。
「そういえば、あなたとは一度も戦ったことがありませんでしたね」
「そうだな。今日、ようやくどちらが優れていたのかがはっきりする」
「あなたが私に勝てると思っているのですか」
「ああ、勝てるさ。そのためにずっと僕は努力をしてきたんだからな!」
翠が護符を使用する。
すると護符から水が生まれ、それが狼、鳥を象った。
「あの黒ずくめの集団に持たせていた護符はあなたが用意したものでしたか」
「ええ。足止めは側近に任せてきたのでしょう? 今頃どうなっているでしょうね」
「それはわかりませんよ。私の側近は雷の護符を持っていますからね」
翠が舌打ちする。
「どうしました。来ないのですか? であれば、こちらからしかけさせてもらいますが」
九尾が炎の弓を出現させて、矢をつがえる。
炎の矢が、翠へ向けて放たれた。
「舐めるな!」
翠が水の式神を使用してその矢を防ぐ。
鳥と炎の矢が空中で衝突し、水蒸気が生まれた。
「僕が、どれだけお前の対策を練ってきたと思う。それくらいの攻撃、すでに僕には効かないんだよ」
翠が消えた式神を、護符を取り出して補充する。
「景気の良い護符の使い方ですね。そんな事をすれば、遠からず枯渇しますよ」
「今日、この日のためにずっと準備はしてきた。枯渇の心配は必要ないさ」
「ならば、遠慮なく行かせてもらいます」
九尾が炎の矢を生み出す。
その矢を弓につがえると同時に、矢が増えて、三本、九本と増えた。
矢が放たれる。
それらは水の式神を追尾するように飛んでいく。
「梟、盾となれ!!」
翠がそう命令を出すと、梟型の式神が前で似て、円形状の盾に変形した。
炎の矢が全て水の盾に衝突し、焼失する。
「お前達、反撃しろ!」
翠が叫ぶと、式神たちの内の三体が九尾へと襲いかかる。
九尾は炎の壁を作り出して式神を防ごうとするが、そのうちの一体である狼の式神が炎の壁を突破し、九尾へと迫った。
「! これは……!」
九尾は落ち着いて炎の刀を作り出し、狼の式神を切り払った。
かろうじて攻撃を防いだ九尾に対して、翠が口の端を吊り上げる。
「ははっ、どうだ。僕の攻撃は水、対してお前の使う属性は炎。どれだけお前が頑張ろうが、属性の相性は変えられない! 僕の方が圧倒的に有利なんだよ!」
そして、翠が懐から何かを取り出した。
「穢れを封じ込めた木箱……!」
鈴音が、翠の持っている木箱を見て叫ぶ。
「本当は僕だけの力で仕留めたかったが……舐めてかかれる相手じゃないことは重々承知なんでね」
翠が木箱の蓋を外して放り投げる。
すると木箱から穢れが漏れ出てきた。
みるみる内に境内の中に黒い瘴気が充満していく。
「この木箱の中には今までで最も多くの汚れを溜めこんである。僕がこれまで集めてきた穢れの中でも、選りすぐりのものばかりだ」
広がっていく瘴気を見届けながら、翠が喉を鳴らす。
「なるほど。私が弱っているあいだ、自ら穢れを祓いに向かっていたのはそれを集めるためですか」
「そうだとも。あんたが無警戒に僕を向かわせてくれるおかげで、強い駒がたくさん集まったよ」
翠の言う通り、木箱の中から溢れ出る穢れは、これまでに比べても濃かった。
「汚れがどんどん広がっていく……」
魔物が見えない鈴音も、どす黒い汚れに対して警戒するように身を固める。
さらに次々と強力な魔物が現れ、九尾を敵として認識する。
「こいつらは僕の手足となり動くように呪術をかけてある」
「一級の魔物が三体ですか……少々、骨が折れますね」
「その女を守りながら、どれだけ持ちこたえることができるかな?」
その言葉が戦いの再会の合図となった。
魔物と穢れが一斉に九尾と鈴音めがけて襲いかかる。
「わわっ、汚れがどんどんこっちに寄ってくる……!」
「涼音さん、私から離れないでください。少し本気を出します」
九尾が印を結ぶ。
すると空中に炎の槍が五本現れた。
並の祓魔師一人分の霊力が込められたその槍が、五本同時に一級の魔物へと殺到する。
炎の槍が五本突き刺さり、爆発。
「まずは一体」
九尾は息をつく暇もなく、炎の矢をつがえる。
その炎の弓の弦を引き絞る度に、炎の矢に霊力が注ぎ込まれ、矢自体が巨大になり、嵐のように炎が吹き荒れる。
弦を張る力が限界に達した時、矢が放たれる。
炎の矢は一条の光線となり、一級の魔物を貫いて、空へと駆け上る。
またたく間に、二体の一級の魔物が屠られる。
涼音が感嘆の声を漏らそうとしたその時。
「お前たち、やれ!」
翠の声が響く。
水の式神が一斉に九尾へと襲いかかった。
九尾は炎の壁で防がず、炎球を生み出して一つずつ撃ち落としていく。
しかし属性の相性のせいか、魔物と比べてその速度は格段に襲い。
ついに式神の一体である、水の鷹が、その爪で九尾の腕に傷をつけた。
「九尾様……!」
「はっ、ようやく僕の攻撃が届いたな」
翠がまた護符を使い、水の式神を生み出す。
「いくらお前が強かろうとも、属性の相性自体は変えようがない。僕はこのまま式神を使って攻撃するだけで勝てる」
「……」
九尾は翠の言葉には返さず、背後からやってきていた魔物を炎で消し飛ばす。
そこで鈴音は自分が九尾の負担になっていることに気がついた。
(このままじゃダメだ。九尾様の負担を少しでも減らさないと……!)
「九尾様、周囲の魔物と穢れは私に任せてください!」
「しかしそれは……」
「大丈夫です! こんなときのために洗剤を持ってきましたから! 九尾様はあのひとに集中してください!」
鈴音が懐から取り出した洗剤を見せる。
少しの間逡巡した九尾は、
「わかりました。後は頼みます」
と頷き、鈴音に魔物の対処を任せた。
「九尾様、一級の魔物はどちらにいますか」
「あちらです。気をつけてください」
「はい!」
「あとこちらを」
そう言って九尾が護符を渡してくる。
「これは?」
「魔物のシルエットが見えるようになる護符です。一時的ですが、無いよりはマシでしょう」
「ありがとうございます!」
鈴音が九尾から離れて、一級の魔物がいる方へと向かっていく。
翠が九尾に対して嘲笑するように言う。
「意外だね。婚約者を見捨てるんだ?」
「いいえ、違います。信じて送り出したんですよ」
「まだお前にくっついてたら生き残る道もあっただろうに……どうなっても知らないよ」
翠はそう言って、護符を構えた。




