14話 黒幕の正体
そして鈴音と礼子たちは裏山の社がある場所へと上がってきた。
「さらに穢れが増えてる……」
結界の中を見た礼子が、呆然とした声を漏らす。
裏山の社の中には、大量の穢れが発生していた。
張った結界の中から、今にも穢れが溢れ出そうなほどだ。
生まれている魔物も低級なものばかりだが、明らかに自分が祓える限界量を超えている、と礼子は思った。
「す、すごい量の汚れ……! なんて掃除しがいのありそうな……!」
「……」
礼子は自分の隣に立つ、危ない笑みを浮かべた姉を見て、「本当に大丈夫なんだろうか?」と自問自答した。
九尾の提案により鈴音と二人で穢れを払うことになったが、礼子は漠然とした不安を抱えていた。
どうやら話を聞くところによると、自分の姉には祓魔の能力があるようだが、礼子は鈴音が霊視の能力がないことを知っている。
祓魔師として、霊視の能力がないのはかなり大きな欠点だ。
手に持っている掃除用具の類が、さらに不安を加速させてくる。
その礼子の背後には達夫と千鶴がいた。
両名とも山を登ってきたせいで息を切らしている。
「まったく、どうして私もついてこなければならないのか……」
達夫が小さく不満を漏らす。
それは本来なら誰にも聞こえないほど小さな声だったが、九尾の耳はその声を的確に拾っていた。
「おや、それはおかしいですね。この社の管理は清宮家当主であるあなたにあるはずですが。まさか、義務を放棄されるということでしょうか。そうおっしゃるなら、私も対応を考えなければなりませんが」
「は、はは。もちろんそのとおりです。見させてもらいますよ」
達夫は九尾の言葉を聞いて慌てて愛想笑いを浮かべる。
そんな光景を礼子が眺めていると、隣にいた鈴音が両頬を叩いた。
「よし、じゃあはじめよっか! 礼子はずっと祓ってきたから疲れてるよね? あとは全部私に任せていいからね」
「え、でもそんな……」
「いいのいいの」
鈴音が結界に向かって歩いていく。
「あっ、待ってお姉ちゃん! 結界に入口を作らないと私たちも入れな──」
礼子は止めようとしたが。
鈴音が結界を破って入っていった。
「え……?」
目の前の光景に、礼子と、両親の達夫と千鶴が驚きの声が重なった。
そのまま掃除用具を持って進んでいく鈴音を、呆然と三人は見送る。
真っ先に我に返ったのは礼子だった。
「ちょっ、お姉ちゃん! そこは魔物がたくさんいて──!」
そう言っている間に、一匹の魔物が鈴音に迫る。
鈴音は霊視の能力がないため、真正面から近づいてくる魔物に気がついてない。
等級は低そうだが、無防備なところに攻撃されれば大怪我を負う可能性がある。
「お姉ちゃん、危ない!」
「え?」
鈴音が振り返る。
魔物が鈴音の真正面から外れ、死角から首筋を狙って襲いかかる。
礼子は懐から護符を取り出して助けに結界の中に入ろうとした。
しかし。
──鈴音に触れた魔物が弾けて消滅した。
「いたっ! チクッときたんだけど!」
鈴音は首筋を押さえて、魔物が消滅した方向を見る。
「え」
礼子も、達夫も千鶴もその光景を見て唖然とする。
三人とも、目の前の光景が信じられなかった。
「な、なんだ今のは……」
達夫が呆然と呟いた。
「ねえ、あなた。魔物が消滅したように見えたけれど……」
千鶴が達夫の腕を持ち、言う。
礼子にも全く同じように見えた。
一体なにが起こっているのか分からない。
「は、はは……きっと何かの見間違いだ。鈴音が魔物を祓えるわけがない。きっと私たちが魔物と何かを見間違えたんだろう」
「そ、そうね。そうに違いないわ」
達夫と千鶴はそう言って笑い合う。
しかし礼子だけは、今の光景が見間違いなどではないことを理解していた。
「まさか、お姉ちゃんは本当に……」
そんな礼子たちの状況など知る由もなく、鈴音は境内を進んでいき、拝殿の前に立った。
「お久しぶりです。今からお掃除しますね」
普段からそうしているように、鈴音が自然な動作で拝礼を行う。
すると──柏手が響き渡ると同時に、境内の穢れが一斉に祓われた。
「な──」
今度は見間違いでは済まされない光景を目の当たりにした達夫と千鶴が、呆けたように固まる。
「な、なんだこれは……! どういうことだ!」
「どうして穢れが消えているの!?」
達夫と千鶴が、耐えきれなくなったように叫ぶ。
「なにこれ、すごい……」
礼子は穢れが一掃された境内を見て、感嘆の声を漏らした。
姉にこんな力があるだなんて信じられなかった。
丁寧な所作で拝礼を終えた鈴音は振り返り、「あっ」と声を上げた。
「しまった、いつもの癖でやっちゃった! せっかく楽しもうと思ってたのに!」
自分の柏手で消えてしまった境内の汚れに対して、鈴音は涙目になって叫ぶ。
「これが鈴音さんの本当の力ですよ」
九尾が達夫と千鶴へと向けて言う。
「貴方がたが無能と罵り、落ちこぼれだと虐げ続けた鈴音さんの本来の力です」
「バカな……そんな、バカな! あり得ない! これが鈴音の力だと!」
達夫が身体を震わせて、叫ぶ。
「目の前の光景を見てもまだ信じないと言うつもりですか」
「あり得ない! 鈴音は清宮家の落ちこぼれのはずだ!!」
頑なに鈴音のことを認めようとしない達夫と千鶴に、九尾が呆れたようにため息をつく。
そんな二人を放っておいて、礼子は九尾に鈴音について訊ねた。
「な、なんでお姉ちゃんがあんな力を持っているんですか? 神道のお祓いは昔から失敗ばかりで、祓魔師としての試験でも全然能力を発動できなかったのに」
「見てください、あの所作を」
九尾が指し示すように見てみると、鈴音が境内の掃除を始めていた。
穢れを箒で掃いていく様は、普通に掃除をしているように見えるのに、なぜか目を惹きつけられる。
そして一度箒で掃くたびに、穢れが消えていく。
鈴音が掃除で穢れを祓っているのだという、これ以上無い
「とても丁寧でしょう? 掃除も、拝礼も、全てを真心を込めて、ひとつひとつ丁寧に行っているのです。その結果、鈴音さんの動き全てが神事に近い神聖さを持っているのです。その力は今見てもらった通りです」
礼子はごくり、と喉を鳴らした。
ただの拝礼で、境内の中にある魔物をほとんど祓ってしまった。
同年代の中では比較的優秀な自分でも、同じ真似はできないと断言できる。
普段は社の管理があったせいで、姉の掃除する姿を見たことはなかった。
「じゃあ、ずっと裏山の社に魔物も穢れもいなかったのは……」
「ええ、本人が知らない間に全ての穢れを祓っていたからです」
「……そっか、そうなんですね」
礼子は九尾の言葉を聞いて、目尻に涙を浮かべた。
落ちこぼれだと揶揄され、両親からは疎まれていた姉は、本当は凄かったのだ。
「こ、これはきっと何かの間違いだ!」
その時、同じ光景を見ていたにも関わらず、達夫が叫んだ。
九尾が首を傾げる。
「なにかの間違い、とは?」
「あなたがなにか手を貸しているのでしょう? でなければ、鈴音がこのような芸当ができるはずがない!」
「そ、そうよ! これはなにかの間違いに違いないわ! だって……だって鈴音が、あんな力を持っているはずがないもの!」
千鶴が追随するように、鈴音を貶める。
「……」
目の前の光景を見てもなお頑なに鈴音を認めない二人に、九尾が深く、深くため息をついた。
礼子には、その目がなにかに見切りをつけるように感じた。
「目の前の光景を見て、まだ信じる事ができませんか? あなた達が軽んじてきた鈴音さんが、五級祓魔師などよりも優れた祓魔能力を持っているということに」
「ぐ、それは……」
達夫と千鶴が悔しげに顔を歪める。
「まあいいでしょう。どうせ貴方たちにこの先はありませんし」
「……え? そ、それはどういうことですか?」
「有雲、携帯を」
九尾が短く言うと、有雲がスマートフォンを取り出す。
そしてとある場所に向かって電話をかけた。
「ああ、新田さんですか。ええ、私です。九尾です。今から清宮家の当主から管理件を剥奪し、一時的に私の預かりにしてください。四華の権力を使えばそれくらい造作もないでしょう。ええ、それではお願いします」
九尾は通話終了ボタンを押す。
「な、なにを……」
困惑している達夫に向けて、九尾が言った。
「四華としての地位を利用して、貴方がたから祓魔師としての資格、そして社の管理権を剥奪するよう、祓魔院に働きかけました。今からあなたは清宮家の当主ではなくなります」
「ちょ、ちょっと待ってください! なぜですか!」
「それはもちろん、貴方がたが祓魔師としてあるまじきことをしているからです。社の管理者でありながら、ここまで穢れが溜まるまで放置したこと。当主でありながら長年、社の管理すらしていなかったことも考えれば、当然の結果です」
「ここまでついてくれば、家を存続させるとおっしゃったではないですか!」
達夫が九尾にすがりつく。
「ええ、家は残しますよ。ですが、あなた達にはご退場願います。清宮家は、これまでたくさん努力をなさってきた礼子さんに継いでいただきます。これで約束は破っていないでしょう?」
ニコリと笑った九尾は、一転して冷えた視線を達夫へと送る。
「それに、言ったはずです。次に私の婚約者を侮辱すれば容赦しないと。貴方がたは鈴音さんを貶しすぎました」
「そ、そんな……」
九尾の目を見て、取り付く島がないことを悟った達夫が、その場に力なく崩れ落ちる。
千鶴もショックを受けているのか、青ざめたまま言葉を発しない。
礼子はそんな両親を見て……少し胸のすく思いだった。
「ということで、あとはどこか静かな場所でご隠居なさってください。ご安心を、場所は私が選定して──」
九尾が話している最中、境内から焦ったような声が聞こえた。
「わわっ、なにこれ! 汚れが増えてく……!」
九尾は結界の方を見て、目を見開いた。
「な、これは……」
「また穢れが増えてる……!?」
礼子が叫ぶ。
結界の中に、祓ったはずの穢れがまた生まれていた。
どこからともなく黒い靄が現れ、結界の中を満たしていく。
自然発生するには明らかにおかしな量の穢れ。
明らかに異常事態だった。
だが、九尾たちはそのようなアクシデントにも至って冷静だった。
「九尾様」
護符を取り出した有雲が前に出る。
「ええ、我々も中に入りましょう。礼子さん、申し訳ありませんが、結界の入口を作ってください」
「は、はい!」
礼子が言われるがままに結界に穴を空ける。
そこから中へと入った九尾と有雲は、手慣れた様子で穢れと魔物を祓っていく。
九尾は炎の式神を作り出して魔物たちを焼き、率先して今まさに大きくなろうとしている魔物たちを祓っていく。
護符の電撃で魔物を焼き払いながら、有雲が報告した。
「数は多いですが、強力な魔物はいないようです。周囲にも特に強い気配はありません」
「そのようですね。ですが油断はせずに祓いましょう」
「かしこまりました」
「私も頑張ります!」
鈴音も持ってきた洗剤を使い、周囲の穢れや魔物を祓っていく。
その姿を見た礼子は、結界の中へと飛び込んだ。
「私だって……!」
礼子は大幣を使い、穢れと魔物を浄化する。
お祓いをするときのように大幣を振ると、礼子の周囲に神聖な空間が出現し、穢れが祓われる。
もう片方の腕で神楽鈴を鳴らすと、礼子を襲おうと近づいてきた魔物が壁に阻まれたように跳ね返る。
そこを大幣で追撃をかけ、祓った。
その様子を見ていた九尾が、興味深げに頷いた。
「ふむ、中々腕がありますね」
「当たり前ですよ! 礼子は十五歳で三級祓魔師になったんですから!」
鈴音が自慢げに胸を張る。
そうして四人で祓ったことにより、十数分で周囲の敵が一層された。
穢れも魔物も消えていることを確認した鈴音たちは、それぞれ集まる。
「二人とも、大丈夫でしたか?」
鈴音は九尾と有雲に訊ねる。
「ええ、私は特に。弱い魔物しかいませんでしたから」
「こちらも特には」
九尾と有雲が怪我がないことを伝えると鈴音はほっ、と安堵の息を吐いた。
「お姉ちゃんは大丈夫だった?」
すると同じく三人の元にやってきた礼子が心配そうな顔で訊ねる。
「うん、私は大丈夫だよ。ちょっと眠たくなってきたけどね……ふあ」
鈴音が大きくあくびをする。
それを受けて、一気にその場の緊張した雰囲気が緩んだ。
「力を使いすぎたのでしょう。最初の柏手で、大量の魔物と穢れを祓いましたから」
九尾が苦笑しながら補足する。
確かに穢れが大量に湧いていた大浴場で拝礼をしたときも同じく眠気が襲ってきたことを鈴音は思い出す。
「なるほど、やっぱり体力を使うんですね。私の力」
「九尾様、少々よろしいでしょうか」
「朱里、どうかしましたか?」
「この穢れの湧き方、少し似ていませんか?」
「……ええ、確かにそのとおりですね」
九尾が目を細めて頷いた。
「似ているって、なにがですか?」
礼子が首を傾げた。
「そう言えば、礼子さんは妖狐家で起こったことについて知りませんでしたね」
九尾がそう言って事情を説明する。
以前、妖狐家の社でも同じように穢れが大量に発生し、誰かが呪術の木箱を仕掛けていたことを聞いた礼子は、青ざめて口元を押さえた。
「そんなことが……」
「以前、我々の社にも同じように穢れが現れたのですが、その時の穢れの出現の仕方がよく似ているんです」
「そんなことが……」
「例の木箱が落ちている可能性が高いですね。礼子さん、今はあなたが社の管理者でしたよね? 境内の中になにか異物を感じませんか?」
「言われてみれば……なにかあるような」
礼子が目を閉じて、そう呟く。
今、この裏山の社と感覚を同期している礼子には、九尾と同じく、社の中の異物を感じ取る能力が備わっていた。
「かすかにですが、なんというかこう、気持ちの悪いものがある気がします」
その言葉に、鈴音たちは顔を見合わせ、頷いた。
「一度、境内を捜索しましょう」
その九尾の一声で、鈴音たちは境内の捜索を始めた。
夜の境内には明かりがなく、捜索には時間がかかった。
「あっ、なにかありました!」
礼子が声を上げる。
鈴音たちが駆け寄ると、そこには見覚えのある木箱が、隠されるように置いてあった。
「これは……まさしくあの木箱ですね。朱里、布をください」
九尾が朱里から受け取った布で、直接触れないように木箱を持ち上げる。
「うっ……なんて気持ちの悪い瘴気……」
礼子が口元を抑える。
「あまり吸い込まないでください。これは穢れを凝縮したものです。吸い込むだけで体調が悪くなります。……ふむ、やはりこの木箱を使って穢れを解放したようですね」
「これが境内に穢れが発生していた理由ですか?」
「そのようです。この木箱自体に、穢れを誘導する術がかけられています。穢れがより多く発生していたのも、これが原因でしょう」
「我々の時と同じ犯人でしょうか」
「ほぼ確実にそうでしょうね。同じ手口で穢れを仕掛ける人間は、そうそういないでしょう」
朱里の言葉に九尾がそう返す。
礼子が木箱を見ながら、気持ち悪そうに呟いた。
「こんなものいつの間に……」
「普段、ここは神社として誰でも参拝できるのでしょう? 置いておく暇なんていくらでもあったと思いますよ」
「確かにそうですね。……お姉ちゃん、なんでそんなに離れてるの?」
礼子が不自然に木箱から距離を取る鈴音に怪訝な目を向ける。
「……前にね、私が触ったら全部浄化しちゃったの。だから今回は証拠を逃さないように、できるだけ近づかないようにしてるんだよ」
鈴音が遠い目で答える。
「ともかく、これで犯人を探すことができますね。ここまではっきりと呪術を使った痕跡があれば、彼に特定を頼むことができるでしょう」
有雲の言葉に九尾が頷く。
「ええ、そうですね。……それにしても、妙ですね」
「妙、とは一体どういうことですか、九尾様?」
朱里が訊ねる。
「どうしてこの木箱が清宮家の境内に置かれていたのか、ということです。犯人の目
的がわかりません」
「確かに言われてみれば……妖狐家と違ってうちは特にすごい家系でもないですし……」
「犯人が同一人物であることは間違いないでしょう。となると、清宮家を狙った理由は妖狐家と繋がりがあるからでしょうか」
有雲が九尾に訊ねる。
「そう考えるのが自然ですが、どうしてわざわざ自分が特定されるような方法を選んだのかが引っかかります。私を標的にしているのなら、この程度の穢れを祓えないと思っているわけがないでしょうし。どうも誘導されているみたいで、ひっかかりますね……」
九尾が顎に手を当てて思案する。
「…………あっ!」
そのとき、それまで離れた場所で考えていた鈴音が声を上げた。
「鈴音さん、どうかしましたか」
「私、分かったかもしれません! どうして清宮家に木箱が置かれていたのか」
「それは本当ですか?」
「はい……でも、今すぐに移動しないと!」
「移動するって、どこにですか?」
「妖狐家の屋敷です!」
「ちょっと待ってください。どういうことですか?」
慌てている鈴音に対して、落ち着かせるような口調で九尾が訊ねる。
鈴音は一秒でも惜しむようにその場で駆け足をしながら、九尾に説明する。
「この木箱はたぶん時間稼ぎなんです。これを仕掛けた犯人は、妖狐家の屋敷で時間を稼いで何かをしようとしてるんですよ!」
「!」
九尾たちが目を見開く。
鈴音がそんな九尾に対して訊ねる。
「九尾様、心当たりはありませんか。時間を稼ぎをしなければならないようなことについて」
「……あります」
九尾が出し抜かれたことを後悔するように、難く拳を握りしめて言った。
「恐らく犯人は我々を妖狐家の社から遠ざけて、儀式をするつもりなんでしょう」
「儀式、ですか? それは一体なんの儀式なんです?」
「龍穴と龍脈を管理する社の継承……つまりは、妖狐家の当主の座の強奪です」
その言葉を聞いた鈴音と礼子の目が見開かれる。
「そ、それってまずいじゃないですか!」
「今、妖狐家の社には誰もいません。継承の儀式を始めたところで、誰も止める人間も、気がつく人間もいないでしょう。社を奪おうとする人間などこれまでいませんでしたから、ぬかりました」
有雲が悔しそうな顔で呟く。
「儀式はどれくらいで終わるんですか?」
「今から全速力で帰って、間に合うかどうかです」
「そ、それって全然余裕がないってことじゃないですか!」
「ともかく、一刻も早く妖狐家の社へ行きましょう」
鈴音と九尾たちは一気に山を下る。
そして停めてあった車に乗り込もうとした。
しかしその車には異変が現れていた。
「これは……車のタイヤが全てパンクさせられています!」
朱里がタイヤを見て言う。
「この状態では車を走らせることはできませんね」
「どど、どうしましょう! 一刻を争う事態なんですよね!?」
鈴音が慌てたように九尾を見る。
しかし九尾は至って冷静に車を観察し、次の一手を決めた。
「どうやら我々が目を離した隙に細工をしたようです。ここまで計画済みですか。それなら私はひとりで妖狐家の屋敷に帰ることにしましょう」
「え、帰るってどうやって……」
「空を飛んでいきます」
「そんなことができるんですか!?」
「腐っても妖狐家の当主ですからね。これくらいの妖術は朝飯前のようにできなければなりません」
「なら、有雲さんや朱里さんたちも……」
と鈴音は二人を見るが、静かに首を振る。
「私たちはできません。短い距離ならまだしも、妖狐家までの飛行は霊力が全く足りません」
「本当なら着いていきたいのですが……」
「それじゃあ、九尾様がひとりで行っていうことですか?」
心配そうな顔で訊ねる鈴音。
そんな鈴音に対して、ほほ笑みを浮かべた九尾が、鈴音の頬を撫でた。
「心配いりません。私だけでも問題は──」
そう告げた時、突然、九尾が鈴音を引き寄せた。
その後すぐに爆発音が鳴り響く。
鈴音が振り向くと、今まで自分がいた場所のコンクリートが削れていた。
「こ、攻撃!? 一体どこから──」
礼子が叫ぶと同時に、また護符が九尾へ向かって飛翔する。
九尾はその護符に対して、炎球を飛ばし、燃やし尽くした。
「みなさん、敵襲です」
九尾がそう告げると、どこからともなく、黒ずくめの集団が現れた。
顔は隠れているが、シルエットから妖であることがわかる。
「どうやら敵は我々を限界まで足止めするつもりのようですね」
敵が護符を九尾と鈴音へ向かって使う。
氷、土、風などの様々な攻撃が二人へ向かって襲い来る。
「この程度の攻撃で、私を仕留めるつもりですか」
九尾が腕を振るうと、炎の壁が出現する。
そしてその炎の壁に当たった攻撃は、どれも跡形もなく焼き消された。
「なっ……」
「まさかこれほどとは……!」
一斉攻撃を防がれ、敵が初めて動揺したように後ずさる。
「私を九尾と知っていてこれだけの手数しか揃えていないとは。話になりませんね。有象無象を集めて勝てるほど、極級の称号は甘くありませんよ」
攻撃を容易く防がれたことに、黒ずくめの妖たちが後ずさる。
「くっ……!」
「お前達、あれを使え!」
ひとりの男が、仲間に向かって叫んだ。
すると黒ずくめの妖たちが、一斉に護符を取り出し、使用した。
ひとり一体ずつ、水から動物や鳥、魚が式神となって生まれる。
「どうだ。これでもまだ余裕ぶっているつもりか?」
黒ずくめの男たちが笑みを浮かべる。
九尾はその様子を冷静に観察した。
「その式神は……なるほど、そういうことですか」
納得したように頷いた九尾は、皮肉げに口の端を吊り上げた。
「炎を扱う私への対策ですか。ですが……」
九尾の言葉を遮るように護符が飛ぶ。
すると護符が水の式神に触れた瞬間、電撃が走り抜けた。
電撃は周囲にいた式神を複数巻き込み、消滅させる。
「九尾様、ここは私たちにお任せください」
護符を飛ばした有雲が告げる。
「相手の目的は、ここで九尾様を足止めすることです。どのみち、我々は九尾様にはついてゆけません。それならば、ここで戦うのが最良かと」
「私も護身用の武器を持ってきているのでお任せください!」
朱里が懐から、妖術を使うための護符や短刀を取り出す。
「私も戦います!」
そう言って現れたのは礼子だった。
「礼子、何言ってるの」
「私の方は大丈夫。これでも三級祓魔師だし、それなりに戦えるから。お姉ちゃんはそっちをよろしくね」
「……わかった!」
頷いた鈴音は踵を返し、九尾へと向き直る。
「九尾様、私も一緒に連れて行ってくれませんか!」
「しかし、危険です。ここにいる敵よりも強い相手がいる可能性が高いのです。そこにあなたを連れて行くのは……」
「九尾様は礼子のことを助けてくれましたよね。だから私も九尾様の力になりたいんです!
ためらいを見せる九尾に対して、鈴音が真っ直ぐに目を見て頼む。
二人は無言で数秒見つめ合い……九尾が根負けした。
「わかりました。ですが、あなたは私の後ろにいてください。そうでなければ守りきれません」
「わかりました!」
鈴音が勢いよく頷くと、九尾は鈴音を抱きかかえた。
「わっ」
「すこしの間、我慢してください」
九尾が軽く地面を蹴る。
すると身体がふわり、と持ち上がった。
そのまま数十メートル上空へと浮かび上がると、九尾が虚空を蹴って進み始める。
一度虚空を蹴るごとに、数十メートルの距離を進む。
「す、すごいですね!」
「あまり動かないでくださいね。落ちるかもしれません」
その言葉で鈴音は九尾にしがみついた。
すると九尾の懐から光が漏れ出る。
「これは……?」
「享楽からですね」
懐から出てきたのは、何かを訴えるように光を放つ呪符だった。
呪符が九尾の動きを追随するように、九尾の顔の横を飛び続ける。
『よう、九尾さん』
呪符から声が聞こえてきた。享楽のものだ。
「なんですか?」
『あんたに言われていたあの木箱について、色々とわかったぜ。って、今どこにいるんだ、それは?』
享楽からは向こう側の景色が見えているのか、そう訊ねてくる。
「少し空の散歩をしているだけですよ。気にしないでください」
『そうか。まあ取り込み中じゃないなら報告するぞ。あの木箱についてだが、どの呪術師が作ったものだかわかった』
「それは本当ですか?」
『ああ。前に呪術は家系によって色々と分かれてるって言ってたろ? それを利用した。祓魔院に登録されてる名簿を見て、それらしい呪術師を片っ端からあたっていったんだ』
「それは、思い切り違法なのでは? 祓魔院が他人の手の内を晒すようなことはしないとは思いますが」
『まあ俺も色々と伝手があるんだ。こういう無茶なことを通してくれる奴がいるんだよ。そいつに見せてもらっただけさ』
「あなた、その伝手を作るために一体何をしたんですか……」
『さてな。俺が極級だから協力してくれてるんじゃないか?』
「まあいいです。話を続けてください」
これ以上追及してもはぐらかされるだけだと理解した九尾は、享楽へとそう促す。
『で、めぼしい呪術師に話を聞いていった結果、ひとりの呪術師が不審な反応を見せたんで、聞き込みをした。その結果、穢れを閉じ込める木箱は自分が作ったことを認めたぜ』
「その呪術師が、我々妖狐家の社に木箱を仕組んだ相手ですか?」
『まさか。こいつはただ売っただけだ。木箱を必要としている奴に対してな。売った動悸も金が欲しかったからっていう、どこにでもあるような普通の話だよ』
「では、誰に売ったのか聞き出すことはできましたか?」
『もちろん。俺を舐めてるのか?』
「勿体ぶらず、早く教えてください」
『はいはい。木箱を買ったやつの名前は──』
享楽が名前を告げる。
「……」
告げられた名前を聞いた九尾は、沈黙した。
『それじゃ、俺は教えたからな。これであの料亭の件はチャラだ。じゃあな』
享楽が通信を終えて、呪符から光が消える。
どこか暗い顔をしている九尾へ、鈴音が心配そうな声で名前を呼ぶ。
「九尾様」
「大丈夫です。ともかく、今は社の方へと向かいましょう」
九尾が空を駆けるスピードが上がる。
次第に異界に繋がる山へと近づいてきた。
「異界に入ります。くっついていてください」
「はい!」
鈴音は九尾の身体に力強く抱きつく。
するとなにか透明な膜を通り過ぎたような感覚があった。
そして同時に、鈴音の視界に満開の桜が目に入る。
またたく間にその桜の景色が過ぎ去り、見えてくるのは妖狐家の屋敷と、社。
「あっ、あれは……!」
鈴音が社に人影があることに気がつく。
その人物は九尾を待ち構えるように、境内の中央に立っていた。
「あれが、今回の一連の事件を仕組んだ黒幕でしょう」
九尾が社の上に降り立った。
腕の中から優しく鈴音を地面に下ろした九尾は、彼女を守るように前に出た。
「まさか、あなたが犯人だったとは思いませんでした──翠」




