8-6 後は託した
「何だ、その威力は。まだ、そこまでの力が」
クロウズは、何も答えない。ただじっと、オウリュウに視線を返すばかりだ。
この超重の殴打は、多量の水分を加護が吸った時にのみ使える。それは水に限らず、水気があれば何でもいい。例えばそう、全身を濡らす血とかでも構わない。
今、この体は止めどなく流れる血に塗れ続け、衣類の加護は重くなっている。その特性を技として使えば、自身の中で一番強く重い一撃を放てるのだ。
尤も、その反動は大きい。強過ぎる力は、体にかける負担が大きいのだ。だがそれも、この状況においては意味を為さない。
「……メディ、逃げろ」
オウリュウに目をやりながら、クロウズはそっと囁くように言った。
「えっ。クロウズさんは……?」
何かを察したのか、メディも声を潜めている。
「俺は、あいつを足止めする。そうでもしなきゃ、ここからは逃げられねえ」
「でも、そんなことしたら」
メディが、不意にそこで言葉を止めた。少し待ってみても、続きが継がれることはない。
きっと、もう何を言っても無駄なのがわかってしまったのだろう。少し前に出会った時に、クロウズが言っても聞かなかったのは、ちゃんと覚えているはずだ。
「俺の力を、少し貸す。お前は、できる限り遠くへ逃げろ。ジェネレイトよりもずっと東、王都の方まで逃げろ。わかったな?」
ちらと、横目でメディを見ながら言った。涙を堪えながらも大きな目だけで頷いて見せたメディが、すぐに後ろを向いた。
瞬間、クロウズはメディの靴に加護を放る。メディの足が光り、それから彼女が勢いよく駆け出し始める。
――軽くて丈夫な靴。
長く走るのに適した力だ。加護が宿っている間は、メディはあまり疲れずに走り続けられる。
メディが駆け出しても、オウリュウは動かなかった。じっと、こちらに視線を注いだままだ。
「……逃がすつもりなら、始めからそうすればいいのに」
「はっ。そんなことしたら、てめえの思う壺じゃねえか」
最初から、大きなモノの気配がこちらに向かっているのは気づいていた。あの時はまだ敵か味方もわからず、メディを救い出した時点で逃がしていたら、彼女が危険にさらされる恐れがあった。だから、その正体がわかるまでは、手元に置いておいた方が安全だと思ったのだ。
事実、現れたのは鉄鬼化したフーズであり、先に逃がしていたらメディは間違いなく殺されていただろう。
「ばれてたのか。だったら、お遊びが過ぎたな。さっさと、殺しておけばよかった」
「はっ、てめえにそれができるのかよ」
「どういう意味かな? 僕は、モノを壊すことにためらいはない。現に、君の仲間を皆殺しにした」
「なら、なんでメディには傷一つついてなかったんだ」
「……っ!」
オウリュウが、途端に言い淀む。
仲間を皆殺しにできるオウリュウが、メディに関しては連れ去って逃げられないように手を縛っただけで止めている。多分それは、メディがではなく、相手が女だからだと見えた。何故そうなのかまではわからないが、メディに傷の一つさえついていなかったこととオウリュウの今の反応から、その予想は大方当たっているだろう。
とにかく、初めてオウリュウに綻びが見えた。そこをつかない手はない。
「てめえは、女に手を上げることを怖がっている。いやもしかしたら、てめえの大事な奴が女なのかもな。だから、手を出すのをためらった」
「……うるさいな。お前に、僕の何がわかるって言うんだ」
オウリュウが、静かながらも怒りに満ちた声で言った。
あてずっぽうで適当なことを言ってみたが、どうやら当たらずとも遠からずといったところらしい。
怒りで表情を満たしたオウリュウが、キッと睨みつけてきては、いきなり鉄の柱を飛ばしてきた。柱が左右から迫り、交互に叩きつけようとしてくる。避けようにも体が思うように動かず、まともに受けてしまう。
鈍い痛みが全身に走るも、クロウズは倒れない。その場に不動のまま、オウリュウを睨みつける。
それが気に入らないのか、オウリュウが表情をさらに険しくした。
「何だよ、その目は。死に損ないのくせに、生意気なんだよ!」
オウリュウが右手を一度前に振り、無数の柱がクロウズに襲い掛かる。相変わらず攻撃を受け続けるが、その動きは単調だ。何とかすれば、反撃はできる。
――俺は、ここまでだろう。
体は、ほとんど限界を迎えている。オウリュウに勝つのなど、夢のまた夢だろう。だが、一矢は報いられるはずだ。
左右からまた迫る柱目掛けて、クロウズは瞬時に二発殴打を放った。瞬く間に粉々になった柱が、黒い粉となって宙を舞う。
体に再び粉が纏わりつくが、クロウズは構わず駆け出した。反撃してきたことに驚いたオウリュウが、咄嗟に別の柱を振り回してくる。それをかわしながら前進し、一気に間合いに踏み込んだ。
「甘いね! これで終わりだよ!」
オウリュウが叫ぶように言ったのと同時に、足元から黒い棘が勢いよく伸びてきた。まっすぐ腹を突き刺し、鈍い音を立てて棘が背まで貫く。
口から血を吐き出し、クロウズは一瞬動きを止めた。オウリュウが、嫌な笑みを浮かべる。
しかし、それはすぐに凍りついた。左手で、オウリュウの首をすかさず掴む。骨の軋む音が鳴り、オウリュウが苦しげにもがく。
「……ああ、そうだな。これで、終わりだ」
言葉を吐き出すだけで激痛が全身を駆け巡ったが、構うことはしなかった。右の拳を引き、今持てる力の全てを籠めて、一気に前へと突き出す。
「超重の殴打……!」
勢いよく叩き込まれた拳が、オウリュウの鎧にぶつかる。強い反発を感じ、拳が傷ついていくが、それでもそのまま打ち抜く。
「ぐあっ……!」
小さな呻きが漏れ、鎧が激しい音を立てて砕ける。
しかし、見えたのはそこまでだ。不意に、視界から光が消えた。眼を開いているのに、何も見えなくなる。
何が、とは今更思わない。体の限界だ。ダメージを負い過ぎて、真っ先に目がダメになったのに過ぎない。
腹の辺りを強かに打たれ、クロウズは後ろに吹っ飛ばされた。地面に叩きつけられたが、痛みはほとんどない。感覚の全てが、最早遠いものになっている。意識さえも、もう途切れ途切れだ。
――終わりか。
クロウズは、僅かに残る意識を巡らせた。仇を討てなかったこと、メディのこと、そしてケイトたちのこと。それらが瞬く間に浮かんでは、消えていく。
足音が、微かに聞こえてきた。声も、若干だがまだ聞こえる。
「……本当に、大した奴だよ、お前は。金剛石の鎧を打ち砕くなんて、普通じゃないよ」
その言葉には、一切の皮肉は感じられなかった。声にも、冷たさはあまり感じられない。
だが、次に放たれた声は、一気に冷え切っていた。
「ここで消すのは、もったいないな。お前も、僕の役に立ってもらおうか」
その言葉の意味を考えようとしたが、やめた。消えかけている意識の前に、それは何の意味も為さない。
ただ一言。
「……好きにしろ」
それだけを返した。
オウリュウが何かを言っているようだが、もう何も聞き取れなかった。意識も、闇の中に沈み始めている。
開けていた目を、クロウズはゆっくりと閉じた。見えるものは、闇のままで変わらない。だが、もう何も見えないはずの闇の中で、クロウズは不思議と、ケイトの顔を見た気がした。
クロウズは、口元に笑みを浮かべる。幻影だろうが錯覚だろうが、最期に会えれば上出来だ。
――後は任せる。
だからケイト、負けるんじゃねえぞ。
それだけを思い、クロウズの意識は、完全に途切れて消えた。




