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モノとの正しい付き合い方  作者: 千変万化
七章 限界を超えろ!
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7-4 救い人

 部屋の中が暗くなり、しばらくして、また明るくなっていく。そんなことが、何度か繰り返された。

 夜が来て、いつの間にか朝を迎えてを、知らないうちに繰り返していたようだ。シルクたちがこの部屋から出て行って何日なのか、ウルにはわからなかった。

 いや、わかっても、正直どうでも良かった。今大切なのは、そんなことではない。この世で一番大事な人が、目の前で眠り続けている。その現実が、何よりも重要だった。

 ケイトが倒れてから、もう何日だろうか。眠り続けて、どれくらいだろうか。ずっとずっと付き添っているが、一度たりとも目を覚ましてくれない。呼吸は弱く、脈拍も大分間が空いていて、近く止まってしまいそうに思えてならない。

 そんな未来を想像してしまいそうになり、ウルは必死に否定しようとした。しかし、なかなか消えない。今にも止まりそうな弱々しい呼吸が、ひんやりと冷たい肌が、悲しくもそれを鮮明に映し出させようとしてくる。

「やだよ、ケイト……」

 泣きそうな声で呟くも、やはりケイトは何も言ってくれない。それが、堪らなく寂しい。

 ウルにとって、ケイトはただの飼い主ではない。恩人であり、何よりも一番愛しい人である。

 まだ小狼だった頃、ウルは親元から無理やり引き離され、故郷から遠く離れた場所へと連れていかれた。どういう経緯でそうなったのかは知らないが、とにかくひどい仕打ちを受けたのだけは覚えている。抵抗するために吼えたりすれば蹴り飛ばされ、殴られもした。お仕置きと称して、エサも満足に与えられなかったことは一度や二度ではない。

 あまりにも辛い日々に、ウルは我慢ができなくなって逃げ出した。追手はやって来たが、それでも無我夢中で逃げた。当てはなかったが、逃げて逃げて、誰も追って来なくなり、そしてウルは力尽きた。

 見知らぬところで倒れた時は、ここで死んでしまうと思った。実際、何日も食べていなく、逃げ通しで体力の限界だった。体は徐々に冷えていき、命の灯が弱くなっていくのを、その頃は確かに感じた。こんなところで、寂しく死ぬんだと思うと、ウルは泣きたい気分になった。

 だが、死ななかった。一人の青年が、ウルを救ってくれたのである。傷だらけのウルを優しく抱きかかえ、自身の家に連れ帰っては、手当てをして家に置いてくれたのだ。

 それが、ケイトだ。

 幼いながらも、ウルはすぐにケイトへと惹かれた。我ながらちょろすぎるのではと思わでもなかったが、ケイトの笑顔を見るとホッとしたし、撫でてくれる手の温もりが、堪らなく心地良かった。何よりも、何の迷いもなく救ってくれた優しい心に、ウルは虜になった。

 自身が狼で、ケイトが人であることは、当然わかっている。叶わぬ恋だとも、ちゃんと理解している。それでも、好きな気持ちは抑えられなかった。過剰なスキンシップを求めたのもそのためであるし、ケイトが留守にしている時に寂しくしていたのも、自分の気持ちに正直だったからだ。

 だから、初めてこの世界であった時は、恥ずかしさ以上に嬉しさが爆発しそうだった。にやけそうになる顔を見せたくなくて、まともにケイトを見られなかった。恋焦がれるも叶わぬはずの相手と、同じ姿で向き合えたのだ。嬉しくないわけがない。

 今、その愛しい人と二人っきりである。これが何でもない状況であったならば、どれほど幸福だっただろうか。

「ケイト……」

 そっと名を呼び、ケイトの頬に手を触れる。冷たい。死人、とまではいかないが、普通ではないのは間違いない。顔色は、より一層青白く見える。

 その顔に、死の色がうっすらと浮かぶ。呼吸も、さらに弱くなっていく。

 ウルは、激しく動揺した。大切な人が、目の前でいなくなろうとしている。それを、はっきりと感じ取ってしまった。

「や、やだ……。やだよ、ケイト。あたしを、置いて行かないで……」

 無意識のうちにベッドに入り込み、ウルはケイトに抱き着いていた。冷えていく体を温めようと、精一杯体を寄せる。冷たい頬を、舌で何度も何度も、そっと舐めていく。行かないで、目を覚まして。そう願いながら、ウルは続ける。

 不意に、扉の開く音が聞こえた。誰かが、中に入ってくる。

 ――これは。

 一緒に入ってきた刺々しい気配を感じ取り、ウルは素早くケイトから離れ、その前に立ち塞がった。傷心であるはずなのに機敏な動きができたのは、獣の本能が何かを報せていたからかもしれない。

 ただ、目の前にいる人物からは、敵意は感じられなかった。

「……あなたは」

 その人の顔を見て、ウルは唖然とした。クロウズ。いきなり現れたこの男に、戸惑いを隠し切れない。

 クロウズがウルの後ろに視線を落とし、表情を険しくした。眉間に皴が、これでもかと言うほどに寄っている。

「おい、どうなってやがる。こいつ、消えかかってるじゃねえか」

「消えかかってる……?」

 不思議な物言いに、思わず首を傾げた。死にかけているではなく、消えかかっているとは、正直意味がわからない。

 その反応を見て取ったのか、クロウズが一度舌打ちした。

「道具の加護が、尽きかけてるんだよ。このまま放っておけば、モノとして存在が保てなくなって、消えるぜ」

「そんな……!」

 愕然とするだけで、それ以上の反応ができない。ケイトが消える。それを思うだけで、ウルは全ての思考が止まってしまった。

 それを無理やり動かすように、乾いた音が部屋中に響く。次いで広がる、右の頬への鋭い痛み。

 ぺたりと床に座り込み、ウルは唖然とした。じんじんと痛む右の頬を押さえながら、唖然としてクロウズを見る。平手打ちしてきた体勢そのままで、クロウズはウルを見下ろしていた。

「なに諦めてやがる。まだ、間に合うはずだぜ」

「えっ……?」

 つい、間の抜けた声が出る。思いがけない言葉に戸惑い、ウルは目をぱちくりさせながらクロウズを見ることしかできない。

 そんなのお構いなしと言わんばかりに、クロウズがウルの手を無理やり引き、ケイトの体へと伸ばさせた。ひんやりとした冷たさが、途端に伝わる。

「加護を分けてやれ。そうすりゃ、少なくとも今すぐ消えることはないはずだ」

「分けてやれって、どうやって?」

「頭の中で、自身の加護の流れを掴むんだ。掴んだらそいつを、外に出すようイメージする。それで、相手に加護を伝えることができるはずだ」

 何でもないことのようにクロウズは言うが、ウルは混乱しそうだった。本当にそんなことができるのか。そもそも、クロウズの言葉を信じていいのか。疑問が刹那のうちにいくつも湧いて起こっては、消えていく。

 ――迷ってる暇は、ない。

 抱いた疑念も惑う心も、全てかなぐり捨てる。ケイトを助けられる。その可能性があるのならば、何であろうが手を伸ばすべきだ。

「頭の中で、イメージ……」

 目を瞑り、気持ちをできるだけ落ち着けてから集中する。自身の、狼という生き物の加護を確かに感じる。猛々しくも、どこか繊細なものを併せ持った、自分の力だ。

 それにそっと手を伸ばし、しっかりと掴む。掴まれた加護は何の抵抗もなく引っ張られ、外へと出て行こうとする。自分からそうしているわけではなくて、ウルは少し戸惑った。

「落ち着け、そのままでいい。あとは、力そのものがこいつに流れていってくれるはずだ」

 焦ってしまいそうなのを見透かしたのか、クロウズがすかさずフォローするように言った。気持ちを落ち着け、ウルは少しの間そのままでいた。

 自分の中から、ゆっくりと加護が外に出て行くのを感じる。一秒、また一秒と経つ度に少しずつ疲れてきたが、ウルは構わなかった。ケイトが救えるならば、これくらいは。そう、自分に言い聞かせ続けた。

「うっ……」

 小さな呻き声が聞こえ、ウルは咄嗟に目を開いた。少し苦しそうな顔をしたケイトが、視界に映る。

「ケイト!」

 呼びかけたが、ケイトが返事をすることはなく、また静かな寝息を立てて眠り始めてしまった。それでも、さっきよりは大分顔色が良くなっている。死の色は、はっきりと薄れつつあった。

 どうなったのか気になって、ウルはすがるようにクロウズを見た。

 真剣な顔をしていたクロウズが、一度小さく苦笑を浮かべた。

「とりあえずは、落ち着いたみたいだな。ったく、余計な時間を取らせてくれたもんだ」

 クロウズは憎まれ口を平然と叩いてきたが、ウルは不思議と苛立たしく思わなかった。何となくだが、クロウズが本心でそう言っているわけではないのが伝わったからかもしれない。

「……ありがと。でも、どうして助けてくれたの?」

「はっ、そんなつもりはねえよ。状況を聞いてやろうとここに寄ったら、たまたまこいつが倒れていただけだ。このままじゃ、ろくに話も聞けねえ。だから、邪魔な面倒事を片付けただけに過ぎねえんだよ」

 意地悪っぽく言うが、やはりクロウズから悪意を感じない。

 もしかしたら、クロウズはわざわざここに来てくれたのかもしれない。理由はわからないが、そうでなければ王都に顔を出すなんてありえないはずだ。

「……本当に、ありがと。このままケイトが死んじゃってたら、あたし」

「ったく、気を抜いてんじゃねえ。目が覚めるまでは、ちゃんと加護を送り続けてやれ。その様子だと、落ち着いていても油断はできそうもないからな」

「う、うん。わかった」

 緩みそうになっていた気持ちを慌てて引き締め、ウルはしっかり集中した。自身の中の加護が、少しずつケイトへと伝わっていく。冷たかった体も、ほんの少しだが熱を生み出し始めている。

「それで、何があった?」

 真顔に引き締めたクロウズが、低い声音で言った。

 正直に言おうか一瞬迷ったが、ウルは起きたことを全部話すことにした。ケイトを救う手助けをしてくれたクロウズは、今この場においては信用しても問題はないはずだ。

 ウルは、ここまで起きたことを事細かに説明した。その間、クロウズは腕を組み、目を瞑って聞いている。

 あらかた話し終え、最後にシルクたちが向かった行き先を口にした時、クロウズが徐に伏せていた瞳を開いた。

「ウォーズ平野か」

 そう呟いたクロウズの表情が、俄かに強張る。何かを思っているのか、右の拳が思い切り握られ、小さく音を立てた。

 怪訝そうにウルはその姿を見ていたが、クロウズは気にした風もなく、背を向けてしまった。

「ま、待って!」

 その背に、ウルは慌てて声をかける。クロウズが、ゆっくりとこちらを振り返った。

 途端に、鋭い視線を投げかけられ、ウルは少し怯えた。だが、いつまでも委縮しているわけにもいかず、一度生唾を呑み込んでから口を開いた。

「え、えっと、どこに行くの?」

「決まってるだろ。ウォーズ平野だ」

「もしかして、シルクたちを助けてくれるの?」

 仄かな期待を抱きながら言ったが、クロウズは小馬鹿にしたような冷たい笑みを浮かべた。

「助けるつもりなんざねえよ。俺は、俺のやるべきことをする。それだけだ」

 そう言い捨てると、クロウズはさっさと部屋から出て行ってしまった。

 取り残され、ウルは唖然としていたが、時が経つにつれて何故か安心してきた。クロウズの憎まれ口は、多分単なる照れ隠しだ。本心を覆うための、方便なのだろう。そう信じて、いい気がする。

 だからきっと、クロウズはシルクたちの助けになってくれる。今は、それを願うしかない。

「……お願い、クロウズ。みんなを、助けてあげて」

 ケイトの右手を両手で包み込むように握りながら、ウルは祈るようにそっと呟いた。

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