7-3 ボクたちがやれること
ケイトが眠っている部屋へと戻ると、沈んだ顔のウルが出迎えた。
ずっと泣いていたのか、目の下は赤く腫れていて、頬には涙の伝った跡が残っている。瞳も、零れていない涙で潤んでいた。
それでも、シルクが同情するような素振りは見せなかった。表情を真顔に引き締めたまま、話を再開してくる。
「ウル、この世界で、今一番危ないところはどこだい?」
シルクが問いかけても、ウルはすぐには答えない。涙の溜まった目をゆっくりとシルクに向けては、悲しそうにしながら言い淀んでいる。
「まったく……。ウル、もう一度聞くよ。一番危ないところは、どこだ?」
呆れたように溜息を一度吐いてから、シルクが少し強い口調で再度問いかけた。
その声の響きに確かな怒りを感じ取ったのか、ウルが体を震わせ、勢いよく目を瞑った。恐る恐る開けた双眸に確かな怯えの色を見せながら、躊躇いがちに口を開いていく。
「……ウォーズ平野。王都から南西にある、ローグの森を超えた先の、広い平野よ。そこの先にある糸が切られ、柱を繋ぐためにたくさんの鉄鬼が湧いていたわ」
「何だい、ちゃんとわかっているじゃないか。なんで早く答えなかったんだい?」
「だって、場所がわかったら、すぐに行くって言うんでしょ? そしたら、ケイトと離れ離れになっちゃう。そんなの、やだ。絶対、やだ」
力なく言うウルに、シルクが呆れたようにまた溜息を吐いた。顔にははっきりと苦いものが浮かび、眉間には余程力が入っているのか、深い皴が寄っている。
「困った子だね、こいつは。どうするかは、これから決めるんじゃないか。早とちりもいい加減にしな」
シルクが困ったような顔をしながら言っても、ウルは大して反応を示さなかった。小さく「ごめん」と謝っただけで、ぼんやりとシルクを眺めるばかりだ。
――よっぽど、ショックだったんだね。
ケイトの存在は、ウルにとって何よりも大事なものなのだろう。思えば、ケイトと一緒にいる時のウルはいつも嬉しそうにしていたし、言葉や態度の端々からは、はっきりと好意を感じていた。向こうの世界では飼い主とペットであり、大好きなご主人様が倒れて本当に辛い、と言った感じなのかもしれない。
その気持ちは、何となくだがサラも感じていた。青白い顔をして眠るケイトの姿を見るだけで、胸の奥が締めつけられる。
シルクが呆れたような顔をするも、一度咳払いしてから顔を引き締める。仕切り直し、ということだろう。
「ウォーズ平野を抜けた少し先には、確かに撚糸がある。守護獣朱雀が守っていたはずだが、間違いなく敵になっているだろう。どんな状態かはわからないが、厳しい戦いになるのは間違いない」
「そうだよな。ケイトが抜けて、戦力的にも力は落ちてる。正直、俺たちの手には余るかもしれない」
「お前の言う通りだ、ホムラ」
大きく頷きながら、シルクが続ける。
「戦力が落ちている今、無理をするのは下策だ。だからと言って、手を拱いて見ていては、取り返しのつかないことになりかねない。道は、二つに一つだよ」
「二つに、一つ……」
「そうだ。ケイトが目覚めるのを待ってからウォーズ平野に向かうか、それとも現状の戦力で戦いを挑みに行くか。サラ、ホムラ、お前たちはどうしたい?」
問をかけられ、サラはホムラと顔を見合わせた。ウルの名前が出て来なかったのは、まず間違いなく同行させないつもりだからだろう。多分、言っても聞かないと思うし、無理やり連れて行っても戦力にならないと見ているに違いない。ならば、行くか行かないかは、サラたちの判断に委ねられたことになる。
――ボクたちの力では、確かに厳しい。
強大な力の前に、ホムラもハイ・ユーザーであるサラでさえも、まともに戦うことはできなかった。今のまま戦っても、何もできずに負けてしまう公算の方が高い。
そんなことはわかっているが、サラは一切悩まなかった。ホムラもまた同様のようで、ほぼ同じタイミングで二人して頷いた。
「そんなの、決まってるよ」
「ああ。俺たちだけで、ウォーズ平野を抜けよう」
迷いなく言うと、それを予期していたのか、シルクが苦い顔をした。
「やっぱりそっちを選ぶのか。言っておくけれど、守護獣朱雀との戦闘は避けられないよ。奴は、守護獣の中でも道具の加護が一番強かった。鉄鬼化して暴走していたら、これまで以上の戦いを強いられるかもしれない」
「そんなの、覚悟の上だよ。それに、相手がどれだけ強くても、関係ない。ボクたちは、今やれることをやらなきゃ」
「でもでもぉ、危険すぎますよぅ! 白虎も青龍も、ケイトさまがいたからこそ何とかなってたんですよ!? シルクさまがいると言っても、二人とも無事じゃ済まないかもしれないんですよ!?」
ツクノが心配そうな顔をしながら、声を大にして諭してくる。
それも、わかっている。ケイトやシルクに頼り、守護獣との戦いを勝ち抜いてきたことくらい、痛いほど理解している。ハイ・ユーザーである自身が、まともに戦えていなかった現実さえも。
少し前までは、ケイトよりもサラの方が実力は上だったはずだ。自身の能力の特異さも相まって、彼には決して負けないとさえ思っていた。
だが、その自信は、今では完全に打ち砕かれた。理由は簡単だ。自身のユーザー能力が、振れ幅の大きい安定しないものだと気づかされたからだ。相手や自分の心の状態に左右されるこの能力は、ハイリスクハイリターンの、危険極まりないものである。今までは、都合よく敵より優位に立ち、打ち負かせてこれたが、本当に強い敵相手には通用しなかった。
――ボクは、本当は強くなんかなかった。
ケイトの方が、よっぽど強かった。初めて会った時から、ずっと。
今は、正直俯いてしまいたくなる。自信は打ち砕かれ、ハイ・ユーザーとしての矜持もなくなった。残っているものは、惨めで愚かな弱い自分だけだ。あまりにもちっぽけな姿に、目を背けて立ち止まってしまいそうになる。
――だからこそ、やらなきゃ。
弱気になりそうな自分を追い出し、自身を奮い立たせる。ケイトがいなくてもやれることを、サラは証明しなければならない。世界の危機に立ち向かっているのは、ケイトだけではない。自分だってその一人なのだ。
今、自分たちが弱いというのならば、次の撚糸へと向かうまでに強くなる。ユーザー能力は想像の力だ。頑張ればやれないことはなく、まだまだ強くなれるはずだ、とサラは思っている。
きっと、ホムラも内心ではそう思っているに違いない。ただ、彼の表情は、怖過ぎるくらいに真剣なもので塗り固められている。
そのホムラが、ゆっくりと口を開いた。
「危険だとか無事じゃ済まないとか、正直な、そういうのはどうでもいいんだ」
「ど、どうでも……?」
「ああ。大切なのは、応えることなんだよ。ケイトは、命を懸けて俺たちを救ってくれた。だったら、俺たちもちゃんと応えなきゃいけないだろ。命を懸けて、精一杯やれることをやる。そうやって初めて、俺たちはケイトと肩を並べられるんだ」
澱みなく言い切ったホムラが、ちらとサラを見る。お前はどうなんだ。そう言われた気がして、サラは少しだけむっとした。ホムラと同じようなことを思っていたのに、先に言われたのが少し悔しい。
ホムラに負けたままみたいで癪だったから、サラは一歩前に踏み出した。おろおろしながら頼りなく宙を飛んでいるツクノの顔が、少し近づく。
「そうだね。ボクたちは仲間なんだから、ちゃんと同じように力を尽くさないと。じゃないと、不公平だよね」
いつものように皮肉っぽく言ってから、だから、とサラは柔らかく笑みながら続ける。
「ボクたちだけでも、戦いを挑みにいかなきゃ。ケイトが今後も一人で無茶しないように、ボクたちだってやれることを証明しなきゃいけないんだ」
「だな。あんなに傷ついたケイトを、俺はもう見たくねえよ」
互いに顔を見て頷き合い、それからシルクとツクノを見る。ツクノは頼りなさげな視線をシルクに向け、変わらずおろおろするばかりだ。対してシルクは、視線を向けられても気にすることなく、怖い顔をしながらサラたちを睨み据えている。
気圧されそうな恐ろしい眼光だが、サラは何とか耐えながらシルクを見つめた。
少しの間、沈黙が流れた。
先に視線を逸らしたのは、シルクだった。いや、逸らしたというよりは、閉ざしたと言うべきか。諦めたように深い溜息を吐いては、シルクは両の目を閉ざしていた。
「……覚悟は硬いってわけか。まったく、仕方ないね。わかった、私たちだけでやろう」
「し、シルクさま、いいんですか!?」
シルクの決定に、ツクノがすぐさま口を挟んだ。
そっと瞳を開いたシルクが、苦笑を浮かべる。
「仕方がないだろう。この子たちの思いは、本物だよ。どんな言葉を尽くしても、一切揺らぎはしない。だったら、こちらも覚悟を決めるしかないだろう?」
「そ、それはそうですけどぉ……」
口を尖らせ、それでもツクノは何かを言いたそうにしていたが、結局折れたのか、がっくりと項垂れてしまった。
それでもすぐにパッと顔を上げ、必死な表情をしては、サラとホムラを交互に見てくる。
「絶対に、ぜぇーったいに生き延びてくださいね! 死んじゃったら、一生許しませんから!」
「ああ、わかってるさ」
「ボクたちは、負けないから。必ず、朱雀を何とかしてみせるからね」
ツクノが涙を浮かべながら何度も頷き、それから力強く両手を握り締めた。
「シルクさま、頑張ってくださいね! わたし、ちゃんと応援してますから!」
「応援はいいが、お前も着いて来るんだよ。そこのところは、わかっているんだろうね?」
「えっ。……い、いやもちろんですよぅ! い、いやだなぁ、あはは……」
一瞬唖然としたツクノが、シルクに睨まれた途端に力強い表情をし、それから苦笑いを浮かべた。幼めの顔がころころと表情が変わるものだから、ちょっと可愛くてついつい笑ってしまう。
それに気づいたツクノが不満げに頬を膨らませたが、やはり可愛らしくて、つい小さな声を出して笑ってしまった。ホムラもシルクも、釣られたように笑みを浮かべている。
束の間、和やかな雰囲気が流れたが、それもすぐに消えた。
シルクが、真顔になってウルに声をかけたからだ。
「ウル。聞くまでもないと思うが、お前はどうする?」
「行かない」
短く即答したウルは、こちらに目を向けることさえしない。じっと、眠り続けるケイトの顔ばかりを見ている。
他の言葉が返るのを、シルクは少しの間待っていたようだが、ウルはもう何も言わなかった。時折すすり泣く声が聞こえるばかりで、やはりこちらを見ようともしない。
シルクがサラたちに目を向け、肩を竦めた。もう、諦めた方が良い。そう言っているのが聞こえたような気がして、三人して黙って小さく頷いた。
「じゃあ、私たちはウォーズ平野へと向かおう。ウル、留守番とケイトのことは任せたからね」
部屋を出る際にシルクがそう言ったが、やはりウルが答えることはなかった。
少し苦い顔をしたシルクが乱暴に扉を開け、それが勢いよく閉まってしまう前に、ホムラとツクノが慌てて外へと出る。サラは閉じてくる扉をそっと押さえてから、ゆっくりと振り返った。
視線の先には、すすり泣くウルと、青白い顔をして眠りにつくケイトの姿が見える。
その顔を見ていると、胸が締め付けられる思いに駆られた。早く、いつもの元気な姿が見たい。そう願ってしまいたくなる。
同時に、強く湧き立つものもあった。これまで頑張ってきた仲間に、胸を張っていい報告がしたい。その気持ちも、サラの心は強く抱きつつあった。
――ボクたちは、頑張るから。君に誇れるくらい、頑張るから。
だから、ケイトも頑張って。
胸の内でそっと呟き、それから先に出て行った仲間たちを、サラは追いかけた。




