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モノとの正しい付き合い方  作者: 千変万化
六章 危機を乗り越えろ!
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6-4 折れた心

 風の唸り声が聞こえる。

 不気味な音だ。例えるならばそう、獲物を前にした獣が上げる低い声に似ている。それが、あちこちから聞こえた。

 気になって、辺りを見渡そうとしたが、体が言うことを聞かない。両の瞼は重く、なかなか開けられないし、腕も足も動かない。動かないどころか、感覚があまりないから、自分が今どうなっているのかがよくわからなかった。

 そもそも、自分は一体どうしたのだったか。確か、何かとんでもないことが起きたような気がする。

 ――暴風に襲われて、それで……。

 龍に食われた。

 その現実に辿り着いた時、ホムラは背筋が寒くなるのを覚えた。そうだ。あの時、強風によって横転した馬車から脱出した後、襲い掛かってきた巨大な龍に食われたのだ。その瞬間に意識を失ってしまったが、襲われたのは間違いない。

「あら、お目覚めかしら?」

 近くで、女の声が聞こえた。多分、若い女の声だ。

 重い瞼を何とかこじ開け、目の前を見る。ぼんやりと霞む視界の中に、鋼の仮面を被った女の姿が見えた。

「お前は……?」

 問いかけても、女は口元に笑みを浮かべるだけで答えはしない。

 その笑みが、妙に人を小馬鹿にしているように思えて、内心で少し苛立たしく思った。この女が敵なのは間違いなく、いつもだったらすぐに剣を構えただろう。しかし、今は体が動かなくてそうすることもできず、ユーザー能力もうまく発現できない。おそらく、肉体と道具の加護が、相当弱ってしまっている。

 視界だけは満足に利くようになって、ホムラは自分の置かれた状況を理解する。どこかの平原の岩肌に、上半身を裸にされて磔になっている。

 女が近寄ってきては、ホムラの体をそっと触ってきた。氷のように、冷たい手だ。

「大分強い子なのね、あなた。いい素材になりそう」

「素材だと……?」

「そう、素材」

 女が一度指を鳴らし、その音に呼応するように風が唸った。

「オオオオッ……」

 何もないはずの空中から、低い声が聞こえてくる。一つではない。無数の声が、あちこちから聞こえてくる。だが、姿は見えない。

 女が口元に笑みを浮かべたまま、辺りを見回す。仮面に覆われた女の双眸は、ホムラには見えない何かを捉えているらしい。

「うふふ、この子たちもわたくしと同じように思っているみたいね。エサになってくれるのを、心待ちにしているみたい」

「ふざけるな……!」

 なんとか声を絞り出して抵抗しようとするも、体はやはり動かない。

 そのことがわかっているからか、女からは余裕が消えることはない。それが、少し不気味だ。

「そんなに怖がらなくても大丈夫よ。あなた次第では、エサにならずに済むのだから」

 ホムラの頬に手を伸ばし、女がそっと撫でてくる。異様な冷たさと、得体の知れない不気味さを感じ、思わず背筋がぞくりと寒くなった。

 女が右の口角を吊り上げ、それから徐に唇を合わせてくる。やはり、冷たい。生きているものとは思えないその冷たさのせいで、口づけされた衝撃は微塵も湧かなかった。

 そっと顔を話した女が、また口元に笑みを浮かべた。相変わらず、人を小馬鹿にしたようなものだ。

「あなた、苦しんでるのね。自分が、全然強くなれなくて。仲間に、置いてきぼりを食らっているみたいで」

 何も答えなかったが、内心で動揺した。そのことは、誰にも言ったことがない本音だからだ。

「努力して前よりは強くなったけれど、今の戦いにはなかなか着いて来れない。少し前までは対等だったはずの仲間とも、ほんの僅かな間に距離ができてしまった。あまりにも弱い自分は、いつか足を引っ張ってしまうのではないか。そう思ってるのね」

「……どうして、それを?」

 気づけば、無意識の内にそう口にしていた。否定しようと思えばできたのに、何故だか気持ちが沈んできて、反論する言葉を出す気になれなかった。

 女が、一度小さく笑った。

「あなたの心の声を聞いただけよ。風の前には、どんな隠し事もできない。声や音は、吹き荒ぶ風に乗って流されていく。わたくしは、それらを捉えることができるの」

「そうか。だったら、これもわかるよな?」

 右手に力を集中し、一発分の炎を作って放つ。女の顔面目掛けて、炎が突っ込んでいった。

 しかし、届かない。あと一歩というところで、炎は何かに掻き消されてしまった。女は余裕を保ったまま、その場から動いていない。

「ええ、わかってるわ。あなたが、まだ戦う気があることぐらいは」

 でも、と女が冷たい声音で続ける。

「わたくしに挑んでも、いいのかしら? そんなことをすれば、あなたはまた、自身の無力さを思い知るだけだけど」

「そんなこと」

「やってみなくてもわかるわ。わたくしは、元守護獣の青龍。あなたが手も足も出なかった、白虎と同格の存在なの」

「白虎と……!?」

 脳裏に、嫌な記憶が蘇る。

 ジェネレイト山岳で白虎の分身と戦った時、ホムラは牽制するのが精一杯だった。サラがうまく相手の力を削ぎ、シルクが時々加勢してくれたことで何とか戦えていたが、自身は正直、足手纏いもいいところだった。

「あなたも気の毒ね。お仲間は、白虎を倒してしまうほどに強い。いいえ、強くなってしまった。あなたの隣で、一緒に歩いていたはずなのに。一緒に、強くなっていたはずなのに。知らないうちに、どんどん前に進まれちゃったのね」

 返す言葉が見つからず、ホムラは俯くことしかできない。

 女の言う通り、ケイトとの距離は随分離れてしまった気がする。いや、最初から能力は少し隔たりがあったが、それでも同じ歩調で歩いて来ていた。

 それが変わってしまったと感じるようになったのは、いつ頃からだろうか。クロウズと二度目のやり取りを終えた頃ぐらい、だったか。異様な力を見せ始めるケイトが、自分とは違う特別な存在に思えたのは、確かにその頃だ。

「他の仲間たちも、あなたより圧倒的に強い。実力の差は、誰の目にも明らか。でも、誰も何も言わない。あなたが弱いのを、誰も指摘しない」

 耳元で囁くような妖しい声に、思わず強く目を瞑る。そんなことで聞こえなくなるわけでもないのに、深く目を瞑った。

 実力の差を感じさせるのは、ケイトだけではない。サラやシルクの力もまた、ホムラの劣等感を強めた。自分が満身創痍になって戦っているのに対して、二人は手傷を極力負わないような戦い方をしていた。それでいてしっかり反撃しているのだから、実力差は嫌でも感じてしまう。

 ――俺こそ、お荷物なんじゃないか。

 サラに偉そうなことを言っておきながら、本当は自分が居場所を求めていたのではないか。そんなことを、つい思ってしまいそうになる。

 心が揺らぎ、女の言葉がどうしても拒絶できなくなってきた。

「あなたは弱い。弱いから、何も守れない。大切な人との繋がりも、失うのでしょうね」

「マスターとの、繋がりを……!?」

 そんなことを考えただけで、体が震えてくる。どんなことよりも、恐ろしくなってくる。

 ――嫌だ。

 自分が弱いせいで、マスターとの繋がりを守れないなんて、そんなの受け入れられない。

 強くなりたい。何よりも、誰よりも。どんな手を使ってでも、強くなりたい。

 歪んだ思いが自分の中で芽吹いた時、女が今までで一番悪辣な笑みを浮かべた。

「うふふ。やっと、素直になったわね。お望み通り、強くしてあげるわ」

 ただし、と女が冷たい声で続ける。

「鉄鬼として、だけどね」

 女がもう一度指を弾き、風が唸り声を上げてはホムラの目の前に何かが降り立つ。薄い緑色をした煙のような何かが、はっきりとホムラを睨み据えてきた。

 その何かがこちらへと近づき、包み込むように覆い被さってくる。体に、妙な衝撃が走った。

「くっ……!?」

 何かに侵食されているような、気味の悪い感覚が付き纏う。それだけじゃない。自身が食われている。そんな感覚を、はっきりと感じた。

 苦しいが、体を動かせないためにもがくこともできない。ばかりか、徐々に意識が遠退いてくる。

「安心なさい。あなたは、ちゃんと繋がりを守れるようになるわ。この世界とあちらの世界をしっかりと繋ぐ、鉄柱の守護者としてね」

 女が小さく笑い、それから高々と笑い声を上げた。

 しかしそれも、もうあまり聞こえない。視界は暗くなり始め、意識は闇に溶けつつある。

 ――ケイト。俺は、間違えてしまった……。だから。

 お前が、俺を壊してくれ。

 それだけを思うのが、精一杯だった。侵食する何かは依然として動きを止めず、やがて、ホムラの意識を完全に食らった。

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