5-16 勝つための代償
凄まじい力が、刀を通して伝わる。あまりにも強過ぎて、握っている手が痛み、痺れてくるほどだ。
いや、実際に痛んでいるのかもしれない。手に感じる圧力は、クロウズと戦った時に起きたものとは比べ物にならない。
一度、刀を軽く横に薙いだ。黒の光が閃き、風を切る重々しい音が唸るように鳴る。目の前の空間が斬れ、微かにずれた。降り注いでいるはずの雨が、そのずれた場所へと吸い込まれて消えていく。
異様な光景だが、今はそんなことはどうでも良かった。この力で、白虎を斬る。それだけを考えていればいい。
「ケイトさま、これは一体……!?」
ツクノが驚いたような声を上げる。異常な力を、彼女もまた感じ取っているはずだ。おそらく、痛みさえも。
これ以上、憑依させて感覚を共有するわけにはいかない。この痛みは、自分だけが引き受けるべきだ。
「ツクノ、僕から離れて」
「えっ? ……きゃっ!?」
戸惑いの声を上げたツクノを、無理やり引き剥がすように離す。ケイトが拒むことで意思の疎通が途絶えたからか、ツクノを外に出すのは難しくなかった。
ツクノが唖然としながらこちらを見ているようだが、ケイトは振り返らない。視線は、前方の白虎に向いたままだ。
こちらの加護に不穏なものでも感じ取ったのか、白虎が動きを止め、警戒しているかのように低く唸る。身を小さく屈め、いつでも突っ込める体勢ではいるが、前へと進むことには躊躇しているように見えた。
――躊躇しているならば、僕が先に斬り込む。
迷うことなく一歩踏み出し、それから一気に駆け出す。
「グオオオッ!」
こちらの動きにつられて、白虎が咆哮を上げながら突っ込んで来た。相変わらず、その体には雷が走り、時折激しく火花を散らせている。
だが、関係ない。その雷ごと、斬り伏せればいいまでだ。
「行くよ」
突っ込んで来た白虎が間合いに入り、右の爪を振り上げた瞬間に左の刀を薙ぐ。同時に、強い衝撃が体に襲い掛かってきたが、一切構わなかった。体が傷ついていくのを感じながらも、刀を振り抜く。
刃が鋭く雷を裂き、何かが断ち割れる音が低く響いては、それが地に落ちる。重々しい音が、小さく地面を震わせた。
「ガ、アッ……!?」
右の爪を振り上げた格好のままの白虎が、驚いたような声を上げた。振り上げられたはずの右腕は、そこにはない。綺麗な断面を見せながら、地面に横たわっている。
一瞬怯んだ様子を見せた白虎が、すぐさま落ち着きを取り戻して左の爪を前に突き出してきた。雷と、強い道具の加護を纏った鋼鉄の爪だ。それが、勢いよく迫る。
その一撃に合わせるように、すかさず右の刀を振り抜いた。互いの得物がぶつかり、乾いた音が鳴る。凝縮した加護は硬かったのか、傷こそつけたが斬れない。
互いに力を放出しながら押し合う。その度に、迸る衝撃が体を襲う。全身に、刃を当てられたような痛みが走った。
体は、切れている。それを何となくだが察していた。痛みを放つ場所から、生温かいものが流れるのを感じている。特に、額にある傷からは赤黒い血が流れ、ケイトの右目を閉ざさせるほどだ。
――間違いなく、この力の影響だ。
だが、そんなことはやはりどうでもいい。この体がどれだけ傷つこうが、自分のやるべきことをするだけだ。
互いに弾かれたように得物を引き、もう一度振るう。豪風が唸り、すぐさま刃と爪が激しくぶつかり合った。そのまま、また押し合う。
押し合いながら、ケイトは白虎と一つの目で睨み合った。純然たる殺意がぶつかり合う。
「……決着ヲ、ツケヨウ」
無機質な声が聞こえた。多分、白虎の口からだ。
白虎が不意に後ろへと飛び退き、左の爪を高々と振り上げる。頭上の黒雲が雷を発しながら、その爪へと引き寄せられるようにして集まっていく。
それらが雷雲というモノの道具の加護だというのは、すぐにわかった。白虎の左腕は目に見えるほどに帯電し、眩い白の光を放っている。
一度、白虎が勢いよく左腕を振る。集められた加護が巨大な刃となり、低い唸り声を上げながら空を斬った。
いやに巨大だ。元々大きかった白虎の爪の、二倍か三倍の大きさがある。何よりも、集められた力は相当なものだ。これまで食らった雷よりも、間違いなく強力なものだろう。
――だけど、怯みはしない。
今持てる力を全て使って、斬り伏せる。その思いは、一切揺らがない。
得物を低く構え、束の間睨み合う。間として、一拍。次の瞬間には、互いに駆け出していた。
「行くぞッ!」
「来イ……!」
間合いに踏み込み、得物を振るい合う。黒い光が二度空を裂き、巨大な白の閃光が豪風を唸らせながら縦に振り抜かれた。
何かの、断ち切る音が聞こえる。
互いに得物を振り抜いたまま、正対した。視線は交わり、どちらも微動だにしない。
それが、しばらく続く。
先に動いたのは、ケイトの方だった。振り抜いた刀が衝撃を生み出したのか、全身に強い反動が返って来る。体の至るところに斬撃のようなものを受け、血が噴き出した。身に纏っているものは瞬く間に血で汚れ、足元にはおびただしいまでの血溜まりができている。
痛みと大量の出血で気が遠退きそうになったが、白虎から視線は逸らさなかった。
唸り声さえ上げずに、白虎がまっすぐ視線を注いでくる。
不意に、赤い瞳からゆっくりと色が失われた。
白虎の顔の上半分が斜めにずれ、その体もまた、真っ二つになって左右に分かれた。白虎だったモノが地面に倒れ、重々しい音を立てる。淡い光を放ちながら、残骸が消えていく。
その様を見届けながら、ケイトは片膝をついた。刀を杖のようにし、痛みと疲労で荒くなった息を何度も吐く。
「勝った……」
消えていく白虎の体を見て、ようやくその実感が湧いた。刀を振るった時、この手には確かな感触があった。しかし、本当に倒したかまでは、自信がなかったのだ。
「よくやったね、ケイト」
シルクが、大太刀鋏を肩に担ぎながら歩み寄ってきた。見たところ、一切傷を負っていなく、息はまったく乱れていない。それは正直、驚くべきことだ。少し離れたところにいるホムラは満身創痍で、サラも所々傷ついているのか、右腕やお腹の辺りにうっすらと血が滲んでいる。相当の激戦だったはずなのに、シルクがほぼ無傷であるとは、俄かに信じられなかった。
唖然としているケイトに笑みを投げかけたシルクが、表情を改めてから今なお消えつつある白虎に歩み寄っていく。
白虎の傍に行くと、シルクがそっと屈みこみ、何かを掴むように前へと手を伸ばした。消えつつあった淡い光が、シルクの手の中に集まっていく。
「……それは?」
片膝をついたまま、ケイトは問いかけた。
「これは、守護獣の力の一端さ。こいつを適性のあるモノが継承することで、次の守護獣が誕生する。本来ならば、正しく継承させるべきなんだけど、状況が状況だからね。ひとまず、私の力でここに封じておこうと思う。撚糸を守るための結界も張るから、多分少しの間は安全だろう」
シルクがどこからともなく針を出すと、目にも止まらぬ速さで光を縫っていく。瞬く間に正方形の形にしてしまうと、今度はその光を地面へと縫い付けてしまった。
それを終えると、シルクがすぐさま槍のように長い針を具現化させ、再び素早く何かを縫う素振りを見せた。魔法の撚糸の周りに、何かが築かれていくのがわかる。しかし、透明なのか、この目にはその姿はまったく映らない。
縫い終えたのか、針を地面に突き刺しながら、シルクが一度深く息を吐いた。
「……これでよし。ツクノ、次の適性者を見つけたら、うまく継承させるんだよ」
「えっ、あっ、はい」
ぼんやりでもしていたのだろうか、ツクノが半ば上の空で返した。
シルクも気になったのか、いつもの拳骨ではなく、首を傾げながら問いかけている。
「どうしたんだい? 何か気になるのか?」
「えーと」
言い淀んだツクノが、一度ちらとケイトを見た。目が合い、ツクノがすぐに逸らす。
「……ケイトさまの、力のことですよ」
その言葉を口にした途端に、シルクの表情が強張った。
「ああ、そうだね。私も、気になっていた」
シルクがこちらに目を向け、怖い顔をしながら言葉を続ける。
「ケイト、お前のその力は強大だが、あまりにも危険過ぎる。それは、自分が一番よくわかっているだろう?」
ケイトは、黙って頷いた。今使った力が強力であると同時に、自身を傷つける諸刃の剣であるのは、身をもって実感している。体は深い切り傷だらけで、出血はまだ止まっていない。それが、太刀鋏の力を引き出し過ぎた結果によるものなのは、ちゃんと理解していた。
シルクが歩み寄り、ケイトの傷に優しく触れながら続ける。
「わかっているようだけど、一応忠告しておくよ。その力は、あまり使うべきじゃない。お前の力は、全てを斬り伏せる危うさを孕んでいる。誰かだけじゃなく、自分さえも傷つける暴の力は、使い方を間違えればいつか全てを失うことになるよ。肝に銘じておくんだね」
「……わかってる。使い方だけは、間違わないようにするよ」
ケイトの言葉に、シルクが呆れ顔で溜息を吐く。本当にわかっているのか。顔がはっきりとそう物語っていて、ケイトはごまかすように苦笑した。
それがあまりよく思われなかったのか、シルクが針を出すと、乱暴に傷を縫い始めた。
「この石頭め。ちゃんとわかっているのかい?」
「い、いだだだだッ!?」
叫び声を上げても、シルクは縫う手を止めてはくれない。麻酔も何もなしで縫ってくるものだから、針が通るたびに痛みが襲ってくる。
ただ、乱暴な手つきの割には、縫い方はとても丁寧だった。痛みも最初だけで、徐々に和らいでいくような気がする。
和らいでいると言えば、縫われた場所の痛みは徐々に薄らいでいった。結構深く切れていたと思うのに、ただ縫うだけでこれほど和らぐものなのだろうか。
「お前も知っているだろうが、これもユーザー能力の応用だよ。傷の縫合という事象を具現化し、加護を用いて縫えば、普通より傷はちゃんと塞がるよ。まあ、応急処置には変わりないから、少しは安静にしないといけないがね」
シルクが言いながら、傷を縫い続ける。
しばらくされるがままでいたのだが、シルクが塗っている間、ケイトは何故だか懐かしさを覚えていた。
この針捌きを、いつだか見ていた気がする。ずっとずっと、飽きずに眺めていた、過ぎ去った遠い日のある日。それを、何となく思い出した。
――なんでだろう。懐かしいな。
不思議な感覚に首を傾げながらシルクを見ていると、「よし」という言葉と共に、彼女がケイトの背中を思い切り叩いた。
「いっ!?」
存外強い力に、思わず前のめりに倒れそうになる。何とか堪えたが、背中はヒリヒリして痛い。
「応急処置が済んだところで、これからのことを話そうか。白虎を倒したとはいえ、気が抜けない状況に変わりはないからね」
シルクの言葉に、ケイトたちは頷く。
辺りを見渡し、シルクが一人一人に視線を向けてから、言葉を続けようとする。
それを、何かが倒れる音が遮った。
「お、おい! サラ、どうしたんだ!?」
ホムラの慌てる声が聞こえ、ケイトとシルクはすぐにそちらに目を向けた。
サラが、力なくうつ伏せに倒れていた。すぐさま駆け寄って彼女を見た途端に、思わず息を呑んだ。
サラの顔色は異様に青白く、吐く息は異常なほどに荒かった。意識はあるみたいだが、多分朦朧としているだろう。うっすらと開けられた目は、何も映っていないように見える。
そっと、サラの手を取る。とても冷たく、脈の鼓動はひどく弱い。
「これは、話している場合じゃないね。ひとまず、麓にある村で休ませないと」
「……大丈夫だよ。ちょっと、疲れただけだから」
サラがなんとか言葉を返してくるが、その声はあまりにも弱々しい。誰がどう見ても、大丈夫ではない。
シルクが、はっきりと溜息を吐いた。
「何がちょっとなものか。いいから大人しくしてな。ケイト、悪いがサラをおぶってくれないか?」
「う、うん。わかった」
「じゃあ、俺がサラを乗せるよ。一人で慎重には、難しいだろ」
「助かるよ、ホムラ」
頷いたホムラがサラをそっと抱き上げ、ケイトの背へと慎重に乗せる。異常な軽さに、少し驚いてしまった。華奢な体つきなのはわかっていたが、それにしても軽すぎる。背負っていても、あまり負担にならない。このまま、普通に走れそうな気さえするほどだ。
もちろん、サラが危険な状態である今、そんなことはしない。振動が伝わらないように、できるだけ慎重に歩くつもりだ。
背中におぶさったことで気でも抜けたのか、サラが力なくケイトに身を委ねてきた。気を失ってしまったようで、荒かった息の音も聞こえなくなった。
「色々気掛かりだが、まずは下山が先だ。行くよ、お前たち」
シルクの言葉に、素直に頷く。ゆっくりと、それでいてできるだけ早く、足を進めていく。
慎重に進む最中、ケイトはそっとサラの顔を覗き見る。
青白い肌をしたサラの顔は、苦しそうにずっと歪んでいた。




