5-13 雷獣白虎
その場に足を踏み入れた途端に、気持ちが引き締められるような思いに駆られる。
辺りの空気は、異様に冷たく、それでいて澄んでいた。一切の穢れがない、とでも言うのだろうか。あまりの清らかさに、ここに立ち入ってはいけないような気分になる。
不思議な感覚にある種の感動を覚えていたが、ケイトはこの場がうっすらと明るいことに気づいた。頭上には今もなお黒雲が立ち込めているのに、周囲の様子は何となく目に映る。岩肌ばかりだった足元が、ここは地面になっている。頂上ということもあってか、左右を遮るものはなく、大分開けているのが見えた。
何故だ、と思う前に、その答えが目に入った。頂上の真ん中に、一本の光の柱のようなものが立っている。それが、辺りを照らし出しているのだ。
真っ白な光を放つ柱のようなものからは、離れているのに尋常ではない加護を感じた。
「あれは、もしかして」
魔法の撚糸なのか。
そう口にして、一歩踏み出そうとしたその時、ひと際眩い光が空に閃き、雷鳴が轟いては柱の近くに雷が落ちた。
耳の奥まで震わせる凄まじい音だが、驚いている暇はなかった。
雷が落ちた場所に、巨大な獣が姿を現していた。普通の獣と較べて、三か四回りくらい大きい。姿かたちは虎のようではあるが、その体は鋼の装甲を纏っている。鉄鬼のような朽ちたものではなく、しっかりとした装甲だ。尾から顔の全てに至るまでが鋼に覆われていて、一切脆そうな部分がない。体中に張り巡らされた繋がりの糸ははっきりと見えるのだが、果たして刃が届くのか、見当もつかない。
その獣が、一度高々と吼えた。瞬間、衝撃が襲い掛かり、吹き飛ばされないように堪える。物凄い圧に、ケイトは思わず片目を瞑った。
雷が連続して轟き、唐突に強い雨が降り出した。肌を叩き始めた雨は勢いが強く、少し痛い。
「どうやら、私たちの気配を察知して、先に排除しようと思ったみたいだね。まったく、相変わらず好戦的な奴だよ、白虎のコハクは」
軽口を叩いているように聞こえるが、シルクの表情は真剣そのものだ。
「コハク……。やっぱり、鉄鬼になっちゃったんだ……」
ツクノが、寂しそうに呟く。その反応から、守護獣とは面識があったのが察せられた。
しかし、今は気にかけている暇はない。現れた鋼の虎は、異様な力と殺気を向けてきている。
――これが、雷獣白虎。
目の当たりにする守護獣の力に、体が嫌でも強張る。これまでの強敵とは違った強さに、緊張せざるを得ない。
だが、やるしかない。ケイトたちはそれぞれの得物を構え、白虎に向けた。
敵意を向けられたことに気づいたのか、白虎の赤の瞳がこちらを見据える。薄暗い中で鈍い光を放つそれは、どことなく不気味さを醸し出していた。
「グオオオオッ!」
白虎が再び吼え、その近くへと雷が二度落ちる。激しい衝撃を伴いながら地面に落ちた光は、消えることなくその場に留まり、形を作っていく。
その光は、瞬く間に獣のような形になった。こちらも、虎を彷彿させるような姿をしている。ただ、白虎とは違って装甲は纏っておらず、光によって形成された体を剥き出しにしていた。
「白虎の分身だね。お前たち、気を抜くんじゃないよ。小さい形をしていても、力は相当だよ」
シルクに言われなくても、油断する気は一切なかった。張り詰めたままの空気も向けられている殺気も、気を引き締め続けるには十分だ。それはきっと、他の皆も思っていることだろう。
「ツクノ、力を貸して」
「は、はい!」
ツクノがすぐさま背中に飛び乗るようにして、ケイトの体に憑依する。途端に、ここら一帯のモノの気配が鮮明に掴めるようになる。
ケイトとツクノの行動に、皆が驚いたような顔をしているが、今は説明している暇はない。
「グルルルル……」
低い唸り声を上げた二体の光の虎が、ゆっくりとこちらに迫って来ている。
ここは待ち構えることはせず、一気に斬り込むべきだ。二刀を引っ提げ、ケイトは一気に駆け出そうとする。
「待って、ケイト。分身は、シルクに任せましょ」
それを、ウルがすかさず止めた。
力を入れかけていた足を踏ん張って無理やり止め、ケイトは怪訝に思いながらウルを見た。しかし、ウルはこちらを見ず、シルクへと目を向けている。
「白虎は、あたしとケイトで何とかするわ。シルクは、ホムラとサラと一緒に、分身をお願い」
「別に構わないが、大丈夫なのかい? 正直、あんたたちだけじゃ厳しいと思うが」
シルクの言葉には棘があったが、それでもウルは気にした風もなく頷いている。
「わかってる。でも、ここで大きく力を使わせるわけにはいかないじゃない。あなたの力は、もう限られてるんだから。この先のことも考えると、いきなり無理はさせられないのよ」
――力が、限られている?
聞き捨てならない言葉を聞いたが、問いかけている暇はやはりない。ただ、その言葉は頭の中にしっかりと刻み込んだ。
「そういうことなら、わかった。あんたたちに任せるよ。だけど、言ったからにはしくじるんじゃないよ」
「誰がしくじるもんですか」
強気の笑みを浮かべたウルが、すぐさまホムラとサラへと顔を向ける。
「二人は、シルクをサポートして。言っとくけど、シルクに任せっきりにしないでよ。隙あらば、自分がメインを張るってくらいでやって」
「あ、ああ」
「任せて」
ホムラが半ば緊張気味に、サラがいつも通り澄ました感じに反応する。
一方的に戦略を決められたが、反対する気はなかった。寧ろ、明確な方針が指示されてありがたい。こんな状況では、冷静な判断はし辛いものだ。
ただ、懸念があるとすれば、ケイトがあの魔獣と向き合うということか。ウルがいるとはいえ、守護獣と向き合ってまともに対峙できるかはわからない。それに、彼女とはこの世界では今日出会ったばかりで、戦闘に至ってはまだ見たことがない。連携がちゃんと取れるのか、いささか不安があるのは否めなかった。
そんなことを思っている間に、二体の虎が一気に駆け出した。まっすぐ、ケイトの方へと向かって来る。
それを、前に出たシルクとホムラが、得物を振るって食い止めた。
瞬間、何かが弾けた音がし、二人の武器から火花が飛び散る。シルクは平然としているが、ホムラは顔を歪めていた。
「くっ……! 行け、ケイト!」
苦しそうに片目を瞑りながらも、ホムラが必死な声で促してくる。心配で駆け寄ってしまいそうだったのを、どうやら見透かされたらしい。
頷き、ケイトは二体の虎を避けて前へと進み、白虎といくらか距離を取りながら向き合った。ウルが、寄り添うように付き従う。
改めて正対すると、その迫力に圧倒されそうになる。近づけば近づくほど、体が強張っていく。
それを振り払うように、一度右の刀を横に払った。それで全てが紛れるわけではないが、緊張の糸が少しだけ切れた気がした。
「ウル、君はどうやって戦うの?」
小声で、そっと問いかける。戦いが始まってからでは、そんな確認もできやしない。
「あたしは、自身の体を加護で強化して、この爪と牙で戦うの。いわゆる、肉弾戦タイプってところね」
いつの間にか装備していた鉄の爪を見せながら、ウルが言った。
「自身の体を?」
「そう。動物は、その種族自体が共鳴道具でね。それぞれの特性を能力として使えるのよ。あたしの場合は狼だから、脚力や嗅覚、鋭い牙とかを具現能力にできるわ」
「えっ、ウルって狼なの……!?」
「ええ、そうよ。みんな全然気づいてくれなかったけど、あたしはれっきとした狼なんだから」
知らなかった。ケイトも家族も、ウルを犬だと思っていた。
衝撃的な事実につい驚いたままでいそうになるが、目の前にいる魔獣が現実へと引き戻す。今は、余計なことに気を引っ張られるわけにはいかない。
――とにかく、ウルの戦闘スタイルはわかった。
ケイトと同様に、接近戦を得意とするタイプだ。となると、攻撃がかち合わないように注意する必要がある。
もう少し話を詰めたかったが、生憎そんな時間はないらしい。
「ゴオオオオッ!」
白虎が顔を頭上に上げ、再び高々と吼えた。
途端に空が光り、一拍遅れて白虎の周囲に雷が落ちる。その範囲は、存外広い。いくらか距離を取っているのに、こちらの近くに雷は落ちた。衝撃の余波が、離れていても届く。
「くっ!」
あまりの衝撃に、手で前を防ぐようにしながら思わず目を瞑る。衝撃に乗って飛んできた雨の雫が、顔を強かに打った。
最中、目の前の気配が動くのを感じた。左。その動きは、異様に速い。
「ケイト、目を切らないで!」
ウルの言葉に、すぐさま目を開いて気配の方を見る。白虎が空を駆けながら、左から回り込んできているところだった。その白虎を、ウルが迎え撃つべく突っ込んでいる。
「ガアアアアッ!」
吼え声を上げた白虎が一気に加速し、最中、全身に雷を纏った。ウルへと瞬く間に距離を詰め、勢いそのままに前へと突き出した右の爪が、ひと際激しい電流を迸らせる。
巨大な爪が襲い掛かろうとした刹那、ウルの姿が視界から消えた。白虎の一撃が、虚しく空を裂く。
――どこに?
視線を巡らす前に、気配を探る。白虎の頭上だ。目を向けると、いつの間にか高く跳び上がったウルの姿が見えた。
「はあっ!」
落下しながら回転し、その勢いを利用したウルが、白虎の頭へと思い切り踵を打ちつける。鈍い音が、低く鳴り響いた。
しかし、白虎に効いている感じはない。頭上を睨むように向け、大きく口を開いては、何かをそこから放った。白い光の衝撃弾だ。これも、雷を身に纏っている。
「遅いわ!」
ウルが再び高速移動し、寸でのところでかわした。地上に降り立つと、一歩二歩と跳んで白虎から間を空ける。
凄まじい動きの応酬に唖然としかけたが、呆けている場合ではない。ウルが退いた今、次はケイトが攻める番だ。間断なく攻めないことには、この強敵を倒す勝機など掴めっこない。
ウルとは違う方向から一気に間合いを詰め、白虎の懐に入る。注意がウルに向いていたから、白虎がケイトの接近に気づくのに二拍の遅れがあった。
懐に入り様に、両の刀を振り抜く。狙いは、右の前脚の付け根にある、装甲と装甲の継ぎ目の部分だ。そこも目に見えて分厚いが、装甲ほどではない。繋がりの糸に攻撃が届くとしたら、多分そういう場所だ。
加護は、最初から全開だ。太刀鋏は既に、薄紫の光をその身に宿している。
唸りを上げた二刀の刃が、装甲の継ぎ目を襲う。右の刃が装甲を傷つけ、左のそれが鋼を断つ。火花が二度散り、鋼の欠片が宙を舞った。
――斬れる。
少なくとも、オウリュウの化け物龍よりは硬くはない。
そう思ったのが、いけなかった。
「ケイトさま、気を抜いちゃダメッ!」
ツクノの叫んだような声が聞こえ、ハッとした時には、もう遅かった。
赤い瞳をぎろりと向けた白虎が、斬られたことなど意にも介さずに攻撃を仕掛けてくる。左の爪が、薙ぎ払うように振るわれた。何とか回避しようと咄嗟に動いたが、距離を取り切ることができず、一撃の余波をまともに食らってしまった。
「ぐあっ……!」
勢いよく吹っ飛ばされ、地面に二度三度と転がる。雨で湿った大地を転がり、口の中に泥の味が広がった。
すぐに立ち上がったが、体のあちこちが痛んで顔をしかめた。直撃を受けたわけではないのに、凄まじい威力である。まともに攻撃を食らえば、おそらく無事では済まない。
一瞬たりとも、気は抜いてはいけない。口の中の土を吐き出してから、ケイトは一度深呼吸した。




