4-2 向こうの僕は
「……本当に、いなくなるんだな。この世界に来た人間は、不意に消えるって聞いたことがあったが」
呆然としていたホムラが、溜息交じりに言った。
「そうですね。この世界に迷い込む人間さんのほとんどが、夢を見ている状態で来てますから。起きてしまえば帰っちゃうんですよね」
「成程な。だとしたら、サラは凄い奴だよ」
「えっ。いきなりどうしたんです、ホムラ? ちょっと気持ち悪いんですけど」
「おい」
少し怖い顔をしたホムラがツクノに近づき、その両頬を思いっ切りつねって引っ張った。
「ぎにゃあああッ!」
ツクノが、声にもならない悲鳴を上げた。
そのままの体勢で、ホムラが続ける。
「人間は、眠っている間しかここには来れないんだろ? しかも、毎回来れるかわからない。それなのに、サラはこの世界に頻繁に来て、しかもハイ・ユーザーになってる。いい意味で、普通じゃないさ」
「あっ、うん。そうだね」
真顔でいいことを言ってるっぽい雰囲気を出しているが、ホムラの手元のせいで台無しだ。それに、じたばた暴れるツクノのせいで、ホムラの言葉に全然集中できない。
「そういや、お前はどうなんだ、ケイト? 人間なんだから、お前も目が覚めたら帰るのか?」
「えっ、どうなんだろう?」
そんなことを考えもしなかったから、つい悩んでしまった。ケイトもサラのように、向こうの自分が目覚めたら、この世界から消えてしまうのだろうか。
「もう、はーなーしーてー!」
思いっ切り暴れたツクノが、ホムラの手を振り解いた。
真っ赤になった頬を擦りながら、ツクノが涙目でケイトたちを見る。ホムラを一度キッと睨みつけたが、どうやら恨み言よりも肝心なことを口にする方が大事だと思ったらしい。何度か深呼吸して気持ちを落ち着けたツクノが、申し訳なさそうな表情を浮かべた。
「え、えーとですね。結論から言いますと、ケイトさまが帰ることはないです。どんなに時間が経っても、ここにいたままですよ」
「どうして?」
「それはですね。ケイトさまそのものが、この世界に連れて来られたからなんですよ。初めてお会いした時、そのまま引っ張って行ったのを覚えてます?」
言われてみれば、確かに部屋にいるところを無理やり引っ張られ、この世界に飛ばされた気がする。
「……あれ、ちょっと待って」
ふと頭に過ぎったことに、背筋が寒くなる。
「もしかして、向こうの世界に僕はいないの?」
「はい!」
元気いっぱいに答えられ、ケイトは額に手を当てた。嫌な想像が、当たってしまった。
――向こうの世界に、僕がいないってことは、つまり。
胸の内で呟いた言葉を、途中でやめる。続きは、できれば口にしたくない。
しかし、そんな気遣いを、二人がしてくれるはずもなかった。
「じゃあ、もしもケイトがこのまま帰れなかったら、向こうの世界では行方不明ってことになるのか。いや寧ろ、今まさに行方不明か」
「そうなりますねぇ」
何でもないことのように言われ、少し、いや大分傷ついた。クロス・ワールドを救うために無理やり連れて来られたのに、向こうでは行方不明扱いにされるなんてあんまりだ。
「だ、大丈夫ですよ、ケイトさま。時間の流れが違いますから、向こうではまだあんまり時間が経ってないはずですよー」
落ち込んでいるケイトに気づいたのか、ツクノが慌ててフォローしてくる。気休めでも、少しだけ嬉しい。
少しだけ、気分が落ち着いた。
「……それにしても、この世界の仕組みは不思議だね。人が迷い込んだりするのもそうだけどさ」
「んー。今はまあ、こんな感じで済んでますからいいんですけどね。大昔は、大変だったんですよ。世界が引っ付くほどに繋がっていたせいで、神隠しとかも結構あったんですから」
「おい、ちょっと待て。大昔って、いつの話だ?」
ホムラの言葉に、ツクノがハッとする。何かまずいことを口にした。そんな感じの表情を見せ、冷や汗を流している。
ケイトとホムラは疑問に思って顔を見合わせ、またツクノを見た。
束の間、沈黙が流れる。
「……とにかく、昔です! ホムラ、乙女の年齢にまた口を出すんですかぁ?」
ごまかすように強い口調で言ったツクノが、指をくいっと動かし、ホムラの庖丁を浮かせようとする。それに気づいたホムラが、顔を引きつらせて首を横に振った。
「で、では、おしゃべりはこれくらいにして、ファクトへと向かいましょうー!」
ツクノが真っ先に前へと飛び出し、手を振りながら先導してくる。
ホムラが苦笑し、「行こうぜ」と促してくる。少し釈然としないものを抱きながらも、ケイトは頷いた。
――また、はぐらかされたな。
歩きながら、それを強く思う。
やっぱりツクノは、何かを隠している。話したくない何かを、その小さな体に隠している。
「大昔、か」
ツクノが口を滑らせた言葉を、反芻するように呟く。
一体いつから、ツクノは生きているのだろうか。二百年以上と前は言っていたが、そんな程度ではないように思えてならない。それに、彼女が鬼一法眼の名を聞いて動揺したことも、ケイトの頭に引っかかっている。
――もしかして。
一つの仮定が、頭の中に浮かぶ。あまりにも不明瞭で、その姿を捉え切れないが、何とか手を伸ばして仮定を導こうとする。
それを、ケイトを呼ぶ声が遮った。
「おい、ケイト。何をしているんだ。早く行くぞ」
立ち止まったままだったケイトを、ホムラが大声で呼んできた。
いつの間にか、二人と大分距離が空いている。
「すぐ行くよ」
頭の中の想念を何とか打ち消そうとしながら、ケイトは前を行く二人を追いかける。
しかし、なかなか消えない。疑念にも似た仮定は、自分の気を引いてばかりいる。
――ツクノが、伝承の少女なのではないか。
確証はない。今のところそれは、ケイトの想像でしかない。しかし、想像通りだとしたら、何故ツクノは隠そうとするのか。ツクノは一体、何を抱えているのか。
疑問は、尽きない。考えることをやめようとしても、遮るように増えるばかりだ。
「……今、どう思おうが、仕方がないことか」
溜息交じりに、そっと呟く。
自分の中だけで考えても、答えは出ない。そう自分を納得させ、付き纏うように離れないその仮定を振り切るように、ケイトは思い切り走った。




