3-3 暴食のフーズ
雷鳴の音が、絶えず聞こえる。
頭上に垂れ込む雲は常に黒ずんだものを含んでいて、雨こそ降らないが時折眩い光を放つ。それは四六時中のことで、日が差すことは近年ではたったの一度さえもない。西の最果てにある雷鳴の山岳、ジェネレイトの日常的な光景だ。
クロウズに従う兵たちが、息を切らしながら山岳地帯を進んで行く。辺りは少し黒ずんだ岩肌が広がり、足元は不揃いの岩が並んでいるせいで歩きづらい。
ここには、正直なところあまり来たくはない。常に薄暗くて気分が滅入るのもそうだが、雷鳴が耳障りなのが一番の理由だ。それでも来なきゃいけないのは、ローグの森の拠点を捨てなければならなかったからである。
「まったく、嫌なところだぜ」
遠目に映る稲光に目をやりながら、吐き捨てるように言う。
こんなところに解放軍の拠点を構えられるフーズの気が、クロウズには知れなかった。
しばらく歩いていると、遠目にひと際高い塔のようなものが見えた。この落雷地帯の避雷針だ。そこを目指して、クロウズはさらに進んで行く。
やがて、避雷針の近くにある岩肌の洞穴に辿り着いた。
洞穴の前では、筋骨逞しい大男が目を瞑りながら腕組みをして佇んでいた。
「よう、フーズ。わざわざ出迎えとは、ご苦労なこったな」
大男に近づきながら、クロウズは片手を上げて呼びかけた。
解放軍三将星の一人、暴食のフーズ。それがこの大男の名だ。
声と足音に気づいたフーズが、ゆっくりと双眸を開く。
「クロウズか。報せよりも大分時がかかったようだな。ここまでの道のり、そう難くはないはずだが」
「馬鹿言うな。この山岳地帯を楽に進めるのは、お前の部下だけだぜ。普通の奴じゃ、まともに歩くのもままならねえよ」
「むう、そういうものか」
真顔で言うフーズからは、一切の冗談が感じられない。昔から超がつくほどの生真面目な性格で、嘘や冗談は一切吐かない男だ。ここの地形が歩くのに苦しい地形だと、微塵も思っていないに違いない。
実際、体力と肉体が自慢なだけあって、ここで日々を過ごしていてもけろっとしている。化け物じみた男だ。
「それにしても、いい時に来てくれたな、クロウズ。丁度、人をやって呼ぼうと思っていたところだ」
「あん? 俺がお前のところに厄介になるって言ったのに、そいつはどういう意味だ?」
「シェルトから、文を預かっている。お前に、すぐに来てほしいそうだ」
「何だって?」
フーズの懐から差し出された手紙を、半ばひったくるようにして奪い取る。
そこには、シェルトからの合流の指示が記されていた。わざわざクロウズを指名して、やってもらいたいことがあるらしい。
「……ったく、冗談きついな、おい」
手紙を読み終えて、忌々しい思いを吐き捨てるように口にした。
折角、来たくもないジェネレイトに来たのに、すぐに移動しろときた。クロウズも部下たちも、こんなところを苦労して物見遊山しに来ただけになる。冗談にしても笑えない話だ。
「そう言うな。シェルトの考えに、間違いなどない。今も昔も、それは変わらないだろう?」
「んなことはわかってる。ただ、部下たちが不憫になっただけだ」
クロウズはまだまだ余裕だが、大半の部下が息も絶え絶えだった。何と言っても、ローグの森に置いてあった物資を運びながらこの山岳地帯を移動してきたのだ。どんな体力自慢も辛いに決まっている。
そんな部下たちに、これからまた長距離の移動を告げなければならないのは、さすがに少し気が引ける。シェルトがいる解放軍の本拠は、この国の王都から見て真北の方面にある。ここからだと結構距離があり、走って行ったとしても何日もかかるだろう。部下たちは、また苦労することになる。
「それにしても、大それたことを考えたものだぜ。フーズ、お前が派手に動き始めたのも、作戦の一つか?」
「そうだ。シェルトから、目立つ動きをしろと命ぜられた」
「だから、人を動員して撚糸を探してんのか。そりゃ確かに目立つわな。だが、どっからそんなに人を調達した?」
フーズが撚糸探しに動員した人の数は、数えるのも億劫になるほどに多い。大きめの都市の住民全てを注ぎ込んだかのような人数だ。
「これまで占領した村落から動員した者たちが大多数だが、一番多いのは麓にいた住民だな」
「ああ、廃都ヌクリアに潜んでいた奴らか。そういや、ここらを占領した時に、大多数を捕らえたっけな」
この山岳地帯の麓には、荒廃した街がある。かつては西の供給口と呼ばれた、ヌクリアという都市だ。在りし日は多くの人が行き交い、賑わっていたが、今はジェネレイトが落とす雷に何度も晒され、すっかり寂れてしまっている。遠方から来る人は、途絶えてしまって大分久しい。
ただ、ヌクリアは無人になったというわけではなかった。そこの住民が、誰もいなくなったと見せかけながら拠点として使っていたのだった。この近郊で採れる鉱石は貴重で、売れば莫大な利益をもたらす。ここの奴らは、それを独占するためにヌクリアにしがみついていた。
自身の我欲に塗れた奴を、解放軍は許さない。完膚なきまでにぶちのめし、独占による甘い汁を吸おうと思う心を圧し折ってやった。今では奴らは、解放軍の体のいい労働力だ。
「大量の人を使ってるが、糸は見つかりそうなのか? 作戦がうまくいっても、肝心なものが見つからないんじゃ、あまり意味がねえぞ」
「大丈夫だ、既に当たりはつけている。邪魔さえ入らなければ、すぐにでも見つかるだろう」
「邪魔さえ入らなければ、ね。はっ、それが一番無理ってもんだぜ」
ある作戦のためとはいえ、フーズは派手に動き過ぎている。王都に報せが行くのは時間の問題だろう。そうなれば、必ず手練れの道具使いがこの地に派遣される。
――俺の予想が正しければ。
まず間違いなく、あいつらが来る。
思わず、体が震えた。この前の戦闘を思い出し、体が歓喜で打ち震えているのが自分でもわかる。作戦がなければ、自ら迎え撃ちたいくらいだ。
「じきに王都から、手練れの道具使いが送り込まれると思うぜ。そいつらに邪魔される可能性は、十分高いな」
「そうか。ならば、抜かりなく備えておこう。しかし、王都にそんな人材がいるのか? 奴らの騎士団は出払っている。そんな手練れが残っているとは」
何かに気づいたのか、言いかけたフーズが言葉を途中でやめた。
「……いや、いるな。クロウズ、お前が戦ったというユーザーか」
思わず、口元に笑みが浮かぶ。
フーズには、クロウズがここに来る前の経緯を、先行させた部下に伝えさせてある。クロウズが手痛い反撃を受けたことは、ちゃんと頭に残っていたようだ。
「強いぜ、あいつら。まだまだ粗削りだが、油断ならねえ。きっちり迎え撃たねえと、後れを取ることになるぞ」
「ふむ。ならば、ヌクリアの民をより働かせ、過酷な仕打ちをするか。民が虐げられているのを見れば、まず間違いなくその者達は助けに入るだろう」
「はっ、真面目そうな面をしてるくせに、やることがえげつねえな」
「仕方があるまい。勝つためならば、多少の犠牲も非難も、甘んじて受けるべきものだ」
厳粛な表情を崩さずに、フーズが言い切る。軍人然としているこの男は、勝利のためならば全てを斬り捨てられる。それは時々、空恐ろしく思うことがある。
「それで、人質がいたぶられてるのを見たあいつらを、どう叩き潰すつもりなんだ?」
「手立ては考えてある。ガンナ」
「呼びました、フーズ様?」
女の声が返ってきて、その方へと顔を向けた。
ガンナと呼ばれた青の軍服を身に纏った長身の若い女が、勝気な笑みを浮かべながら現れた。
「お前に侵入者の排除を命じる。できるか?」
「もちろん。あたしの手にかかれば、腕利きのユーザーだって一発でお陀仏よ」
顔に余裕なものを浮かべ、片目を瞑りながらガンナが言った。
ガンナの実力を知っているからか、フーズが満足げに頷く。だが、クロウズは少し不満だった。自信たっぷりに言い放つこの女が、気に食わない。
「おい、フーズ。本当にこいつに任せるのか?」
「あら、失礼ね。あなた、あたしのことが信用ならないの?」
クロウズの言葉を聞き咎めたガンナが、面白くなさそうに睨んできた。
「当然だろ。お前は俺の部下じゃねえから、実力は知らねえ。何より、大口を叩く奴は信用する気はねえんだ」
「ふうん。だったら、実力を見せればいいのね?」
ガンナがゆっくりとクロウズから距離を取っていく。十歩二十歩と進み、三十歩を過ぎた辺りで足を止め、ガンナが振り返る。それと同時に、指を銃のような形にし、狙いをつけるようにこちらへと向けてきた。
刹那、ガンナの手が小さく上に動く。何かが唸り声を上げ、空を震わせたのが聞こえた。
視線の先には、一見すれば何もない。しかし、物凄い勢いで迫って来るものがあるのを感じる。あまり音は聞こえないが、何かが飛来しているのは明白だ。
――あれは。
少し先の空中が、微かに揺らいだことに気づいた。異様な勢いによって起きた風圧が、飛来するものの姿を一瞬だけ見せてしまったのだろう。ただ、その何かはもう間近にまで迫っている。そろそろ回避に移らないと、直撃するかもしれない。
しかし、クロウズはそのまま立ち尽くした。迫り来るものの正体は、何となくだが掴んでいる。防ぐことも避けることもできるが、そんな行動を取ってやるのが癪だった。
飛来物は、そのままクロウズの頬を掠めていった。鋭い勢いだったからか、掠めた頬がじんわりと熱を帯びる。
「あら、動かないのね。全然見えなかったのかしら? それとも、かわせなかっただけ? どっちにしても、ハイ・ユーザーに最も近い男も大したことないのね」
こちらに歩きながら得意げに笑うガンナを睨むように見るも、この女は一切堪えた風を見せない。寧ろ、クロウズを侮っているような目をしている。
「まあ、これでわかって頂けたかしら? あたしの能力が、いかに優れているかが」
「さあな。実戦向きではあるだろうが、それが優れているかどうかはわからねえよ」
あくまで馬鹿にしたような言葉に、ガンナがキッと睨んでくる。その目を、薄ら笑いを浮かべながら見返した。
「口の減らない男ね。いいわ、あたしが速攻でその手練れを倒す。その時は、土下座して謝ってもらうわよ」
「はっ、かまわねえよ。そうなりゃいいけどな」
「ほんっと、口の減らない男」
面白くなさそうに舌打ちし、ガンナが早足でこの場を離れていく。その姿は見る見るうちに遠ざかり、やがて見えなくなった。
「……負けるぜ、あいつ」
姿がなくなったのを見計らって、クロウズはそう口にした。
「ほう。何故そう言い切れる? お前も、彼女の能力は目の当たりにしただろう」
「ああ。能力自体は、確かに優れている。いや、凶悪と言ってもいいだろうな。まともに戦えば、並の奴なら手も足も出ねえだろうさ」
「ならば、何故だ?」
「超がつくほどの高慢な性格のせいさ。あれが、能力を曇らせる」
フーズの厳粛な顔が、納得したように微かに曇った。こちらの言おうとしていることが、何となくわかったらしい。
「あの女は、自分に自信を持ち過ぎだな。相手の力量を見極めねえで、舐めてかかってやがる。そんな奴が、俺と渡り合ったあいつらに勝てる道理はねえよ」
「うむ、その通りかもしれん。お前がわざと何もしなかったのすら、わかっていなかったように思えたからな」
「んだよ、気づいてたのか。だったら、指摘してやれば良かったじゃねえか」
「部下を甘やかせる趣味はない。自ら欠点に気づかねば、意味はないのだ」
「はっ、何だそれ」
つい、苦笑が漏れる。
変なところで堅い男である。真面目と言うかなんと言うか、とにかく面倒な奴であることに変わりはない。
だが、だからこそ信用できる。昔からの付き合いというのもあるが、それ以上にこのある意味わかり易い性格は、裏表を一切感じさせない。
「フーズ、お前自身が戦う準備もしておけよ。繰り返すようだが、あの女はすぐに負ける。あいつらを侮っている以上、確実にな」
「わかった。最善を尽くしておこう」
頷いただけで、クロウズはそれ以上のことは言わなかった。この男に、余計な忠告は不要だ。いくらかある心配事を口にしても、余計なお世話と言うものだろう。
話すことも話し終え、部下を待たせているところへ向かうべく、クロウズはフーズに背を向けた。フーズは何も言わないが、まっすぐ向けられる視線が見送りだということは何となくわかった。
クロウズもそのまま去ろうとしたが、不意に頭の片隅にケイトの姿がちらついて、足を止めた。
自分のユーザー能力を見切り、対応してきたあの実力。いや、能力と言うべきか。あれの前では、さすがのフーズも苦戦するかもしれない。フーズ自身の能力はともかく、得意としているある技は、多分ケイトには通用しない。
それを思ったら、つい忠告したくなった。振り返り、怪訝そうに見てきたフーズに、老婆心と思いながらも声をかける。
「お前が負けるとは思わねえが、ヤバそうだったら迷わず退けよ。あいつの能力は、こっちの力を見切ってくる。油断すれば、痛い目じゃ済まなくなるかもしれねえからな」
「お前がそう言うのならば、そうなのだろう。わかった、肝に銘じておく」
フーズに頷き、クロウズは再び前へと向き直ると、歩みを進めた。
部下のもとへと向かっている間、不思議と気分は高揚していた。さっきは自信過剰な女のせいで気分を損ねたのだが、今ではそんなことは些末なものに過ぎないと思える。
それは多分、ケイトたちとの戦闘を思い返したからだろう。
あれほど楽しめた戦いは、ここ最近ではなかった。ましてや、果敢に向かって来る奴すらいなかった。皆、クロウズの名を聞いただけで逃げて行ったものだ。
二人とも、名を聞いても退くことはなく、挑みかかってきた。ホムラは何度技を防がれても諦めることはなかったし、ケイトは戦いながらこちらの能力を見切り、反撃の一手を打ってきた。あれは、なかなか楽しかった。
「戦いは、やっぱああじゃなくちゃな」
思わず、右の口角が吊り上がる。
正直な話、あいつらとはもう一度戦いたい気持ちがあった。あの時は時間稼ぎのために、少し手を抜いていたところがある。状況が状況だっただけに仕方がないが、できることならば再戦し、今度は最初から全力でぶつかり合いたい。
尤も、ここであいつらが負ければ、それまでだ。
だが、もしものことがあれば。解放軍にとっては面倒なことになるが、クロウズにとっては楽しいことになる。
「……さて、運が強いのは誰だろうな」
ぽつりと呟き、それから遠目に見えてきた部下たちのもとに急ぐ。
その最中、頭の中に一つの思いが過ぎり、咄嗟に否定する。しかし、フーズが負ければいいという思いを、クロウズは否定し切ることができなかった。




