11-15 決着
もがいていたオウリュウが、ピタリと動きを止める。
先程まで喚いていた口からは、声さえも途絶えた。こちらに向いている禍々しいまでの赤い双眸は、依然として妖しい光を放っているが、それもやがて消えた。
オウリュウの真っ黒な体に一筋の亀裂が入り、真ん中からゆっくりと左右に断ち割れていく。水分を多分に含んだ泥が、断面からいくつも流れ落ちた。それは床に落ちる前に、煙のように溶けて消える。
その体が離れ切る前に、ケイトはもう一度刀を振るった。狙いは、オウリュウの中心にあった、微かな光。ただ今度は、斬るためではない。
泥の体に溶け込み、一緒に消えてしまいそうだった光が、刃に触れることで輝きを増した。
光は徐々に徐々に大きくなり、やがて少年くらいの大きさになった。宙に浮いていたそれは、ゆっくりとケイトの目の前に降りていく。
「カ、エ、セ……! ソ、レ、ハ、我、ノ……!」
崩れていく泥の龍から、禍々しい声が発せられる。ばかりか、また黒い手を伸ばし、光を奪い取ろうとしてくる。
その手を、ケイトは無言のままに切り払った。そしてもう一度、崩れていく龍の体に一撃を叩き込む。
「ア、アア……」
呻きにも似た断末魔の声を上げ、龍の体は完全に崩れた。真っ黒な泥は形を失って霧散し、仄かな光を放つ粒となって宙を舞った。
「や、やった……! ケイトさま、やりましたよ!」
嬉しさのあまりか、憑依を解いて表に出てきたツクノが、顔を綻ばせながら言った。
ケイトは頷いたが、まだ気は抜かなかった。ツクノも察したのか、表情を改める。
まだ、もう一つ懸念が残っている。
目の前に降り立った光は、もう輝きを放つことはしていなかった。光は、完全に人の形を成し、一人の少年が眼前に現れていた。
力なく座り込み、項垂れている白髪の少年に、ケイトはしっかりと見覚えがあった。
「オウリュウ……」
ツクノが、心配そうに声をかけた。
その声に反応したのか、オウリュウがそっと顔を上げる。寂しげな目と、すぐに視線がぶつかった。
「……まさか、この僕が人間風情に負けるなんてね。しかも、モノにまで歯向かわれるなんて。まったく、悪い夢だよ」
オウリュウの呟くように言った言葉に、ケイトはツクノと顔を見合わせ、ほっと息を吐いた。オウリュウからは、さっきまでの荒々しい力は感じない。敵意も、鳴りを潜めている。少なくとも、これ以上戦う意志はないように思えた。
ケイトはそっと屈み込み、オウリュウと向き合った。
「でも、寝覚めとしては悪くないだろ?」
「さあ、どうだかね」
口元に笑みを浮かべたオウリュウが、頭上を見上げながら遠い目をする。表情は、相変わらず寂しげだ。
「……結局、何が正しかったんだろうな。シルクを手にかけてまで、世界を支配しようとしたのに。僕は、世界どころか、自分さえも支配することはできなかった。僕の抱いた思いに、意味はあったんだろうか」
「あるに決まってるだろ」
ケイトは困ったように笑みを浮かべてから、オウリュウの肩に手を置く。
オウリュウが、不思議そうな顔をしながらこちらを見てきた。
「確かに君は、行き過ぎた行いをしてきた。世界を危険にさらした。でもそれは、全てを支配したかったからじゃないだろ?」
オウリュウが黙る。なんて言えばいいのか、わからないといった顔をしながら。
「君は、本気で怒っていたんだ。モノのことを誰よりも思っていたからこそ、理不尽が罷り通っているのが許せなかったんだ。だから、自分の手で全てを変えようとしたんだろ? モノの未来が、ちゃんと明るいものであればいいと願いながら」
問いかけてみても、オウリュウの口は閉ざされたままだ。ただ、胸の内を言い当てられたことに驚いているのか、両の瞳は大きく見開かれている。
当てずっぽうを言ったわけではない。オウリュウが抱いていた思いは、朽ちた龍を断ち切った時に不思議と伝わってきたのだ。多分、憑依していたことによって、オウリュウの心の奥を無意識のうちに覗いてしまったのかもしれない。
沈黙を続けるオウリュウに、ケイトは言葉を紡ぐ。
「君のしたことは、許されないかもしれない。だけどさ、僕は君を裁こうとは思わないよ。ここで君を壊しても、それこそ意味はないから」
「……どうしてだ?」
やっと返ってきた言葉は、疑念に満ちていた。
「決まってる。僕は、この世界を救うために呼ばれたんだ。モノの未来を守るために、ここにいるんだ。だったら、誰であろうと救わなきゃ。どんなにひどいことをしていても、君だってモノの一つなんだ。手ぐらい、差し伸べるよ」
「そうですよ、オウリュウ」
ツクノが、にこりと笑みを浮かべながら割って入ってきた。
「あなたを一人ぼっちにさせるなんて、わたしもケイトさまも望んでません。シルクさまだってそうです。ずっとずっと、あなたが救われるのを願ってた。あなたが誰かの手を取ってくれるのを、ずっと望んでたんですよ」
「シルクが……?」
「そう。敵対しても、シルクさまはあなたのことをずっと気にかけていたんです。もっと言えば、あなたを封印してしまったことを、後悔していたんです。
ほら、と二人で手を差し出す。オウリュウが戸惑いながら、ケイトの手と顔を交互に見比べる。
束の間そうしていたが、ためらいながらもオウリュウが、そっと手を伸ばそうとする。
互いの手が触れ合いそうな距離まで近づいた。
瞬間、何かの崩落音が聞こえて、それは遮られた。
「な、何だ!?」
咄嗟に辺りを見渡し、ケイトは愕然とした。壁や天井が音を立てながら、崩れ始めている。周りには、早くも瓦礫の山が築かれつつあった。
「……支えがなくなったからだよ。この城は、僕の力で作り出している。お前に負けて余力が残っていない今、城が崩壊するのは当たり前のことさ」
「だったら、早く逃げないと!」
「ケイト!」
不意に、ケイトの言葉に被せるように声が聞こえてきた。そちらへと咄嗟に目をやる。ウルだ。荒い息を吐きながら、こちらに向かっている。
そのウルが、近づきながら姿を変えた。灰色の綺麗な毛並みの、狼の姿だ。
「あたしに乗って! このままじゃ、城の崩落に巻き込まれるわ!」
「あ、ああ……。いや、ちょっと待って!」
すぐさま振り返り、オウリュウへと手を差し伸べる。怪訝な顔をしながら、オウリュウが見つめてきた。
「一緒に行こう。君は、自分で後悔してるんだろ? だったら、生きて償わなきゃ」
「……冗談はよせよ」
一度苦笑したオウリュウが、手を払い除ける。そうされたことが少し衝撃で、ケイトはすぐには二の句が継げなかった。
「僕は、この世界のモノにひどいことをし過ぎた。今更、許されるわけがない。だったら、もう誰かの前に現れないようにするべきだろう?」
「そんなことはない! 君だって、救われていいはずだ。死んで償うなんて、それこそ許されるわけがないだろ!」
「勘違いするなよ」
遮るように言ったオウリュウが、不敵に笑った。
「これで、終わりにする気はないさ。僕は、僕の好きなようにするのだから。それに」
オウリュウが言葉を切り、俯いては言い淀む。
しかし、ほんの一瞬だけだ。すぐに顔を上げたオウリュウが、微かに口を動かす。
「……それに、僕はどうやら、死んではいけないみたいだから」
「えっ? 今、何を」
紡がれた言葉があまりにも小さくて、ケイトはうまく聞き取れなかった。
オウリュウが目を瞑り、一度口元に嘲るような笑みを浮かべる。
「何でもない。いいから、さっさと行けよ」
「ケイト、早く!」
オウリュウが吐き捨てるように言い、ウルが必死に促してくるから、もう諦めるしかなかった。
「くっ」
小さく毒づき、それからウルの背に乗る。ウルが、すぐに来た道を戻り始めた。勢いをつけて、風のように駆けていく。
「ケイト」
瞬間、背中に声がかけられた。オウリュウの、小さな声だ。ケイトは、咄嗟に振り返った。
一筋の涙を流したオウリュウが、口元に笑みを向けながらこちらを見ている。
「……お前が信じた未来、悪くはないかもな」
その言葉を遮るように、天井が激しい音を立てながら崩れ落ちた。瓦礫がオウリュウの傍に落ちていき、その小さな姿を覆っていく。もうもうと土煙が立ち込め、オウリュウの姿はあっという間に見えなくなった。




