2-6 ローグの森へ
街道を、馬車が風のように駆けていく。
王都からローグの森へと続く街道、ではなく、ケイトが最初に一泊した村から伸びている街道である。
理由は単純だ。あの状況でまっすぐ目的地に向かっても、満足に働けないと思ったからだ。食事もそこそこで、休息も僅か。そんな状態で偵察任務に赴いても、良い結果は出ない。そんなことならば、一夜を過ごしてから再出発した方が良いというのが、三人で食事中に出した結論だった。
一度村へと向かい、そこで一泊してから改めて森へと向かった。
昨日初めて乗った時も思ったが、馬の脚は相当速い。周囲の風景があっという間に通り過ぎ、瞬きした時には別の光景が広がっていたりする。車の具現化というのは、本当のことのようだ。
「この分なら、ローグの森にはすぐに着きそうだね」
地図の上を動く矢印を見ながら、ケイトは言った。
どうやらこの世界の地図は、持ち主の現在位置を矢印で示してくれるらしい。これのおかげで迷子になる心配はなく、とても便利だ。
「だったら、目的地に着く前に方針を決めておこうか」
「そうだね。ただ闇雲に進んでも、危険なだけだろうし」
二人で頷き合うが、いつもの賑やかな声が割って入ってこない。少し待ってみても、馬と馬車の駆ける音が聞こえるばかりだ。
いや、他の音が微かに聞こえる。寝息のような、小さな音だ。
そっと隣に目を向けると、気持ち良さそうに眠っているツクノの姿が見えた。
「って、何寝てんだ、ちっこいの」
「ふにゃあ!?」
ホムラが、ツクノの両頬を思い切り引っ張った。ツクノが悲鳴を上げ、目を丸くしながら慌てふためく。
困ったように笑ったホムラが、ぱっと手を離した。
「いたた……。な、何するんですかー!」
「これから大事な話をするってのに、寝てる方が悪いだろ」
「だってぇ、朝早くに出て来たんですよ!? 眠いのは仕方がないじゃないですかー!」
ツクノが涙目になりながら訴える。確かに、日が出始めた頃にケイトたちは村を出発した。その気持ちはわからなくもないのだが、さすがに今の状況では眠気などすぐに吹っ飛んでしまうだろう。少なくとも、ケイトとホムラはそうだ。
「まったく、緊張感がない奴だな。これから、鉄鬼がいる場所に行くんだぞ? しっかり方針を立てないと、すぐにお陀仏だ」
「うぐ。わ、わかってますよぅ。……それで、どうするんですか?」
不満げに頬を膨らませたツクノが、首を傾げながら促してくる。
「ひとまず、慎重にゆっくりと進もうと思う。森の中は鉄鬼がうろついているって話だし、見つかるような動きは適切じゃない。それに、あくまで目的は偵察だからね」
「まあ、それしかないよな。だったら、ケイトとツクノが先行し、俺が少し後ろから着いて行くってのはどうだ? ツクノは付喪神だから、鉄鬼の姿が見えた時に葉を揺らして気を引くことができるし、ケイトはまともにやり合えるからな」
「別にいいですけどぉ、なんでホムラは後ろなんですか?」
「俺じゃ、鉄鬼とまともにやり合うのはきつい。悔しいが、ケイトに頼るしかないんだよ。その代わり、後方からの警戒は任せてくれ」
「そういうことなら、わかった。頼りにしてるよ、ホムラ」
ホムラが力強い笑みを浮かべながら、大きく頷いた。
さらに話を詰めようと口を開こうとしたところで、不満そうにじとっとした目をしていたツクノが、表情をパッと変えた。
「あっ、ローグの森が見えてきましたよー!」
ツクノの視線の先を追うと、確かに大きく左右に広がった森が姿を現していた。
入り口と思われる場所の前で馬車を止め、ケイトたちは立ち尽くして森を眺めた。
「……不気味なところだね」
口から、思わず言葉が漏れる。
鬱蒼としている森である。入口からちらと見える森の中は薄暗く、さらには木々が所狭しと生えているものだから、先の光景はあまりにも不明瞭だ。足を踏み入れ、奥深くまで入ったら、道に迷ってしまいそうな感じさえしてくる。
そして何よりも、近寄り難い雰囲気を森全体が発しているような気がした。
「そうですねぇ。でもでも、この森の先には、とんでもないお宝が眠っているって噂があって、少し前まではたくさんの冒険者が好んで入って行ったんですよ? みーんな、お宝に目がくらんだ人ばっかりでしたけど、なーんにも見つけられなかったんですよねぇ」
「そうなんだ」
「はい。まあ、ここには何にもないはずなんですけどね。この森は、単なる目くらましなんですよ。本当のお宝から、目を背けるために」
「お宝って、まさか」
ツクノが、いたずらっぽく笑む。だが、不思議とそれ以上は言おうとはしない。
それでも、わかることはある。
お宝の噂に解放軍の拠点があるという疑惑。それらが意味することは、思いつく限り一つしかない。解放軍はまず間違いなくここにいて、狙ったものを探している。
そして、その目星は大方ついていると見るべきだ。
「……これは、悠長にしていられないかもしれないね」
そっと呟くように言い、ケイトは森へと足を踏み出す。
「行こう。ここから先は、私語は厳禁だよ。常に気を引き締めて、僅かな気配にさえも気を配ろう」
二人が緊張した面持ちで頷いた。
ケイトとツクノが先行し、森へと入っていく。
中は、思った以上に薄暗かった。まだ日中だというのに、頭上からは光が殆ど差し込んでこない。先の方が薄い闇に覆われているかのようで、注視しなければ先が見えなくなりそうだ。
加えて、妙にひんやりしていた。日の光が届かないせいもあるのだろうが、それを差し引いてもいやに寒い。まるでそう、向こうの世界でツクノと出会った時のような感じだ。
こんなところに人がいるのだろうか、と一瞬思ったが、周囲を見渡してそれはすぐに撤回した。
「……どうやら、当たりみたいだ」
二人も気づいているのか、無言で頷く。
入り口から左に逸れたところに、人が通ったような跡が残っていた。足元の草が踏み固められ、無造作に伸びていただろう枝が綺麗に刈り取られている。間違いなく、人の手が加わった証だ。
「ここからは、ずっと気を引き締めていこう。最初の提案通り、僕とツクノで先行する。言葉は、なるべく交わさないようにしよう」
一度頷き合ってから、森の奥へと足を踏み入れた。
息を潜めながら、前へ前へと進んで行く。ただ、普通に歩いて進むのではなく、木の陰や草むらに身を隠しながらなるべく音を立てないように、である。いつ鉄鬼に遭遇するか、わかったものじゃない。
奥に進むにつれて、この森が普通じゃないことに気づいた。生き物の気配が、まったくしないのである。鳥の声や小動物の動く音など、森の中ならばあって当然のものが、一切絶えていた。
今までにない感覚に、尚更緊張が募る。背に、嫌な汗が滲み出してきた。
――何が、あったんだろう。
考えても、わかるはずはない。考えようにも、目の前の現実がそれを許さない。
「……止まって」
ツクノに小声で指示を出し、ホムラには手で制止を促す。
それぞれが近場の木に身を隠し、そこから前方をそっと覗き込む。
「グルルルル……」
鉄鬼だ。低い唸り声を上げながら、こちらに向かってゆっくりと歩いて来ている。気づかれたのかと思ったが、鉄鬼からは以前のような獰猛な気配を感じられなかった。
それに、鉄鬼の目は以前とは異なって緑色をしている。ケイトが初めて対峙した時は赤い瞳をしていたから、もしかしたら敵意を向ける時に目の色が変わるのかもしれない。
もしもそうならば、まだ気づいていないと見ていいだろう。ただ、このまま隠れているだけでは、間違いなく見つかる。
木の影から出ないように気をつけながら、ケイトは見える範囲の周囲を窺う。鉄鬼は視線の先の一体だけで、他に姿は見えない。重々しい足音も、不気味な唸り声も、この鉄鬼だけが発している。
一度ホムラを見ると、すぐさま首を横に振ってきた。近くにはいないということだ。
ツクノをちらと見てから、鉄鬼の後ろの草むらへと視線を移した。ケイトの指示を理解したツクノが、指をちょいちょいと動かす。
付喪神であり、憑き物でもあるツクノは、近場にある物を動かすことができる。それは、少し離れている物でも可能らしく、草むらの葉を揺らすことなど造作でもないようだ。
草むらが、獣が俄かに飛び出したかのような音を立てる。鉄鬼が気づいたのか、ゆっくりとそちらに体を向けた。
瞬間、ケイトは木の影から躍り出て、一足飛びに鉄鬼へと迫った。
大地を強く蹴る音と物々しい気配に気づいた鉄鬼が、凄まじい速さで振り返る。互いの目が、瞬時に合った。
鉄鬼の双眸が赤く光る。敵であるケイトを威嚇しようと、高々と吼え声を上げようとする。
だが、それよりも速く、ケイトは二振りの刀を横薙ぎに振り抜いた。
刃が鉄鬼の装甲を両断し、体中に張り巡らされている糸を断ち切る。鉄鬼が動きを止め、瞳から光が失せた。同時に、首と右腕がゆっくりと地面に落ちていく。
「おっとと……!」
ツクノが切り離された鉄鬼の首と右腕を操り、ゆっくりと地面に下ろす。音もなく、それらは横たわった。
下ろし終わったツクノが、すぐにケイトへとしがみついてきた。顔は青ざめ、体は小刻みに震えている。様々な形の恐怖がないまぜになり、不安に駆られているに違いない。
そっと、ツクノの頭を撫でる。ハッとしたツクノが、青くなっていた顔に何とか笑みを浮かべてきた。
「……よし、この調子でいこう」
声を潜めながら言うと、二人が緊張した顔で頷いた。
奥に進んで行けば行くほど、鉄鬼とは嫌になるくらいに遭遇した。時々勘付かれそうになり、一瞬ひやりとする場面はあったが、どれもが単独で行動していたこともあって、何とか大事にならないうちに仕留められた。
しばらく、そんな調子で進んで行く。
やがて、少し開けたところに出た。頭上を覆う枝葉がいくらか少ないのか、ほんのちょっとだけ日が差し込んでいる。
――あれは。
視線の先で、何人かの武装した人が慌ただしく動き回っていた。あの格好には見覚えがある。村を襲った解放軍と同じものだ。
これで間違いない。解放軍は、この森を拠点として使っている。
偵察の任務は果たした。彼らがここで何をしているのかは気になるが、深追いするのは得策ではない。
――戻ろう。
後ろのホムラをちらと見て、小さく頷く。
頷こうとしたホムラの顔が、俄かに強張った。同時に、放たれる声。
「上だッ、ケイト!」
咄嗟に上へと向き、右手の刀を振る。刹那、金属のぶつかり合う、鋭い音が響く。
頭上から一人の男が迫り、その勢いと共に刀を振り下ろしてきていた。
「くっ!」
重い一撃に、支える手が痺れる。それでも、目一杯力を籠めて何とか押し返した。
男がその反動を利用して、後方へと跳ぶ。ケイトの間合いから少し離れたところに着地し、男が刀を構え直した。
「ふむ。今のを受け止め、押し返すか。小童よ、なかなかやるではないか」
だが、と男が一度言葉を切り、ケイトを鋭く見据えてから続ける。
「この程度ではまだまだよ。そんな柔な加護では、この拠点を潰すことなどできぬわ」
浅黒い色をした精悍な顔に、獰猛な笑みが宿る。
一瞬気圧されそうになったが、すぐに気を入れ直した。気持ちで負けてしまったら、この局面の打開など到底無理だ。
戦闘が避けられないと見たのか、剣を抜いたホムラがすかさずケイトの隣に来る。
「気をつけろ、ケイト。こいつ、強いぞ」
「わかってる」
この男から発せられる威圧も、身のこなしの軽さも並ではない。そして何よりも、男を包む加護はまるで分厚い装甲を纏っているかのように大きく、色濃いものだ。ホムラと較べても、大分差があるように思える。
これは、なかなかの強敵だ。
なのに、ケイトは存外落ち着いていた。戦いを間近に、精神が研ぎ澄まされていくのを感じる。目の前の男が強いとわかっているのに、どうしてか負ける気がしなかった。
「ツクノ、下がってて」
「は、はいッ!」
ケイトたちからすぐさま離れたツクノが、木の陰に隠れる。同時に、ケイトとホムラはそれぞれの得物を構える。
男が、顔を真顔に引き締めた。
「纏めてかかってこい、小童どもよ。このスミスが、ぬしらを血祭りに上げてくれるわッ!」
吼えるように声を上げ、スミスと名乗った男が、凄まじい勢いで斬り込んできた。




