9-1 玄武が知ること
シルクへとしばらく祈りを捧げた後に、ケイトは皆を連れて玄武と戦った場所へと戻った。
皆と言っても、ツクノとウルは索敵をすると言って、この場を少し離れている。一応、この場所は鉄鬼が溢れている。モノの気配を掴めるツクノと、感覚が鋭いウルが策敵の役目を買うのは理に適っていた。
――本当は、そうじゃないだろうけどさ……。
二人がずっと泣いていたのは、多分誰もがわかっている。これ以上泣いている姿を見せたくないのも、十分理解できた。
とにかく、三人でさっきの場所に足を踏み入れる。
気を失っていたシェンとウリナは、どうやら目が覚めたようだ。ケイトたちが訪れた時には立ち上がり、状況を確認するように辺りを見渡していた。
その二人に、ケイトは近づいていく。それに気づいたシェンは、ハッとしながらも申し訳なさそうな顔をし、ウリナの方は驚いたように小さな体を震わせ、彼の後ろへとさっと身を隠してしまった。
シェンが赤茶けたやや長めの髪を手で弄びながら、困ったように笑ったが、すぐに表情は曇った。
「助けてくれたのに、すまない。この子は、極度の人見知りでね。俺以外には、滅多に懐かないんだ」
「気にしなくていいよ。無理をして合わせてもらうのは、この子には辛いことだろうから」
「そう言ってくれると助かる。……ああ、そうだ。改めて、自己紹介しようか」
シェンが一度咳払いしてから、できる限りの笑みを浮かべながら口を開く。
「俺はシェン。守護獣玄武の片割れで、大地を守っている。で、こっちがウリナ。俺の妹で、もう一方の玄武の力を持っている」
ほら、とシェンが促すと、ウリナがその背から顔を半分だけだし、小さく頭を下げた。肩の辺りで切り揃えられた金色の髪と、濃い赤の瞳が目立つ、小柄な少女だ。
頭を上げたウリナが、すぐに顔を引っ込める。その様にシェンが苦笑し、薄い緑色の瞳を一度伏せ、軽く頭を下げてきた。
「君たちには、感謝してもしきれない。俺たちは、もう少しで鉄鬼になってしまうところだった。この世界を守るどころか、壊してしまう存在になるところだったよ。本当に、感謝している」
「その口振りだと、鉄鬼化していた時の記憶はあるみたいに聞こえるね」
「ああ。理性は飛びかけていたが、化け物になっていた時の記憶は、鮮明に残っているよ。俺たちが、セイラの奴に無理やり鉄鬼化させられた時のことも、自身の手で撚糸を壊させられた時のことも、ちゃんと覚えてる」
シェンが悔しそうに俯き、唇を強く噛み締めた。余程力が入っているのか、そこからは一筋の赤いものがそっと伝って落ちている。
「兄さま、お口」
それに気づいたウリナが、心配そうな顔をしながら指摘した。シェンがハッとし、手の甲で流れる血を拭う。
「……すまない。とにかく、俺たちは取り返しのつかないことをしてしまった。撚糸は切れてなくなり、世界と世界を繋ぐ柱を現出させてしまった。そればかりか」
言い淀んだシェンが、言い辛そうに表情を歪める。
何が言いたいのかわかってしまい、ケイトは何も言わなかった。他の皆も、静かにしている。
沈黙が、さらに彼の悔恨を強めたのか、握り締める拳が大きく震える。それを見て取ったウリナが、小さな両手でそっとシェンの手を握った。
一度体を震わせたシェンが、大きく息を吐く。それから、意を決したように口を開いた。
「……シルクを、死なせることになってしまった」
やはり。ケイトは、それ以上思うことはしなかった。思いを馳せれば、彼らのせいにしてしまいたくなるかもしれない。そんなのは、嫌だった。
「俺たちを餌に、オウリュウがシルクを誘き出そうとしているのは、わかっていたんだ。わかっていたんだが、俺たちにはどうしようもなかった。これ見よがしに暴れさせられて、柱もここぞとばかりに繋げられて。それでも俺たちは、ただ見ているしかなかった。シルクが死んでしまうかもしれないのに、俺たちは」
「いいんだ、無理に言わなくて」
言葉を震わせながら言うシェンの言葉を、ケイトは途中で遮った。
シェンが、潤んだ瞳でこちらを見てくる。
「罠だろうが何だろうが、僕たちは結局、ここに来たと思う。残っている場所がヘイズ湿原だけだったし、何よりも君たちのことを頼まれてた。何があっても、僕たちは見過ごすことはなかったと思うよ。特に、君たちと馴染みのある、シルクはね。だから、これ以上自分を責めないでほしい」
「……すまない。だけど、申し訳ないんだ。俺たち兄妹にも優しく接してくれたシルクを、間接的にでも死なせたなんて、彼女にどう顔向けすればいいのかわからないんだ」
大粒の涙を流すシェンに、ケイトは小さく笑って見せた。シェンが訝るが、ケイトは笑みを崩さない。
「だったら、堂々と前を向かないと。いつまでもうじうじして振り返っていたら、それこそシルクは怒っちゃうよ」
「ッ……!」
シェンにも思うところがあったのか、ぱっと表情が変わる。沈んでいたものは鳴りを潜め、表情には一気に覇気が戻ってくる。
目を瞑って何度か深呼吸し、シェンがそっと瞼を開ける。その双眸には、力強いものがはっきりと浮かんでいた。
「……ありがとう。少し、まだほんの少しだが、気が楽になった。ええと」
「ケイトだよ」
「そうか。ケイト、本当に感謝するよ。まだ気持ちの整理はつかないが、前だけはちゃんと向こうと思う」
力強く言ったシェンに、ケイトは大きく頷いた。
「よし、話が一つ纏まったところで、聞いてもいいか?」
ホムラが見計らったかのように、割って入ってきた。
「あんた、鉄鬼になっても自我があったんだろう? オウリュウがこれからどうするかを、知っているんじゃないか?」
「残念だが、あいつの行動については、ほとんど知らないんだ。ただわかるのは、自分の力を取り戻したら、真の過干渉を引き起こすつもりってことだけさ」
「真の過干渉?」
「そうだ。あれを見てくれ」
シェンが、右の方を指差す。その方へと目を向けるが、深い霧が広がるだけで何も見えない。
「兄さま、見えない」
ウリナが首を何度か横に振り、困惑した目をシェンに向けた。
シェンがばつが悪そうに頭を掻き、苦笑を浮かべる。
「は、はは……。す、すまない。今、霧を晴らすよ」
「えっ、シェンが霧を操っているの?」
「ああ、まあね。大地を司っているから、地面の温度とかを調節して、霧が発生しやすいような条件を意図して作れるんだ。ちょっと待っていてくれ」
シェンが屈み込んでは、右手を地面に強く押しつける。
瞬間、地面が少し暖かくなった気がした。それに気を取られて下を向いているうちに、徐々に霧が晴れていく。
「改めて、あれを見てくれ」
右の方を見て、ケイトは思わず言葉を失った。
視線の先には、天高く伸びる真っ黒な鉄の柱が、どこまでも続いているかのようにそびえ立っていた。
「君たちも知っているだろうが、あれは人とモノの世界を繋ぐ代物だ。繋がっている今でも、過干渉は起きているが、実はまだ、大きな影響は出ていない」
「ちょっと待ってよ。それってどういうこと?」
聞き咎めたのか、サラが一歩前に踏み出して言った。表情は、大分強張っている。おそらく、以前倒れた時のことを思い出したからに違いない。あの時のサラは、本当に辛そうだったのだ。
しかし、事情を知らないシェンは困惑するばかりだ。それを察せないサラではないはずだが、自分がどれだけ苦しい思いをしたのかを訴えたいのか、シェンを睨むように見ている。
「え、ええとだな、あの柱は実は、オウリュウの力の一部なんだ。あいつが完全に力を取り戻していないから、まだ世界を脅かすほどの過干渉は起きていない。君たちも、おかしいとは思わないか? 守護獣が二人倒れて、柱が四つも繋がれているのに、世界にはまだ大した影響は出ていない。それは、まだ強い影響が出ていない証なんだ」
言われてみればそうだ。柱が繋がることで過干渉が起きるならば、もう既に大きな影響が出てもおかしくはない。ケイトが知る限り、このクロス・ワールドを揺るがすような脅威は、オウリュウが暴れていること以外は何もなかった。
「最強の守護獣という異名を冠するオウリュウでも、不完全な状態では世界に干渉するほどの力は出せない。だからあいつは、まず封印を解くことにしたんだ。シルクが死ねば、封はなくなる。自分の力が戻るのも、時間の問題さ。戻ってしまったら、すぐにでも過干渉を引き起こすべく、力を発動するだろうね」
「そうか……。だったら、今のうちにここのだけでも斬り倒しておこうかな。少なくとも、邪魔にはなるかも」
「ちょ、ちょっと待ってくれ! それはその、できれば、よしてくれないか?」
シェンが、少し慌てながら言った。
「どうして?」
「えーとだな……。実はあの柱は、俺たちの加護と直結してしまっているんだ。闇雲に壊してしまったら、多分俺たちにも影響が出てしまう。最悪、死に至るかもしれない」
「えっ……!?」
思わず息を呑み、ケイトは力を少し解放しながら、柱の方を見た。遠目からでも、柱から禍々しい気が立ち昇っているのがわかる。それと一緒に、薄い緑色の道具の加護が、纏わりつくようにして柱を覆っていることにケイトは気づいた。
視線をずらし、シェンを見る。彼の体を覆う加護の糸の色は、先に見たものと同じの、薄い緑色だ。
「……成程ね。確かに、あの加護は君のものと同じみたいだ。モノにとって、加護は命と同じだもんな。迂闊なことは、できないか」
「見えるのか?」
「まあね。僕には、物とモノを繋ぐ糸が、はっきりと見えるから」
シェンが声もなく驚き、目をぱちくりとさせた。だが、次の瞬間には、彼は納得したような表情を浮かべた。
「……君が、ためらいなく俺たちを攻撃してこれたわけがわかったよ。そうか、君には悪しき繋がりが、ちゃんと見えていたのか」
「うん。でも、あそこまで鮮明に見えたのは、初めてかもしれない。前までは、糸状の加護の光ぐらいしか見えなかったから」
「成長したってことなのだろうか、それとも別に何かあるのか……。何にせよ、強力な能力には違いない。だが、見え過ぎるその力は、今後辛いものを目に映してしまうかもしれないな」
シェンの言葉に、ケイトは眉根を潜めながら首を傾げた。
「どういう意味だ?」
「過干渉が強く引き起こされたら、モノは君たちの世界での境遇を強く感じ、多くが暴れ出すだろう。何たって、俺たちはモノだからな。人から雑に使われたら、当然快く思わないさ。それでも、人に使われることこそ存在意義だと思ってもいるから、大抵の不満は押し込めてしまうんだ。だが、それが過干渉によって具現化してしまったら、もう抑えようがない。人の支配を捨て去るべく、立ち上がってしまうだろう」
「……どうしてそうなるのか、聞いてもいいかな?」
何故そうなってしまうのかがちゃんとは理解できず、ケイトは恐る恐る聞いた。
その問いに、シェンは少し寂しそうに笑みながら答えてくれた。
「モノにはモノの、譲れない思いがある。誰かに使ってもらうことで、別の誰かのために自身を役立てる。そんな思いがね。でも、大抵はその思いすら遂げられずに朽ちていく。誰かのために生まれたはずなのに、誰のためにもならずに消えなきゃいけないのは、モノにとって本当に辛いことなんだ。だから、無駄遣いをしてばかりで、自分たちを簡単に使い捨てにする人間に、暗い感情を抱くモノは少なくないんだよ」
「じゃあ、君たちが抱く思いを、過干渉が深く呼び起こすっていうのか?」
「そうだ。過干渉は、特に負の感情を引き寄せるらしい。些細な不満も、何倍にも増幅されてしまうことになるだろう。現に俺も、ほんの少しだけ暗い感情を抱きつつある。普通のモノよりかは加護が強いから、まだまだ抑え込めるが、過干渉が進めばどうなるかはわからない」
「ということは、強い過干渉が起きてしまったら、多くのモノが人に叛逆する……?」
瞬間的に辿り着いた答えに、ケイトは背筋が寒くなるのを覚えた。
シェンが、それを肯定するようにゆっくりと頷く。
「自身が望んでいなくても、抱いた負の感情に突き動かされることは、十分に考えられる。自由を求めてね。でも、過干渉が起きている状態でモノが暴れ出したら、君の世界に与える影響は計り知れないだろう。もしかしたら、未曽有の大災害や人災が起きるかもしれない。そうなったら、このクロス・ワールドも無事じゃないだろう」
「じゃあ、何としても止めないと!」
声を荒げるケイトに、シェンが難しい顔をしながら制してきた。
「そう簡単に行くと思うかい? オウリュウは、モノの奥底に眠る本心につけ込んで、二つの世界に牙を剥いているんだぞ。しかも、つけ込まれた方は、意図せずオウリュウに加担することになる。これから立ちはだかる敵は、もしかしたら何も関係のない普通のモノかもしれない」
「だったら、尚のこと止めなきゃいけないだろ。誰かが無駄に傷つけ合うなんて、そんなの間違ってる。本当にひどいことになる前に、僕たちが何とかしなきゃ」
「君の気持ちは、俺だってよくわかる。けど、本当に難しいことだぞ。大事が起きる前にオウリュウを倒そうにも、奴がどこを根城にしているのかは、俺たちにもわからないんだから」
「いーえ、わかりますよー」
重々しい雰囲気には似つかわしくない明るい声が、突然割って入ってきた。




