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モノとの正しい付き合い方  作者: 千変万化
八章 託された願い
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8-19 さよなら 僕の大切な人

 少しの間は遠ざかりつつある龍の姿を見送っていたが、ケイトはすぐにシルクのことを思い出し、彼女の傍に駆け寄った。

「シルク!」

 呼びかけて、ケイトはハッとした。

 ホムラにそっと支えられているシルクは、異様なほどに青白い肌をしていた。顔も手も、露出しているどの場所も白く、まだ微かに息をしているというのに、生気を感じられない。その中で、貫かれている腹だけが、赤黒く染まっている。血は未だに流れ続けているらしく、刺さったままになっている棘からは、赤い雫が滴り落ちている。あまりにも痛々しいが、失血死を思えば引き抜くことはできなかった。

 ――でも、これじゃあ。

 もう、助からない。

 そうは思っても、諦める気にはなれなかった。咄嗟に針を出し、傷を縫うという事象を可能な限り想像する。以前、シルクに縫ってもらったように、目一杯の加護を籠めて手当てをしようと、針で傷口を縫っていく。

 傷を縫い切り、血は何とか止まった。しかし、それだけだ。シルクからは、死の色が全く消えない。

「……いいんだ、ケイト。もう、どうしようもないのだから」

 今まで聞いたことのない、シルクの弱々しい声が返ってきた。

 シルクの傍に、皆が駆け寄る。誰も彼もが悲哀に満ちたものを顔に湛えながら、彼女を見ている。

 力なく閉じられていたシルクの双眸が、そっと開かれた。ただそれは、あまりにも細く、瞳からは一切の力を感じられない。

 ――本当に、死んでしまうんだ。

 ケイトは、それをはっきりと感じ取ってしまった。

「私も、焼きが回ったね……。こんな無様を、晒すなんて」

「喋らないで、シルク!」

 ウルが泣きそうな声で言ったが、シルクは小さく首を横に振った。

「無駄だよ、ウル。あいつが、言っていただろう。私の加護を、糧としたって。私の中には、体を生成する道具の加護が、本当に残っていないんだ」

「そんな……。そんなことって」

 力が抜けたように膝をついたウルが、瞳から大粒の涙を流す。それでも、彼女の目はまだ、現実を受け入れようとはしていない。

「ねえ、どうにかならないの? ほら、加護の受け渡しは? あたしがケイトにやったみたいにすれば、シルクだって」

「……無理だ。私の加護は、特別製なんだよ。私の命で、出来上がっていることぐらい、お前も知っているだろう……?」

「で、でも……」

 ウルが、すがるようにケイトを見てくる。その視線に耐え切れず、ケイトは力なく逸らした。愕然としたウルが、がっくりと項垂れる。

 その頭を、シルクが震える手を伸ばし、優しく撫でた。

「いい大人が、わがままばっかり言うんじゃないよ。まったく、困った子だね……」

「シルク……」

 ウルが声もなく涙を流し、それを見たシルクが、頭を何度も撫でながら穏やかな笑みを浮かべる。

 頭を撫でながら、不意にシルクがゆっくりとケイトたちを見回す。それから、最後の力を振り絞るように深く息を吐き、シルクがしっかりと目を開いた。

「お前たちに、言っておきたいことがある。まず、ホムラ」

「は、はい」

 神妙にしていたホムラが、急に呼ばれたことで驚き、声をひっくり返しながら答えた。

 それが少しおかしかったのか、シルクが口元へと微かな笑みを浮かべた。

「お前は、もう少し自分に自信を持った方が良い。自分がダメだなんて思ってばかりじゃあ、本当にダメになってしまうよ。お前は、ちゃんと悩んで、答えが出せる子なんだから。もっと自分を信じて、しっかり前を見ること。……でも、信じ過ぎて、余計なことを言うんじゃないよ。口は禍の元、なんだからさ」

「……はい」

 深々と一礼したホムラは、しばらく顔を上げなかった。多分、今の顔を誰にも見せたくないのかもしれない。足元には、無数の雫の跡がついている。

 シルクが口元に笑みを浮かべ、次にサラを見た。

「サラ、お前はもうちょっと、素直になることだね。少し前よりかは素直になったが、まだまだ足りないよ。お前は少し強情なんだから、意地を張って自分の殻に閉じこもっていたら、お前の気持ちなんか、誰も気づいてくれなくなってしまう。もっと自分を信じて、みんなを信じること。大丈夫。世間はお前が思っているより、冷たくはないよ」

「うん……」

 目の端に浮かんだ涙をそっと拭いながら、サラが頷いた。ただ、少し痩せ我慢をしてしまっているのか、必死に表情を引き締めているのが、傍目からよくわかってしまった。

 シルクもそれが見えているのか、苦笑を浮かべた。

「まったく……。まあ、いいか。ウル」

「な、なあに、シルク?」

 ウルが潤んだ瞳でシルクを見る。シルクが困ったように笑みながら、もう一度頭を撫でた。

「お前はもうちょっと、落ち着くべきだね。色々と、振り回され過ぎる。自分の感情に素直なのは美点ではあるが、それが他人さえも振り回すことを覚えておくんだ。だからと言って、へそ曲がりになるんじゃないよ。素直なお前が、一番可愛いんだからさ」

「……わかった」

 頷いてから、ウルがシルクに抱き着き、それから声を上げて泣いた。シルクは困ったような笑みを浮かべていたが、拒むことなく受け入れ、何度もウルの頭を優しく撫ででいた。

「ツクノ」

「は、はい!」

 シルクがそのままの体勢で名を呼び、ツクノが弾かれたように直立しながら返事をした。

「お前はお調子者で、食いしん坊で、どうしようもなく忘れっぽい馬鹿者だ。そんなお前に振り回されたのは、正直大変だったよ」

「うっ……」

 呆れたような顔をして言ったシルクに、ツクノががっくりと肩を落とす。全部正しいことで、返す言葉がないらしい。

「でも」

 シルクが、一転して穏やかな笑みを浮かべながら言葉を続ける。

「お前が誰よりもこの世界を思っているのを、私は知っている。誰よりも苦しんでいたのも、ちゃんとわかっている。だから私は、お前に付き合っていたんだ。モノに対して、誰よりも真剣な思いを抱いていたお前だからこそ、力を貸したんだ。私はもう、お前の力にはなれないけれど、お前ならばきっと、この世界の未来を守れる。そう信じているよ」

「わ、わたしが、ですか?」

「そうさ。お前は、自分が忘れてしまっている能力がある。それを思い出せれば、きっと世界を守れるはずだ。だから、頑張るんだよ」

「は、はい……」

 戸惑ったようなものを表情に浮かべながらも、ツクノは大きく頷いた。

 シルクが頷き返し、今度はケイトに目を向ける。

 瞬間、嫌でも緊張した。同時に、シルクの遺言が告げられるのが、少しだけ怖かった。なんと言っても、これが最後の会話なのだ。もう、シルクから助言をもらうことはない。それを思うと、不安が膨れ上がってしまうのだ。

 それでも、辛い感情は全て押し込めた。今起きている現実を受け止め、ケイトはシルクの傍に屈み込む。

「……ごめんな、ケイト。結局、全てをお前に押しつけることになってしまった。私がやらなきゃいけなかったことなのに、誰よりも優しいお前を巻き込んで、戦わせてしまった。ばかりか、死の淵にまで追い込んでしまった。……本当に、ごめん」

「謝らないでよ。僕は、僕がやるべきことだと思ったから、戦いに身を投じたんだ。そりゃあ、確かに強要される感じで最初は始まったけどさ、今ではそれで良かったって思ってるんだ。だって、物を守るために戦えるんだよ? それって、素敵なことじゃないか。いつも使っている物に対して、恩返ししてるみたいでさ」

「……本当に、いい男に育ってくれたね。私の育て方は、間違っちゃいなかったわけだ」

「それって」

 言いかけて、ケイトは唐突にあることに気づいて、言葉を止めた。

 ――おばあちゃん。

 目の前にいる人は、死んだはずの祖母、針生絹。その人に間違いない。

 何故、今まで気づけなかったのか。ケイトは、自分自身に困惑した。彼女から感じる雰囲気は、少し前までは慣れ親しんだものであり、決して忘れるはずのないものだ。

 その祖母が、何故ここにいるのか。少し考えてみて、ケイトの中で全てが繋がった。シルクは、自身の命を加護に変えて、この世界に来たと言っていた。それは即ち、向こうの世界の自分を死なせたということだ。祖母の突然死は、つまりはそういうことだったのだ。

「やれやれ、やっと気づいたのかい。変に鈍いところは、お前の悪いところの一つだよ」

 苦笑を浮かべながら言ったシルクが、その表情をすぐに引き締めた。

「ケイト。お前に、私ができなかったことを頼む。オウリュウを、止めてやってくれ」

「オウリュウを、止める……? だって、あいつは」

 言いかけたケイトを、シルクが首を横に振って制した。

「あいつは、まだ心を残している。私を殺すことで振り払おうとしていたが、それでもまだ、残っている。私は、私を貫いた時に、涙を流すあいつの顔を見たんだ。まだ、希望はあるはずだよ」

「オウリュウが、涙を……?」

 俄かには信じられないが、シルクの言葉ならば信じずにはいられなかった。死に臨んでいる人の言葉は、何よりも重みがある。

「あの子は、世界の在り方に絶望している。モノが人に支配されていると、思い込んでいる。だから、全てを壊そうとしているんだ。だけどそれじゃあ、あの子は救われない。何もなくなった世界で、一人傷つくだけだ。そんなのは、可哀そうだろう……?」

 ケイトは、何も答えられなかった。シルクの言葉を聞いても、オウリュウに対する感情は複雑なものがある。

 言い淀んでいると、シルクが荒い息を吐きながら、必死な目をしてこちらを強く見てくる。

「すぐに、願いを受け入れろとは言わないさ。ただ、あの子にも、チャンスをあげてほしい。未来を選ぶための、チャンスを。そのことを、頭の片隅に置いてはくれないか……?」

「……わかった。覚えておくよ」

 そう、答えるしかなかった。どうすればいいかなど、今のケイトには思いも寄らない。胸の内には憎悪と怒りばかりが渦巻いているし、非道をしてばかりのオウリュウをどう許せばいいのかもわからない。それでも、やられたシルク本人がそう言っているのだから、すぐに突っぱねることもできなかった。

 多分、シルクもケイトの複雑な心境はわかっているのだろう。それでも、微かに笑った。

「オウリュウを何とかできるとしたら、お前とツクノだけだ。ツクノの忘れた力と、お前の繋いで紡ぐ力。それらがあれば、きっと」

 言いかけたシルクが、突如として激しく咳き込んだ。一度二度と咳き込み、三度目のそれが表に出た時、いやに鈍い音が鳴った。同時に、咄嗟に口を押さえたシルクの手が、赤黒く汚れる。

「シルク!」

 思わず叫んだが、血濡れた手を大きく広げて、シルクが制してきた。

「……どうやら、時間みたいだね」

 寂しげに呟き、天を仰いだシルクの体が、不意に薄い光に包まれた。

 いや、違う。シルクの体が淡い光を発し、彼女自身の色が消えつつあった。体は半透明に透け、向こう側が見えるほどだ。

 ケイトは、何かを言うことができなかった。シルクが消える。その現実に、金縛りにあったかのように動けなくなってしまっていた。多分、他の皆もそうだろう。ただシルクを、見つめることしかできない。

 そのシルクが、表情に勝気なものを浮かべて、はっきりとした声で告げる。

「なんて顔をしているんだ、お前たち! 振り返るな、前だけを見ろ! その先にこそ、掴むべき未来がある!」

 だから、とシルクが一転して静かな声音で続けた。

「あとは、任せたよ」

 それが、最後の言葉になった。

 声が空に消え入るよりも早く、シルクの姿が光の粒となって弾け、宙に浮いた。その光はそこに漂うこともなく、静かに消えていく。

 ケイトは、その光を黙って見続けていた。他の皆も、何も言わずに光を見送っている。

 どれだけ、そうしていただろうか。

「……わかったよ。僕たちが、きっと何とかするから」

 静寂を破るケイトの声に、弾かれるようにこちらを見た皆が、揃って頷いた。

 その顔を順に見てから、ケイトは頷き返し、今度は空を見る。霧のかかった白い空が広がる中で、ひと際眩く輝く光を、ケイトは確かに見た。

「正直、どうすればいいのかは、僕はまだわからない。わからないけど、ちゃんと考えて、納得できる答えを出すから。僕も、皆も納得できる未来を、選び取ってみせるから」

 言葉を吐き出していると、目頭がどんどん熱くなってくる。紡ぎたい言葉は涙に邪魔されて喉の奥に止まり、なかなか表に出て来ない。

 それでも、確かに聞いてほしくて、ケイトは腹に精一杯の力を籠めて、必死に言葉を出す。

「だから、どこかで見守っていて。……僕の大切な、おばあちゃん」

 言い切った途端に、ケイトの双眸から涙が溢れ出た。それを、もう堪えようとはしない。

 潤んだ双眸を空に向け、ケイトは光へと祈りを捧げる。

 その言葉に答えるかのように、頭上に輝く光が、一度強く明滅したように見えた。

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