8-12 死霊の集う場所
翌日になって、ケイトたちは王都を発った。
目指す先は、王都から北東の方角へと大分離れた場所にある、ヘイズ湿原だ。今回は、全員での行動になる。傷ついた少女のことは、王様に任せてある。そのため、誰かを居残りさせる理由はなく、全員が馬車に乗り込んだ。
移動は、思ったよりも時間がかかった。目的地までは整備された道が続いていたのだが、馬車を長く駆けさせても、四日はかかってしまうくらいには遠かった。
ヘイズ湿原への入り口に辿り着いた時、ケイトたちは目の前に広がる光景に足を止めた。
視線の先には、真っ白な霧が立ち込めている。一寸先すらも見通せないほどに霧は深く、それでいて広範囲にわたっている。先を進もうにも、相当近づかなければ何があるかわからないだろう。
ただ、歩いて行こうにも、足元にも問題があった。
「うわ……。ここ、すっごくぬかるんでるわね。ちゃんと歩けるのかしら……?」
ウルが、心底嫌そうに言った。
足元は、湿原の名に違わぬほどにひどくぬかるんでいた。湿原というより、湿地帯に近い。ケイトは試しに足を踏み入れたが、地面はすぐに沈んでしまいそうな柔らかさで、油断すればそのまま靴を持って行かれそうになる。場所を選ばないと、歩くのは難しいかもしれない。
気になるところは、まだある。
この場所に近づいてからというものの、妙に背筋が寒い。霧によって体が湿っているからとか、そういう類ではない。ただ、寒いのだ。背筋がぞくりとし、知らず知らずのうちに体が震えてしまう。
あまりにも不可解な状況に、ケイトは辺りを探るように視線を動かした。どこもかしこも、白い霧が広がるばかりだ。別段、変なものは見えない。
それでも、目を凝らして何度も見ていると、ケイトの双眸にうっすらとだが青い光が映り出した。一つ、二つ、いやもっとだ。数え切れない数の光が、頼りなく宙を揺らめいている。
「あれは」
見たことのある光に、ケイトは首を捻った。あれは、繋がりの糸の光、だろうか。それにしては、色が暗い気がする。
「見えたみたいだね、ケイト」
シルクが、真剣な表情をしながら続ける。
「このヘイズ湿原は、霧が深く、泥濘の大地が広がっているだけじゃない。ここには、もう一つ潜んでいるものがある」
「潜んでいるもの?」
「そう。向こうの世界で朽ち果て、知らず知らずのうちに集った、モノの霊魂。そいつらが、ここに潜んでいるのさ」
思いがけない言葉に、誰もが息を呑んだ。この世界に長くいて久しいはずのウルやツクノでさえも、表情を強張らせている。
「この場所は、どこが具現化されたのかわからないんだ。これまでいろんな奴が解明しようとしたが、結局真実は掴めなかった。辛うじてわかったのは、この湿原がモノの霊魂を呼び寄せ、留まらせる特性を持っていることぐらいさ。だから、この世界の奴らは、この場所をこう呼ぶ」
一度言葉を切ったシルクが、少し怖い顔をしながら低い声で続けた。
「死霊の宿り木、ってね」
その言葉に、ケイトはまた背筋が寒くなった。同時に、納得した。自分が寒く感じているのは、数多の霊魂が飛び交っているからだ、と。
思わず、緊張する。それを振り払うように、ケイトは一度深呼吸した。強張りかけていた体は、何とか自由を取り戻した。
「それでいい、ケイト。緊張して気を張り詰めるのはいいが、呑まれちゃ意味がない。死霊どもに魅入られたら、あっという間に仲間にされちまうよ」
「でも、シルクさま。ここって、そんなに危ない場所でしたっけ? 確かに噂で聞いたことはありましたけど、そこまで怖い場所じゃなかったような……」
首を傾げながら自信なさげに言ったツクノに、シルクが首を横に振る。
「普通だったらね。いつもだったら、玄武がこの地を守り、集った霊魂を大人しくさせているんだ。あいつらは、大地を司る守護獣。霊魂を、豊かな土で眠らせている。だけど、今は違う」
そうだろ、とシルクがウルに目を向けた。いきなり話を振られたからか、ウルが少しだけ慌てた素振りを見せた。
「う、うん。あたしが調べた話だと、ここら一帯の大地は、腐り始めてるそうよ。土は栄養を失って干からび、痩せ細っている場所が多いみたい。湿地も、底なしの沼のような場所が増えてるんですって」
「玄武の力が及ばなくなったからだろうね。だから、この湿原もひどいことになっている。そして、大地が腐ることによって、眠っていた霊魂が汚染されてしまったんだろう。ここにいる霊たちは、最早悪霊と化していると言っても過言じゃないね」
「悪霊……」
だから、見える光が暗いのか。
納得するのと同時に、ケイトは少し寂しいものを感じた。朽ち果て、穏やかに眠っていたはずなのに、無理やり起こされて悪しき存在になってしまったモノの霊魂たちは、今何を思っているのか。考えても詮無いことなのだが、ケイトはそう思わずにはいられなかった。
とはいえ、意識をそちらにばかり持って行くわけにもいかない。想念を断ち切り、ケイトはすぐに思考を切り替える。今は、どう進むかが肝要だろう。
「玄武が暴れているなら時間がないけど、湿原をどうにかできない以上、慎重に進まざるを得ないね」
「そうだね。それに、さっきも言ったが、ここが向こうの世界の何を具現化したのかはわかっていない。下手なことは慎むべきだよ」
「……よし」
シルクの言葉に被せるように、ホムラが力強く言った。一体何がよしなのか、皆が怪訝に思いながら目を向けた、まさにその時。
「炎の領域!」
剣を地面に突き刺したホムラが、一気に道具の加護を解放した。
瞬間、辺りに炎が走るように広がり、瞬きする間に消えた。ただ、その余韻が残っているのか、周囲は物凄く熱くなっている。ただここにいるだけで、汗は止めどなく噴き出てくるほどだ。
だが、今はそれも気にならない。目の前で起きたことに気を取られ、ケイトは束の間暑さを忘れていた。
「えっ」
驚きの声が、思わず口から出る。眼前に広がっていたはずのぬかるみが、一瞬のうちに全て乾燥していた。
ぬかるみがあった場所を、ケイトは恐る恐る踏んでみた。乾いた地面が待ち受け、そこそこの反発力をもって足を押し返してくる。さっきのドロドロ具合が、嘘のようだ。
「これが、俺のハイ・ユーザー能力だ。範囲内のモノに対して、加熱や冷却、冷凍とか、いろんなことが行えるんだぜ」
いくらか得意そうにしながら、ホムラが言った。
「は、ハイ・ユーザー!? 一体、いつの間に……!」
「ははっ、ついこの間さ。見てろよ、まずはこの地面を乾かして、道を」
「バカたれ!」
ホムラの言葉を遮るほどの怒声が飛び、次いで拳骨が降り注いだ。今までにないくらいの鈍い音が鳴り、ホムラがその勢いに負けて前のめりに倒れた。
だが、すぐに跳び上がって立ち上がる。痛むだろう頭を擦りながら、うっすらと目元に涙を浮かべたホムラが、恨めしそうにシルクを睨んだ。
「……な、何するんだよ、シルク。折角、道を作ろうと思ったのに」
「……ふん」
あからさまな不満を顔に浮かべたシルクが、もう一度ホムラを思い切り殴る。その勢いは変わらず強く、ホムラは頭を押さえて屈み込んだ。
そのホムラに、シルクが怖い顔をしながら言葉を投げつける。
「ここが何の具現化かわからないから、下手なことを慎めって言ったばかりだろうが。しかも、よりによってフィールドの状況を完全に変えてしまうなんて。向こうの世界で何かが起きたら、お前はどうするつもりだい?」
「そ、それは、その」
言い淀んだホムラが、シルクに睨まれて小さくなる。しかし、表情には不満の色が微かに見えていた。
これは多分、余計なことを言う。それを思ったのは、ケイトだけではないだろう。サラもツクノも、ウルさえも呆れたような顔をしていた。
「わ、悪かったよ……。でも、だからって思いっ切り殴ることはないだろ。このゲンコツババア……」
「何だって……?」
低い声音で言ったシルクが、もう一度拳を振り下ろす。また鈍い音が鳴り響き、ホムラが大きく呻く。
痛がるホムラを見下ろしながら、シルクが呆れ顔で溜息を吐いた。
「まったく。まあ、移動だけは楽になるか。ホムラ、先導して道を作りな」
「えっ、いいのか?」
「時間の短縮になる以上、仕方がないだろう。でも、そのままにはさせないよ。ここでのやることが終わったら、水気を足して元に戻すんだ。それくらいできるだろう?」
「わ、わかったよ」
面白くなさそうに言ったホムラの頭に、もう一発拳骨が振り下ろされた。
「と、とにかく、先に進もう。ウルの話じゃ、鉄鬼は湧いて出ているみたいだから、慎重に行こうか」
拳骨を食らって地に伏せているホムラから目を背けながら、ケイトは言った。他の皆も同様に視線を逸らし、顔を強張らせながら頷いた。
今にも伸びてしまいそうなホムラを立たせて先導させ、ケイトたちは先を急いだ。




