第1話 無能と呼ばれた冒険者
「レイジ。お前、今日限りでうちのパーティーから外れてくれ」
冒険者ギルドの酒場に、リーダーの声がよく通った。
昼時でほとんどの席が埋まっている。ざわついていた空気が一瞬だけ静まり、すぐに好奇の視線が集まった。
俺は持っていたスープの匙を止めた。
「……理由を聞いてもいいか」
「理由? わかりきってるだろ」
向かいの席でふんぞり返っているのは、Bランクパーティー『赤牙』のリーダー、ボルクだ。大剣を背負った大男で、この街ではそれなりに名が通っている。
「剣は並、魔法は使えねえ、特技もなし。荷物持ちと野営の準備しかできねえ奴に、報酬の五分の一を払う余裕はねえんだよ」
周囲から、くすくすと笑い声が漏れた。
「無能がやっと切られたか」
「むしろよく三か月も持ったよな」
聞こえている。だが、言い返す気力は湧かなかった。
事実だったからだ。
俺、レイジは三十二歳。つい半年前まで、日本のブラック企業で営業をしていた。終電を逃した帰り道、トラックの前に飛び出した子供を庇って死んだ。気づいたら、この剣と魔法の世界にいた。
神様には会わなかった。チートスキルも貰えなかった。
あったのは、三十二年分の疲れた体と、そこそこ上手くなった作り笑いだけだ。
「……わかった。装備品の分け前は?」
「は? お前の装備はお前のもんだろ」
ボルクは鼻で笑い、テーブルに銅貨を三枚だけ放った。
「手切れ金だ。ありがたく受け取れ」
三枚。今日の宿代にも足りない。
俺は黙って銅貨を拾い、席を立った。背中に刺さる視線と、ひそひそ声を浴びながら、ギルドの扉を押し開けた。
外の光が、やけに眩しかった。
(……まあ、予想はしてたけどな)
溜息をひとつ吐いて、足を進める。立ち止まっていても何も始まらない。今夜の宿代と飯代を稼がなければ、野宿だ。
ギルドの掲示板の隅に、誰も受けない依頼が貼ってあった。
『ダンジョン第一層の薬草採取 報酬:銀貨一枚』
ランクの低い依頼で、報酬も安い。だが、第一層なら魔物も弱い。
「……行くか」
依頼書を剥がし、街外れのダンジョンへ向かった。
第一層は、湿った土と苔の匂いがした。
薬草は壁際の暗がりに生えている。俺は松明を片手に、一つずつ摘んでいった。この地味な作業だけは、前の職場で培った耐性が役に立つ。
「よし、十束。これで銀貨一枚……」
背負い袋に最後の束を押し込んだ、そのときだった。
低い唸り声が、闇の奥から聞こえた。
松明の火が揺れる。
通路の先に、二つの赤い光が浮かんでいた。
灰色の毛並み。俺の腰ほどの体高。口元から覗く黄ばんだ牙。
「……グレイウルフ? なんで第一層に」
赤い光は三つ、四つと増えていく。群れだ。本来なら第三層より下にいるはずの魔物だった。
剣を抜く。手が小さく震えた。
一匹ならなんとかなるかもしれない。四匹は無理だ。
じりじりと後ずさる。群れも同じ速さで距離を詰めてくる。
背中が壁に触れた。行き止まりだった。
先頭の一匹が床を蹴った。
「くっ……!」
咄嗟に剣を振る。刃が毛皮を浅く裂いただけだ。狼は怯みもしない。肩に牙が食い込む寸前、俺は身を捻って転がった。
衝撃と、鈍い痛み。
転がった先で、手の甲が何かにぶつかった。
硬い。冷たい。平たいもの。
松明の光に照らされて、それは壁の窪みに埋まるようにして落ちていた。
黒い板だった。手のひらより少し大きい、薄い黒い板。
指が触れた瞬間、板の表面がふっと明るくなった。
見慣れない模様が走り、やがて文字が浮かび上がる。
日本語だった。
『ようこそ。ご利用には所持金のご登録が必要です』
「…………は?」
背後で狼が唸る。爪が床を引っかく音がした。
俺は半ば反射的に、手の中の銅貨三枚を板に押し当てた。
銅貨は、水に沈むように黒い表面へ吸い込まれて消えた。
『所持金:銅貨 3 枚』
画面が切り替わる。
並んでいたのは、見覚えのある――見覚えがありすぎるものだった。
商品画像。値段。そして画面の一番下の、緑色のボタン。
『ご注文を確定する』
「これ、通販サイトじゃねえか……!」
叫んだ瞬間、狼が跳んだ。
考える時間はない。検索欄に指を滑らせる。
『防犯・護身』のカテゴリーが目に入った。
一番上に、赤い缶の画像があった。
『強力撃退スプレー 銅貨 3 枚』
ちょうど、残高がある。
確定ボタンを叩いた。
次の瞬間、板がまばゆく光り、目の前の床に赤い缶がごとりと転がった。
注文から、一秒もかかっていない。
缶を掴み、安全ピンを引き抜く。前の会社の防災訓練で、一度だけ持ったことのある形だ。
飛びかかってきた狼の鼻先へ、思い切りノズルを押し込んだ。
シュウウウウッ!
白い霧が爆発的に広がる。
「ギャウッ!?」
狼が悲鳴を上げ、顔を床にこすりつけて転げ回った。後ろの三匹も霧に巻き込まれ、涙と涎を撒き散らしながら右往左往している。
(……効いてる)
俺は缶を握ったまま、のたうつ狼たちの横をすり抜け、通路を走った。
背後で群れの悲鳴が遠ざかっていく。
どれくらい走ったろう。
息が切れて壁に手をついたところで、ようやく足を止めた。
「はあ、はあ……生きてる」
膝が笑っていた。右手には空になりかけた缶、左手には黒い板。
板の画面には、まだ文字が出ている。
『ご利用ありがとうございました。残高:銅貨 0 枚』
「……ははっ」
乾いた笑いが漏れた。
夢じゃない。注文したものが、一秒で届いた。この世界の誰も知らない道具が、俺の手の中にある。
剣の腕は並。魔法は使えない。神様にも見捨てられた。
だが、これなら――戦う前に勝てる。
「……営業の基本だよな」
自分で言って、少し笑った。
そのとき、通路の奥から、かすかな声が聞こえた。
「……だ、れか……」
息を止める。
松明の光を向けると、暗闇の先、崩れた壁の陰に小さく丸まった影があった。
長い銀の髪。尖った耳。血と泥にまみれた細い肩。
人間ではない。エルフの少女だった。
彼女は弱々しく顔を上げ、俺を見て、かすれた声で言った。
「どうか……お願いです。水を……いただけませんか……」
俺の手の中で、黒い板が静かに光を放った。
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