H-762 牧師館の一室で
そのまま創玄な教会に入るのかと思っていたら、車はその隣にある2階建ての石造りの建物のエントランス前に停車した。
車を降りて建物を眺めると、これがいわゆる牧師館という建物なんだろうな。教会と同時期に建てられたようで、同じように古色感のある建物だ。屋根に3つ程暖炉の煙突があるんだが、さすがに夏だからねぇ。煙は出ていない。
だいぶ角が丸くなった数段の石段を、案内人の兵士の後に続いて上り中に入る。
そこで兵士は役目を終えたのだろう。俺に綺麗な敬礼をしてエントランスを出て行った。大きく広いエントランスだな。床面積だけならバレーボールのコート片面ほどもありそうだ。外は石作りなんだけど、中の壁は板張りだ。高い天井に吊り下げられたシャンデリアが高窓から入る日光でキラキラ輝いている。しっかりと掃除がなされているみたいだな。なんか土足で入るのが申し訳なく感じる。
壁に飾られた肖像画や風景画を眺めていると、何時の間にか俺の後ろにシスターが立っていた。
気配がまるでないんだよなぁ。ちょっと驚いて振り返った俺を、優しい微笑を浮かべて頷いてくれた。
「サイカ大尉ですね。お待たせして申し訳ありません。司教様がお待ちかねです」
すでに老境に達したシスターだからだろう。穏やかな口調は異教徒の俺にも安心感を与えてくれる。
「お招きを受けてやってきました。俺はキリスト教の信者ではありませんが、それでもよろしいのでしょうか?」
「サイカ大尉は、倒したゾンビに祈りを捧げると聞きましたよ。それが出来る人物という事で司教様が感心しておりました。さて、こちらです……」
シスターの後ろに付いて奥へ続く廊下を歩く。
シスターが歩く姿を見ていると、頭が全くぶれないんだよなぁ。普通なら脚運びで動くんだが、全くそれが無い。まるで床を滑るような動きだ。裾の長いローブのような衣服を着ているから足元が全く見えないんだけど、どんな脚運びなんだろうかと興味が出てくる。
「ここです。ちょっとお待ちください」
大きな扉の横でシスターが立ち止まり、振り返って俺に伝えてくれた。
木製の大きな扉は深く彫刻が施されている。濃い飴色の扉をシスターが軽くノックをして大きく開いた。
ちょっと見ただけでもハイスクールの教室より広い部屋なのが分かる。
シスターが3歩部屋に進み、そこで深々と頭を下げた。
「サイカ大尉を案内してまいりました」
「ありがとう。こちらにご案内してくれ」
シスターの言葉に、奥の方から静かなそれでいて低い男性の声が聞こえて来た。
大きな部屋だからなぁ。奥にテーブルがあるのだろう。
振り返って小さく頷いたシスターに、俺も頷きを返す。
シスターが更に部屋の中に進み始めたので、その後に続いて部屋に足を踏み入れた。
部屋の左手奥に大きな暖炉が設えてあった。
その暖炉前に置かれたソファーセットから立ち上がった2人の1人は、大統領夫人じゃないか! そういえばここまで乗せてきてくれた兵士は海兵隊の制服だったな。牧師館に入ってからはシスターしか見ていないけど、護衛の海兵隊兵士が俺の挙動を見ていたはずだ。
「お招きに与り参上いたしました。ちょっと場違いな場所で戸惑っております」
「ここは私の私室に近い場所ですから、あまり他者を招くことは無いのです。夫人の話を色々と聞いておりますよ。是非とも一度は会ってみたいと思っていたのです」
とりあえず敬礼をしたんだけど、そんな俺の傍に司教が歩み寄って握手の手を差し出してくれた。
しっかりと握手を交わした俺に、空いているソファーに座るよう勧めてくれる。2人に頭を下げてソファーに座ると、大統領夫人自らテーブルに乗せてあったコーヒーセットでコーヒーを淹れてくれた。
カップを受け取り、ふとテーブルを見るとガラスの灰皿があった。
牧師館はタバコが吸えるのかな? 首を傾げている俺を見て司教が笑みを浮かべて頷いている。
「私も愛煙家ですから、遠慮はいりませんよ。夫人からは少しは減らすように言われてはいるのですが、私の唯一の悪癖なのです」
「若いころは、タバコを手に持って説教していましたねぇ。それで良く司教になれたものだと呆れてしまいます」
どうやら昔からの知り合いらしい。俺がドーバーに来たことを統合作戦本部から大統領夫人、そして司教という流れで知らされたのだろう。
「大学で神学を学び、長くヨーロッパの教会で古老の指導を受けました。アメリカに戻った時には夫人にまるで修道士だと笑われましたよ。私はキリストに仕える牧童を一生続けるつもりですが、世界にはたくさんの宗教があることは知っているつもりです。宗教の多くは一神教ですが、多神教が未だに多く信じられていることを嘆いた時期もありました……」
多神教を信じる人達を文明人と見なさない風潮があったらしいからなぁ。
信じる神の違いで優劣があるとは思えないんだよねぇ。だけどそれが原因でかつてはたくさんの植民地が作られたに違いない。
「多神教を信じる国で唯一、植民地化されず欧米に劣らない文化を作り上げたのが日本です。なぜそれが可能なのかとだいぶ悩んだ時代もありましたよ」
「宗教の目的は心の平安にあると信じています。何を信じようとそれは個人の自由でしょうし、強制するような宗教では先が見えています。私が昔暮らしていた町にも宣教師の夫婦がいましたよ。それなりに町に溶け起こんで暮らしていました」
「アメリカからだいぶ世界に宣教師が派遣されていますからね。でもその効果は日本だけが著しく低いのです。日本の文化に合わないという事なんでしょう。とはいえ、救いの手を差し伸べることは必要ですからね」
それが宗教団体の最大の活動目的だろうからなぁ。
だけど全世界の宗教が1つになったら、果たして争いは起こらないのだろうか?
案外起きるんじゃないかな。その宗教を起こした人物の言動の解釈は人によって変わるからね。そうなると、相手を敵として糾弾するに違いない。
「サイカ大尉は、キリスト教に改宗する考えは無いのですか?」
ストレートに問い掛けて来たな。もう少し遠回しに問い掛けると思っていたんだが……。
「このままの姿で一生を送ろうと思っています。でも、俺の子供達はしっかりと教会に通っていますよ。俺が死んだら、案外キリスト教の教義でお葬式をしてくれるかもしれませんが、友人達に頼んで山小屋暮らしの手慰みに製作した墓標を立てて貰えるよう頼んでいます。アルファベットで仏教の経典を刻んでおきましたから、彼等がそれを読んでくれれば十分です」
「それで天国に行けると?」
司教さんは俺の言葉に笑みを浮かべ、大統領夫人は呆れた顔をしてるんだよなぁ。
「死んだ後の事は誰にも分からないでしょう。でも、宗教書には死んだ後の事が書かれています。肉体は滅んでも魂は永遠という事なんでしょうね。面白い事に仏教には2つの教えがあるんです。1つは天国もしくは地獄ということになるのでしょうが、もう1つは輪廻転生ということで再び地上によみがえる事になります。その転生に少し問題がありまして、生前の悪行、善行によって生まれ先が必ずしも人間とは限りません。動物になることだってあり得るということですね」
「復活は仏教の中にもあるということですか。それにしても動物に生まれるとはねぇ。それなら悪人は少ない筈ですね」
どれほどの悪事をしたら動物になるのかの判断基準があいまいなんだよねぇ。その辺りは閻魔様の匙加減ということかな。
「それなら私達と同じくキリストの教えに従った方が良いんじゃないかしら? 教えの中で暮らす限り地獄に落ちることはないですし、復活は人間の姿ですよ」
「改宗は案外難しいですよ。それまでの生きざまを否定しかねません。俺と、もう1人の妻である七海は、これまで通りで暮らそうと話し合いました。もう1日の妻はしっかりしたキリスト教なんですが、俺に同じ宗教に変えるような言動はしたことがありません」
司教がうんうんと頷いている。
改宗はその人の人格まで変えてしまいかねないからなぁ。心の平穏を宗教に委ねているなら、それまで信じていた宗教を否定することはその人の人格を否定しかねない。
「アメリカは宗教の自由を保障しています。とはいえ一番大きな宗教集団はやはりキリスト教でしょう。サイカ大尉は仏教とも異なる宗教観をお持ちですね?」
「ある意味多神教です。全ての神を神として認めますよ。邪神もいるでしょうが、邪神も神の1柱ですからね。なるべく関りが無いようにしていれば良いことです」
「仏教の仏もキリストの神、イスラムの神さらにはネイティブの信じる精霊も全て同格ですか……」
「さらに言うなら、この暖炉にも神はいますし、このコーヒーポットにも神はおります。決してぞんざいに扱うことは出来ません」
「このコーヒーポットも神が宿ると?」
「それが多神教なんでしょうね。おかげで神の数を数えることも出来ません。案外人間の数よりも多いのではと思っています。そんな宗教ですから時と場所、場合によっては状況も加味して神に祈ることになるんです」
「オリーさんから聞きましたよ。山小屋で暮らしていた時には、サミーは朝起きるとロッキーの山々に頭を下げると。レディさんからは倒したゾンビにも祈ると言っていましたね」
「ネイティブの人達も山に祈るようですね。ゾンビに対しても祈るのは、かつては人間であったということなんでしょう。倒せば良いと意気込む人達には、とてもその心根を理解することは出来ないでしょうね。その話を夫人から聞いて、私も1日の終わりの祈りにはゾンビになった人達に祈ることにしました。でも、コーヒーポットに祈ることはないでしょうね。でも神が作った人間に魂が宿るのですから、神に似せて作られた人間が作ったコーヒーポットにも案外魂は宿るのかもしれません。司教の友人達にも教えてあげましょう。それが多神教なのだとね」
どうやら多神教というものを理解しようとして俺を招いてくれたようだ。
アメリカにも多神教の信者はいると思うんだが、多神教にも色々とあるようだからなぁ。
でも1つ確かなことは、多神教に信者は、どんな宗教であってもそれを否定することはないだろう。『なるほど、そんな神もいるんだ!』と納得するに違いない。
司教と大統領夫人に色々と尋ねられたんだが、やはり2人の興味は俺の宗教思想という事になるようだ。
聞かれても答えられないような質問があるんだよなぁ。だいたい死後の世界なんて、誰も見たことが無いんだから、とりあえず自分の考えを離すことになったんだけど、その答えは必ずしも仏教や日本古来の神教とは異なるかもしれない。民間信仰だってあるからね。
静かな会話は、時がゆったりと過ぎていくようだ。
そんな感じがするのも、ここが牧師館なのだからかもしれないな。




