VS.フェンリル<ラグナロク④>
この世界そのものの根幹が揺らいでいくかのような、激しい衝撃。天と地がひっくり返り、鼓膜が破れそうなほどの絶叫が響き渡る中。懸命に目を凝らせば、暴れまわるフェンリルが見える。
七転八倒とはこのことだろうか、あんなに恐ろしい姿をしていたフェンリルがのたうち回り苦しそうにもがいている。ドワーフさんが言うところの照準機能がついたグングニルと、そのドワーフさんが作ってくれたドワーフ槍。それぞれフェンリルの頭部と心臓を突き刺したその2つは、確かにあのフェンリルをも死に至らしめるほどの効果があったらしい。けれど絶命にかかるまでの間、フェンリルは最後の悪あがきと言わんばかりに暴走し……フェンリルを縛り付けようと、必死でロープを引っ張っていた異世界の勇者たちがその勢いに巻き込まれていく。
「カミラ―っ! ドワーフさーんっ!」
なんとか声を上げるが、私自身もフェンリルの阿鼻叫喚に巻き込まれそのまま倒れ込む。視界がぐらつき、耳鳴りがし、手足がしびれ、またトールの雷を受けたのではないかと思うほどのショックに見舞われ――暗闇の中に取り残されたような感覚に陥った後、私はなんとか意識を取り戻す。
また、どこか別の異世界に連れてこられたんじゃないか。そう思ってしまうほどの、凄まじい混乱の中で何度か目をしばたかせる。チカチカする視界の中、ようやく光を取り戻せば――もうもうと立ち込める土煙の中に、引きちぎられたロープ。しかしそこに、ロキと同じ毛色の獰猛な魔王の姿は見当たらない。
「やっ――」
「ヒルダ! ここで『やったか!?』なんて言うのは死亡フラグじゃぞ! そうなったら大概やってないから、『やったか!?』は言ってはいかん! 何事も冷静になって心の目で見極めるんじゃ!」
私の言葉を遮る、その声。緊張感のないことを口にしているが、その声音は間違いなく聞き覚えのあるもの。それに思わずほっと一息つき、私は膝から崩れ落ちる。
フェンリルの最後の抵抗によって吹き飛ばされたらしいドワーフさんは、頭から地面にめりこんでしまったらしくバク転のように勢いをつけて起き上がる。体中を煤や泥で汚しながら、けれどその表情は何よりも清々しそうだ。自慢の長い髭を手櫛で整えると、どこから取り出したのがメガホンを取り出してまだはっきりとしていない景色の中へと叫びかける。
「ヘイヘイ、ホー! 聞こえてるものは起き上がれ! 大丈夫な者はバンザイ! 怪我とかしておる奴は周りの連中に助けを求めろ! さぁ、このドワーフと一緒にバンザイじゃ!」
能天気でお気楽、だけど今この状況では少しずつ「危機的状況を回避できた」という安心感をもたらしてくれるドワーフさんのセリフに何人かが立ち上がる。最初に立ち上がったのはカミラだった。昼寝からいきなり目が覚めた猫のようにがばっと、派手に起き上がった彼女は美しい髪をボサボサニしながらきょろきょろと辺りを見回す。そうして私とドワーフさんの姿を見つけると、その目からぽろぽろと涙を零しこちらへと駆け寄ってきた。
「っヒルダあああああっ! 無事で良かっだ、あ、あ、フェンリル倒したあああああっ! 私だぢ生きでるよおおおおおっ!」
涙声で、とにかくフェンリルを倒した喜びを嚙みしめているらしいカミラに私も自然と涙腺が緩んでくる。けれど今は、この泣き虫な吸血鬼を宥めるのが先だ。ともに抱き合い、生きていることを噛みしめながら私はカミラの背中をよしよしと撫でる。
日光も十字架も苦手で、いつも泣いてばかりいたか弱い吸血鬼。でも、それでも魔王フェンリルに立ち向かい私たちとともに立ち向かってくれた。怖かっただろう、不安だっただろう。それでも、吸血鬼としての力を存分に使い彼女は戦った。その勇気と意思の強さは、誰もが賞賛することだろう。いや、カミラだけじゃない。ここにいるみんながそうだ……少しずつクリアになっていく視界の中で、たくさんの「勇者」たちがよろよろと立ち上がっていく。
「うおっしゃあ!」と叫ぶ堕流救世主の頭の隣で、パンツが吹き飛んでしまった変態さんに仕方なく兵隊さんがジャケットを貸している。あまりの衝撃で縦巻きロールが崩れてしまった悪役令嬢は、自身の恋人であるらしい美男子に髪をなおされているようだ。セーラー・マシンガンズのみんなは「やだー衣装が汚れちゃったー!」と嘆いているが意外と平気らしい。臭い騎士さんはまだひっくり返っているが、とりあえず応答はしているようなので重症ではないだろう……相変わらずすごい匂いだけど。
そうしているうちに、ピンク色の髪をした美しい女神が私とカミラの前に現れ――まだ泣いているカミラと私を、優しく包み込む。その温かさにほろりときながら、私はヴァルキリー様の名前を呼んだ。
「ヒルダ、カミラ。ありがとう。そして――本当にごめんなさい。もう、大丈夫だから。あなたたちは私の誇り、この世界を救った紛れもない勇者です」
ヴァルキリー様の言葉はただただ優しく、永遠の闇に光が差し込んだような静かな温かさを含んでいるのだった。




