83 執事と主の行方不明
「おはようございます。モーニングコールに参りました」
「……お前、マジで来たのかよ」
翌朝早くから悠斗の仕事は始まっていた。部屋の扉を開けて出てきた幹也は、大きく口を開けて欠伸をしながら、激しい寝癖のついた頭をボリボリと掻いていた。
幹也は二十八歳の社会人。「果たして彼にモーニングコールは必要なのだろうか」という疑問も持ち上がったが、暁財閥のご子息であることには変わりない。この屋敷にいる間はルールに従ってもらう、というわけだった。
「お前も大変だな、朝からご苦労さん」
「これも業務ですので」
幹也は悠斗の肩をポンと軽く叩くと、クローゼットから着替えを取り出し始めた。シーツは乱れなく整えられ、畳まれた衣服は整然と並べられている。
「ジロジロ見んなよ。男のベッドが好きな異常性癖?」
「いえ……流石だなと思いまして。シワ一つなく、すべてのものがコンパクトにまとめられていますので。これでは私たちの仕事が無くなってしまいます」
「警察学校でクソ厳しく叩き込まれたんだよ。未だにその癖が抜けてなくてさ」
そう言いながら、幹也は洗面用具と着替えを入れたバスケットを手に持ち部屋を出ていく。悠斗もそれに追いつくとよう後ろをついていく。
起こしに来てからほんの数分しか経っていないというのに、すでに完全に目が冴えているようだった。流石は現役警察官。そう悠斗が感心していると、廊下を進んでいた足を止め、幹也は振り返ってきた。
「星原のモーニングコールの担当って、俺とヤマか?」
「はい。男性陣は私が、女性陣は瑠衣さんが担当することになっています」
「ならちょうどいいじゃん。ヤマ起こしに行こうぜ」
そう言うやいなや、幹也はニヤニヤと楽しそうな笑みを浮かべ、大和の割り当てられた部屋へと足早に歩き始めた。
「よろしいのですか? お先に入浴の方を済ませても」
「今日の午前中は、俺の筋トレに突き合わせるからいいんだよ。あいつの気が変わるうちに捕まえておきたいし」
丸太のように太い腕をまわす幹也を見ながら、悠斗は相変わらずだなと内心でため息を漏らした。
大和の部屋は、幹也の部屋とはちょうど反対側に位置していた。各家ごとの区画をまとめる構造上仕方がないことなのだが、移動するには相応の時間がかかる。
そのため広い廊下を歩いていると大勢の使用人たちとすれ違うことになる。そうして目的地の方向から、月若家と日ノ内家の複数の使用人たちが焦りきった様子でこちらへ向かって走ってきた。
「皆さまどうされましたか? 何か緊急の……」
「お、お嬢様が……! 華凛お嬢様が見当たらないの!」
「……っ」
肩で息する瑠衣たちの横を悠斗は悠斗は一瞬の躊躇もなく全速力で駆け抜けた。身体が自然と動き、一気に廊下を走り抜けて華凛の部屋へと辿り着いた。
使用人たちの話通り、室内は完全にもぬけの殻。
ベッドには腰掛けたようなシワこそ残っていたが、一晩布団に入って寝たような痕跡はない。クローゼットやタンス中を確認してみても、私服や身の回りの品はそのまま残されていた。荒らされた形跡もない。
「あり得ない……」
彼女が一人でどこか抜け出すとは考えられない。この人数の使用人がいれば彼女がどこにいるのかなんは把握できるはず。窓から見える中庭にも彼女のいる気配は見えない。
「お、お前……速すぎだろ……っ」
「ゆ、悠斗くん……っ」
息を切らせながら遅れて駆け込んできた幹也と瑠衣にはわき目もくれず、廊下に飛び出た。部屋の周りには騒ぎを聞きつけたのか、各家の使用人が部屋の前に待機していた。
「本日、月若華凛様のお姿を見かけた方はいらっしゃいますか!」
悠斗が問いかけるも、誰一人として手を挙げる者はなく、インカムを装着した数人に目を配ってみても首を横に振るばかりだった。悠斗は一度静かにまばたきをすると、いつも以上に鋭い光を瞳に宿した。
「皆さま、落ち着いて聞いてください。月若華凛様が室内におられず、身の回りの品や貴重品はすべて残されたままです」
内心の焦燥とパニックを悟られないよう、悠斗は意識して言葉をゆっくりと区切り、通る声で指示を重ねる。
「まずは屋敷全体の緊急捜索を開始します。各家執事長は当主様方へのご報告をお願いいたします。月若・日ノ内は全エリアの捜索。水船・雲川は朱莉様、雅様、敬介様の保護を徹底してください」
悠斗の速やかな采配を受け、使用人たちが一斉に動き始める。早朝からの緊急事態に、廊下の空気は一層重苦しいものへと変わっていく。
「暁の使用人は俺が指揮する」
「お任せします。……瑠衣さん」
指名された瑠衣はスマートフォンを耳に当てていた。下唇を強く噛み締め、不安げに目を細めている。応答のないスマホをポケットにしまうと苦い表情で言った。
「……大和様も、お電話に出られません」
その一言で、悠斗たちの視線が一気に華凛の部屋の隣へと向けられた。大和の部屋は華凛の我が儘により、都合よく真隣に配置されている。
部屋のドアに何度ノックをして声をかけても、応答はない。ドアノブに手をかけて引いてみても、内側から施錠されているのかビクともしなかった。
「やむをえません。蹴破ります」
悠斗は一歩、二歩と後ろへ下がると、体重をのせた鋭い前蹴りを扉の鍵付近へ叩き込んだ。重厚な木製の扉が軋み、鍵の取っ手周辺に一瞬で亀裂が入った。もう一発、悠斗が容赦なく踏み込んで蹴りつけると、扉が内側へと勢いよく弾け飛んだ。
「え、何事……!?」
それは、この室内からは聞こえてくるはずのない声だった。
今まさに悠斗が血眼になって探していたご令嬢――華凛が、ベッドの上で目を擦りながら起き上がり、驚いた顔でこちらを見つめていた。
「……か、華凛様……!?」
いるはずのない場所にいる華凛の姿に瑠衣は驚き、幹也は口を開けて呆然と立ち尽くしている。
華凛は乱れた髪をそのままに、まだ眠気の残る眼で室内を見回した。破壊された扉と悠斗を交互に見比べる。
「な、なによいきなり扉壊して入ってきて! どういうことよ悠斗!?」
何も言わずずんずんとベッドにまで近づくとシーツを乱暴にめくった。そこには華凛とお揃いのパジャマを身に纏いこの騒ぎだというのに寝ている大和。
「……華凛様。なぜ大和様の部屋におられるのですか?」
「と、隣の部屋に大和がいるのに会えないの寂しいなぁーって……」
「……」
「あはは……」
「……」
悠斗の無言の威圧感に対し、華凛は可愛らしく言って誤魔化したつもりなのだろうが、今の悠斗にそんな手管が効くはずもない。
「お嬢様が行方不明と今屋敷内は大騒ぎになっております」
「あーうーん……」
声色とは裏腹な悠斗の笑顔を見て、ことの事態に気づいたのか華凛の顔はみるみる青ざめていく。
「華凛、正座」
「は、はぁ? あんた――」
「今日は皆さんからみーーっちり説教があるから。まずは俺から、ね?」
悠斗は高校生になって初めて主に雷を落とした。
その様子を見て瑠衣と幹也は逃げるように部屋を後にした。




