82 執事とメイドのクリスマスの夜
夜十時。
執事としての業務終了時刻ではあるのだが、悠斗にはまだ仕事が残っている。
夜勤の警備に会釈をし、中庭へ続く扉を開けると夜空には満天の星空。東京では見られないような星空に見とれながら、中央にあるベンチに腰を下ろしパソコンを開いた。
コの字型をした屋敷内ではひときわ明るい光が灯っている。クリスマスパーティをしている傍ら、自分は業務をしているということに寂しい気持ちもあるが業務の都合で仕方ない。
冷えた手でキーボードを叩いていると、頬に暖かい感触が伝わる。
「やっぱり作業してた。華凛様と朱莉様が怒ってたよ」
湯気立つマグカップを差し出してきたのは、厚手の手袋とベンチコートを身に着けた瑠衣。そのまま悠斗の隣に座るとノートパソコンの画面をのぞき込んでくる。
「さっきの会議の?」
「そうだね。六人のご要望に沿ったレジャーを計画していてね」
悠斗と瑠衣の専属業務のため行われた会議では、使用人からの様々な要望が出た。モーニングコールの時間や朝食のメニュー、好みの服装などと様々な要望。そしてその中には、せっかく普段は訪れない関ケ原の地で、他の財閥家との交流を含め様々な経験をさせたいという当主たちからのお願いもあった。
「なにか、良いのあったりする?」
「みやちゃんとけいくんは名古屋とかかな? なんかお城を見て見たいっていうのと行きたいお店があるんだって」
「みやちゃん、けいくん?」
「なんかパーティの時にこれからはそう呼んでってお願いされて」
あの二人と瑠衣は初対面だというのにすっかり上手く懐柔されたようだ。警戒心が強く感情表現が乏しいように見える瑠衣も、子供の純真さには敵わなかったのだろう。
「幹也様はオープンカーでドライブしたいって。大和様もその車に乗ってどこか行ってみたいって言ってたから、二人は同じでいいかな」
「それならそっちは悠斗くんにお願いしようかな。私が女性陣の方考えるよ」
「それは助かるかも。ありがと」
マグのコーヒーに口つけると温もりが、かじかんだ指先と疲れた心にじわっと染み渡っていく。
「東京じゃこんな景色見えないね」
「空気も澄んでるし、邪魔する光もないからね」
「……地元のこと思い出すなぁ」
夜空に見惚れているようにも、何かを思い出して寂しそうにも見える横顔。思わず問いかけてしまう。
「瑠衣さんは正月に帰らないの?」
「旦那様や奥様には毎年帰省の許可はいただいてるんだけど……ね。今帰ったら私東京に戻りたくないなって、思っちゃうかもだから四年間は帰ってないんだよね」
「……ごめん。野暮なこと聞いて」
彼女の地元は今いる岐阜の隣のすぐ隣。東京より近いのにそこに行けないというもどかしい気持ちは、悠斗でも理解できた。
「全然大丈夫」
瑠衣は寂しさを振り払うように小さく微笑むと、両手で持ったマグカップに息を吹きかけた。
「最初は私も誰が作ったかもわからない借金のせいで……嫌だなとか思ったけど。今は違うんだよね」
「……」
「東京に来たから、日ノ内のお屋敷でみなさんとも会えたし、悠斗くんとも出会えた」
「そうだね」
彼女と知り合えたからこそ、悠斗は人との関わり方を知った。使用人でただの執事と言う生き物だった悠斗は彼女のお陰で初めて自分を知れた。友達という関係も、同僚という関係も、初恋も。富士見瑠衣がいたからこそできたこと。
夏休みのモルディヴのビーチで今と同じようにこうやって話した時。
『日ノ内という月の隣で一番輝く星』
でもその輝くのは日ノ内ではなく自分の隣であってほしい、なんで欲張りを思ってしまう。
「日ノ内のメイドであること公表すること。聞いてるよね?」
「旦那様と奥様から聞いたよ」
「まだどういった理由付けをして公表するのか決まってないけど。君に批判が来るのは間違いがないと思うんだよね」
「……そうだね。でも仕方ないよ」
悠斗は立ち上がり瑠衣の前に座り目を合わせた。彼女の両手を握り、顔を覗き込むと驚いたように固まった顔と、真っ赤な耳が目に入る。
「君が卒業するまで、何があっても傍にいるから。俺は何があっても君を守るよ」
自然に出た自分の柄でもない言葉に悠斗自身も驚いた。これはきっと本心で、心の底からの本心でどうしようもないほどの思い。
悠斗はさらに手へ力を込め、彼女から目を逸らさずに言葉を重ねた。
「だから、何があっても一人で抱え込まないでほしい」
月若・日ノ内から命じられた任務でも、月若家の執事としての義務でもない。これは一人の男として、大切な人を守り抜きたいという思いだ。
瑠衣は赤くなった顔を隠すように少しだけうつむいたが、包まれた悠斗の手をギュッと握り返してきた。
「……うん。ありがとう、悠斗くん」
消え入りそうな声だけど、そこには確かな信頼と温もりが滲んでいた。。
「でも私だけじゃなくて、華凛様のことも守ってあげたほうがいいかも。じゃないと……」
そう言って悠斗から握られた手を離すと、建物内でひと際明るい光を放つ場所へと向けられる。そのバルコニーでは、華凛が身を乗り出して何やら騒いでいる。「何を叫んでいるのかまでは聞き取れないが、右手を振り上げて騒ぐ華凛を大和が必死に止めているのは分かる。
「あれは戻ったほうがよさそうだね。早急に」
「お嬢様はなにで怒ってんだあれ……」
ため息をつき屈んでいた膝を伸ばして、パソコンを片付ける。この後に待ち受ける理不尽を想像しながらも、どこか名残惜しさが胸を掠めた。
作業を終えた悠斗が振り返ると、ベンチから立ち上がった瑠衣が、まっすぐな瞳でこちらを見つめていた。
「さっきの言葉、ありがと。私、忘れないからね」
満天の星空を背景に浮かばせる彼女の笑顔に、悠斗の胸が再び大きく跳ねる。その言葉だけで悠斗は救われた気持ちになった。
「私が大和とパーティを抜け出して、大和とキスしようとしたのに! あわよくば二人で抜け出して中庭でイチャイチャしようとしたのに、なんであんたが瑠衣とイチャついてんのよ! 昼もそう! ちびっこ相手にあんな遊びして私と大和の大切な時間を……」
結局、激昂した華凛を止められるはずなく、悠斗はパーティ会場で正座で説教を受ける羽目になった。




