78 執事とメイドとイルミネーション
心ここにあらずながらも、演奏は素晴らしいものだった。最前列の席ということもあってか、弦楽器の音色は特に際立って鮮明に響いていた。
ホールを出ると近くで開催されているイルミネーションの影響か、人でごった返していた。先ほどまでの静かな空間とは打って変わり、街は賑やかな喧騒に包まれている。
「凄かったね。流石奥様が企画してるだけあるなぁ」
「素人の俺が聴いても、圧倒されるくらいだった」
「学生としては少し大人すぎる内容だったかもだけど」
平静を装いながら嘘偽りのない感想を口にすると瑠衣は笑顔を向けてくる。その笑顔がいつもなら返せるのに、誤魔化すように顔を反らしてしまう。
彼女が想いを寄せるその人への嫉妬。自分に向けられているこの表情は単なる親愛や「似た境遇の同僚」への好意に過ぎないのだという残酷な現実。自覚してしまうと嫌でも意識してしまう。
「瑠衣さん、この後時間ってある?」
「ちょっと待ってね」
スマホを取り出し確認するその姿も綺麗だなと思ってしまう。色めき立つ自分の胸に手を当て落ち着くように促す。それほどまでにこの時間が長く感じる。
「今日はそのまま直帰で問題ないって。明日も午後からの電車だし」
「それならもう少し一緒にいない?」
「え?」
「あー……。そのイルミネーション! お嬢様が写真撮ってきてほしい頼まれてさ」
柄にもない苦し紛れの言い訳。自身の主を出汁に使うなど使用人としては言語道断だ。これは従者としての役割ではなく、星原悠斗という一人の人間としての意志なのかもしれない。
言葉に詰まる悠斗を見つめていた瑠衣は、一瞬だけ驚いたように瞳を丸くした後、柔らかく目を細めた。
「……うん。行こうか」
街頭に照らされた彼女の微笑みは今の悠斗には効果抜群だ。
色とりどりの光が街並みを鮮やかに彩っていた。行き交うカップルや家族連れの楽しげな声が、冬の冷たい空気に溶けていく。
「……綺麗」
見上げる瑠衣の横顔に、青や白の幻想的な光が揺らめいている。悠斗はポケットの中で何度もスマートフォンを握り直した。「写真を撮る」という名目で彼女を誘った手前、画面を向けるフリをするもののレンズ越しに見る瑠衣の姿に胸が苦しくなる。
「お嬢様に見せる写真、撮れた?」
「あ、うん……何枚か、ちゃんと撮れたよ」
「あとで私にも送ってほしいな。大和様に見せるから」
理由をつけて引き留めたところで彼女の思い人が自分に変わるわけではない。それどころか、彼女の恋心を応援するような素振りを見せておいて裏では醜い嫉妬に身を焦がしている。
惨めで情けない自分に思わず息を吐いてしまう。
「悠斗くん、寒くない?」
ふいに立ち止まった瑠衣が、首をかしげてこちらを見つめていた。白く弾ける吐息と、ほんのりと赤らんだ頬。
「大丈夫だよ。瑠衣さんこそ、冷えてない?」
「私も平気。……でも、少しだけ手が冷たいかも」
そう言うと、瑠衣は静かに自分の右手をコートのポケットから出してみせた。
「アピールしてるつもりなんだけど。漫画の真似して」
上目遣いで投げかけられた言葉の意味を測りかね悠斗の思考が一瞬フリーズする。なんてずるい人なんだろうか。
「瑠衣さんは俺が思ったより、意地悪だね」
掠れた声で呟きながら悠斗は逃げるのをやめ、ゆっくりと彼女の冷たい指先を自分の手で包み込んだ。街を行き交う恋人たちのような繋ぎ方ではなく互いの体温を確かめ合うような、少しぎこちない手のひらの重ね方で。
「そういえば学校のみんな心配してたよ? 会えなくて寂しいって」
「らしいね。華凛様がたくさん伝言されたっていってたよ」
「悠斗くんも友達できたんだね。ちゃんと」
「友達、か……。確かにそうかも」
「……うん。悠斗くん、変わったよね。私のこと初めての友達って言ってから遠くに行っちゃた感じする」
文化祭や修学旅行でクラスメイトとの距離は一気に縮んだ。華凛の我儘を叶えるためと思っていたらクラス運営にも深く関わっていて。
このスマホの中にはそんな写真でいっぱいだ。だけどここに入ってる連絡先はただ一つ。
「周りに人が増えても変わらない。君の近くにいるよずっと」
素直な言葉が口をついて出た。
彼女が言っていた初恋の人。その人物に対する嫉妬で胸が締め付けられるのは今も変わらない。けれど、こうして冷えた手を繋いで歩いているこの瞬間だけは、彼女の隣にいるのが自分であるという事実にすがりたかった。
彼女がこの手を離すまでは傍にいたい。
「……瑠衣さんの気持ちわかったよ」
「え?」
「叶わないことが分かっている恋ってツラいね」
「それって……」
目を見開くその表情を見つめながら、悠斗は力なく微笑んだ
「うん、俺にも好きな人がいたみたい。――やっと気づいた」




