77 執事の初恋
東京某所。
冬の寒さにかじかむ手をポケットに突っ込みながら待ち合わせ相手を待つ。業務だと聞いていたが私服での参加を命じられたため、厚手のロングコートを身にまといビルの壁面へともたれかかる。
事情聴取やら四財閥へのお礼で日本全国を飛び回っていたら、あっという間にクリスマスイヴを迎えていた。
「お待たせ」
顔を上げると瑠衣が歩み寄ってきたところだった。その装いはいつも以上に気合が入っている様子で、上質なコートに身を包みナチュラルメイクを施している。
「本日の業務は?」
「奥様が企画されたオーケストラコンサートの様子を見てきてほしいって」
「……あ、はい」
素っ頓狂な声を出しながら瑠衣についていく。「それは月若である俺に関係があるのか?」それが悠斗の率直な感想だ。瑠衣と出かけるのは嫌ではないし、色々な経験ができる分楽しいとも思う。今回はいつもと事情が違う。
「『今回の業務に俺は必要なのか』って顔してる」
「まあ、うん。俺は畑違いの人間だし音楽に関する知識もないからね」
「今回は十代から二十代くらいの人をターゲットにした企画なの。デートとかで利用してほしいらしくて『誰か男の子と行ってきて』って言われて」
「それで俺に白羽の矢が立ったと」
「そういうこと。ごめんね、病み上がりで明日も移動なのに」
ここ数ヶ月の間に彼女との距離が縮まった証拠か、隣に並んで歩いていても妙な緊張感はない。それほどまでに慣れ親しんだ関係になれたこと、そして何より彼女の相手に選ばれたことへの誇らしさと照れくささが胸の中に同居する。
――だが、彼女には好きな人がいる。
その人でなくて良いのだろうか。彼女の貴重なクリスマスを、自分のような男と過ごしてしまって良いのだろうか。
すぐ隣を並んで歩いているはずの彼女との間に、どこか果てしない距離があるような錯覚に襲われる。
「クリスマスって、いつもは仕事?」
瑠衣からのふとした質問に思考を引き戻される。
「あー……そうだね。去年はお嬢様が主催するクリスマスパーティの準備。一昨年は」
瑠衣の質問に答えていくけれど、脳裏には妙な憶測ばかりがぐるぐると渦巻いていた。
連れられてきた大ホールは壮大なパイプオルガンに、華やかに舞台を照らすシャンデリア風の照明ユニット。舞台を取り囲むように赤色の椅子が並んでいる。
そんな大ホールで悠斗たちが案内されたのはステージの最前席。ポツポツと埋まる客席横を通るたび物珍しそうな様子でこちらを見られる。
最前列という特等席。ステージ上との距離感に緊張感を持ちながら、隣に座る瑠衣の顔を見つめた。普段の読み取りにくい瑠衣の表情が崩れているというのはそれほど、楽しみであるということなのだろう。だからこそ――
「俺でよかったの? せっかくのクリスマスだし好きな人誘えばよかったんじゃない?」
瞬間、瑠衣の身体がピクッと飛び上がる。ステージを映していた彼女の瞳がゆっくりとこちらへ向けられ驚いたようにこちらを見開く。
「……ごめん。気が利かなかった」
「大丈夫だよ。うーんそうだなぁ……」
「なにか言いづらかったら大丈夫」
「違うよ。私がその人のこと好きだけど付き合えない。っていうのは他にもわけがあるんだよね」
プログラム表に視線を落とす瑠衣は少し悲しげに言葉を続けた。
「たぶん好きな人いるんだよね」
「たぶん?」
「なんか好きな人はできたことないっていうけど、その人には幼馴染の人がいるの。その人への態度とさ私への態度を比べると、なんかツラいんだよね」
「なるほど」
「恥ずかしいよね嫉妬みたいで」
隣に座る彼女は仕事柄、誰よりも物事を考えて行動する。主観や客観、さらには第三者からの具体的な目線など、多角的な視点を常に求められてきたからだろう。
それゆえにどこか己の現状や立ち位置を理解しすぎてしまっているようだった。
周りで伸び伸びと恋愛を楽しんでいる華凛には、そんなことを気にする素振りすら一切ない。華凛と瑠衣では、置かれた境遇も立場も、育ってきた環境もまるで違うのだから当然かもしれない。
「だけど、好きなんだよねその人のこと? 他人と比べるほどに」
「……うん。私の初恋」
「そっか」
「ごめん。これは大和様には秘密にしてほしくって」
焦るように言う彼女の顔を直視することができない。今の彼女を見てしまったら胸が張り裂けてしまいそうだったから。
自分に興味がない悠斗にとって他人を妬む気持ちなど無縁。
――なんて自分のことを思っていたけれどそんなことはなかった。
この胸の痛みも、息苦しさも、吐き気を催すような思いも人生で一度だって経験したことがない。
これまで彼女の前にいるときに感じていた苦しいほどの胸の高鳴りとはまるで違う。どろどろとした不快感と耐えがたい気持ち悪さ。
瑠衣に抱いているのは友愛で、同僚としての信頼で、彼女の境遇への同情で。
でもそれ以上に「彼女の隣にいたい」と願ってしまうのは本当にただの延長線上の感情なのだろうか。
湧き上がる感情に耐えかねて、悠斗は思わず顔を覆うようにして天井を見上げてしまう。
「悠斗くん、天井になんかあった?」
「いや……高くて、遠くて、なんか眩しいなって」
「他の席に移動しようか?」
「ううん、大丈夫だよ」
近くにあるはずの装飾すら眩しすぎて遥か遠くに感じる。
こんな形で自分の心を知りたくはなかった。
誰かを想う「初恋」の惨めさを。




