75 執事と解放
車が停車すると、前方に座る二人の男はスマホ片手にどこか降りて行ってしまった。
残された両隣の男たちは「金をどう分けるか」だの「どんな車を買うか」といった下世話な話で盛り上がっている。
これなら単なる金銭目的の誘拐で命の危険まではなさそうだと、悠斗が内心安堵したのも束の間外から鋭い悲鳴が聞こえてきた。
話に花を咲かせていた男たちが、弾かれたように身を乗り出して窓の外を覗き込む。車内へ甲高い悲鳴と、地面に叩きつけられるドスッという鈍い音が響き渡った。
「クソッ、何が起きやがった!」
脇を囲む男たちがドアから出てくると怒号と共に争い始める声が聞こえ始めた。察しのついた悠斗が手首のガムテープを無理やり引きちぎっていると、バンと勢いよくスライドドアがこじ開けられた。
「星原、久しぶりだな。こんな形で再会するとは思わなかった」
そこにいたのは月若でも日ノ内でも水船でもない。三家に並ぶ五大財閥の一角。
「暁家のご子息様が、このような場所に来てよろしいのですか?」
「俺は警察の人間だし、五大財閥が絡む事件なんだから出てくるのは当然だろ」
「そうかもしれませんが……幹也様は相変わらずですね」
「ほら、能書きはいいからさっさと出てこい。みんな心配してんだぞ」
ワンボックスカーの外へ一歩踏み出すと、そこはどこかのコンビニの広い駐車場。すでに複数のパトカーと黒塗りの高級外車がずらりと横付けされていた。悠斗を連れ去った男たちは必死に抵抗しようとするが、悠斗の顔を見るとピタリと止まった。
幹也は「まあ、そうなるよな」と小声で呟くと、悠斗の肩に馴れ馴れしく肘を置いた。
「お前ら、相手が悪かったな。こいつは誘拐され慣れてんだよ。昔から華凛の付き人をやってるからな」
「これで四回目ですね。お嬢様本人を狙うより、私を狙うほうが効率的ですから」
「というわけで、残念だったな! バーカ!」
舌を出して面白がる幹也の腕を振り払い悠斗は犯人たちの方に近づく。自分たちが誘拐したはずの少年が何事もなく近づいてくる様子に男たちも戦々恐々と顔を青くしていく。
「これが月若の、五大財閥の力です。お疲れ様です、刑務所での生活頑張ってくださいね」
「お前もいい性格してんな」
「幹也様に言われたくありませんよ」
「ヘイヘイ。……おい、こいつら連れてけ。先に月若と暁で尋問するからその後警察が引き取る形にしろ」
幹也は警棒を素振りしながら、部下に指示を出していく。男たちが引きずられていくのを見届けた悠斗は、小さく息を吐き出して身なりを整えた。手首に付いたガムテープの粘着痕を払い落としていると、後方から勢いよく近づいてくる複数の足音が聞こえてくる。
「悠斗!! 私の許可なく勝手に連れ去られてんじゃないわよ!」
怒声と共に現れた華凛は大股でこちらへ近づいてくると、悠斗の頬を平手で叩いた。パシッと乾いた音が駐車場に響く。
「えぇ……」
「なんで私に言わなかったの! こいつら、修学旅行中にも見かけたんでしょ!?」
「それは……お嬢様には大切なデートのご予定がございましたので。余計な心配でお嬢様方の邪魔をしたくは――」
「なんかあった時は自分の命を犠牲にしてでも私を守った? 大和と朱莉と瑠衣には危険が及ばない様にって?」
「……はい」
「正座!!!」
言われた通り素直にその場へ正座した悠斗を見下ろし、華凛は肩で息をしながら仁王立ちしていた。その瞳には怒りと、隠しきれていない安堵と薄っすらとした涙が浮かんでいる。
周りの警察や五大財閥の者たちも目をぱちぱちと瞬きしながらこちらを凝視して来る。
アスファルトの冷たさが制服越しに膝へ伝わるがそんなものもお構いなしだ。
「あんたバカなの!? 自分が無茶して周りを守れば万事解決とでも思ってんの!? そんなことされて誰が喜ぶのよ!」
「……ですが、専属執事としてお嬢様や皆さまに危害が及ぶ事態だけは避けるべきだと判断いたしました」
そう言うと今度は脳天に衝撃が走る。どうやら今の華凛は類を見ないほどのご立腹のようだ。
「その『皆』の中に自分を含めなさいよ! あんたに何かあったら、デートどころか日常すら崩壊するでしょうが!」
「華凛、怒り過ぎだって。悠斗くんは誘拐にあったばかりなんだよ?」
「星原はこれでも怖い思いしたばっかなんだから。お説教はまた今度にしてやれよ」
鼻息荒く怒る華凛を幹也といつの間にか来ていた大和が制止している。その後ろを瑠衣と朱莉も心配そうにやってくる。
ここに五大財閥の四家がいて、月若と日ノ内が話しているなどあってはならないことなのだろうが今はお構いなしの様子だ。
「悠斗くん!」
「朱莉様に瑠衣さんお疲れ様です。学校の方は?」
「早退したに決まってんじゃん。怪我は?」
「まったく問題なし」
元気そうに腕を振り回して力こぶを作って見せるが、瑠衣は溢れそうな涙を必死に堪えながら悠斗のことを見つめていた。
「……瑠衣さん?」
「……バカ」
「え?」
「悠斗くんのバカ。わかってるから、私の写真を見せられて、身代わりについて行ったんでしょ? 誘拐を断って私の方に向かわせて、その間に上に連絡して警備を配備させることだってできたはずじゃん! なんでそんな無茶したの……!?」
いつも冷静で完璧に仕事をこなす彼女が見せた今にも崩れ落ちそうな素の感情。普段であればできたはずの、その選択ができなかったのは単純なものだ。
「瑠衣さんの写真を見せられた時頭が真っ白になった」
悠斗はまっすぐ瑠衣の瞳を見つめ返し、誤魔化すことなく本音を漏らした。
「そんな不確実な賭けに出るより、俺が大人しくついて行く方が確実に瑠衣さんの安全を確保できると思った。……君に、指一本触れさせたくなかったから」
「なにそれ……」
瑠衣は息を呑み涙で滲んだ目を丸くした。その様子に男性陣はぎょっとしてしまったが何も言うことができなかった。
「本当よかったわぁ……ダーリンが無事で」
「大丈夫です。皆様わざわざありがとうございます」
「……気にせんといて、そんなん!」
悠斗はアスファルトの地面から離れると屈伸をしながら朱莉たちに答えた。どこかわからないコンビニの駐車場に複数の高級車と警官に加え、野次馬もたくさん集まっている。これ以上の騒ぎにならないように、五人を連れ車の方へ足を進める。
「でもよかったな。ひどい怪我とかしてなくて」
「前の方々に比べたらですかね。今度また誘拐されたとしても、同様にうまくやってみせます」
「……あっ?」
幹也に組まれていた肩の手が自然と離れたかと思えば、直後、もの凄い力で両肩をガッシリと掴まれた。わけもわからないがその威圧感に震えながら後ろを振り返る。
「ちょっと悠斗、あんた今なんつった……?」
「ゆうくん? 『次』もって、なんでそんなこと考えてるのかなぁ……?」
「……悠斗くん?」
華凛が般若のような顔で迫り、朱莉が冷ややかな笑みを浮かべ、瑠衣は笑顔を浮かべているものの目がまったく笑っていない。
「お前なぁ……誘拐される前提で話す奴があるか!」
「そうだよ悠斗くん。被害者の君にこういうこと言いたくないけどさぁー」
幹也の怒号に続いて大和の呆れた声が飛ぶ。いつの間にか悠斗を囲むように円ができていて正面の華凛は無慈悲にも地面に向かって指を差した。
「……正座」
「自分で言うのもなんですが、解放されたばかりで……」
「正座」
「はい」
五人全員から容赦のないお小言を集中砲火されながら、悠斗は「一応誘拐されたばかりなのだけどなぁ」と、ひとり心の中で首をかしげるのだった。




