74 執事と誘拐
「次のクリスマスは……って悠斗、聞いてる?」
「……」
「てぃ!」
「失礼いたしました」
華凛から脇腹にチョップを食らったことで悠斗の意識は鮮明になり始める。
修学旅行から帰ってきた今でも、瑠衣が気になってしょうがない。あの言葉のせいで残りの修学旅行も楽しむことができず、いつのまにか東京の月若邸にまで戻ってきていた。
「あんた、修学旅行で何かあった? おかしいわよ」
「体調不良というわけではないのですが……」
「珍しいわね。明日、健康診断にでも行ってきたら? 修学旅行のせいで今年の予定がズレてたでしょ」
「そうですね。では明日お休みをいただきます」
「早く万全にしなさいね。またデートの下見をお願いしたいんだから」
華凛はソファに寝転がり漫画に手を伸ばしながらこちらには興味なさげに言った。
三週間後にはクリスマスという恋人たちにとっての一大イベントが控えている。まさにそれこそが今の悠斗を悩ませる最大の種。
瑠衣に好きな人がいると知った以上、彼女だってその思い人と一緒に時間を過ごしたいはずだ。「告白はしない」と本人は言っていたが、本当にこのまま諦めさせてしまっていいのだろうか。
「お嬢様、その件なのですが」
「ん?」
「……もしかすると、次の下見は瑠衣さん以外の別の方にお願いすることになるかもしれません」
「え? 急になによ」
「いえ、失礼いたしました。なんでもございません……それでは、おやすみなさいませ」
悠斗は勢いよく頭を下げて逃げるように廊下へと出て行った。その間、どうしても華凛の顔を直視することはできなかった。
平日に制服で街中を歩くのは少し気まずい気持ちになる。月若家が義務付けている年一回の定期健診という正統な用事でも、すれちがう周りからの視線は決していいものとは言えない。
「すみません、少しいいですか」
案の定、警察官からの職務質問だろうと覚悟しトントンと叩かれた肩のほうへと振り向く。
「はい、私は……は?」
そこに立っていたのは紺色の制服を着た警察官などではなかった。
太い腕をしたトレーニングウェア姿の白人男性。そしてその背後には、人種も国籍もバラバラな男が三人ほど鋭い視線を向けながら立っている。
「月若華凛の専属執事……星原悠斗、だな?」
「……私やお嬢様の名前は外国にも知れ渡っているのですね」
片言の日本語だが低い威圧的な声が町内の空気を震わせる。
長崎で共有されていた情報が悠斗の頭の中で一瞬にして繋がった。市内で月若華凛の情報を探し回っていたという「外国籍の不審者」。そして示し合わせてように現れた鍛え上げられたこの集団。
これは良くないことなのは明白だ。
「……なるほど。俺を人質にと言うことですね」
「お前がこないならこいつらを連れて行く。それでもいいのか」
男が突き出してきたスマホの画面には瑠衣の顔写真が映し出されていた。他のクラスメイトには月若家の警備会社がマークについているが、日ノ内の使用人である彼女は唯一その警備対象から外れている。
目の前の集団がどこまでこちらの事情を把握しているかはわからない。だが、彼女に矛先が向くことだけは絶対に許せなかった。
彼女を守れるのなら自分の命など些細な問題だ。
「わかった。久しぶりだなこういうのも」
悠斗はため息をつき降参するように手を上げると周りを囲まれ、二つのスマホを下水道の溝に投げ込まれる。誘拐慣れしている悠斗にとっては最早慣れたものでここで抵抗するのは無意味だと分かっていた。
脇の下から腕を両方抱き上げられ宙に浮くと、街頭に停められたフルスモークのワンボックスカーに押し込められる。
エンジン音と共に地獄のドライブがスタートした。
両脇を男にがっちりと挟まれ手首には雑に巻かれたガムテープが邪魔して動かすことができない。ルームミラー越しに監視されているため迂闊に視線を動かすこともできないが、高速で日本海側に向かっていることは経験上何となく予想できる。
「お前素直に誘拐されたな」
「慣れてるから」
「写真を見せた瞬間素直にうなずいたな? お前の恋人か」
「ただの……クラスメイト」
悠斗は運転席からの問いかけに表情ひとつ変えず淡々と答えた。
「クラスメイトなんて他人だろ。お前はそのために命を出すのか? 日本の執事は狂っているな」
男は鼻で笑いタバコに火をつけた。車内に充満するニコチンの匂いと場違いなレゲエミュージックは心地いいものではない。だからそれを誤魔化すように話しかけた。
「……他人ではない」
「あ?」
「彼女に手を出されたら俺自身、後味が非常に悪い。ただそれだけ」
恋人ではない。自分以外の誰かに心を寄せ、来年には遠くへ行ってしまうかもしれない少女。初めてできた友達で、星原悠斗としての自分を見てくれた同僚。
いつの間にか悠斗の中で瑠衣は華凛や五大財閥の令嬢と同等かそれ以上に大切な存在だ。
「……おい、急に静かになったな。ビビり散らしたか?」
「いや。なんか心配だなーって」
悠斗はゆっくりと目を閉じた。自分が連れ去られたとなればあのお嬢様が黙っているはずがない。スマホの位置情報が途絶え、連絡も取れない時点で詰みだ。
この日本にいて五大財閥の警備網から逃れるわけはないのだから。




