70 執事と朱莉の密談
衣装に着替えた悠斗たちを待っていたのは大勢のギャラリーと、皴一つないスーツを着たこの施設の責任者たちだった。「是非お写真を」という流れで連れていかれたのは長崎市の絶景を一望できる高台。
本来このような写真撮影のサービスは存在しないのだろうが、これも五大財閥の力。彼女たちの家柄と類稀なる容姿は施設側にとっても絶好の宣伝になるのだろう。
当人たちも撮影には乗り気で許可を出してしまったため、一瞬にしてカメラのレンズに囲まれることとなる。悠斗と瑠衣はその光景を少し離れたベンチに腰掛けて眺めていた。
「これ大ごとになってない? 写真もネットに出るだろうし」
「……うん。ちょっとやばいね」
膝に肘をついた姿勢で鳴りやまないスマホ画面を忙しなく動かす。昨日からの思わぬイベントの発生に今朝の急な予定変更。想定外だらけの行動は使用人たちを振り回し、たまったフラストレーションは水船家へ向けられていた。
「大和様はどうなの?」
「特に問題なく。使用人のグループに、クラスメイトとめがね橋で撮った写真が送られてきた」
「あはは……いいなぁ」
乾いた笑いと心の声が思わず漏れてしまう。同じ修学旅行のはずなのに、日ノ内と月若でどうしてこうも違うのか。そんな行き場のない感情を胸に抱いているとベンチの前には人影が伸びてくる。
「うちと交代やって。るいるいのピンで撮りたいみたい」
「私ですか?」
朱莉の声に反応した瑠衣はとても不安そうな顔をしている。長らく一緒にいて忘れてしまうが瑠衣は日ノ内のメイドであるという事実はクラスメイトにもばれていない。素性も事情も知っている人間はごく少数だが、彼女の存在が公に出て指を差される可能性だってあるわけだ。
「あぁーそれは大丈夫。るいるいが映る写真だけは出さんといてくださいって言ってるから! 安心して撮っておいでぇー」
「しかし……」
「安心せぇ! なんかあったら水船でもみ消すから。うちがケツを拭くから」
一瞬にして朱莉の声色が下がる。
その様子から瑠衣も観念したのか立ち上がり手を振る華凛の方にまで走っていった。
「珍しいですね。朱莉様が権威をちらつかせるのは」
「まぁーなぁ。じゃないとゆうくん困るやろ」
「そうですね。彼女の顔がこれ以上表に出るとお嬢様の方にも行きますからね。余計なものが」
朱莉は悪戯っぽく片目を細めると悠斗の隣に腰を下ろした。
「なぁーゆうくん。うちが何で付いてきたと思う?」
ベンチから見える長崎湾を見つめながら朱莉はそう口に出した。それは華凛たちとも話したことで疑問に思っていたこと。まさか朱莉からの逆質問が飛んでくるとは思ってもいなかった。
「……お嬢様や瑠衣さんと旅行したかったからですか?」
「それは……違うっていいずらいなぁ。けどちゃうよ」
「なら現実逃避ですか? 進路などからの」
「うん。進路は関係ないけど現実逃避」
「なにかお悩みがあるのですね」
「……聞かないん? 何で『悩んでいますか?』って」
「……」
答えは沈黙。
その質問を投げかけたところで悠斗には何をすることもできると思っていなかった。
自分は月若の執事で彼女は水船のご令嬢。同じ尺度で分かったような口を聞いても彼女を不快にさせる。そんな気遣いが返って気まずい空気を演出してしまった。
「ごめんごめん。意地悪したかったわけじゃないんよ」
「申し訳ございません」
「……ううん、悠斗が謝ることちゃうよ。相変わらず真面目やなぁ」
朱莉は困ったように眉を下げるとベンチの背もたれに深く体を預けた。視線の先にはカメラを向けられ戸惑いながらもポーズを取る瑠衣、それを隣で誇らしげに指導している華凛の姿がある。
「逆に質問なんやけどゆうくんは将来どうするか決まった? 月若の執事を続けるのか、他の仕事につくのか」
「いえ。まだ何も考えていませんが大学は行こうと思っています。経営の勉強をしようかと」
「ならうちもそうしよー。行く大学教えてー」
「朱莉様の方がお先に卒業ではないですか」
「来年は遊ぶから大丈夫」
冗談を言いながらVの字を見せてくる朱莉に苦笑いを返していると、華凛が大きく手を振りこちらを呼びかける声が聞こえてくる。どうやら女性陣だけのイベントと言うわけではないようで今度は悠斗の番のようだ。
腕を伸ばした後に立ち上がると服の裾が引っ張られるのに気づく。
「朱莉様、どうさ――」
「ゆうくんはさ。将来結婚とかしたいん?」
脈絡のない質問に動揺しながらも顎に手を当て考え事をしてみた。
人生で結婚というものを強く意識したことはない。その前にある付き合うということですら分かっていないのに、何も考えることができないしそもそも相手がいない。
だけども旦那様方の様子を見ていると憧れを抱かないわけではない。好きな人と愛し合いながら将来を共にする感覚も味わってみたくはある。
「興味はありますがまだ考えきれません。今は自分のことで精一杯です」
「そっか……よかった」
「……えっ?」
思わず小さく漏れた悠斗の困惑に、朱莉は裾を掴んでいた手をそっと離し背中を両手で押してくる。
「ふふっ、なんでもない! ほら、華凛ちゃんが『遅い!』って顔して怒ってるで。さっさと行かんと後でお仕置きされるよ」
朱莉はいつもの無邪気な笑みを浮かべている。先ほどまでのどこか影のある雰囲気は嘘のように消え去っていたが、彼女の視線が悠斗の背中に注がれているのを感じながら悠斗は撮影場所へと足を進めた。
「ちょっと悠斗! なに朱莉と長々と話してんのよ! 主人を待たせるなんていい度胸じゃない」
「申し訳ございません、お嬢様。少々思考を巡らせておりました」
「ほら、そこに立ちなさい。せっかくのレトロ衣装なんだから、ビシッとエスコート役になりきりなさいよね!」
腰に手を当ててプンプンと怒る華凛とその横で小さく笑う瑠衣。カメラマンが「はい、そのままの表情でお願いします!」と興奮気味にシャッターを切り始める。
眩しい陽光とカメラのフラッシュを浴びながら、悠斗はふと、先ほど朱莉が浮かべた安堵の表情と「よかった」という言葉の意味を考えていた。




