68 執事と就寝時間
華凛たちの部屋に来た条件である「数分だけと」いう条件は簡単に破られた。
何度か部屋に戻ろう立ち上がっても、そのたびに止められ帰れないでいた。
「そういえば、星原と水船先輩ってどういう関係なの?」
目の前で繰り広げられていた、恋バナや愚痴は中断され矢印は悠斗へ向けられる。まさかここで朱莉との関係を聞かれるとは思ってもいなかった。
「水船財閥のご令嬢と月若家の執事。それ以上でもそれ以下でもないよ」
「それにしては星原に執着してない? なんかダーリンって呼んでたし」
「まぁそう呼ばれてるけどからかわれてるんでしょ」
確かに彼女たちの言う通り「ダーリン」と朱莉に校内で話しかけられ、悠斗の名前は「月若家の執事」だけでなく「水船朱莉のお気に入り」とも知られている。実際、朱莉にラブレターを渡した生徒からは目の敵にされているとも聞いている。
「朱莉様は意図が読めない行動が多いから」
「あの子腹の内が見えないし、なんか独特なパーソナルスペースがあるのよね」
「そうですね。朱莉様は距離感が難しいところもありますね。育った環境的に仕方ないとも思うのですが」
駆け引きが上手いと言えば聞こえはいいが、朱莉は自身の本心を明かすことが極端に少ない。それは同等の家柄である華凛や大和に対しても同様で、彼女の『パーソナルスペース』は人より特殊だと評されていた。
「高三の十一月に修学旅行に押しかけてくるってことは、大学とかも行かないのかな。それとも結婚とか?」
クラスメイトのその問いに、華凛は組んでいた足をとき前に身を乗り出すようにして悠斗に尋ねた。
「そういえばあの子の許嫁とか進路のこと、悠斗は何か聞いてる?」
「いえ……。言われてみれば、何も存じ上げませんね」
瑠衣の方へ視線を向けると、彼女は軽く首を横に振った。つまり、日ノ内家側も把握していないということ。
職務上、月若以外の四財閥の情報は自然と耳に入ってくる。一般的には厳重な情報統制が敷かれているような案件であっても、当主との距離が近い悠斗のもとには嫌でも深い情報まで届く。
それだけの情報網を持つ悠斗の耳にすら水船朱莉の情報は一切入ってこない。
彼女の突然の転校も今回の修学旅行への参加も。いくら秘匿情報とはいえ、動向の兆候すら月若と日ノ内が察知できないわけがないのだ。
そもそも彼女の行動を水船が把握していないことも多い。形容しがたい奇妙さと違和感に、悠斗は思わず黙り込んでしまう。
「やっぱり許嫁とかいるのかな。……華凛ちゃんはそういう人っているの?」
「うちは自由恋愛推進派だから、そういうのはないけど」
「じゃあ星原と華凛ちゃんが結婚とかもあるんだ」
「あーそれだけは天地がひっくり返ってもないわ。私にだって選ぶ権利はあるし」
どれだけ思考を巡らせても、朱莉の行動原理は理解できなかった。単なる彼女の気まぐれで深い意味などないのかもしれないが、一度気になり始めるとどうにも頭から離れない。明日は嫌でも朱莉と行動を共にする時間がある。その際に少し探りを入れてみるか、と悠斗は心の中で静かに頷いた。
その時、廊下からドタバタと走り去る生徒たちの足音が聞こえ、壁のデジタル時計の数字が就寝時刻の到来を告げた。
これ以上ここに残っていては見つかって面倒なことになるのは確実だ。
「お嬢様、楽しいお時間をありがとうございました。私は失礼いたします」
「呼び出した私が言うのもなんだけど、どうやって戻る気よ?」
「下のフロアは月若家で押さえておりますので、そちらのバルコニーに飛び移ろうかと」
「あーオッケー。怪我だけはしないでよ」
「万が一がありましても、下に別の者が控えておりますのでご安心ください」
「そういう問題じゃないわよ」
華凛の呆れたツッコミを背に受けながら悠斗は靴紐を結び直し、バルコニーのサッシへ向けて歩き出した。
「それじゃあ、失礼いたします」
クラスメイトたちが小さく手を振るのを見届け、窓を静かに閉めようとした時滑り込むようにして窓の隙間にすっと手が伸びてきた。
「悠斗くん。明日の回るところで少しだけ話したい。ほんと少しだから」
「あ、うん。わかった」
追って外に出てきた瑠衣の真剣な眼差しを受け止め、悠斗は小さく頷いた。瑠衣は迷いなく悠斗の傍まで近づき手を掴んでくる。
「手、怪我してるでしょ。少し切れてる」
夜風で揺れる前髪から瑠衣の気遣わしげな瞳がまっすぐに悠斗を手の甲を見つめていた。確かに右手の人差し指の付け根から血が垂れていたが、部屋に入った時に洗ったとことで気づかれないと思っていた。
「……ああ、飛び降りた際に手すりのバリに引っかけたのかも。まぁこれくらい大した傷じゃないよ」
悠斗はそっと手を引き抜こうとしたが指先に強い力が込められ逃がしてはもらえなかった。
「『大した傷じゃない』で済ませないで。いつもそうやって自分を後回しにするんだから」
「いや本当に大丈夫だから。慣れてるから」
「……今は言うこと聞いて」
有無を言わさぬ物言いに悠斗は抵抗する力を抜いた。瑠衣は吐息を漏らすとポケットから絆創膏を取り出した。傷口の血をハンカチで拭くと丁寧にそれを貼り付けていく。
「私と違ってボディーガードとか色々兼任してる。大変なのも分かる」
「……」
「だから怪我するのは仕方ないけどさ。当たり前だと思わないで。私は悠斗くんが怪我しているを見るのは悲しいよ」
悠斗は不覚にも息を飲んだ。自分に向けられた純粋すぎる心配と傷心に、「大丈夫」の言葉は喉につかえて出てこない。
「……すみません」
ぽつりとこぼれたのは、謝罪の言葉だった。同級生としてのフランクな口調すら崩れ、素の動揺が滲み出てしまう。
丁寧に貼り終えた絆創膏の上から、瑠衣はぽんと優しく手を重ねた。
「そろそろ時間だから。……おやすみ、悠斗くん」
「……はい。おやすみなさい、瑠衣さん」
悠斗は静かに手すりへ手をかけ、今度こそ怪我のないよう慎重に下のバルコニーへと降り立った。




