64 執事と来年の文化祭
終了時間が四時ということもあり、午後の時間は一瞬にして過ぎ去った。
午前中はトラブル続きだったため、文化祭を楽しめたのは午後のほんのわずかな時間だけだった。
「まじかぁ、るいるい大丈夫?」
「はい。悠斗くんが気遣ってくれたお陰でなんとかなりました」
メイクを落としながら笑う彼女の横顔を見ると悠斗の心配も杞憂に終わった。変装の用意の時間がかかったぶん、それの撤収も大変だ。
徐々にお互いが元の姿に戻っていく様子を大和と悠斗は端っこで眺めている。
「お嬢様たちはどんな感じでしたか?」
「生徒会の仕事しながら、色々回って楽しかったわよ? 肩の荷が下りたというかなんか気が楽だったなぁー」
「お二人の日ごろから向けられる視線というものを経験して、その大変さを改めて感じました」
「慣れよ慣れ。いつの間にか感じなくなるから」
「……あんなのには誰も慣れませんよ。たとえ芸能人でも」
げんなりとする瑠衣の横で笑う華凛。
華凛たちからすれば生まれながらにして身につけなければいけない一種の宿命。
それは、一般人からしたら一種の呪いにしか見えない。当人は「慣れ」と言うけれども降りかかる負担は今日の瑠衣を見れば一目瞭然だ。
その呪いから一時的にでも華凛を解放させられたのならば、月若家の執事としては嬉しいことなのかもしれない。
「でも楽しんでたんでしょ? 噂、たくさん回ってきたわよ」
「僕も聞いたな。校内で二か所騒ぎになってるって」
腕を組みながら呆れたように笑う大和の言葉に、悠斗は「二か所……?」と首をかしげた。
「一か所は富士見たちで、もう一つは朱莉たち」
「朱莉様も何かされていたのですね」
「あっちもあっちで凄くてね。デート中に連絡きて生徒会もてんやわんやだよ」
朱莉に何があったのか自分たちのことが精一杯で、把握しきれていない。
ただ、確実に言えることは五大財閥の三家がこの文化祭で大きな影響を及ぼしたということ。
一日目は月若と日ノ内の当主たちが。二日目はその子供たちが騒ぎを起こしたことになる。
「来年からは対策をしようという話になったから。学校としても月若家を助けることを公表するらしいよ」
「昨日の来訪が効いたのでしょう。これからは忙しいことになりそうですね」
公の場での両家当主の交流に日ノ内のサポート公表は、二家の関係改善を世間に浸透させるにはもってこいではある。
時間を掛けながら公表することで世間へ与えるダメージも小さく収める考えなのだろう。
「いつになるかわからないけど……私と大和の関係も公表できるのね」
ぽつりと呟いた華凛の言葉に、他の三人は口を噤んでしまう。
気まずい空気の中、悠斗は華凛が右手に握るスマホへと視線を向けた。そこには映っていたのは「瑠衣と大和」のツーショットで、華凛が取りたかったものと違うもの。本当は大和の隣に映る顔が自分でいたいという思いが伝わってくる。
「遠い未来じゃないはずよ。それまでの我慢だね」
「……うん」
曖昧な言葉が、この場の悲壮感を増幅させている。
遠い未来というのはいつなのか。それは五大財閥の子供にもそこに仕える使用人達にもわからない。
それでも――。
「来年の文化祭は二人でのデート。できるように手配いたします。変装も何もないように」
「どうやって?」
「それはまだ思いついておりません。それに来年の様子次第です」
「あんたねぇ……」
「解決困難な大きな問題であるのは重々承知しています」
月若と日ノ内が「対立している」という世間の思い込み自体が、今の日本経済市場の前提として組み込まれてしまっている。
それを一使用人がどうにかするなど不可能に近い。
「ですが――私は月若華凛の執事です。私ができるすべての手を使ってどうにかします」
「悠斗くんと同じように、私もどうにかします」
悠斗の決意に呼応するように、瑠衣が静かに言葉を重ねた。
元の美しく落ち着いた黒髪へと戻った彼女の瞳には、午前中までの迷いや不安は一切残っていない。
「私に残っている時間は少し。卒業でお二人の傍からは離れてしまいます。ですが、それまでの間にできることは協力いたします」
「……たく、二人揃って何言ってるの」
華凛は照れ隠しのようにフンと鼻を鳴らした。彼女は右手で握りしめていたスマホをゆっくりと伏せ、大和の方へと視線を向けた。
「信用しているけど一年でどうにかできるとは思っていない」
「……はい」
「だけどあなた達なら案外どうにかしてくれるのかもね。私たちの我儘に答え続けてきた二人なら」
「……光栄なお言葉です、華凛様」
悠斗が胸に手を当て完璧な所作で頭を垂れる。その隣で瑠衣もまた柔らかく、小さく頭を下げた。
「さ、しんみりした空気はおしまいだ。三人はクラスで打ち上げがあるんだろ? 言っておいでよ」
「そうじゃん時間やば! 悠斗準備!」
華凛が勢いよく飛びあがり髪をまとめ上げると、悠斗は華凛の荷物を手に取った。
耳に着けていたインカムを机に置き任務を切り上げると瑠衣が隣にやってきた。
「悠斗くん。来年は二人が回るなら私たちも二人で回ろ」
「え?」
思わず素で間抜けな声を漏らした悠斗に、瑠衣は満足そうにくすりと笑った。
「悠斗早く!」
「はい、ただいま参ります!」
急かす華凛の声に背を押されるように、悠斗は瑠衣の言葉の意味を噛み締める暇もないまま返事をした。
完全燃焼とはいえない文化祭。
来年は華凛と大和が楽しめるように。
そして瑠衣が笑って最後に思い出を作れるように。
月若家の執事としても一人の高校生としても。悠斗は夕陽が照らす廊下を続いて走り出した。




