63 執事とメイドの文化祭デート(3)
瑠衣の寝息が聞こえなくなったのはそれから、一時間ほど後のことだった。
真っ赤な目と涙で崩れた変装を治すため、車内で鏡に向かいメイク作業をしてもらっている。
「瑠衣さんどうする? このままここにいてもいいけれど」
本来の目的は華凛と大和とのデートを演出するための変装。冷静に考えれば悠斗と瑠衣が一緒に文化祭を回る必要はない。
瑠衣には申し訳ないが、華凛の気が済むまで車内で過ごしてもらってもいいわけだ。
「お嬢様が校内にいないってなったら、パニックになるでしょ。流石に行くよ」
「だけど……」
「私も少し怖い。だけど、頑張りたい。日ノ内のメイドとしてね」
悠斗として素直に頷くことはできない。
使用人としての誇りを傷つけたくない思いとは矛盾するように、富士見瑠衣としてこれ以上傷ついて欲しくない。
だけどそれは悠斗の独りよがりな感情だ。
「頑張りたい」という彼女自身の意志を無下にできる立場ではない。
「わかった……。俺がなんとかする」
「なにか案はあるの?」
「ないよ。ないけどひねり出してどうにかする」
「……そうだよね。無理言ってごめん」
「違うよ。今日一日、俺は富士見瑠衣の執事だから。お嬢様の我儘に答えるのも執事の仕事だからね」
悠斗は自分の頬をパンと数回叩き、上半身を起こして腕を回した。
どうにかして彼女に向けられる無数の視線を和らげ、正体がバレないように過ごすにはどうすればいいか。校内にいる一般生徒へ完全に擬態することは不可能だ。できたとしても「少し目立つ生徒」止まりだろう。
では、昨日今日で校内で目立っていた視線とは、一体どんな質のものだったか。
例えばクラスに来た一年生たちは、悠斗と華凛を「月若ペア」として推していると言っていた。
他の一年生たちも同じような認識らしい。
凛々しくて可憐なお嬢様
支える優秀な執事
漫画みたいな設定
客や生徒たちの興味を「雲の上の令嬢」から「仲のいいお嬢様と執事の微笑ましい掛け合い」へとズラすことができれば、複数の感情の視線も一気に和らぐ。
「……案、できたよ」
「本当……?」
「だけどこの方法は我ながら可笑しいなと思うからさ。もしもの時は、華凛様と大和様に一緒に怒られてほしいかも」
悠斗はバックミラー越しに笑顔を返すが、瑠衣はそれがよくわからなかったのか首をかしげている。
「なにか興味あるものはございますか、お嬢様?」
「謎解きとか面白そうね。あとはスタンプラリーとか校内回れそうだし」
意を決し校内に戻っても注目の数は変わらない。むしろお昼ごろだからか来場者の数は多くなっている。
「ではスタンプラリーをしながら、飲食や催し物に参加しましょう」
「頼んだわ」
悠斗が出した対応策の一つ目は、あえて隣並びで歩くことで「主と使用人」という関係性を消すこと。だからと言って向けられる視線が減るわけではないが、悠斗が立ち位置を調整すれば死角ができ物理的な遮断もできる。
そして二つ目は瑠衣にはパンフレットやスマホなどを見てもらい、目的地に着くまでなるべく前方から向けられる視線と真正面から向き合わずに済むようになるはず。彼女が不調になったのも、メイド業務で備わった観察眼ゆえのものだ。
「ここ面白そうじゃない? 入ってみましょ」
瑠衣が足を止めたのは、階段近くにある美術室。
室内は絵具と粘土のにおいが混ざったような広々とした教室。黒板には何かのキャラクターのイラストが描かれており、水彩画や油絵の展示がされている。
「月若さんたち! 昨日はありがとうございました!」
教室に足を運み入れた瞬間、悠斗たちに話しかけてきたのは、昨日クラスで声をかけてきた一年生三人組。
どうやらこの美術室の主の一員だったらしい。
「お三方ともお疲れ様です。こちらの展示は皆様が作成したものなのですか」
「はい。ここは美術部の展示です。あ、あのもしよかったらこれどうぞ!」
頭を下げ手を前にしながら渡してきたのは、華やかな服装の男女二人のイラストの本。
男の方はスーツを着て膝をつき頭を垂れ、女性の手の甲に口づけを落としている。
「これ悠斗じゃない。ってことは隣は私ね」
「は、はい! 勝手ながらモデルにさせていただきまして」
ページをパラパラとめくっていくと、様々なシチュエーションで描かれたドラマチックなイラストが何枚も並んでいた。
学校の廊下でふたり静かに並んで歩く姿。
雨の中、一つの傘を差し出して静かに佇む姿。
そして、夕暮れ時の教室で、主に従者がそっと寄り添うような幻想的なカット。
「……すごく綺麗。二人をこんな風に素敵に描いてくれて、ありがとう」
瑠衣はいつの間にか華凛の演技を少し忘れ、本心からの感嘆の息を漏らしていた。目の前の本を愛おしそうに見つめる彼女の横顔には、さっきまで車内で見せていた不安の影はすっかり消えている。
「気に入っていただけて良かったです……っ! あの、もしよろしければ、それお持ち帰りください!」
「えっ、いいの? 嬉しいわ」
満足そうに本を抱え直す瑠衣の姿を見て、悠斗は心の中で小さく胸をなでおろした。
「星原さんもどうぞ。その……執事としてはあまり良くないのかもしれませんが」
「まぁそうですね。ですがフィクション作品ですから大丈夫ですよ」
「……やっぱりないんですか? そういうのは実際に」
「そうですね。恋愛対象ではなく主ですから」
悠斗が真面目なトーンでそう言うと三人ともだよねと顔を合わせて笑ってしまう。
「執事とかメイドさんは、恋愛とかどうするんですか? 仕事の関係で相手を作るのも難しくないですか」
「やはり屋敷外に相手を作りますね。同じ屋敷での恋愛は少ないかと」
「じゃあ執事とメイドが恋するっていうのも現実ではないのかー。勉強になるなぁ」
一年生たちが「なるほど」と感心したように頷き合っている。悠斗の模範的で淡々とした回答に、完全に納得した様子だ。
「素敵な冊子をありがとう。大切に読ませてもらうわね」
「はい! ありがとうございました!」
嬉しそうに頭を下げる一年生たちに手を振り、二人は美術室をあとにした。
「大丈夫ですか瑠衣さん?」
「午前中よりはね。でも不安はあるからそばにいてね」
「勿論ですよ、瑠衣さん」




