50 執事と体育
突発的なパジャマパーティを終えて、暦は十月に差し掛かった。
これから文化祭があり、その後に修学旅行。
校内が少しずつ慌ただしさを増していく中でも、日々の授業は変わらず淡々と行われる。
「おい星原、お前マジで運動神経バグってるだろ」
体育のバスケットボールの授業中。
同じチームだったクラスメイトたちが、肩で息をしながら信じられないものを見る目で悠斗を仰ぎ見た。
「……そうですか?」
「いやいやいや!! 高校生の体育でダンクシュート決める奴があるかよ!……バスケ経験は?」
「ちゃんとした経験はありません。ただ、昔バスケアニメを見ていたお嬢様に『これ真似してみて』と言われまして。命令通り練習していたら、いつの間にかできるようになっていましたね」
悠斗が難なく言うと、クラスメイトの顔が一瞬で曇る。そして視線は逸れ隣のコートでバレーボールを観戦している、華凛たちの方へ向けられる。普段は男女別の授業のため様子を見ることはできないが、外が雨のためそれもできるようになっている。
「うわぁ……。月若さんならいいそう……」
「じゃあ、このセンターラインからあのネットにシュートできる?」
指さされたのは十四メートルから離れたバスケネット。ちょうど試合が終わって誰も使ってない。
悠斗はボールを受け取って、数回床にたたきつけた後ネットに向かってボールを放つ。綺麗な放物線を描きながらボールはネットを揺らす。
「これも、練習させられたのでできますね」
戦々恐々としている男子たちの背後から、誇らしげに胸を張る声が響いた。
「そうよ! うちの悠斗は運動神経バグってるんだから。基本何でもできるのよ」
いつの間にかネット越しに移動してきた華凛が、クラスメイトたちを従えて腕を組んでいた。お嬢様の突然の降臨に、クラスメイトの男子たちが「うわ、月若さんだ……」と小さく身を硬くする。
「お嬢様、そちらも授業中では?」
「そうだけどあんたが暴れすぎて、こっちの試合なんて誰も見てないわよ」
ちらっと周りを見ると視線がこちらへ集まっている。
「……やりすぎましたか」
「まぁいいんじゃない? しらんけど」
「適当な……」
相変わらずのお気楽でお転婆振りに頭を抱えそうになるが、他の人の視線もあるためそれは心の中に止めておく。
「てか……世の中の執事やメイドって全員、超人的な動きができんの?」
「なわけ。悠斗はヴァレット兼ボディーガードみたいな役割だから。他のみんなはこんなに動けないわよ?」
「そうですね。家事だけでなくお嬢様の我儘……お戯れ、有事の際の護衛も兼ねているので、人並み以上の訓練は受けています」
「なるほど、ボディガードも兼ねてるからか……」
「ってことは、ナイフとか銃弾とかも避けられたりするわけ?」
男子たちの妄想混じりの質問に、悠斗は少しだけ困ったように眉根を寄せた。
「さすがに銃弾は無理ですね。ナイフの制圧はできますが……。――お嬢様、そろそろ授業に戻らないと先生に叱られますよ」
「大丈夫よ。こっちは……」
華凛の視線の先にいるのは年若い女子教師。先週教員として新しく入ってきたらしく関西弁でノリがいいのが特徴。
彼女は水船がよこしたボディーガード。つまり五大財閥の息がかかったものが口出しなどできるわけがない。
大人の事情を、悠斗は一瞬で察した。
「……なるほど。完全に見逃されていますね」
「でしょ? だから問題ないのよ」
ドヤ顔で胸を張る華凛に、事情を知らないクラスメイトの男子たちは別の意味で戦々恐々とし始めていた。
そこに、少し肩を落とした瑠衣がトボトボと歩み寄ってきた。どうやら彼女たちのチームの試合は今しがた終わったばかりのようだ。
「終わりました。って……月若さんたち、私のことを応援するって言っていませんでした?」
「あら、るいるいお疲れー。勝った?」
「負けました。あちらにはバレー部の方がいるので当然です」
いつもは汗一つ見せないイメージのある瑠衣だが、今はさすがに上気した顔で、タオルで首筋の汗を拭っている。
悠斗たちがこの学園に転校してきたのは体育祭が終わった後だった。それに普段の体育は男女別ということもあり、悠斗としても彼女が運動している姿を見るのはこれが初めてで、どこか新鮮だった。
「ごめんってー。うちのアホが大暴れしていたからさ」
「そうなの! すごいジャンプしてすごいシュート決めたり! こっからドーンってシュート決めたりしたんだよ?」
華凛とその隣にいるクラスメイトの擬音だらけの説明を聞いて、瑠衣はジト目でこちらへ視線を向けてくる。
「へぇー悠斗くん。すごいですね、部活に参加していないというのに」
「ありがとうございます。ですが瑠衣さんもサーブで何点か決めているの、お見受けしましたよ」
お互いに労い合う二人。すると、それを見ていたクラスメイトの一人が、ふと不思議そうに首を傾げた。
「ってかさ……なんで二人ってずっと敬語なの? それに俺達に対しても、なんかいつもかしこまってるし」
「……っ」
確かにこうやってクラスメイトの前で二人で話すことなどなかった。悠斗と瑠衣としては敬語を使う生活が当たり前になっているので。これは想定外の指摘だった。
「……私は両親から『誰にも敬語を使い敬意をあらわすように』と教育を受けておりますので」
瑠衣がそれとない理由を言うと、周りも「なるほど」と頷いている。
「私も月若の執事ですからね。皆様はお嬢様のご学友ですので」
「うーーんそうかもだけど、悠斗も別にクラスメイトじゃね?」
男子の至極真っ当な突っ込みが飛んでくる。確かにその通りだ。
どれだけ月若家の執事という肩書があろうと、この教室にいる間は対等な一人の生徒である。
「それは……確かにそうですが、習慣というのは中々抜けないものでして」
悠斗は困ったように微笑み、内心で「さて、どう切り抜けるか」と頭を回転させる。
するとそれまで腕を組んで二人のやり取りを眺めていた華凛が、ふいっと間に入るように一歩前に踏み出した。
「なら命令。悠斗はこれからクラスメイト全員に敬語禁止ね。卒業まで」
「なっ……!?」
お嬢様の突飛すぎる「命令」に、悠斗は危うく抱えていたバスケットボールを落としそうになった。
「……お嬢様、それはさすがに横暴が過ぎるのでは?」
「横暴じゃないわよ、主の命令。これを機に私以外とも仲を深めなさい」
事情を知らないクラスメイトたちは一瞬の静寂の後、大盛り上がりで歓声を上げた。
「マジで!? 月若さんナイス!!」
「星原くん、聞いた? お嬢様の命令だよ!」
「そうだよ。俺たちもう友達なんだから!」
一気に距離を詰めて肩を組んでくるクラスメイトたち。
その包囲網の中心で悠斗は目眩を覚えながらも、華凛へ抗議の視線を送る。しかし彼女はこの状況を楽しむように意地悪く口元を歪めていた。
「……分かりました。――これでいい? みんな」
「おいおいマジかよ星原! そっちの方が全然話しやすいじゃん!」
「なんか一気に普通の同級生って感じがするわ!」
わいわいと嬉しそうに絡んでくる男子たちに、悠斗は困ったように眉を下げつつも内心嬉しくあった。
それはネット越しにいる彼女を含め自分のことを友達と言ってくれる人がこんなにもいてくれることに。




