44 執事にとっての月若家
「ただいま戻りました」
屋敷に着いたのは夜の二十二時。あの後何も会話がなく自然な流れで解散になってしまった。
気まずいあの状況でハイ、仲直りなどすぐにできるはずもない。
自分のことなどどうでもいい。とにかく、報告書を作成して華凛や旦那様へ提出をと靴を脱ごうとしたとき、本来そこにいるはずでない人物が立っていた。
「悠斗、おかえりなさい。話があるわ」
いつもなら自室でくつろいでいるはずの華凛が珍しく玄関にいる。腕を組んで片手にはスマホを持っていて、それは「帰りを待ったわよ」とでも言いたげな表情だ。
「……お嬢様。どうされましたか」
「あんたを待ってた。ずいぶん遅かったじゃない」
「申し訳ございません。少し歩きながら考え事を……」
「るいるいから聞いてるから。ついてきなさい」
華凛は悠斗の言葉を遮るとリビングの方へと歩き出した。今の悠斗はそれに素直に従うしかなかった。
「寒い?」
「いえ……お嬢様は」
「私は大丈夫」
「……」
それきり、会話が途切れる。
普段であれば、九月に入ったとはいえ夏の延長のような熱帯夜が続いているはずだった。今日この夜に限っては、窓の外から流れ込んでくる風がどこか妙に涼しい。
「瑠衣から電話が来たわ。あなたと解散した後に」
それは想定通りの言葉。
玄関にわざわざ出迎えをするなど普段の華凛からは考えられない行動だっため、あらかた予想できた。
「あえて私も……たぶんパパも考えないようにしてたと思う。でも、そろそろ向き合わないとね」
「はい……」
握った拳に力が入る。これから言われる言葉が嫌でもわかってしまうから。
「あなたは今後どうしたいの?」
「……」
華凛の声はいつもより低く穏やかだった。
いつもの感情に任せたわけでもなく、ただ事実を淡々と見据えるような声音。悠斗の逃げ道を完全に塞いでいく。
「私は大学卒業したら大和と結婚するつもり」
「はい……」
「選択肢は二つ。うちの跡継ぎがいないから大和が月若に婿養子に入る。又は私が日ノ内に入る」
「……はい。どちらの場合でも私は月若で……」
「ん? あなたは連れて行くわよ? なにがあっても」
「え……っ」
悠斗の口から、間の抜けた声が漏れた。あまりの衝撃に、握りしめていた拳の力がふっと抜ける。
「当たり前じゃない。確かに大和は素敵な男よ? でも私の我儘にすべて受け入れるのはあんたしかいないじゃない」
「しかし! 日ノ内家にはすでに多くの優秀な使用人がおりますし……」
「そんなの、私が力ずくでねじ伏せるに決まっているじゃない。月若華凛よ?」
傲慢で我儘。そして絶対的な自信。
それははいつもの悠斗がよく知る「月若華凛」そのものだ。
「私が言いたいのは執事を続けろとかじゃないの! 辞めて月若の会社で働くのもできる。大学だって行けばいい。それにあんたに月若を継がせる計画もあるのよ? ねぇーパパ?」
華凛が視線をリビングの奥へと向けると、そこにある書斎の重厚な扉が、待っていたかのように静かに開いた。
「いやあ、華凛。さすがにバラすのが早すぎやしないかい?」
苦笑いを浮かべながら現れたのは、月若家の現当主であり、華凛の父親だった。
完全にプライベートな部屋着姿ではあるものの、その佇まいには一企業のトップとしての絶対的な風格が漂っている。
「旦那様……!? いつからそこに……」
「悠斗の話を聞いてね。たまたま予定が東京で良かったよ」
旦那様は悠斗の対面のソファ、華凛の隣へと腰を下ろすと悠斗に向けた。
「そもそも悠斗を引き取った理由は色々あるが……ひとつは華凛と結婚させ月若を繁栄させるためでもあったからね」
「……そうだったのですか」
施設から引き取られたあの日から、自分は「お嬢様を支えるための使用人」として育てられたのだとばかり思い込んでいた。
旦那様は手をパンと叩くと穏やかに微笑んだ。
「つまり、だ。私たちは最初から、君をただの執事や使用人としてだけ見ていたわけじゃない。悠斗の将来には月若の執事だけでなく、いくらでも自由な選択肢があるということさ。富士見瑠衣くんに長野の実家という居場所があり、将来に希望があるようにね」
そこで旦那様は一度言葉を切り、安心させるように深く頷いた。
「悠斗、君にも輝かしい将来があり、この月若家という絶対的な居場所がある。それは華凛が結婚しようが変わらない。……万が一、うちの家が滅ぶような天変地異が起きたとしても、他の財閥の力を借りてでも君の未来だけは私が保障してあげるさ」
五大財閥の月若家で育ったがそこには血のつながりはない。
お金持ちの気分で拾われてここで育ち、使用人として生涯を全うする人生と思っていた。
だけど自分の未来は様々な選択肢があり居場所がある。それが知れただけで悠斗の心は軽くなった。
「星原悠斗」
「は、はい――」
それは誰に着けられたかもわからない名前。幼い頃はこの名前にコンプレックスも持っていたが今は違う。
「これからは自分の足で歩いて、答えをみつけるんだ。これは月若の当主としての命令ではなく、親としてのお願いだ」
「し、承知いたし――」
なんて情けなく業務的な返事なのだろう。口に出した瞬間に激しい後悔が襲う。
今求められているのは、完璧な執事の定型句ではない。
もっと自然で、そして――。
「ありがとうございます。……お父さん」
そう呼ぶのは小学生の時以来だ。
まだ自分が執事の仕事を叩き込まれる前、ただの無邪気な子供としてこの家に甘えていた頃の、遠い記憶の呼び名。
旦那様は一瞬だけ驚いたように目を見張った後、これ以上ないほど嬉しそうに、目元を優しく細めた。
「ああ。……よく言えたね」
「なんか懐かし。昔に戻った気分」
「そうだね」
「私のことも『華凛ちゃん』か、『華凛おねえちゃん』って呼びなさいよ」
「華凛様」
「はぁー? あんたねぇ!!!」
クッションを投げつけられ悠斗の顔にクリーンヒットする。
自然と張り詰めていたものが決壊したような周りからも笑みが漏れる。
「まぁいいわ……他にも聞きたいことはたくさんあるけど。瑠衣にだけは謝りなさいよ。心配してたんだから」
その言葉に、悠斗は小さく目を見張った。
そうだ。あの観覧車の中で、自分がいきなり青ざめて脂汗を流し、震え出したのだ。瑠衣がどれほど責任を感じ、動揺したかは想像に難くない。わざわざ解散した後に華凛へ電話をかけてきたのも、自分の体調や様子を本気で案じてのことだったのだろう。
「わかりました。すぐに対応します」
「はい、じゃあ解散ー。私見たいドラマあるから」
「せっかくの家族団らん楽しもうよ! 悠斗もいるんだし!」
「私反抗期だからムリー。華の女子高校生よ。べぇー」
そう言って華凛は本当に舌をペロッと出すと、クッションを抱えたまま足早にリビングを出て行ってしまった。思わずその様子に悠斗たちは顔を合わせて笑ってしまう。
「さて、私もそろそろ休むとするよ。悠斗、瑠衣くんへの連絡が終わったら、君も早く寝なさい」
「はい。おやすみなさいませ、お父さん」
旦那様はもう一度満足そうに頷くと、書斎へと戻っていった。
「お疲れ様です。先ほどはご心配をおかけして申し訳ありませんでした」
『体調は大丈夫ですか? 気を悪くさせたのでは……』
「いえ。瑠衣さんのお陰で考える機会になりました。旦那様やお嬢様ともお話できて。私の居場所は月若でそれは何があっても変わらないそうです」
『……』
「もう少し自分の今後を考えてみようとも思います。私の未来は執事以外もあるそうなので」
『それはよかったです。例えば今やってみたいことなどはあるのですか?』
「そうですね、まずは――誰かを好きになってみようと思います」
窓越しに見える欠けた月をみながら、電話越しそう声をかけた。




