38 執事と朱莉
月若・日ノ内・水船。
この三家が一堂に会するだけで、場の空気は張り詰めたものになる。子供達だけと言ってもそれは変わらない。
「で、朱莉。改めて説明しなさい。水船も他のとこもあんたの転校知らないみたいじゃない」
「お袋には言ってないからねそりゃ。てか急な転校なんて華凛もでしょ?」
「私はいいの! 大和と付き合ってるから」
堂々と言うがそれはそれでおかしな話。側から見たら朱莉の言うとおり変わらない、華凛も変わらない気もする。
「それでは朱莉様。付き人やボディガード、使用人もいないのですか?」
「いない、悠斗で事足りてるし。それより――」
朱莉の鋭い視線が瑠衣に突き刺さる。それはまるで何かを目利きするようにじーっと制服の隅々までを見つめる。
「教室で『月若さん』って話しかけた子か。大和のなんだ君。理解」
「はい、申し遅れました。私は富士見瑠衣と申します」
「ふーん。日ノ内で富士見。つまり君は人質――」
「朱莉様」
悠斗は朱莉の言葉を遮るよう大きな声で牽制を入れた。これ以上イレギュラーが起きて主人たちを不快な気分にさせるわけにはいかない。
「勘違いしないで頂きたいのですが、私は五大財閥のものではありません。月若財閥で月若華凛様の使用人。そしてこの教室は月若の領域。もし、それ以上好き勝手動かれると――水船朱莉を嫌いになってしまいます」
その瞬間、朱莉の動きが完全に止まった。
いつも余裕に満ちていたきりっとした瞳が驚愕に大きく見開かれ、その顔から一瞬で血の気が引いていく。悠斗自身彼女に拒絶の反応を示すのは初めてだ。
「……っ。冗――」
「冗談ではございません。月若の邪魔するものは水船だろうと、日ノ内だろうと排除いたします。それが、私のルールであり絶対です」
美術室の中に、悠斗の低くよく通る声だけが響く。普段は冷静で華凛の無茶振りを笑って流す彼がとったらしくない行動に緊張感が走る。
「悠斗、一度廊下で頭を冷やしてきなさい。今のあなたがここにいるのは良くないわ」
「……承知いたしました」
悠斗は華凛からの叱責に頭を下げ美術室を後にした。
扉を出る際、横目にはこちらを一切見ようとしない朱莉の姿が瞳に映った。
美術室を抜け、空いてる教室に腰を下ろした。
古びた木の机と椅子が均等に並び、先ほどの喧騒とは違って静寂。
さっきの行動を悠斗は後悔していない。
瑠衣を人質と呼ぶことは大和が嫌がること。その彼氏が嫌がることを目の前でされたら華凛は冷静ではなかっただろう。
わざとではあるが空気を悪くさせてしまったのには変わりない。悠斗自身、イレギュラー対応への疲れを取るように机に突っ伏していた。気を抜いて他の考え事をしていると、開くはずのない扉がガラッと開いた。
「悠斗くん!」
「瑠衣さん。すみません、お恥ずかしい姿をお見せして」
「いえ……あれは私のために起こってくださったのですよね。大和様から教えていただいて」
その言葉に机からゆっくりと身体を起こした。瑠衣の大きな瞳が、まっすぐにこちらを見つめている。机の高さに合わせるようにしゃがんでいるため、いやでも目があって緊張してしまう。
「……半分は正解で、半分は不正解です」
悠斗は赤い顔を誤魔化しながら、いつもの端正な座り方に直した。
「あなたを『人質』と呼称されることは、日ノ内様にとって、そしてお嬢様にとっても容認できることではありません。幼い頃からあの二人はよく喧嘩をされていますので、それへの布石です」
そこで一度言葉を切り、悠斗は少しだけ視線を外して苦笑を浮かべた。
「それに私個人としても、友を人質と言われるのは嬉しくありません。それがあのお方でも」
「――っ」
瑠衣は驚いたように小さく息を呑むと、みるみるうちに頬を染めていった。スカートをぎゅっと押さえ、恥ずかしそうに視線を泳がせる。
「悠斗くん、ありがとうございます。まさか私のために怒ってくれるなんて」
「当たり前ですよ。それより――お三方の状況は? 瑠衣さんが席を外されると」
「いえ問題ありません。美術室の扉は内側から閉めていだいているので。ただ朱莉様が……」
「どうされましたか?」
瑠衣は立ち上がり悠斗に手招きして促す。
「何事か」と聞くまでもなく向かうと廊下には華凛がスマホを触って立っていた。
「お嬢様先ほどは――」
「いい。私たちのために怒ってくれたのわかってるから」
「は、はい。あの朱莉様は……?」
「大泣き中。あんたの言葉が効果抜群すぎてね。今は大和に慰めてもらってるわ。私がいても逆効果だから」
華凛はスマートフォンから視線を上げると小さく息を吐いた。
「あんたが怒るなんていつぶりよ? しかも相手が五大財閥の令嬢泣かせるなんて。うちの執事はどんだけドSなのよ」
「誤解を招くこと言うのはおやめください。私も怒るのは慣れていないのであれでよかったのか」
「まじ怖かったわよ? 私も当事者だったら多分泣いてた。ねぇーるいるい?」
「私もですね。普段怒らない人が怒るとあんなに怖いものなのかと」
華凛はそう言って、からかうような視線を悠斗と瑠衣の二人に向けた。
「それにしても、さっきの悠斗、ちょっと格好良かったじゃない。瑠衣を『友』だからって庇うなんてねー? いつの間にそんなに仲良くなってたのかしら?」
「お、お嬢様! それは……っ」
華凛の鋭い突っ込みに、瑠衣が再び顔を真っ赤にしてうつむく。そんな二人のやり取りを見ながら、悠斗はいつものポーカーフェイスを必死に維持しつつ、心中で小さく安堵していた。
十分後。
華凛のスマホから大和の声が聞こえたため美術室に戻ることにした。
どんな顔で会えばと思う気持ちと裏腹に、ドアを開けると目を腫らした朱莉が悠斗めがけてダイブしてきた。
「悠斗、お願いやから嫌いにならんといてぇ……。うち、富士見さんのこと変なふうに呼ばへんから…… !」
悠斗の胸元に顔を埋めたまま、朱莉は涙目で必死に訴えかけてくる。先ほどまでの肉食獣のような威圧感はどこへやら、捨てられた仔犬のようだった。
「……朱莉様、まずは離れていただけますか。お嬢様の前で見苦しいです」
「もう怒らない?」
「それはあなた次第です。ただ私も言い過ぎました、そちらは申し訳ございません」
「うん、怖かった。だから仲直りのギュー」
「しません」
朱莉を無理やり引き剥がすとただその目はまだ赤く、少し罪悪感が湧いてくる。
「ふん、まあ今回は免じてあげるわ。次なんかあった場合うちの悠斗が黙っていないんだから。わかった、朱莉?」
華凛が腕を組んだまま、朱莉をジロリと睨みつける。
「わ、わかっとるよぉ……。華凛ちゃんも、ごめんなぁ……」
すっかり毒気の抜けた朱莉の様子に、美術室の張り詰めた空気は、ようやく完全に霧散した。そんなやり取りをしているといつのまにか日が暮れていた。始業式の日にこの時間までいるのは怪しまれるためそろそろ帰らないといけない。
「あんた家はどこなの?」
「え、悠斗の家泊まればええかなって思ってたんやけど?」
「それって実質私の家じゃない。うちには来ないでよ」
華凛が手をバツにして即座に拒絶する。彼女のいうことは自動的に月若家の懐に転がり込むのと同じ意味になる。
「えー、ケチ。ちょっとくらいええやん。うちら将来結婚するんやし」
「しません。あなたは水船のご令嬢で私は執事です」
悠斗が冷ややかな視線で釘を刺すと、朱莉は「うっ……」と言葉を詰まらせ、きりっとした瞳を泳がせた。
「……う、うち、ちゃんとホテル取ってあるよ。東京の水船が経営しとる旅館。貸し切っとる」
「ならばそこへお戻りください。日も暮れています、これ以上、皆様がここにいることは使用人として看過できません」
悠斗はそう言って美術室の扉を開け、朱莉に退出を促した。これ以上彼女のペースに巻き込まれては、本当にいつまで経っても帰れなくなってしまう。
「わかったよー……。じゃあ、ホテルまでダーリンが送ってくれる?」
「付き人はいないと仰っていましたね。……お嬢様、よろしいでしょうか」
悠斗が確認を取ると、華凛は盛大にため息をつきながら手を振った。
「さっさと連れてって。あいつを一人で放り出して、また何されるかたまったもんじゃない。大和、私たちも帰りましょ」
「そうだね。じゃあ、僕たちはこれで」
大和が変装の眼鏡を直しながら、どこか同情に満ちた目で悠斗の肩をポンと叩く。
そして後ろからはいつも低い声色で話しかけられる。
「……星原さん。夜道のエスコート気をつけてください。どうぞ『業務』に邁進してくださいね」
すれ違いざま瑠衣から耳元に届いたのは、いつになく棘のある瑠衣の言葉だった。




