37 執事と旧校舎への来訪者
旧校舎の美術室。
いつもは月若華凛と日ノ内大和の密談の場所で愛を育む隠れスポット。だけど今日ばかりは違う。
「瑠衣さん、日ノ内のほうからはなにか情報は入っておりますか?」
「まったくです。水船財閥も事前に知らされていなかったようで、いつの間にか関西から姿を消していたようです」
「……なるほど。つまり朱莉様の独断行動」
「それしか考えられません。ただ……これを一人で」
悠斗と瑠衣は珍しくノートパソコンと睨めっこする形になっていた。もちろん理由はイレギュラーな転校生、水船朱莉の存在。それぞれ本家と連絡を取っても「そのような大事な情報がはいってきていない、なんて考えられない」とのこと。お陰で月若・日ノ内の両陣営はてんやわんやの状況だ。
「お嬢様たちはなにかご存じですか?」
「まったく。それよりいつから二人は名前呼びになったの?」
「……それは別の機会に説明させてください。今はこれを解決しなければ」
「そうね。まぁどこからか悠斗の話を聞いたのでよ。あの人の原動力ってすべてあんただ――」
言葉を続けた華凛を遮るように、アラーム音が聞こえてくる。これが鳴るというのは緊急事態で、本来あってはならないこと。この旧校舎の入り口に何者かが近づいたということだ。
「私が出てます。お二人は部屋の隅へお隠れください。」
「わかった。悠斗スマホの電話つなげっぱなしにしなさい。何か当たった場合、瑠衣と大和はここから出すから。時間稼ぎなさい」
「承知いたしました。手早く処理してまいります」
悠斗は立ち上がると手袋をまくり上げ戦闘態勢に入る。外からこちらが見えないように扉を開け三人に一礼すると長い廊下に足を踏み出した。
暴漢の制圧ならば余裕だ。執事としてでなくボディーガードとしての訓練も積んできた悠斗にとってそれは問題ではない。気にしていることは、この目を離したすきに大和と華凛の関係が露呈すること。それは悠斗並びに関係者の死、そして日本経済崩壊の引き金にもなりかねない。
やがて入口付近から大きな音が聞こえてくるので、息を飲んで入口近くに近づき体を隠すとそこには見知った顔がいた。
「朱莉様」
「朱莉がいたのかい」
電話口から悠斗の独り言に反応するように返事が返ってくる。
「はい。今体を隠しているのですが朱莉様が入り口に立って旧校舎の扉を叩いておられます。何か中にいないかを確認するようにです」
「おかしいな。先生に案内を頼んだあと、解散したと聞いたんだけど……。少し話を聞いてみてくれ。スマホもこのままで、そちらはミュートしてくれ」
「……承知いたしました」
悠斗は立ち上がり服を直すと、至って平然と装いながら朱莉へ声をかけた。
「大阪や! はよ開けんかい!」
「……朱莉様、お口が悪いですよ」
「おーダーリン! やっぱりいたんやここに」
「はい。華凛様の警備のために巡回をしておりました」
「流石、ダーリン。嫁としては鼻が高いわ」
「ご冗談を」
悠斗としては早くこの場を切り抜けたい。朱莉は悠斗が中学にあがった時からこのような態度で接して来る。月若の使用人である以上邪険にはできなかったが、この関西人特有のグイグイ来る感じ、華凛とは違う積極性に慣れないでいた。
「朱莉様はどうしてこちらに? ここは何もない場所ですよ」
「なんかなぁー先生に案内してもらっとうとき、ここから悠斗くんのにおいがしぃたんよ」
「そうですか。強い香水は使っているはずではないのですけどね」
「愛の力、舐めたらいかんよ? それになぁ――いるんでしょ、ここに? 大和と華凛が」
その言葉が朱莉の口から飛び出した瞬間、悠斗の脳内に火花が散った。ポーカーフェイスを崩さぬよう、最悪のシナリオをシミュレーションする。そもそもお二人の関係が他の三財閥に漏れていることは織り込み済み。ただ大和の存在はこの学校では完全に隠している。
教室のあのやり取りで気づいたわけか。日ノ内大和の存在に。
「……朱莉様、冗談が過ぎます。お嬢様がこのような埃っぽい旧校舎に揃っていらっしゃるわけがありません。それに日ノ内大和様は他の学校に――」
「そもそも悠斗がこの学校に入学したのは華凛の付き添い。んで、その我儘華凛がこの学校に入りたいなんていうなんて一つしかないやんな?」
朱莉はふっと妖艶に口元を釣り上げた。朱莉は一歩一歩、距離を詰め悠斗のネクタイを引っ張り顔に引き寄せた。
「旦那の嘘はお嫁さんにはぜーーーんぶお見通し。あの二人には正直興味ないんやけど。改めて挨拶したいから案内して?」
「……それは無理です。私は月若の人間です。お嬢様の合図があればあなたを制圧することも辞さないです。それで私の職がなくなったとしても」
「そしてら都合いいやん! 悠斗に襲ってもらえてあざでも作ってもらえれれば愛の証になる。それに辞めることになったらうちで働いて一生うちのヒモになればいい!」
押し問答に決着つかず困っている中助け舟を出すように、電話口から声が入った。
「悠斗もういいから連れてきなさい」
「しかしお嬢――」
「はーい! 流石華凛ちゃん! 大好きだよー」
そう言って悠斗のスマホを取り上げると無理やり通話を切られる。
「ごめんね? ダーリン無理やりして」
「……いえ」
「マジでダーリンのその怖い顔すするわぁ。イっちゃいそう」
「……公衆の面前で不謹慎な発言はお控えください、朱莉様」
これ以上ないほど冷ややかな視線を向けながら、悠斗は奪われたスマートフォンをそっと朱莉の手から回収した。画面は確かに通話が切れている。
朱莉は悪びれる様子もなく旧校舎の廊下を歩き出した。
悠斗は衣服の乱れを素早く整え、彼女の斜め後ろにぴったりと付き従う。
主人の命令が下った以上これ以上の押し問答は不要。
だが、この扉の向こうで待ち受ける今後のことを考えると悠斗も胃が痛む思いだった。




